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井伊直政と本多忠勝について
見てくださった方ありがとうございます。 徳川四天王の井伊直政と本多忠勝には「忠勝は薄手の鎧で傷一つつかないのに直政は厚手の鎧で傷だらけ」と両将を対比したエピソードがありますが、なぜ直政は傷だらけなのに忠勝は傷を負わなかったのでしょうか? どなたかお詳しい方、ご回答よろしくお願い致します!
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本多家 松平家の古参普代 井伊家 新参 新参は目に見える形で、忠義の程度を見せる必要があったから。 事実として、両者が傷があったりなかったりしたとしても、古参の本多家であれば「傷がないのが武勇の証明」になるが、新参の井伊家では、傷がないことは激戦地に飛び込んでいないと言われかねない。特に、四天王のうち最も若輩である井伊直政は、家康の贔屓で実力以上に評価されている、と言われないように、傷をおおっぴらに喧伝する必要があった。
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- eroero1919
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回答No.3
ボクサーで例えると、正面から近距離のドツキあいを好むファイタータイプの直政、蝶のように舞い蜂のように刺す華麗なボクサータイプの忠勝、という意味合いだったのではないでしょうかね。
noname#177763
回答No.1
本多忠勝は槍の名手で、 『蜻蛉切り』という名槍を拝領する程の腕前だったので、 怪我をする事が無かったのでしょう。