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わび・さびとは何か?その美意識への変化を知りたい
- わび・さびとは、生気や活気が失われ、荒れたり古びたりする状態を表現する言葉であり、日本の美意識の一部である。
- ワビ・サビの美意識は、世俗を遠ざかって淋しく貧しい暮らしに安らぎを見出すことや、修練を重ねて俗気のない清らかな精神になることを追求するものである。
- ワビ・サビの思想は、一般的な生活の状況を削ぎ落とし、本質を見ることを意味し、社会から除け者とされた人々によって生まれたものである。現代においてもワビ・サビの達人は存在し、その美意識は今でも魅力的である。
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こんばんは。 要らぬ投稿に辟易なさっていることと存じますが、お礼方々付け足しをご容赦下さい。 "less is more"って、ご存知ですか。 ミースというモダニズム建築の巨匠がそう述べたと伝えられています。 一見、わびさびに多少なりとも通じるものがあるように思えなくもないですよね。 そして、その言葉を噛みしめながら、今春バルセロナの地で彼の復刻パビリオンを見学する機会を得ました。 乾いた風と伸びやかな木々、強烈な陰影の対比に加え、中世ゴシックからガウディ等そして現代建築まで混在する街だからなおのことそう感じたのかもしれませんが、彼のパビリオンがおよそわびさびとは似て非なるものに映りました。 過去の建築群に対して"less is more"と今なおその斬新性を誇らしげに湛えているように思われたのでした。 翻って日本のわびさびを思いおこせば、"less is more"とは独自に主張し得ない心許なさを感じずにはいられないのは何故なのでしょう。 でも、どこか心和み癒されます。 それはやはり、少なからず対人的な関係性を重視する美徳、美意識ゆえではないでしょうか。 先にご指摘くださいましたが、白氏文集の壮大な世界観を日本の庭に凝縮して気持ちや情緒を託した遊び心ともとれるアレンジによって、二人の間に互いの尊敬の念や親密性が増したであろうと察せられます。 それと同じで、枯山水や能舞台にしても、研ぎ澄まされた削ぎ落としの結果、人(観客)と自然や世界、物との親密性や一体感に訴えかける作用をもたらし、時としてそれが何とも心地よく感じられるのではないでしょうか。また待庵はどうでしょうね。 このたびのわびさびが転じてアウグスティヌスというあなたのお説はとても斬新でユニークなお説だと思いました。 あなたの強い気概と思いがひしひしと伝わってきます。 お若くて頼もしいかぎりです。 これからも前に進めていっていただきたいと願っております。 そしてこのたびの多くのご教示につき大変参考になりました。 本当にありがとうございました。
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こんばんは。丁寧なお礼とご返答に感謝します。 >三時雲冷多飛雪 >二月山寒少有春 >すこし春ある心地こそすれ >空寒み花にまがへて散る雪に 平安の世も現代においても、私達日本人は少なからず外国文化の知の鋳型(視点)でもって日常目に映る光景を認識しているのかもしれません。 しかも後者には万葉以来受け継がれてきた情感や美意識を季節感に織り込んでいるように思われますね。 藤原公任と清少納言は目の前の庭を通して白氏文集の世界そして遥か中国大陸の景色に思いを馳せていた当代きっての才人たちであり、それは他の公達や女房、あるいは下々の者どもには決して知覚し得なかった「景色」だったのでしょう。 あるいは目に映る庭の雪景色そのものすら、彼等二人とは全く異なる趣のものとして映ったのかもしれません。 ましてや教育を受けていない農民等にはそれがどのように見えていたのか・・・言わずもがなでしょう。 > 《おしゃれ》という言葉です。《枯れてしまって要らないところが無くなったさまの中から さらには垢抜けすることにより 何かかがやくものを見い出す》 日本語の《おしゃれ》がまさかしゃれこうべに言及されるとは思いもよりませんでした。 しかも実際、スカル(髑髏)の類は逆輸入的なファッションアイコンとして若者の人気を相応に得ているのです。 仰る通り多少のはねっかえり感を自己主張しているのかもしれませんね。 > 《おしゃれ》という言葉です。《枯れてしまって要らないところが無くなったさまの中から さらには垢抜けすることにより 何かかがやくものを見い出す》といった内容が 共通であるのではないかと。 仰る事に近いものを真っ先にイメージしたのが月並みですが「枯山水」でした。 あとは「能舞台」ですか。 あらゆる不要なものを削ぎ落としていったがゆえに、観る者は自身の想像力を大いに駆り立てられ何かかがやくものを見出さずにはいられないのは周知の通りです。
