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死後の感覚は残るのか?痛みと快楽について考えてみよう
- 死後の感覚は残るのだろうか?痛みや快楽などといった感覚はなぜ生まれるのか疑問に思うことがあります。脳の機能と関係があるかもしれませんが、物質がある条件下のみ急に感覚が生まれるというのはおかしな話ではないでしょうか。
- また、あらゆる物質には低次元の感覚があり、それが集合することで高度な感覚になるのではないかと考えることもあります。この低次元の感覚は、プラスのものがマイナスに引き寄せられるような物質的な目的の時には快楽のような感覚が生まれ、逆にそれに反する時には痛みや苦しみのような感覚が生まれるのではないかと予測しています。
- したがって、死後も苦しみや快楽は永遠に続くのではないかと考えることがあります。ただし、その時自分が過去に人間であったという記憶は存在しないでしょう。ただ感覚だけが永遠に続く存在になるのかもしれません。
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素粒子や原子レベルで物質が、低次元の快や不快の感覚を持ち、素粒子個々が我が存在することを認識し、意識しているというのは、考え難いですが、 そもそも、何故宇宙が存在していて、何故このような物理法則が存在していて、そして、意識を持つかどうかは分からないが素粒子が存在しているということ、つまり、物が存在しているということ自体と、それが成り立っていること自体が既に説明不可能なとてつもなく不思議なことであり、 そんな不思議な世界の中に誕生している「人間が我という意識を持ち存在する」ということぐらい、今更驚くことでもないのかもしれません、不思議さに関しては「物質の存在」と「精神の存在」は、『存在して、法則に従い動き、成り立ち、現象している』という点において、両者もはや同列の事なのかもしれません、ただ人間が『精神の存在』の方だけを特別に驚いているだけなのかもしれません、 素粒子が、小さな小さなマシンのようにただ物理法則に従い機械的に反応したりしているのではなく、もしかしたら生き物のように、素粒子レベルで低次元の感覚が存在しているのかもしれませんし、 素粒子が持つ低次元の感覚というのがどのようなものなのかは人間には分かりませんし、 素粒子の低次元の感覚というものが、人間と比べて、感覚と言えるようなものなのかもわかりません、 もはや、「素粒子が感覚の最小単位を持っている」、または、「素粒子は感覚を持たない単なる物理法則に従う小さなマシンで、そのマシンが有機的にネットワークを組むと意識が生まれる」のどちらでもよい事なのかもしれません、 そのような「感覚を持たないマシン(素粒子)が存在している」という事自体と、「意識(人間)という現象が存在する」ということの間に大差はないのかもしれません、 だとしたら、人間がただ『意識という存在』にだけ過剰反応して驚いているだけであり、意識と呼んでいる存在と、物理法則に従う感覚のないマシンである素粒子という存在の間には境界線などなく、とにかく存在が存在するという点において、同じ不思議な『存在』なのかもしれません、 しかし、素粒子という存在が存在する自体が不思議ですが、昆虫ですらマシンのように動いているだけか、それとも感覚や意識を持っているのか分かりません 物質の最小単位である、素粒子が感覚の最小単位だとしたら、物理法則=感覚による反応の結果、ということになりますね、 感覚という言葉自体もよく分からないものですね、物理法則にしろ感覚にしろ、それらが存在して成り立っていること自体両者不思議な事ですから、物理法則が感覚を生むでも、感覚=物理法則でもどちらでもよいですね、 『存在』が物理法則に従い無機物(素粒子)的な反応するときは感覚無しと判断し、『存在』が物理法則に従い有機物(生物)的な反応をするときは感覚有りと判断して、『存在』を区別しているだけで、 物理法則の中で感覚だけを特別視しているだけで、感覚有り無しを区別することにあまり意味は無いのかもしれません、 そもそも、『物理法則』と『感覚』の間に境界線は無く、 素粒子→原子→石→細菌→昆虫→動物→人間、の間で素粒子から昆虫までは感覚無しで、動物から人間までが感覚有りというような明確な区別は無く、おっしゃるように、物理法則がいつの段階で感覚を生むのかというものではなく、そのように分けるのは難しですが、 どの段階であろうと、結果的に物理法則のネットワークが感覚のような現象を生み出しているなら、物理法則=感覚でもよいことになりますね、 ただ、素粒子から昆虫までのレベルの物理法則のネットワークでは感覚のような現象が考えられないし、確認もできないというだけで。
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- lv4u
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>>そう考えると、我々が死んでも苦しみや快楽は永遠に続くのではないだろうか。 人間の本質は、魂というか心であって、肉体はその乗り物です。つまり、肉体は痛みや快楽を脳に伝えるけど、それを感じるのは、「非物質」である魂・心です。 ですので、死んだ後に肉体は無くなりますが、痛みを感じる魂は残っているので苦しみは存続することがあります。 なので、唯物論の医者や普通の人たちは、「死んだはずなのに、肉体(実際は幽体)があり、痛みもある」ということから、「私はまだ生きている。痛みを感じるし、意識もある」という考え方をすることになります。 幽体になれば、食事も睡眠も排泄もしないで生き続けることが可能。 そのため、死んだ後も、「感覚だけが永遠に続く」っていうことは正しい推論であり、実際にそういうケースもあります。
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補足
どうやって魂の存在を確認したのでしょうか