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「ドアが閉まります」のアナウンスに違和感
駅のホームで「ドアは閉まりま~す」と車掌やホームの駅係員が言っていますが、いつも違和感を感じます。 ドアの開閉は車掌(運転士)や係員が行うことで、その人たちの操作によって「ドアが閉まる」ので操作しなければ永遠に「閉まらない」と思います。 よって「ドアが閉まります」よりも「ドアを閉めます」が、あの状況下ではふさわしいと思うのですが、日本語として問題ないのでしょうか。 「ゆりかもめ」のような無人運転、音声アナウンスで「ドアが閉まります」は人間がするとこでないので特に違和感は感じません。
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「お風呂が沸きました。」 「お茶が入りました。」 勝手にお風呂が沸いたり,茶が入ったりはしないが…そういう表現です。 ゆえに 私もno.5さんに1票です。 ちなみに,JR東海(静岡支社)さんでは,そんな意見があったのか …2012年現在 「ドアを閉めます」に変更されました。 JR東では,津田英治氏の自動放送で「ドアが閉まります」といってます。 個人的に「ドアが閉まります」の方が好きだけど。
直に手で閉める、のとは違う、ということじゃないでしょうか? ほぼ自動の流れになります、という感じはします。 閉めるボタンを押します、感は出てくるような…。 ちなみに、店舗などの自動ドアは何も言いませんが? あれ急に閉まると結構驚きます…。
- key00001
- ベストアンサー率34% (2878/8340)
車掌が主体なら「これから私がドアを閉めます。」です。 乗客が主体なら、上の結果、「(アナタ方のお近くの)ドアが閉まります。」です。 あるいは「原因と結果」の関係と言っても良いです。 「ドアを締める」が原因で、結果が「ドアが閉まる」です。 だから長ったらしく、正確に言えば「これまら私がドアを閉めます。従い、間もなくアナタ方のお近くのドアが閉まることになります。ご注意下さい。」となりますね。 誰に注意を喚起するかは乗客で、何に注意すべきかは「原因」では無く「結果」です。 「乗客の皆さん、ドアが閉まりますので、注意して下さい。」で甚だ適切な日本語です。 違う言い方をすれば、責任転嫁と言えるかも知れません。 「これから私がドアを閉めます。注意して下さい。」だと、「それなら閉めるアンタが注意することだ!」となってしまいますから。 でもまあ何十とある電車のドアと、その付近に何百人も人間が居ますので、車掌さん一人にそれら全ての責任を負え!と言うのは気の毒な話しです。 その結果が「ドアが閉まります。」なんでしょう。
- hakobulu
- ベストアンサー率46% (1655/3578)
わたしたちは無意識的に助詞を使い分けているわけですが、危険性を脳に迅速に伝達する表現としては「ドアが閉まります」のほうが適切だと考えます。 以下に理由を述べます。 こういった放送の根本的な目的は「危険なので注意するように」ということだと思います。 どちらがこの目的にふさわしい表現か、ということを考える場合、「を」と「が」という助詞の用法に着目すると良いでしょう。 「ドアを閉めます」は、 「(係員が)ドアを閉めます」という文の略で、 「ドア」という言葉を、「閉める」という他動詞の【対象】として捉えている表現です。 放送の目的に対しては、 「ドアを閉めるという行為が行われる→ドアが閉じた状態になる→危険なので注意するように」 という流れになるでしょう。 「ドアが閉まります」は、 「閉まるのはドアです」というニュアンスの文で、 「ドア」という言葉が、「閉まる」という自動詞の主体を【特定】するために使われています。 放送の目的に対しては、 「ドアが閉じた状態になる→危険なので注意するように」 という流れです。 誰が閉めたのか、あるいはなぜ閉めたのかはこの際、あまり重要ではなく、「ドアが閉まった状態になる」という事実を直裁的に表現することが求められているわけです。
- ShowMeHow
- ベストアンサー率28% (1424/5027)