お礼
いつも何かおみやげをくださるましゅさん お早うございます。ご回答をありがとうございます。 ★ ~~~~~ 仰る事に近いものを真っ先にイメージしたのが月並みですが「枯山水」でした。 あとは「能舞台」ですか。 あらゆる不要なものを削ぎ落としていったがゆえに、観る者は自身の想像力を大いに駆り立てられ何かかがやくものを見出さずにはいられないのは周知の通りです。 ~~~~~~~ ☆ ここで 例によって古臭いアウグスティヌスを想い起こしました。このあと臆面もなく掲げますが けっきょくこれまでは例の《エポケー / 現象学的還元》の内容に即して――さらにはその《本質直観》に即して ヒラメキ問題を当てはめつつ―― 侘び寂びを説明しようとしていたわけですが やっと納得のゆく説明が出来るように思えました。みなさんにとってどうかということになりますが 次のようにまづは理解するとよいのではないかというものです。 ▲(アウグスティヌス:愛の膠)~~~~~~ それでは 精神はどのように自己を問い求め見出すのであろうか という不思議な問いがある。 精神は問い求めるために何処に向かうのであろうか。 あるいは 見出す( invenire )ために何処に到来する( venire )のであろうか。 精神のなかで精神自身ほど近いものがあるであろうか。 しかし 精神は愛をもって思惟する感覚的なもの すなわち 物体的なものに愛によって慣らされているゆえに それらの似像(にすがた)なくしては自分自身のうちに存在し得ないのである。その点で精神の恥づべき誤謬が発生するのである。 精神は知覚された事物の似像を 自己だけを見つめるために自己から見分け得ないからである。それらの似像は愛の膠(にかわ)によって不思議な仕方で精神にへばりついている。これが精神の不純である。 というのは 精神は自己のみを思惟しようと努めるとき それなくしては自己を思惟し得ないものを自己であると思いなすからである。 したがって 精神は自己自身を認識するように命じられるとき あたかも自己から取り去られたもののように 自己を問い求めてはならない。むしろ自己に付加したものを取り去らなくてはならない。 精神は明らかに外側に存在している感覚的なものより内的であるのみならず 魂の或る部分において存在するあの感覚的なものの似像よりも内的である。 動物も 精神の特性である知解力を欠いているとはいえ これらの似像を所有している。そこで 精神はより内的であるから その愛の情念を感覚的なものへ向けるとき 自己自身から或る仕方で外に出る。感覚的なものは多くの意志の志向の跡として精神の中に残る。この跡は 外側に存在する物体的なものが知覚されるとき いわば記憶に刻印されて たとい その事物が不在のときでも その似像は思惟する人々に現在するのである。 だから 精神は自己自身を認識せよ。 不在なもののように自己を問い求めないで 他のものの上にさ迷っていた意志の注視を自己自身へ固着し 自己自身を思惟せよ。 かくて 精神は自己をかつて愛さず 知らなかったことがないのを見るであろう。 しかし 精神は他のものを自己と共に愛することによってそれを自己と混同し 或る仕方でそれと癒着したのである。 かくて 精神は異なるものを一つのもののように抱懐することによって 異なるものを一つのものであると思いなしたのである。 (アウグスティヌス:三位一体論 10・8 中沢宣夫訳) ~~~~~~~~~~~ ☆ 考えてみれば 能舞台も枯山水も 単純であってそれは 白紙還元です。 〔引用文で《精神》と言っているところは 《わたし》と言いかえたほうが分かりやすいかとも思います〕。 先日【Q:現象学の 本質直観 をくわしくおしえてください】のやり取り(その中ほど)で タブラ・ラサを思い出してみたのですが これは哲学史ではきちんと内容が決まっているようでした。 アリストテレスに由来し 《まだ何も書かれていない書板(ピナクス・アグラフォス)》のことつまり経験以前の生得の状態を言うそうです。(ウィキペ)。ただ 書板(タブラ)が黒板消しで《消された(ラサ)》と言うのなら すでに経験を踏まえて内面における操作があるのではないかと思われますので やはり白紙還元と同じ意味に使って差し支えないのではないかとは思いました。 同じく現象学では その直観を《純粋意識》と言うそうですが――《純粋》などという言葉をむやみに使いたくありませんが―― もしそうだとすれば しゃれこうべにまでなるなら 純粋を突き抜けてもいますから それなら愛着というべき愛の膠を剥がしてでも 純粋なるわれに立ち帰っていることだと思われて来ます。なにしろ侘び寂びにしても 心が錆びついてしまったというくらいですから。 ★ しかも実際、スカル(髑髏)の類は逆輸入的なファッションアイコンとして若者の人気を相応に得ているのです。 ☆ これをとおして タブラ・ラサなる心にいちど戻っていられるとしたなら それもよさそうに思われます。 ここまで来ると 回答の中にもあったように 知識も経験もあるいは言葉さえをもすべて取っ払ってしまえという見解が出されましょうか? 色即是空というわけのようですが けれどもそのあと 空即是色とも言いますから その空の状態からふたたびこのかたち(色)の世界へも戻って来るというのが 現実でしょうか? 侘び寂びの中世の時空間が まだ埋められるべき課題でしょうか。 専門家にお任せしてもよいでしょうし おしえてくださる方がいれば まなんで行くのもよいでしょうし。 しばらくして 潮時とみたら 閉めることにいたします。 ましゅさん ありがとうございました。みなさん ありがとうございました。
- Tefu_Tefu
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度々ありがとうございます。 「最後の一葉」の説明、昔読んだだけで間違っていました。 嵐のときにも葉っぱは落ちなかったのでした。ベアマンさんが肺炎にも関わらずスウのために壁に描いた彼の生涯の傑作でした。これ以上は、私の早とちりがばれますので、アメリカ人も優しい心があるということです。ダイハードみたいなのかな?また、余分なことを書いてしまいました。気を付けねば、反省。分からないことは、無記とします。
お礼
てふてふさん ご回答をありがとうございます。 最後の一葉 昔むかし読みましたが 感動を呼ぶようなのですが すでに触れましたように 葉が落ちるか否かに自分の命を合わせるという賭けのようなことが 入っているのを何だか変だと思っていました。それだけですが。 それにしても アメリカ人というのは 分かるようで分からないですね。きわめて単純に よいか悪いか 金をかせぐほどの価値があるか無いかで判断するといった感じを持ちますが 実際にはどうなのでしょうかねぇ。ワビサビと聞いて どう反応しますかねぇ。・・・
- Tefu_Tefu
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ご返事ありがとうございます。 ☆ このような賭けによる生き方は どうでしょうか? 賭けなら 目に見えない・しかも心の目にも 見えないナゾの何ものかに賭けるというのなら 分かるのですが。 アメリカ人の感覚にも、日本人と同じような、新しい事への希望、生命の芽生え、心の力、見えない物への恐れ、畏敬、愛着等まであるのでしょうか?ん~ん怪しいです。まあ 人によるのかもしれませんね。賭け事は好きそうですが。だって、アメリカの映画は、たいてい物語が終わらないか、アンハッピーですから。其れに、自己中ですから。賭けごとは、美しくはないです。
お礼
てふてふさん ご回答をありがとうございます。 賭け という言葉を無造作に使ったのは よくなかったようです。 仏性は あるか無いか ほんとうのところは 分からない。人間にとっては分からない。したがって あるという人も ないという人も いづれの場合にもそれぞれそのように賭けています。賭けているだけです。 答えは 永遠に分からないはずです。 そういう意味での賭けは 案外 人間的な行為なのだと考えます。 ★ アメリカ人の感覚 ☆ これも わたくしの苦手のひとつです。推測はしますが 実際のところは分からないのです。小説や映画・ドラマを見るのは 参考になりましょうね。 わびさびが どうかという問いですね。アメリカ人も ですから その侘び寂びを突き抜けたところに 《おしゃれ》のように垢抜けしたうつくしさを感じるかどうかですね。 いや 侘び寂びは 無理に垢抜けしなくてよいでしょうか?
- Tefu_Tefu
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こんにちは。 まだ粘っているのですか? それでは、O Henryの小説「最後の一葉」ではどうでしょうか。http://www.geocities.jp/studiooprah/novel/o_henry/last_leaf.html ある、ワシントン・スクエアの小さな路地にある芸術家の集まる屋根裏部屋で若い画家スウとジョンジーはアトリエを構えていた。ジョンジーは肺炎にかかり、小さな窓から見える蔦の葉が全て落ちたら自分の命も尽きるとスウにいいはる。だが、最後の一葉になってもなかなか落ちなかった。ついに、嵐の日に最後の一葉が落ちた。でも、ジョンジーは死ななかった。 其の時、年老いた画家ベアマンさんが死んだことを知る。彼の絵に、最後の一葉が描かれていた。 良くできたお話です。共通の美、自然との心の共鳴、感動ではどうでしょうか?
