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わび・さびとは何か?その美意識への変化を知りたい
- わび・さびとは、生気や活気が失われ、荒れたり古びたりする状態を表現する言葉であり、日本の美意識の一部である。
- ワビ・サビの美意識は、世俗を遠ざかって淋しく貧しい暮らしに安らぎを見出すことや、修練を重ねて俗気のない清らかな精神になることを追求するものである。
- ワビ・サビの思想は、一般的な生活の状況を削ぎ落とし、本質を見ることを意味し、社会から除け者とされた人々によって生まれたものである。現代においてもワビ・サビの達人は存在し、その美意識は今でも魅力的である。
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こんばんは。 要らぬ投稿に辟易なさっていることと存じますが、お礼方々付け足しをご容赦下さい。 "less is more"って、ご存知ですか。 ミースというモダニズム建築の巨匠がそう述べたと伝えられています。 一見、わびさびに多少なりとも通じるものがあるように思えなくもないですよね。 そして、その言葉を噛みしめながら、今春バルセロナの地で彼の復刻パビリオンを見学する機会を得ました。 乾いた風と伸びやかな木々、強烈な陰影の対比に加え、中世ゴシックからガウディ等そして現代建築まで混在する街だからなおのことそう感じたのかもしれませんが、彼のパビリオンがおよそわびさびとは似て非なるものに映りました。 過去の建築群に対して"less is more"と今なおその斬新性を誇らしげに湛えているように思われたのでした。 翻って日本のわびさびを思いおこせば、"less is more"とは独自に主張し得ない心許なさを感じずにはいられないのは何故なのでしょう。 でも、どこか心和み癒されます。 それはやはり、少なからず対人的な関係性を重視する美徳、美意識ゆえではないでしょうか。 先にご指摘くださいましたが、白氏文集の壮大な世界観を日本の庭に凝縮して気持ちや情緒を託した遊び心ともとれるアレンジによって、二人の間に互いの尊敬の念や親密性が増したであろうと察せられます。 それと同じで、枯山水や能舞台にしても、研ぎ澄まされた削ぎ落としの結果、人(観客)と自然や世界、物との親密性や一体感に訴えかける作用をもたらし、時としてそれが何とも心地よく感じられるのではないでしょうか。また待庵はどうでしょうね。 このたびのわびさびが転じてアウグスティヌスというあなたのお説はとても斬新でユニークなお説だと思いました。 あなたの強い気概と思いがひしひしと伝わってきます。 お若くて頼もしいかぎりです。 これからも前に進めていっていただきたいと願っております。 そしてこのたびの多くのご教示につき大変参考になりました。 本当にありがとうございました。
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こんばんは、私はどこかで聞いたことですが、本来中世日本はビンボーが基本としてあって、その中でなんとか最大限に人生を楽しみたい、そういったさもしいあるいはなみだぐましい考え方が本来歪んだ失敗作の陶器とか、かけた茶碗とかを逆に負け惜しみで「これはいいぞ!」といいだしたのが時の権力者がまんまと騙されて権威づけしてしまったという、そんな面もあるのかと思ったりします。 仏像なんかも、本来ならさびたりくすんだりしたら、金を掛けてまた金箔を貼り直したりするはずなんですが、それができなかった。私はそういったくすんで黒くむらむらになった古い仏像を見るたびにちょっと落胆するのですが、それがいいんだ!というひとが主流のようです。よくわからないですね。東大寺の大仏も最初は豪勢にきんきらだったそうですし、今でもそうだったら、どんなにいいだろう、各地の神社仏閣も極彩色になっていたらもっともっと世界から観光客がたくさん来るのではないか。日本のそういったわびしい美意識は世界的にはひどく異様なものだと私は思っています。 戦国武将たちの派手で見事な甲冑、特に信長が愛したきらびやかな西洋の衣装やら美術品、江戸でかぶきものが異様な風体で街をのしあるいた、そんなわびさびとは180度違う美意識が本来のまっとうな美というものではないでしょうか。 きんきらはいずれ飽きる、そのあとにはお茶づけが最高になるというのでしょうがこじつけではないでしょうか。あるいは日本人の体力やら精力がきんきらをとことんまで追求しきれなかったのかもしれません。私は寂しい山端の苫屋というものがどうして美に通じるのか(おそろしく住まうには不愉快だと思いますし)、そのあたりをしっかり説明したものを知らないのですが、やはり私は勉強不足なのでしょう。
お礼
こまあすさん こんにちは。ご回答をありがとうございます。 ご趣旨は 鮮明でわかりよいです。 ○ 美を追求しこれを表わすには その芸術家は思うぞんぶんにみづからの力を発揮し その努力を惜しまないものである。その結果創作されたものが 美の主流である。 ☆ キンキンキラキラがその同じく主流であるかどうか わたし自身の感覚では微妙であってにわかには判定しかねていますが それはともかく 美意識ないし美学には 保守本流があるはずだというご見解であるかと思います。 じつは この質問は そのように正面から美について議論することとは 微妙にですが違っておりその微妙な違いによってじつは基本的に問いそのものが 異なったものになっています。 これも舌足らずだったとすれば おわびしなければなりませんが 美とは何か? ではなく わび・さびが美しいと感じられるのは どうしてか? なのです。 