ずいぶん前、タモさんがテレビで同じことを言っていたよ。 で、結論としては、 「ドアを閉めます」が、正しい日本語だねということになってような。 当たり障りのない、責任感のない言い方ですね。 でも、車掌がアナウンスする場合は(路線によるのかもしれないけど)、 「ドアを閉めさせていただきます」 と言っているところもあるよ。
- 3nk
- ベストアンサー率28% (619/2184)
「ドアが閉まります」は注意喚起のためのアナウンスなので、主語が「ドア」です。 ドアが閉まる=今止まっているドアがこれから動く→「危険なので注意してください」 ということを知らせるのが目的です。 >ドアの開閉は車掌(運転士)や係員が行うことで、その人たちの操作によって「ドアが閉まる」ので操作しなければ永遠に「閉まらない」と思います。 ...おっしゃることはよくわかりますが、それとは視点が違っていると思います。
- SPS700
- ベストアンサー率46% (15297/33016)
アメリカの僕の家の近くの電車では The door is closing と言っています。「ドアが閉まります」と同様極めて自然だと思います。
- mota_miho
- ベストアンサー率16% (396/2453)
こちら(関西の一地域)では、 「ドアを閉めます」。あるいは、 「閉まるドアにご注意ください」と言っています。
- nishikasai
- ベストアンサー率24% (1545/6342)
「ドアが閉まります」 これは日本語独特の表現です。私は通訳ですが、この表現を何と言うか今考えました。 いま閃きましたが、そういう表現は使われません。 せいぜい「ドアが閉められます」ですね。 日本語の特徴は主語を省くことにあります。 私はアメリカの新興宗教教祖のお話の日本語版を聞いたことがあるのですが、人称代名詞が連発されるので聞きづらかったです。 「私は貴方に問いかけます。貴方の行ないは貴方の良心にてらし、貴方が良いと思ってやっているのですか」みたいな感じでした。 日本語なら 「貴方に問いかけます。貴方の行ないは良心にてらし、良いと思ってやっているのでしょうか」程度でしょう。 日本語は人称代名詞をわざとぼかします。狭い村での共同生活の中、争いをさけるためそのような言葉になったのです。 ほかにもあります。たとえば日本語はDon’tは最後に来ます。 「私はドアを閉めたくない」 これは相手の気持ちを傷つけるのを最小限に抑えるため最後に回したのです。 「私がドアを閉めます」 みんなが乗っている電車のドア、まだ乗りたい人もいるかもしれない電車のドアを非情にも自己の意思をもって閉めてしまう。そのような行為はできることならその通り言いたくない。「ドアが勝手に閉まっちゃったんです。私のせいじゃありません」と逃げているのです。 似たような表現があります。 「お茶がはいりました」 正しくは「私がお茶をいれました」でしょう。 でもお茶は旨いか、まずいかわからない。 お客さんから「まずい」と言われたら困る。 で、「お茶が勝手にはいっちゃったんです」 という意味合いを持たせて 「お茶がはいりました」 と日本人は言います。 狭い国土に争いを避けて生きるための農耕民族の一つの知恵だと思います。
補足
余談ですが、シンガポールの無人電車では Door is closingと言っていました。
貧しい英語教育に犯された、日本人がたくさん居ます。 そういった人々の群れの中には、主語と述語が明らかでないと、違和感を覚える人たちがいます。 あなたの提起は、そういった人々の主張に近いものです。 ところが、日本語の豊かさの一つは、不要な主語を省くことによって、《場》の設定に含みを持たせることが出来、複数の状況のすべてを表現しうることにあります。 このアナウンスの場合は、話者の言葉によって誰かが閉めることも類推できますが、話者の言葉が伝える相手として想定しているホーム上の乗客たちにとっては、誰の行動かよりも、ドアが閉まること自体が重要ですから、主語の無い言葉に、主語のない表現になるのです。 ドアが閉まります、が、正しい日本語表現です。 正しい日本語感覚です。
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お礼
皆さんご回答ありがとうございます。 参考になりました。