お礼
まだねばっています。というより 放っておいてありました。 こんにちは てふてふさん。ご回答をありがとうございます。 ★ 共通の美、自然との心の共鳴、感動ではどうでしょうか? ☆ もちろん いいですよ。物語でも ワビサビにとっても よいと思われます。 この作品のばあい どうでしょう? ★ 小さな窓から見える蔦の葉が全て落ちたら自分の命も尽きるとスウにいいはる。 ☆ このような賭けによる生き方は どうでしょうか? 賭けなら 目に見えない・しかも心の目にも 見えないナゾの何ものかに賭けるというのなら 分かるのですが。
理屈ではなく、感覚の世界かと思います。 到底、言葉、という道具・手段では、表現できないような・・・・。
お礼
こんにちは ぱいおにあさん。ご回答をありがとうございます。 ★ 理屈ではなく、感覚の世界かと思います。 ☆ という理屈で 美ないしワビサビについて説明されています。 ですから もっと人びとがふつうに納得の行く説明を問い求めてみましょうという質問です。 ヨーロッパの人たちは よせばいいのに神代の昔から理屈をこねくりまわして来ています。 多少ともわれら日本人も かれらと同じ土俵に上がって対話を繰り広げるという趣味の領域を持ってやろうということのようです。 意志疎通が無理なくおこなえるようになりましょう。つまり 趣味の領域にとどまらないとも考えられます。 つまり ことばで言い表わして行くという作業になります。どうでしょう?
おはようございます仁科のなめです。資本主義の極致というのはこの人のことですか。副島さんの派手な本に載ってました写真。目の縁が赤いのは加工かも知れませんが、老いてさびてますます盛んそうですが、わびがなく美しくないと思います。与えず奪うばかりだから。311で東北人を殺したのも彼だという噂があります。 人々がいくら負けるが勝ちといい、つましい愛の暮らしを営んでも、外側から巨悪に押しつぶされてほふられたら負けこみです。 ウォール街にも冬がきます、このじいさんも死にますが遺産や意志や悪意は相続されオキュパイ運動は永続し、来春の桜は咲くのでしょうか。もう奇形の子が産まれはじめたそうです。ブラジュロンヌさんもチャリでいくつか鳥居を見てみたらいいです。
お礼
ええっと 朝に見た名前は らでぃかむ だったか何だったかさん こんにちは。ご回答をありがとうございます。 ★ ブラジュロンヌさんもチャリでいくつか鳥居を見てみたらいいです。 ☆ 創建のときに 欠けたかたちで作ったのかが問題です。 ★ 311で東北人を殺したのも彼だという噂があります。 ☆ むやみに噂に乗ってはいけません。そうすると タイの洪水も 陰謀説が出ていましょうか? ★ 人々がいくら負けるが勝ちといい、つましい愛の暮らしを営んでも、外側から巨悪に押しつぶされてほふられたら負けこみです。 ☆ そうですよ。そのとおりです。資本主義の勃興のときから 世界の人びとはそれを経験して来ました。それだけのことです。というくらいに すずしい顔をしていなければなりません。特に資本家の前では。 さて 《資本家の鏡》と見られる人物の思惟や行動の形式を とことん把握しまづは理解しておかなくてはならないと言いました。それは ただし 何もそのぞれぞれの個人を責めるためのものではありません。また それゆえに何かが出来るというわけのものでもありません。その津波に呑み込まれないためというほどのことです。 そして確かに そこでの一点突破は 一輪の花にもたとえられるべき美の作品 これに限ります。 ひとつの思想は 特にそれが悪をも伴なうと思われるときには その音域いっぱいに歌をうたい終わってからその終息に向かうと思われます。歌を歌い切るということが 実際にそう行われなくても 思弁的にあたまの中で その全行程を終えるということが必要だと考えられます。 一つの思想を実践するにあたってその音域に余力を残していたら 別の誰かが必ずその余白を埋めるようにして出て来るでしょう。そういうことが考えられます。 しかも資本主義は 少ない費用で多くの成果を得るという方程式としては 言ってみれば勤勉志向の生活にとっても原理とも言うべき思惟および行動の形式です。 ですから なかなかその洪水の水は引いて行かないとも思われます。 ただし ヱーバーとかいうおっさんは 思想が――あたらしい発想が――転轍機のごとく作用して軌道を別のあらたな方向へ向き直すことも出来るであろうと言ったとか。(大塚久雄という人が 解説しています)。 