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永遠とは・・・
人間は時間を知覚できません 永遠とは果てしなく続くこと時間という概念ですが 時間という概念を用いないで永遠を表現できないものでしょうか? お考えをお聞かせください 個人的には自分が記憶した事象以外の事象の全ての集合を永遠としています
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芸術の中でも、音楽は時間の進行による表現方法であり、「この音楽良いとか好きとか嫌い」とかいう感覚、感情は、無い時間の中で、その瞬間瞬間に発生しているのでしょうか、それとも、知覚できなくとも存在しているということの証明となりますでしょうか。 知覚出来ないなら 無い というなら、色を認識できない犬にとって、色彩はないことになりますが、人間から見れば、あります。 >時間という概念を用いないで永遠を表現できないものでしょうか? ということで、音楽 はどうでしょうか?
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時間にしろ永遠にしろ人間がこしらえた抽象概念であることは確かですから、仰せの通り、ひとによってそれぞれ違った捉え方があると思います。 孔子は大河の流れを永遠と感じ、 三好達治は大草原をそぼ降る雨のなかで草を食む馬の光景を見てそれを感じました。 私もやはり自分の寿命とは桁違いに長く感じられる不変(に見える)の自然風景(水平線とか生命の見えない荒野とか、星空とか)を見て永遠を思うことがあります。
お礼
三好達治ですか 三好達治も現代に生きていれば感じ方も変わったことでしょう なにもかもがぶっこわれていくこの現代で 自然や星に永遠を感じれるほど こころも命も平静じゃないですよね わたしは最近思うんですよ 虫を見てね この虫は今晩の寒さで死ぬかもしれないなって そう思うとね 死んだらもう永遠の仲間入りですよ 二度とこの虫の命は無いってね 永遠はそこらじゅうにころがってるけど 今生きているこの奇跡を どんだけの奇跡か かみ締めて死んで行けよと・・・ ご回答ありがとうございました
ジュリアン・バーバーという人が、そもそも時間は存在していないと言っているそうです。 全ては一瞬一瞬の世界の連続であり、それらは皆永遠に存在している・・というのですが・・・・・ だとすると、時間的観念から永遠なるものを観るのではなく 永遠なるものから時間を観る事が可能になってくるのでしょう。 でなければ時間が存在しないとは言えないと思います。 この場合の一瞬の世界の永遠性の表現はどのようになるのでしょう? すでに時間的概念においての永遠性とは全く違っているのですから 何に対して永遠なのかをまず決めなければなりません。 永遠でないものを捉えた上での表現になります。 一つの表現として 一瞬の宇宙が、連続するその中においても絶対である・・ というのはいかがでしょう。 誰かもっと上手く言い表してくださる事を期待します。 それでは。
お礼
ジュリアン・バーバーがいつの時代の人物か知りませんが プランクの前の人物ならばなかなかいい勘をしてますね 量子力学では時間の最小単位はプランク時間で しかも時間は非連続のものであるとされていますが わたしは本能的に時間は連続していると感じているのです つまりプランクの説は説の中の説でしかないということです 現実はそんなアマイもんじゃないですよ 一瞬こそ絶対 あらゆるものが絶対であることには違いないわけで その意味では一瞬が絶対的存在であっても不思議はないです ただそれは過ぎ去るものであって過去の事実としての 絶対だと感じますね もちろん宇宙には記憶は残るわけですが 記憶と実在は違いますから 記憶を元に複製は可能でしょうけれども 過去の事実とは似て非なるものでしょうね ご回答ありがとうございました
- cyototu
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>人間は時間を知覚できません いいえ、人間は「変化」を知覚出来ます。人間は変化を認識することでのみ、時間を認識することが出来ます。繰り返しの現象を、変化する自分の中で咀嚼することによってのみ、時間は認識出来るのです。 >永遠とは果てしなく続くこと時間という概念ですが いいえ、永遠に果てしなく続く事象では、時間を認識することは出来ません。永遠とは時間を否定した概念です。 >時間という概念を用いないで永遠を表現できないものでしょうか? 永遠を表現するとは、時間の存在を否定することです。 ユダヤおよび西洋という地方的で特異な思考が生み出した世界観の中で、永遠と言う無時間で異様な概念が生み出されたようです。 因に西洋人の絵画の中に「渦」が描かれることは稀です。渦は一過性の現象です。時間の存在に興味のない西洋人に取って、渦は興味の対象にはなり得ません。ところが、中国でも日本でも古代から、雲の中の渦や煙りの中の渦を、絵画の中にしきりに描いて来ました。東洋では、西洋人には理解出来ない、時間という概念の本質的な意味を古代から理解していたようです。 またメキシコのマヤ文明では、現在の太陽は4番目か5番目の太陽だそうです。時々神が出て来て腐敗した宇宙を糾して、新しい太陽を創るそうです。ところが、神はそれを忘れてしまうことがある。そこで、神は人間の要望のもとに人間の助けを借りて目を覚まし、腐敗した宇宙を再生するそうです。ですから、他の文明では人間が神の助けを必要とするのとは反対に、マヤ文明では神は人間の助けを必要としていたとのことです。このことからも、マヤ文明では、変化する世界、すなわち新しい太陽が出てくる世界を認識しており、従って、西洋人とは違って「時間」の概念の存在を認識していたことが判ります。