ということは こまあすさんのご見解では 《わび・さびは 本来(?) 美の対象ではない》となりましょうか? でも わびさびの美が取り上げられたというその経緯についても触れておられます。 ★ ~~~~~ 私はどこかで聞いたことですが、本来中世日本はビンボーが基本としてあって、その中でなんとか最大限に人生を楽しみたい、そういったさもしいあるいはなみだぐましい考え方が本来歪んだ失敗作の陶器とか、かけた茶碗とかを逆に負け惜しみで「これはいいぞ!」といいだしたのが時の権力者がまんまと騙されて権威づけしてしまったという、そんな面もあるのかと思ったりします。 ~~~~~~~ ☆ そうですね。この史実についてわたしは明るくないので 割り引いて聞いてもらわねばなりませんが たぶんこのときには 《失敗作のゆがんだ陶器》の場合と《欠けた茶碗》の場合とでは 事情が違うのではないかと考えました。 《時の権力者がまんまと騙されて権威づけしてしまったという、そんな面もあるのかと思ったりします》といった事情については さもありなんとは思いますが 《欠けた茶碗》の場合は まづないのではないか? 単純にこう思いますが いかがでしょう? 《失敗作》であっても そして《ゆがんだ》ものであっても そこに或る種のうつくしさを感じるというのは 大いにありうると考えます。《欠けたもの》に美を見るのは 屁理屈であるように思います。 あまり大したことは言えていないわけですが そこで問題は ではどうしてこの脇道から出て来たような美意識が わび・さびという言葉で呼ばれるのか? つまりそのようなビンボー生活の開き直りから出発しさらに作品創作にあたって《負け惜しみ》から出たような美の感覚が わび・さびと名づけられたのか? わびしくさびしい生活から開き直ったのなら 侘びとも寂びとも名づけなかったのではないか? この疑問は 半分ほど いやいや そう名づけてもおかしくないという答えを持ちつつの疑問ではありますが つまりはその命名についても開き直ったという見方が考えられるわけです。ただしその見方も どうも そのまんま過ぎるようにも思われます。(これは 何とも分かりません。専門的な研究が知れればよいのですが)。 ★ 私は寂しい山端の苫屋というものがどうして美に通じるのか(おそろしく住まうには不愉快だと思いますし)、そのあたりをしっかり説明したものを知らないのですが ☆ このあたり わびさびの起源にかかわっているようにも感じました。すなわちわたくしの勝手な解釈ですが こうです。 わざわざ山の中に入って 苫屋に住まわなければならなかった人間が いた。その人間にとっては そこでの侘びしく寂しい心とまわりの風情 といった情況から 或る日ふとわが心にうつくしさの感覚がよみがえっ た。これは 何だろう? ・・・ ここらあたりから 出発しているのではあるまいか? どうでしょう?
kaitara1ですが、経過のことではなく順序の意味でわびさびを美しいと感じることが先ではないかと思ったわけです。普通人はあまり前提を意識しないでいろいろなことをやっています。前提が問われるというのは自分の存在の根拠も問われていることになり只事ではないわけです。
お礼
かいたら1さん さらなるご説明をありがとうございます。 そうですね。 たぶん こういうことでしょうか? つまり ★ 普通人はあまり前提を意識しないでいろいろなことをやっています。 ☆ というとき この《前提》が ではワビサビについては どうか? こういう問いから出発したご議論だったでしょうか? それなら ★ 〔* 歴史的にどのような事情と〕経過〔* をとおして芽生え発達してきたか〕のことではなく順序〔* つまりは どういう前提において美意識が生じるか〕の意味でわびさびを美しいと感じることが先ではないかと思ったわけです。 ☆ すなわち たとえば(1) 絢爛豪華に対する或る種の反措定(アンチテーゼ)として 質素が注目されたからとか (2)人生や世の移り変わりについての無常感から生まれたとか そういう捉え方をするよりも まづは――人間存在の大前提としてのごとく――われわれ人間には いまワビサビと言っている美の感覚というものが もともとあったというその自然本性に注目すべきだと。つまりは ワビサビに美を感じる感性能力は 生まれつき備わっていたのだと。 すなわち このように――存在論そのものから出発するかたちにおいて―― ★ 前提が問われるというのは自分の存在の根拠も問われていることになり只事ではないわけです。 ☆ と。 おそらく これはこれで そのとおりだと考えます。後天的な性質ではなく 先天的な能力(資質)であると思われますから。 ということでよろしいでしょうか? しかし あなたが提出された問いは ただちに答え得ないとしても いまいちど かかげておきたいと思います。 ☆☆(回答No.2お礼欄) ~~~~~~ そうして今度は このようなワビ・サビをうつくしいと思う余裕を持つときその人は ではどうして ★ 周囲からは負け惜しみといわれるでしょうし、排除されてしまうでしょう。 ☆ という事態になってしまうのか? こういう問題が 派生して来ましょう。現にそこここで起きていましょう。 果てさて これをどうしましょう? という問いでもあります。 ~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 単純には 余裕を持つことへの《ねたみ》でしょうけれど その余裕が いま上で見て来たように 誰もが自然本性として備えている美の感覚であるはずなのに 人によっては発揮できないでいる。どうしたものか? という問いにもなると思います。 おそらく現代人のこころの問題になっているのだと思いますから。 ですよね?