要するに 悪というものは ふつうの人間がそれを欲しなくなったとき・もしくは欲してももはや行動には移さなくなったときに・さらにあるいは 悪をおこなう人たちが生き延びて笑いの止まらない生活を送っているということに対して ふつうの人間がもはやうらやましく思わなくなったとき そのときには〔その悪のおこないは〕止むということのようです。 資本主義批判は 個人にその責任を取れと言うべき性質の問題ではないということ。 いささか古い人の言葉ですが 出しておきます。 ▼ (マルクス:個人の責任ではないということ) ~~~~ 私の立場は 経済的な社会構造の発展を自然史的過程として理解しようとするものであって 決して個人を社会的諸関係に責任あるものとしようとするのではない。個人は 主観的にはどんなに諸関係を超越しているとしても 社会的にはひっきょうその造出物にほかならないものであるからである。 (『資本論』 第一版の序文 向坂逸郎訳) ~~~~~~~~~~~~~ ☆ 自然史的過程ないし 社会必然の中に個人の行動が包まれるようなかたちで全体として自然史的に推移する歴史過程であると考えられます。 労働条件の改善や 生活環境の向上については 資本主義の枠内でもじゅうぶんにやろうと思えばやれることだと考えられます。共同自治をどう考えるかについて よさそうな人間を政治家に送ることが ひとつの方策なのでしょう。どう考えるかの中身について しっかりとした思想を身につけねばなりません。それは いまここでもわれわれがおこなっていることです。 ★ オキュパイ運動 ☆ をけなそうとは思いません。
たくさんお礼を頂戴しました。どうもありがとうございました。 もう少々おつきあいください。 >○ 華やかな美と枯れた美 この二分法でよいのか? 宮中のみやびな文化にせよ、ひなびた隠遁の暮らしにせよ、当時は無常感に囚われずに生きていくことなどありえなかったわけで、この意味では「華やかな美と枯れた美」と二分する必要はさほどないのかもしれませんね。 また、閉塞感の漂う宮中の行事しきたりにあっては、諦観混じりに誰しも反面そこから解き放たれたいと願うのが人の常だったのではないでしょうか。 都落ちのくだりや隠遁の文学をふまえても、それらは負け惜しみや敗者の美学といった側面だけで語れるものではなく、むしろ容易には叶わぬ羨望の生き方とみなされ、それゆえ相応に美意識を時代とともに確立していったとも考えられます。 うら寂しいひなびた場所における隠遁者は、都に暮らす人々以上に死生観と森羅万象に対する自然崇拝に近しい念をより一層抱きながら当時の仏教、禅の教えに導かれていったことでしょう。 あくまで当時を推測するにとどまるわけですが。 >○ 侘び寂びとヒラメキとの関係は如何に? 私が考えるわびさびですが、これもやはり「うつろい、うつ(虚、空)」が関係しているだけに、余情を味わい愛でる豊かな想像力が必須と思われます。 劣化ないし姿形の不完全性ゆえに心魅了され駆り立てられるものやときって、誰しも多分にあるはずです。 幻(であった)かのように、(ありえない別の、ありえない完璧の姿、在りし日の面影など)見えないものを見たりして、時間も空間も同一でないものを見出だしそれを反芻してやまないような感じに陥るとか。 「数奇」もヒラメキがおおいにかかわっていると思います。 (あなたのおっしゃるヒラメキと私の意図するそれとは些かニュアンスが異なるのかもしれませんけれども) >(7) そしてこう問います。現代においても ワビ・サビの達人は 人知れず わんさといるのではないか? 人間社会は それでよいのか? 哲学は これに どう答えるか? わび・さびは 今でも うつくしいか? この問いにこのたび心魅かれたのです。 日本の代表的な美意識と位置付けられるであろうわびさびについて「なぜ今でもうつくしいと思うのか?」などと、それを当たり前のものと思わずに再考察する試みというのは意義深いと思いました。 あるいは対外的に「うつくしい!」と発信する自信、方法そしてその根拠を、美意識と自負するほどに私たちは充分に備えているのでしょうか。 そして現代に生きるわたしたちにとってのわびさびとは?ですね。 「うつくしい」の言葉の変遷は興味が尽きないです。おもしろいですね。 大陸の文明が伝来する以前より用いてきた言葉を外来の漢字でもって表現するからには何らかの意味や想いのズレを弱含みする余地があったのでしょうか。 また、のちの平安の世にかな文字を創り併用していくことによって、言葉の変遷に拍車がかかったとは考えられるでしょうか。 ちょっとうかがってみたくなりました。 よろしくお願い致します。
お礼
