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システム、ロゴス、権力の関係性
システム、ロゴス、権力の関係性を教えて下さい。 また、これらの関係性を語った本などがありましたら、 教えてください。よろしくお願いします。 僕は、大きな枠で価値について考えています。時代としては 1930年代頃です。実は、カミュの『異邦人』で論文を 書いています。助言がありましたら、お願いします。 よろしくお願いします。
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ロゴスというのを、論理というのか、神的なものとして挙げるのかに違いはありますが。関係性について考えて見ます。ラフタッチですが、今から考えるものを書きます。まぁ、手前(私)のはったりです。 まず、システムは、起動している時と、していない時がある。 ロゴスは、普遍的に機能している。 権力は、機能しているときと、していない時があり、しているときは、普遍的とはいえないが、継続性とその範囲が、その権力の属性(王様なのか、政治家なのか、社長なのか、母親なのか)によってありそうだ。 権力を維持するのはシステムである。システムを起動させる動力は、認知である。 認知というのも一つのシステムであるが、認知の連続が、システムを起動させている。 人から人へ、イメージからイメージへ、記憶から記憶へ、連続する認知、これが、社会システムや、個体としての人間にみられる、記憶(データ)に基づく行為の実体です。 システムが起動していない時というのは、この認知の連鎖が、呼び起こされていないとき。記憶は記憶のままに、ねむっている時、噂がそのままに、ねむっている時、お呼びでないとき、そのとき起動していない。 しかし、いつ、どこからか、別の連鎖系が起動しており、それが記憶を掠めるかもしれないし、噂に火をつけるかもしれない。 常にどこかで回っている連鎖系がある限り(例えば今の私の思考)、その連続認知が、他の信号に接触しえる。 そうして、システムは、全体的に観ると、明滅しながら起動している。 交じり合った蜘蛛の巣を想像してください。蜘蛛の巣が幾重にも重なり合っている。それらの部分部分が、溶接工の放つ火花のようにちかちかと灯りを放つ。 それがシステムの全体像。 そして、権力というのは、どこを頻繁に光らすか? 蜘蛛の巣のよく絡み合ったところに発生する。 それはつまり、頻繁に認知されるところ。 権力というのは、中央集権だとか、封建だとかを言うのではなく、権(ごん)の力です。 そういう風に観れば、母親も一種の権力。 仲のよい友だちもそう。 しかし、金は権力を持っている。 金と権力ではなく、金が権力です。 金の集まるところ(金のシステムで、蜘蛛の巣が一番絡まってるところ)が、金の集まるところ、金システムでいちばんピカピカ光るところ。 そこに座れば、権力者になります。 また、自分で蜘蛛の巣を作り、絡ませても、権力者になれる。 政治家や、財界の者に権力があるのは、金というシステムをとおして、皆の注目(認知)が、彼らの居るところに集まるからです。皆が金を見れば見るほど、彼ら金の権力者を優位にする。 だから、金を欲しがってやまない者、金に困る者は、いつでも、金の権力者の奴隷とも言える。 餓えに困る者は、生物システムを利用する、生命の権力者の奴隷とも言える。 で、次はロゴスですが、 認知と認知の間に(イメージからイメージへ、人から人への間に)、微塵の隙間がある。当然、認知が連続していない時は、隙間だらけ(つまり隙間しかない)、いわば開けっぴろげで隙間なんて分別は無いのだけれど、この隙間に、普遍的に作用しているのがロゴス。 当然、隙間を埋める諸々の認知の連続、{イメージの連続(連想、つまり文の構成、文法)や、人から人への認知の連続(人語から家族認知)、近所づきあいから社会システムまで}、つまり「認識」、認知の連続は認識であるが、その認識状態においても、ロゴスは裏で作用している。 なぜなら、もともと開けっぴろげだったところに、連続(すばやく、しかも断続的にという意味で連続)で認知を打ち鳴らしているわけだから、音の明らかでない世界で、音が鳴らされているようなものです。 で、その鳴っている音(認知)ばかりをしていると、認識が生まれ、音が無いということを、忘れてしまう。 それが、ロゴスを忘れるということ。 で、眠っている音(音階)というのがあり、それが、実質的に存在する、識であり知です。浮上していないだけで、それは暗いだけで、あります。 で、関係性を総括すると ロゴスが無関係性。縁られている無縁。宇宙の理。 眠っているシステムは見えない関係性。縁。 明るいステムは、起動している関係。縁起。 権は、よく起動するシステム。濃い縁。縁が集まってるところ。 権力は、その権において、先んじている者の所。因を放った者、業。 権力者は、業者。因を生んだ者。 果を享受する者が、被支配者。 こんな感じ。なんやよーわからんよーなってきましたが、 だから、誰しも権力者です。 で、この権力を捨てた者が、隠者。 自分(独我)というものを権力と絡めて想定するとよくわかるが、独我は、権力とは無縁なわけです。 権力と縁がある限り、自分というのは生起する。 権と縁が無くなれば、自分というのは眠りにつく。 しかし、消えたわけではない。 ここから話を飛ばしますが、 ロゴスに至り、自分というのははじめて消える。 しかし、ロゴスというのは、創造の原理である。 なぜなら、無力な自分(独我)という只のリトルロゴスが生きてしまうのは、いや、生を生んでしまうのは、ロゴスが、顕現している、明るいからである。 完全に透明で、明るい。それが、今の宇宙のロゴスである。 これを探求せん限り、生は解かれない。 いや、解けたところがロゴスであるのだから、もうどうしょうもない。もう、やることが無い。 ロゴスが明るいというのも、ロゴスに暗いがあるのかは不明である。まさに、不明。全く不明である。 という訳で、もうかなりお手上げな訳です。 笑ったってください(^^。もうやばいね。 っていうかもう笑ってる。 ではここらへんで。 きゃー。 マジでお手上げやわ。どん詰まりや。八方広がってるだけに、どん詰まりやわ。 ここが、独我の、独我たる所以です。 八方開きなのに、どんづまり。 スゲェオチだ。という訳で、ロゴスから独我(はじめ)に探求対象を変更。 まぁ、これも、するほどのことが無いのよね。 1と、0だから。
お礼
回答ありがとうございました。 いろいろ考えるとこんがらがりますよね。