- michael-m
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質問に答えているかどうかは分りませんけど・・千部は書けないので一部だけ書きます。 辞書というのは必ずしも、真の意味を捉えては居ません。ワビサビはその典型で、要するに使用例や状況から後付された定義です。 私はワビサビの基本は利休にあると考えています。 つまり殺風景の中の一輪の花に凝縮された華やかさを意味します。彼らの時代には多くが僧門に入った為に仏教=ワビサビと考えがちですが、殆どの仏閣は建立当初はきらびやかなものでした。 これもまた殺風景な社会の中に輝く極楽浄土を現したものなのです。時を経るに従って金箔は落ち、色を失って今のような状況になり、それをまた「サビ」と呼んで尊んだことから仏教=サビサビとなってきたということです。(もっと要因はあるようですけど) 真のワビサビは利休の如く、華やかな中の黒一点、或いは闇の中の一灯という対比にあります。これはつまり緊張と緩和、新に対する古、複雑に対する単純、社会に対する孤立という事にもなります。 ワビサビが美しいかどうかではなく調和なんです。 昔の一般庶民の色の少ない時代だからこそ、寺社の華やかさが調和を持ちましたが、現代のように色鮮やかな社会では調和を取れません。逆に歴史を感じさせるとかモノトーンが調和を取れるのです。本来はその調和の妙を「美しい」と表現すべき所ですが、現在では古ければ、地味であればなんでも「美しい」と表現しているに過ぎません。要するにうまいものを何でも甘いと表現したり、逆に甘いものをうまいとしか表現できない現代人の表現力の乏しさでもあるか。 隠遁生活もそれ自体がワビでもサビでもありません。また阻害されているわけでもありません。 それらの感情は全て、乱雑で色が溢れている現代社会、或いはそれを是としている者が起こす感情に過ぎないのです。
お礼
みかえるさん こんにちは。ご回答をありがとうございます。 そうですね。 これまでまだ三つのご回答を受けただけですが ひととおり質問者じしんの姿勢と言いますか意図と言いますかの中身は はっきりして来ましたので――つまりそのことはそれぞれのお礼欄にてお応えして来ていますので―― すでにいきなり 尋ね返す仕儀になりますが よろしくお受け取りくださればさいわいです。 次の一点に絞られるのではないでしょうか? ★ 辞書というのは必ずしも、真の意味を捉えては居ません。ワビサビはその典型で、要するに使用例や状況から後付された定義です。 ☆ この見方じたいに反対ではありませんが――つまり明らかに《後付け》に過ぎないということですが―― いまの問い求めにかんしては 辞書における語義の変遷をたしかめておくことは 意義がある。こう反論せねばならないと考えます。 すなわち ★ 使用例 ☆ は 全部が把握され 時代別にきちんと整理されていると受け取ってよいはずです。(用例は文献のすべてにわたって把握されているというまでに 研究はすすんでいます)。わづかに問題は のこるとすれば その使用例の――文脈を含めての――解釈例の妥当性いかんにあるとは これも言わなければならない。言いかえると 解釈例という言い方をしたように ほかにも解釈例はありうると考えられるからです。 ですが 時代を追って整理された語義の変遷から判断して その妥当性が大きく外れるとは このいまの場合 思えません。 そのことについて みかえるさんからは 説明がありません。 そして それにかかわってもう一点としては やはり――ほかのご回答に対するお応えでも触れていますが―― ワビ・サビがすでにその美意識としての完成度を作り上げたそのあとの段階に立って 議論を展開しておられる。こういうことになっていないでしょうか? すなわち兎にも角にも ワビやサビという言葉は はじめから美意識の意味に使っているということはなかったのですから。 ○ わび【侘び・詫び】 ~~~~~ ・原義:失意・失望・困惑の情を態度・動作にあらわす意。 1. 気落ちした様子を外に示す。落胆した様子を見せる。 ○ さび【荒び・寂び】 ~~~~~ ・原義:生気・活気が衰え 元の力や姿が傷つき いたみ 失われるの意。 1. 荒れる。荒涼たるさまになる。殺風景になる。 ~~~~~~~~~~~~~~~~ もしたとえば ★ ワビサビが美しいかどうかではなく調和なんです。 ☆ という見方なのでしたら 上にかかげた――おそらく妥当性のある――原義が 社会生活の全体や人間の心のあり方の全体にとって どのように位置づけられた結果 うつくしいという語義をもあたえられ その全体としての調和に一役買ったのか? その事情や経過をいまは知りたい。こういう問い求めです。 ★ 逆に歴史を感じさせるとかモノトーンが調和を取れるのです。 ☆ もしこうであれば この《歴史を感じさせる》なり《モノトーン》なりのことを どうしてワビやサビという言葉で表わしたか? これです。 ワビ・サビは 上記の辞典の編纂者である大野晋の研究結果によれば 《気力が抜けたり 気落ちしたりする》という人の側の心の情景のほうから意義が出て来ています。初源の意味がたとえそうでなかったとしても たしかにワビシイ・サビシイという心の風景を表わす用法に成っています。 この言葉が どのようにして《調和》を表わすようになったか? が知りたいのです。 ★ 真のワビサビは利休の如く、華やかな中の黒一点、或いは闇の中の一灯という対比にあります。これはつまり緊張と緩和、新に対する古、複雑に対する単純、社会に対する孤立という事にもなります。 ☆ この見方も 総じては ワビサビがすでに美意識として完成を見たあとの視点に立っていると考えます。 ただし その中でわづかに一点 ★ 社会に対する孤立 ☆ という切り口が指し示されました。これは 質問者の推測においては 美意識の完成に到る以前のその自己形成の過程において かかわっていた事情なのではないか? と思う見方です。 かんたんに言えば 世の中から除け者にされた――そういう意味で社会からエポケーされた――その結果のその人の人生過程が見出した美〔のひとつのかたち〕なのではないか? こういう問いです。 西行は 漂泊の人です。自分から自分をエポケーしてしまったのかも分かりませんが 社会から或る種の仕方で離れ そのような身分と位置にあって 侘びと寂びにおいて美を――というより その美の感覚に先立っては おのれの心象風景においてわが身の中から湧き出る泉のごとき力を感受して 周りの環境にもそれが呼応してそこにも美を――感じた。 こういう仮説をも漠然と持ってはいました。 そのつてでもっと分かりやすいかたちで言うとすれば おそらく芭蕉も 漂泊の人であって 言わゆる世の中のシガラミからみづからをエポケーして生きる道を思った。旅の人として 実際にもその道をえらんだ。 ただし 芭蕉は 連歌という場(人びととの――うたなる思想の表明における――つながりのかたち)を前提にしていたとは言え 俳諧はけっきょくあまりにもエポケーのし過ぎであった。のではないか? 世界の本質を見ようとしつつ その本質の直観があまりにも あいまいである。と見ざるを得ない表現に終わってしまう。自己満足はあるだろうけれど そしてその十七文字を解説するなら これはまた解説や評論として別の文学ないし思想の表現になって話が別だとも思われるけれど 俳句という芸術形態では そのワビ・サビの良さも ただ混沌としているだけに終わる。 こういう問題もありはしないか? ですから 茶道にしても庭園術にしてもあるいは俳諧にしても 完成されたあとのワビサビについてあれこれさらに議論している。といったうらみを 人びとは持つのではないか? あいまいであってよいのだ。あいまいであってこそ 美なのだ。という安易な見方が はびこっていませんか? 繰り返しになりますが 確認しておきます。 ★ 真のワビサビは利休の如く、華やかな中の黒一点、或いは闇の中の一灯という対比にあります。 ☆ この定義は 明らかにすでに完成したあとの見方だと思われます。 ★ これはつまり緊張と緩和、新に対する古、複雑に対する単純、社会に対する孤立という事にもなります。 ★ ワビサビが美しいかどうかではなく調和なんです。 ★ 歴史を感じさせるとかモノトーンが調和を取れるのです。本来はその調和の妙を「美しい」と表現すべき所です。 ☆ 《調和》という説明は あたらしい見方に映りましたが まだその歴史的な推移が どうであったかについては分かりかねます。 わづかに《社会に対する孤立》という切り口が なぜ侘びや寂びという言葉が この美意識を表わすようになったかの歴史をたどる糸口を提供してくれるかも分からない。と考えました。 果たして どうでしょう?