ましゅさん お早うございます。ご回答をありがとうございます。 かなり遠くまで来ましたが 批判的な見方がなおあるかも知れないという憶測(のぞみ?)から また付随し派生することがらなどについて それぞれの回答者からおぎなってもらっておくという言わば余韻としての時間を持ちたいことから まだ閉店していません。 それに応えていただきました。 * 初めにこれまでの文章に添えることがらがあります。 前回(No.21) 補足欄の最後に (へへっ) と書いていますがこれは 《わが日本のルネサンスがうんぬん》と臆面もなくえらそうに書いていることへの照れ隠しですので 念のため。 ましゅさんでしたら 次のような問題についてお考えになるところがお有りではないですか? ☆☆(No.22お礼欄) ~~~~ ( h ) 言わずもがなのこととして 桔梗の花ないしそれを描いた絵について《第二次の美》と称するもの・つまりは 貨幣に置き換えた値打ち これも美の本質ではなかろう。 画家の生活を保証するための値打ちなら 《第一次の美 しかもその変わらぬ力としての美》に付随するものとして入れておいてもよい。それだけの仕事に 経済的な価値としてのむくいがあっておかしくない。心理の側面よりも直接に 本質に付属する。 ~~~~~~~~~~~~~ * さて この質問のたましいとも言うべき点を 質問者の心つもりを上回って指摘してもらいました。 ★ ~~~~ 日本の代表的な美意識と位置付けられるであろうわびさびについて「なぜ今でもうつくしいと思うのか?」などと、それを当たり前のものと思わずに再考察する試みというのは意義深いと思いました。 あるいは対外的に「うつくしい!」と発信する自信、方法そしてその根拠を、美意識と自負するほどに私たちは充分に備えているのでしょうか。 そして現代に生きるわたしたちにとってのわびさびとは?ですね。 ~~~~~~ ☆ これは 機が熟しているというどころではなく――ましゅさんのお仕事でもありつつ―― とっくに国を挙げて取り組んでいてもいいことだと考えられます。 派生・付随することがらどころではなかった。 一般的な美としては 西欧哲学が《快感・快適さ》などという用語を使うのを嫌って 《みづみづしさ・息吹き・あるいは存在感(わが存在の自覚)》などと言いかえたかたちを得て来ています。 これに対して ワビサビを特定して取り上げるなら どういうことが言えるのか? たとえば ★ 都落ちのくだりや隠遁の文学をふまえても、それらは負け惜しみや敗者の美学といった側面だけで語れるものではなく、むしろ容易には叶わぬ羨望の生き方とみなされ、それゆえ相応に美意識を時代とともに確立していったとも考えられます。 ☆ といった観点から切り込んでいただきました。負け惜しみを突き抜けるチカラを ヒラメキに見ようとしていたのですが 実際問題としてはわたしは西行などに詳しいわけではなく いまの段階ではお手上げなのです。《鴫立つ沢の秋の夕暮れ》の解釈についても ただただ推し測ったものだと告白せねばならない体たらくです。古代人の事例を出しはしましたが。 さらに非力をかこちますが 日本史は 奈良時代をすぎて平安に入ると途端に 知識が――その量としてというよりは 親しむ度合いにおいて――ガタンと音を立てて減ります。ですから 次の問い求めについても それほど確かなことはただちには出て来ないというのが 現状です。 ★ ~~~~ 大陸の文明が伝来する以前より用いてきた言葉を外来の漢字でもって表現するからには何らかの意味や想いのズレを弱含みする余地があったのでしょうか。 また、のちの平安の世にかな文字を創り併用していくことによって、言葉の変遷に拍車がかかったとは考えられるでしょうか。 ~~~~~~ ただし ワビサビについて考えるによい語例に行き当たりました。それをしたためます。 《おしゃれ》という言葉です。《枯れてしまって要らないところが無くなったさまの中から さらには垢抜けすることにより 何かかがやくものを見い出す》といった内容が 共通であるのではないかと。 長いですが 全部引用します。 ▼ (大野晋:おしゃれ) ~~~~ 《おしゃれ》という言葉は何処から来たか。 多摩川に曝す(さら)す手作り さらさらに何ぞこの児のここだ愛(かな)しき 万葉集の巻十四にある歌である。 《多摩川に曝す手作り》とは その下の《さらさらに》という言葉を導くための序で この歌の作者や また この歌の歌い手が日常いつも見ていた景色をそのまま歌に詠み込んだものである。《多摩川に曝す手作り》 自分たちの織った手作りの布を多摩川の水でさらす仕事を この人たちは毎日していた。 