お礼
永遠とは時間を否定した概念とはおもしろいですね すこしニュアンスが違いますが ブラックホールの内部には物理的時間は存在しません かといってブラックホールは永遠か?と問うと それは銀河の黎明であって けっして永遠とは言いがたい 逆説的にはブラックホールには時間が存在する可能性も 無いわけではないのかもしれませんね また光そのものにも時間は無い でも光はエネルギーの変換により光としては 消滅するものです これも永遠とは言いがたい ご回答ありがとうございました
仰いますとおり、時間は知覚の条件だから時間自体を知覚することはできないわけです。 われわれが普通時間と呼ぶものは、性質的変化の継続を等質的な同時として捉え、以ってその要素的部分が互いに浸透しあうことなく触れ合っている一つの連続体、つまり空間に投影された時間です。 ですから、例えば永遠を時間的持続の無際限性といった具合に定義した時点で、本来の時間{純粋な意識の非連続性}は空間化され無時間的な性格を有することになるわけです。
お礼
我々が扱う思考に用いる概念自体に多くの矛盾や謎があります 線分に無限の通過点が存在するならば アキレスが亀を追い越せないという パラドックスが生まれるわけで さらにそのパラドックスとして ならば線分に無限の通過点は無いのではないか という仮説も生まれます 概念には限界があるということなのかもしれませんね ご回答ありがとうございました
>人間は時間を知覚できません そんなこともないでしょう。「腹時計」がありますし,試験時間が90分だと指示されれば,受験生は70分でひととおり解答できるようにペース配分するでしょう。 >時間という概念を用いないで永遠を表現できないものでしょうか? 落語の『寿限無(じゅげむ)』には,仏教用語から借用した「五劫(ごこう)のすりきれ」という文句があります。
お礼
腹時計などは五感+経験の記憶+状況などで無意識に 予測する感の部類に入ると思います ●五劫(ごこう)のすりきれ: 天女が時折泉で水浴びをする際、その泉の岩の表面が微かに擦り減り、それを繰り返して無くなってしまうまでが一劫とされ、その期間はおよそ40億年。それが5回擦り切れる、つまり永久に近いほど長い時間のこと。 200億年ですか まぁ現在の私達が棲む宇宙の年齢よりは長いですが 永遠てそんなもんじゃないでしょ もっと途方も無く遠大でしょう ご回答ありがとうございました
補足
知覚:感覚器官を通して外界の事物や身体内部の状態を知る働き ↑本命題の「知覚」とは上記の意味です
- DMIM
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永遠は、「「無い」様が無い」様。 永遠は、存在性。 考えた範囲が少し狭い気もしています。 また、自分が記憶した事象以外の事象の全ての集合が永遠であることは、あまり理解できませんでした。
お礼
時間とは長さをもつ時ですから しかもその物理的基準は光ですから 宇宙は有限なわけで つまり時間も有限なわけで しかし永遠という詩的概念は おおむね無限な感じがするわけで 「「無い」様が無い」様 面白いですね 宇宙が複数存在していて宇宙と宇宙の間には 非常にゆるい波が存在するとする説もありますから 無いこと自体無い可能性が高いらしいですからね ご回答ありがとうございました
ニーチェの根本思想 永劫回帰…永遠回帰とも表現、と有りますから、一つ一つの事柄が、重なり合う事により、永遠というモノを成して行く。 一瞬一瞬と、考えると時間の概念だから、一つ一つの事柄と表現すれば、行動・行為とは、成らないかなと思いました。 詳しくないのに、回答しました。 ただ、永遠を考えるって、面白いなと思い、人間の尽きぬ課題だなと。
お礼
ニーチェも記憶をよりどころにしているようですね 連続しているものを不連続のもで補おうとしていますね 連続が途切れたときはどう対処したらいいのか 問題が残りますよね でも たぶん解決不能でしょうね 人間の記憶自体不連続きわまりないものですからね ご回答ありがとうございました
お礼
音楽は気付きませんでした いいところに目をつけられましたね 音楽に限らず時間の介在なしで存在する事象は無いわけですが ことさら音楽は時間と音波のデータですからね これはなにかヒントが隠れてそうですね 音楽について少し考察すれば 人間の音に対する感覚は快感・不快・衝撃・癒し・リズムetc・・・ そして感覚は経過時間で麻痺しますから その組み合わせを時間経過を利用して さらに時間軸に要素を組み立てることで ドラマ性を持たせることなどにより 表現されているものだと思います 音楽は時間と同じでそのつど消えていくものです 時間のように抽象的な概念ではなく 具体的な事象なだけに 消えて行くことが永遠とはかけ離れているように感じます 墓石に石が使われるなら 墓石に音楽は絶対ないでしょうね でもね 音楽の方が永遠に近く感じるのは何故だろう? それは潔いからなのだろう サクラに永遠を感じるのと同じようななにかだろうな 消え去る美学 ちんたら未練がましくのさばるものに永遠は無いな いろいろ考えてみます・・・・ ご回答ありがとうございました