- hekiyu
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美というのは、生命感情が高揚するときに 発生するのではないでようか。 燃えるように高揚するときには、豪華絢爛たる美 が発生します。 しかし、人間の生命は有限です。将来必ず死 にます。 そういう人間の虚しさ、寂しさ、死を感じるときにも 生命感情が高揚する場合がある。 ワビとかサビの美というのは、そういう類の 美ではないかと思っています。
お礼
へきゆさん こんにちは。ご回答をありがとうございます。 ★ そういう〔* その人生の有限さを持つところの〕人間の虚しさ、寂しさ、死を感じるときにも / 生命感情が高揚する場合がある。 ☆ No.1のへたのすけさんのご回答にある《無常感》 これにかかわるというご見解と受け取りました。 あるいはまた No.2のかいたら1さんのご見解とのやり取りの中で 《孤独の極致 寂寥をきわめたところで ふと我れに還り われと周囲を見つめなおすそのとき 侘びにも寂びにも うつくしいと感じるものが あった》というように捉えたそのことを おそらく ★ 美というのは、生命感情が高揚するときに / 発生するのではないでしょうか。 ☆ とおっしゃったのだと捉えました。《泉のごとく湧き出るわが生命の息吹き みづみづしいちから》のことだと考えます。 つまりおそらく へきゆさんがまとめた形で表現なさった内容というのは――質問者の捉えたところでは―― そこに言わば《どんでん返し》がある。こういうことではないかと思いました。 だって 《孤独の極致》から言わばこの現実に生還するのは 並大抵なことではないと推し測られます。ですから 美の前に・美に先立って 何らかの人間のちからが それまで押さえに押さえられていたものが 押し返して来た こういう事件が心の内に起こった。のではないでしょうか? ちなみに例の《三夕の歌》について見てみようと思います。寂寥感の中からその底を突き抜けて来るような泉のごときちからが湧いて来ているといったふうに感じられましょうか? ▼ (三夕の歌 または 秋の夕暮れ) ~~~~ ( A ) さびしさは その色としも なかりけり 槙立つ山の 秋の夕暮 (寂蓮『新古今和歌集』秋上・361) ( B ) こころなき 身にもあはれは しられけり 鴫立つ沢の 秋の夕暮 (西行 同上・362) ( C ) 見渡せば 花ももみぢも なかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮 (藤原定家 同上・363) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ わたしは いづれにも内面のうごきがあると感じますが なかでも( B )が 内面のうごきに底からの突き上げのような――ただし 静かなですが――ちからを感じさせるように思います。つまりこれは 感想程度の雑談ですが いかがでしょう?
わび・さびを美しいと思える心があることが先なのではないでしょうか。一種の余裕というように思います。たとえば万事おかねの時代にお金がなくとも生きていけるというのは相当の能力ですが、さらにそれを楽しむというのはなかなかできません。周囲からは負け惜しみといわれるでしょうし、排除されてしまうでしょう。
お礼
かいたら1さん こんにちは。ご回答をありがとうございます。 そうですね。短いので復唱もせずに いきなり 尋ね返しますが: ★ わび・さびを美しいと思える心があることが先なのではないでしょうか。 ☆ これは たぶんワビ・サビがすでにその完成度をあらわした段階で言えることではないでしょうか? すなわちワビやサビという言葉を はじめから美意識の意味には使っていなかったのですから。 ○ わび【侘び・詫び】 ~~~~~ ・原義:失意・失望・困惑の情を態度・動作にあらわす意。 1. 気落ちした様子を外に示す。落胆した様子を見せる。 ○ さび【荒び・寂び】 ~~~~~ ・原義:生気・活気が衰え 元の力や姿が傷つき いたみ 失われるの意。 1. 荒れる。荒涼たるさまになる。殺風景になる。 ~~~~~~~~~~~~~~~~ このような意味で使っていたときに 《わび・さびを美しいと思える心があることが先なのではないでしょうか》とは言えないでしょう。 《誰ともつながりがなくなり 独り落ち込んでいるそのさま》に・もしくはそのときその心象と響きあうような風景に 美を感じるというのは 一足飛びにそうなったとは思えません。 こころの中でみづからを見つめ直し その侘びしく寂しい状態の最中(さなか)からも あなたがおっしゃるように なお ★ 一種の余裕 ☆ としての力が泉のごとく湧いて来た。こういった体験をもとに――つまりは その湧いて来た力を受け留めてみたら まわりの景色も きわめてうつくしい と感じ直すようになったという体験をもとにして―― やがてワビ・サビの美という感性および或る種の仕方で思想(生活態度)が 芽生えこれを培って来た。こういう順序による歴史があったのではないでしょうか? そうして今度は このようなワビ・サビをうつくしいと思う余裕を持つときその人は ではどうして ★ 周囲からは負け惜しみといわれるでしょうし、排除されてしまうでしょう。 ☆ という事態になってしまうのか? こういう問題が 派生して来ましょう。現にそこここで起きていましょう。 果てさて これをどうしましょう? という問いでもあります。