《多摩川に曝す》と歌って そのサラという同じ音の懸りで《さらさらに》と下へ続いていく。《さらさらに》とは 今さらのように という意味である。結局 《こうして二人で一緒にいるのに ますますこの子は可愛くて仕方がない。どうしてこの子がこんなに可愛いのだろう》というのがこの歌の意味である。 この人たちは 多摩川の水に 手作りの布をさらしていた。《さらす》とは 日光に当てたり あるいは 雨風に当たるままにしておいたり あるいは 布や木綿などを水で洗い 日に当てて白くしたりすることをいう。この《さらす》という言葉が 《洒落(しゃれ)たことを言う》とか《おしゃれ》の《しゃれ》と結びつく。(古くは 《さ》の音と《しゃ》の音とは通用した)。 * さけ(鮭)としゃけ(鮭)とは 意味を使い分けているとも 言うようですが。 雨風に打たれて 打ち捨てられた人の首を《しゃれ首(こうべ)》という。これは長い間 打ち捨てられて 全く骨ばかりになって転がっている人の首である。雨風にさらされる間には角がとれ 余分なところがなくなってしまう。 角がとれ 余分なところが無くなる意味から 《しゃれ》とは 世慣れていることをいうようになる。子供が年の程よりはたいそう《されおとなび給へり》といえば 大人らしく ませた振る舞いをすること。《田舎びたるされ心》と言えば 《田舎びた 物怖じしない図々しさ》とも解せよう。《されくつがへる今やう》とは 《馴れ馴れしくはねっかえる現代風》ということである。 (大野晋:『日本語の年輪』1966 p.148f. ) ~~~~~~~~~~~~ 一たん休憩しますが ここですでにマイナスからプラスへの転換は なされていましょうか。ワビサビにも このような転換があったと言えましょうか? あるいはまだ 開き直りであろうと言われてしまうでしょうか? ▼(同上。つづき) ~~~~~ 男と女の間のことについても心得があり 何も知らない娘のような ごつごつと堅いところがない心。それが《されたる心》とか《されたる心地》という言葉で表わされた。《年のほどよりは されてやありけむ》といえば 《年恰好よりはませていたのだろうか》とでも訳すべきところである。 源氏が 恋しい空蝉と間違えて一夜を契った軒端の荻(のきばのおぎ)は 男女の仲を知らない女ではなく 源氏に迫られても とまどったりはしなかった。それで かりそめの一夜と思った源氏は 当時のしきたりである後朝(きぬぎぬ)の手紙を送らなかった。しかしそれは やはり軒端の荻の《されたる心も 物あはれに感じられたことであろう》と書いてある。かりそめの一夜であったのだから 翌朝の手紙をもらうことはできないだろうと 軒端の荻は 承知している身でありながら さすがにその心は淋しく思ったことであろうというのである。 《される》は このようにして馴れて応対する意味から たわむれることを表わす。若者がたいへん可愛らしくて《され走りおはしたり》といえば 若君がこれでよいものと安心して たわむれ走りまわられたということである。 * ここ 少し意味が取りにくいですが。 なにもかもすっかり知っているということは 垢抜けしていることにもなる。だから 《されたる遣戸口(やりとぐち:引き戸を設けた出入り口)》といえば 垢抜けした 気の利いた遣り戸口をいうし 《されたる呉竹 千歳の露はなほかかるところも同じごときらめきたり》といえば 垢抜けして趣きある呉竹を植えた庭の露は やはりこういうところでも同じようにきらめいているという意味になる。 《たわむれる》という意味の《さる》が その意味を強め わるい使い方として《ざる》と濁って発音されようになり 今日では《じゃれる》とか《ざれる》とか そういう言い方が残っている。(音を濁らせる例としては・・・《たて(立て)》から〔――気立てが強いところから 人目につきやすくする意として――〕《だて(伊達)》がある)。 一方 垢抜けして趣きがあるという意味の《さる》は 後に《しゃる》という形になって広まっていった。だから 《しゃれ》とは 垢抜けした 気の利いた〔という意味を表わす〕言葉であり 《おしゃれをする》とは つまり自分の顔かたちを垢抜けするように 趣きあるように 美しく見えるように あれこれ細工することをいうのである。 ~~~~~~~~~~ どうでしょうね。どうなんでしょう? 世界を捉えるにあたってエポケー(判断を中断)して現象についての余分な付け足しをすべて取り払いその本質を見るという現象学的還元のことを ワビサビやお洒落は言っているか?