お久しぶりです。 お元気でなによりと存じます。 つい最近ですが、京都市内や洛北を巡ってきました。 いつも感じるのは京都はきれいだという事です。 観光都市なので当たり前なのですが 私のような田舎者には、きれいすぎて馴染みずらいといった感じすらあります。 日本的な洗練された美の凝縮の連続に、やや息苦しささえあるような気がします・・・ 本題についてですが わび・さびは、豪華絢爛な美しさの裏側を飾るものではないでしょうか。 裏側を飾るにふさわしい美です。 きれいわび、きれいさび、といわれる純化された美しさには 豪華さに一歩もひけをとらない対照的な美の世界の演出といったものが感じられます。 豪華さという片面貼りの美しさだけでは、日本人の感性を満たすことができなかったのかもしれません。 しかし、それらが本来のわび・さび、というものなのかについては疑問があります。 裏千家の露地を覗いてきましたが 「樫の葉のもみじぬからに散り積もる奥山寺の道のさみしさ」 といった風情の演出ではあっても、その寂寥感からはほど遠い、きれいすぎるものに感じられます。 おおよそですが、一般大衆に受け入れられる表現での、わび・さびの美が形造られてきた面があるのではないでしょうか。 日本人の感性に合致した、無常の美の演出なのでしょう。 そうした美しさへのこだわりが今も京都には残されていると思います。 本来のわび・さびとは 無常の中の未完成の美しさとか、無常に晒されたことの重味とか 滅びゆくものの美しさ、とか、壊れて欠けたものの美しさ、とかいったものではないでしょうか。 きれいわび、きれいさび、とは、そこから抽出された一部の美しさのような気がします。 日本人の心の中に無常感がある限り、わび・さびの美の世界もあり続けるように思います。 また、人それぞれに無常感を味わう境涯と共に、わび・さびの浅深もあるように思います。 無常の中の存在感が、わび・さびなのでしょう。 きれいに言えば・・・ 無常の中の煌めき、無常と滅びざるもの・・・ そんな感じです。 それではお元気で、失礼します。
お礼
へたのすけさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。 まづ最初の反応として ふたつあります。 《きれいわび、きれいさび》や利休のうたについて検索をしていたら あなたの質問に出会いました。 【Q:未完成の価値と無常】 今年の五月に質問をもうけておられます。 これがひとつですが その中身に触れて思ったことが もうひとつです。 趣旨説明にかなり明らかにしているかとも思いますが 美について問う質問であるにもかかわらず 焦点は そこにあるのではないと 気づいたことです。 まるで変なことを言い始めていますが どうもわび・さびが到達した地点と言いますか そこにおける美のあり方といった内容を主題とはしていない。このことに いまさらですが 気づいたのでした。 回答者の方にきわめて失礼な言い分を述べているのですが 茶道から俳諧から建築から家のたたずまいなどなど そのような広い意味での芸術やその作品について その美のあり方を語れという方面は ほとんど関心がなかったということになります。 でもこのことは いちどこう述べるにとどめます。 ★★ (上記ご質問の趣旨説明欄) ~~~ 完成されたものは壊れてゆくのみであるが、未完成なるものには壊れるという事がない。 故に、未完成とは無常の中においての一種の完成である。 また、完成とは無常の中においての一種の未完成である。 もし、未完成なるものの価値が、完成なるものの価値をも凌ぐものであったとしたならば、それは全てが無常である事によって与えられたものなのか? ~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ そしてそう言えば この趣旨を読んだことがあると思い出しました。つまりは言いかえると そのとき読んで わたし自身の関心が うすいと言うよりは どこかその段階が違うなといった事情を覚えたということもあったわけです。段階というのは その作品としての美について批評するという言わば最終段階と そしてそのような美と認められるまでの創出されつつある前段階とであり わたしの関心は 後者にある。こういうことでした。 * すでに未完成としても美なるものとして完成させた対象についてでしたら――つまり頑張ってこの点についても触れ得るところがあるとしたならですが―― わたしも京都は よく行きましたし その風情はなじめます。きれいわび・きれいさびでも それはそれとして たのしめるかも知れません。 でも そうですね。大和 奈良ですね。三輪・纏向・山の辺の道 あるいは 飛鳥あたり。いまでは観光観光していますが それでも昔の面影をしのべば けっきょくほとんど何もないところに 古代の人びとの生活があったということは かなりワビ・サビに触れ得た気分になります。 たぶん 文字通り 京都と奈良とは 時代の違いを写しているように思われます。 ★ ~~~~ 日本人の感性に合致した、無常の美の演出なのでしょう。 そうした美しさへのこだわりが今も京都には残されていると思います。 ~~~~~~ ☆ こういった演出すらない姿を 多少は想像することが出来るように感じます 大和は。 * さて わび・さびについては 《無常感》から捉えるということのようですね。 ★ ~~~~ 本来のわび・さびとは 無常の中の未完成の美しさとか、無常に晒されたことの重味とか 滅びゆくものの美しさ、とか、壊れて欠けたものの美しさ、とかいったものではないでしょうか。 ~~~~~~~ ☆ おそらく 質問者の思い入れ(趣旨説明における推測)を交えれば わび・さびの境地に到った人間も 当然のごとく無常感に大いにかかわっていることでしょう。 しかもそれにもかかわらず どこか違う感覚も わたしには芽生えました。正直に述べますが ★ ~~~~ 無常の中の存在感が、わび・さびなのでしょう。 きれいに言えば・・・ 無常の中の煌めき、無常と滅びざるもの・・・ そんな感じです。 ~~~~~~~ ☆ この見方は 先の《最終段階における美》を対象として言っておられる。その《前段階として わび・さびの境地に到る人間の具体的な過程》 この視点から行けば どこか動きが感じられないというような・やはり完成された美のことをおっしゃっている。未完成のものでさえ 最終段階にすでにおかれているといった感じを持ちました。よって動きがない。と。 おそらくこの無常を感じざるを得ない状態に 生活世界の中でどういうわけか 追いやられ しかもその状態からも もはや社会生命を断たれるようにまで追い払われてしまったという人間の存在。 悪いことをおこなったというよりも たぶん人びととの折り合いがわるかったのだろうと思われます。総じて言って そういう事情から 社会の周縁に追い払われた。いっそのこと出家するという場合もあると思われるようにです。 このような人間が やがてそのどん底に見たもの これが わび・さびとして結実する心の境地でもある美の感覚だったのではないか? こんなことを漠然と思っていたというのが 実際です。 これを明らかにしたい。という問い求めです。 ★ 日本人の心の中に無常感がある限り、わび・さびの美の世界もあり続けるように思います。 ☆ これは すでに一度完成した状態に達したわけだと思われますので そこからの展開になろうかとは思います。 別の見方をすれば 社会からその周縁に追いやられるといった現象がなくなれば どうなるか? といった疑いも出るかも知れません。いや そのときにこそ かえってますますワビ・サビの境地は共感も同感をも呼び込んで あたらしい美の創造が生まれるかも知れない。こうも考えられます。 つまりは ★ また、人それぞれに無常感を味わう境涯と共に、わび・さびの浅深もあるように思います。 ☆ というときの無常感は 社会における人びととのきづなに不安を感じるゆえのものではなく 人間という限られた時間を生きる生き物であることにより感じるものだと思われるからです。そこにおける美の表現なら 言わばあたたかい無常感であるかも知れない。いづれにしましても あたらしいワビ・サビの境地の自己表現になるかと考えられます。 触発されて こんなことを考えました。 ありがとうございました。
お礼
お早うございます。ご回答をありがとうございます。 まづは お勉強です。 ▼ (ヰキペ:ミース・ファン・デル・ローエ) ~~~ ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ(Ludwig Mies van der Rohe、1886年アーヘン - 1969年シカゴ)は、20世紀のモダニズム建築を代表する、ドイツ出身の建築家。 ル・コルビュジエ、フランク・ロイド・ライトと共に、近代建築の三大巨匠と呼ばれる(ヴァルター・グロピウスを加えて、四大巨匠とみなされることも)。 “Less is more.” (より少ないことは、より豊かなこと)という標語で知られ、近代主義建築のコンセプトの成立に貢献した建築家である。柱と梁によるラーメン構造の均質な構造体が、その内部にあらゆる機能を許容するという意味のユニヴァーサル・スペースという概念を提示した。 § 略歴 1929年のバルセロナ万国博覧会で建設されたドイツ館、バルセロナ・パヴィリオンは、鉄とガラスで構成され、大理石の壁を配したもの。モダニズムの空間を実現したものとして、建築史上有名。・・・パヴィリオンは、博覧会終了後に取り壊されたが、1986年に同じ場所に復元され、「ミース・ファン・デル・ローエ記念館」となっている。 ▼ (ヰキペ:妙喜庵)~~~~~~~~~~~~~~ § 待庵 国宝。日本最古の茶室建造物であると同時に、千利休作と信じうる唯一の現存茶室である。現在一般化している、にじり口が設けられた小間(こま)の茶室の原型かつ数奇屋建築の原型とされる。 ・・・ 茶室は切妻造杮葺きで、書院の南側に接して建つ。茶席は二畳、次の間と勝手の間を含んだ全体の広さが四畳半大という、狭小な空間である。南東隅ににじり口を開け、にじり口から見た正面に床(とこ)を設ける。室内の壁は黒ずんだ荒壁仕上げで、藁すさの見える草庵風とする。・・・ ~~~~~~~~~~~~~~~ ところで 《能舞台》は 神社に設けられた青天井の舞台が起こりであるとのこと。そして能楽は 1881年(明治14年)の能楽社の設立によって それより前の《猿楽》が名称を変えて伝え続けられたとのこと。 少しその歴史をひもといてみます。 ▼(ヰキペ:猿楽)~~~ § 奈良時代 中国大陸から、散楽と呼ばれる芸能が移入されたのが、猿楽のはじまりと考えられている。 § 平安時代 延暦元年(782年)、桓武天皇の時代に散楽戸(=散楽師の養成機関)は廃止される。朝廷の保護から外れたことにより、散楽師たちは、寺社や街角などでその芸を披露するようになった。そして散楽の芸は、他の芸能と融合していき、それぞれ独自の発展を遂げていった。 *(ぶらじゅ註) おそらく《かみやしろ(神社)》はその昔から あって そのまつり(祀り)に芸能が伴われていたと思われます。 それと散楽とが 融合していったと解しましたが。 * だとすれば――つまり 朝廷の保護から外れてみづからの生活を 営まなければならなかったというのならば―― 大きくは《わびさび》 の系譜だと思われ その歴史の一環であるようにも思われます。 このあとの § 猿楽の演じ手 の項でその身分について記されて います。 § 南北朝・室町時代 鎌倉時代の猿楽が発展し、観阿弥や世阿弥らの登場によって現在の能楽とほぼ同等の芸能としての猿楽が形作られる。 § 猿楽の演じ手 もともと猿楽は大和において「七道の者」であった。漂泊の白拍子、神子、鉢叩、猿引きらとともに下層の賎民であり同じ賎民階級の声聞師の配下にあった。・・・ * 《七道の者》と何故言われるのか 土一揆との関連で説明する 説を見かけましたが よく分かりません。 一部の猿楽の座は、社寺の庇護を得て、その祭礼の際などに芸を披露した。 最初は余興的なものとして扱われていたが、やがて社寺の祭礼の中に、猿楽が重要な要素として組み込まれるような現象も起き始めた。 社寺の由来や神仏と人々の関わり方を解説するために、猿楽の座が寸劇を演じるようなこともあった。 これらがやがて、「猿樂の能」となり、公家や武家の庇護をも得つつ、能や狂言に発展していったと言われている。 ~~~~~~~~~~~~ 《枯山水》については いま へたのすけさんが設問しておられますが いまのところその専門的な問いかけにも 一般にその歴史をたどることにも 手が出ないでいます。たのしみに取っておきます。 * 単純に言ってしまえば 脳細胞に書かれた歴史を黒板消しで消してしまい白紙還元するという作業 これがどこかにかかわっていましょうか。わびさびの歴史にはです。 そうして お上のほうからの引き(あるいは 贔屓筋)があるといういきさつにもなるのでしょうか。 ▼(ヰキぺ:観阿弥) ~~~~ 1375年(永和元年 1374年説もあり)に京都今熊野で観阿弥が息子の世阿弥とともに演じた猿楽能を足利義満が見物、以降、将軍はじめ有力武家、公家らの愛顧を得、観阿弥が率いる観世一座は幕府のお抱え的存在とみなされるようになる。 ~~~~~~~~~~~ * ところが・ところが この白紙還元――タブラ・ラサ / 本質直観 / 純粋意識――には まさにおっしゃるように 《人と人とのつながり・きづな》が問われなければ何にもならないということ これを忘れてはいけません。ここまででは 忘れていました。 ★ 翻って日本のわびさびを思いおこせば、"less is more"とは独自に主張し得ない心許なさを感じずにはいられないのは何故なのでしょう。 ☆ 確かに侘びしく不如意で 寂しく独りいるという境遇とその心境を通過しているのでしょうね。身分制度のさらに外の身分に落ち入るというのは かたちとしてワビサビを象徴してます。そこから立ち直るという過程を経て来ていると やはり思われます。すなわち ★ でも、どこか心和み癒されます。 ☆ 現象学的に白紙還元して行ったその先にも つまりけっきょくその純粋意識たる《超越論的主観性》においてもやはり《相互主観性 Intersubjektivitaet 》――共通感覚? あるいは 共同主観?――を見るということに到らざるを得なかった。 ★ それはやはり、少なからず対人的な関係性を重視する美徳、美意識ゆえではないでしょうか。 ☆ アウグスティヌスは この世のしがらみや愛着としての 愛の膠を それでも剥がしてでも 精神ないし《われ》に還れというとき 神の愛を介して 隣人〔どうし〕の愛を言おうとしているようです。まだるっこしい。 ★ ~~~~~~~~~ 枯山水や能舞台にしても、研ぎ澄まされた削ぎ落としの結果、人(観客)と自然や世界、物との親密性や一体感に訴えかける作用をもたらし、時としてそれが何とも心地よく感じられるのではないでしょうか。また待庵はどうでしょうね。 ~~~~~~~~~~ ☆ ですね。そして《待庵》は どうでしょう? 画像も見ましたが 説明を聞くと どうもずいぶん凝った造りのようですね。二畳なのですけれど 柱や壁の造りやあるいは天井の――工夫を凝らしたものなのでしょうけれど――贅沢なと思われるような造りになっているようにも思われます。 言いかえると 一たんすでにワビサビの思想が完成したあとの段階で 一層うつくしいものをこしらえようと思って作っているようにも思われました。 ここらあたりまででしょうかねぇ 質問者が勝手な文章をしたためうるのは。かえって中途半端になってしまいましたが あとは自然史過程にまかせることにしましょうか。つまり しばらくして閉めることにします。 重ね重ね感謝申し上げます。