補足
漢字とのかかわりについて 引用のみです。お尋ねの主題とはややずれますことをおゆるしください。 かなり一般的な事例かも分かりません。漢字ないし漢文に通じていたという天晴れな話です。 ▼ (大野晋:女手(=かな文字)の世界) ~~~ 平安中期の例ではあるが 『枕草子』に次のような記事がある。清少納言は宮廷で宰相であった藤原公任からの一通の便りを受け取った。見れば すこし春ある心地こそすれ と書いてある。清少納言は 次のように返事をした。 空寒み花にまがへて散る雪に これを上の句にすえ 公任の句を下にすえると一首になる。ところがこれは『白氏文集』の《南秦雪》という詩を心得ていてはじめて可能なわざだった。というのは《南秦雪》の中に 三時雲冷多飛雪 二月山寒少有春 の二句がある。頃は二月の末 風が吹き空が暗くなり 雪が少し降って来た。その時 その景色を見て藤原公任は『白氏文集』のその詩を思い出し 二月山寒少有春(二月山寒うして少しく春有り) の句をふまえて すこし春ある心地こそすれ と読みかけて来たわけだった。清少納言は『白氏文集』を読んでいた。そしてその詩を覚えていた。だからその直前の句の 三時雲冷多飛雪(三時雲冷やかにして多く雪を飛ばし) を思い起こし 空寒み花にまがへて散る雪に その一句を翻案した。清少納言にそれだけの教養があった。・・・ (大野:日本語はいかにして成立したか 2002 pp.330-331 ) ~~~~~~~~~~~~~ 渡来人が 漢字ないしその文化や社会制度にまで広がる世界をおしえたわけですが それについてこう例えています。 ▼ (大野) それは 古代ギリシャの末期の混乱の時に 多数の文化人がローマに移住し それがローマ文化の開花に大きな役割を果たしたのに類似している。 * ☆ 次には 中国には詩法として 同一の語は連続して使わないという当然の心得があったというその慣わしを 日本では 次のように踏襲しているという話です。 ▼ (同:万葉集の変え字法) ~~~ ○ こころ 許己呂 (万葉集における使用例:37例) 己許呂 (同上:17例) 許々呂 (4例) 己々呂 (1例) 去々呂 (1例) ○ ほととぎす 保登等藝須 (26例) 保等登藝須 (22例) 保等登伎須 (2例) 保登等伎須 (1例) 保等得藝須 (1例) 富等登藝須 (1例) ~~~~~~~~~~~ ☆ 同じ個所で同じ字を繰り返した例はないそうです。少しでも変えて用いているそうです。 * ○ 漢文訓読体と 女手による和文体 ▼(同上) ~~~ 訓読体は漢語を多く取り入れ 漢語をそのまま読み下すことが多いという点で 和文と大きな相違があった。その上 訓読体にだけ見られる接続詞や副詞などがあり 和文体と著しい対比をなしていた。 例えば 訓読体・・・・・和文体 たがひに・・・・かたみに はなはだ・・・・いと すこぶる・・・・いみじく あらかじめ・・・かねて かるがゆゑに・・されば ~~~~~~~~~~ ☆ すでに『類聚名義抄』という辞典が編集されていて 漢文訓読体の大和言葉が集大成されているとのことです。《たがひに(互いに)》などは 和文体として響きますけれど 違うんでしょうか。《かたみに》を押しのけて来たのでしょうか。 お粗末でした。
- Tefu_Tefu
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ご返事ありがとうございます。 生活保護受給者は205万人です失礼しました。 何故、お二階さんに弱いかですね。心理学の社会的手抜き(フリーライダー効果)ではないかと思います。(アメリカ、カナダ)に多い。日本が、今までアメリカよりの政策をやってきたために手抜きする人が増えたのではないでしょうか。特に役人に。庶民は、手抜きなど出来ませんよ。みんな必死だと思います。 マインドコントロールは商売でやっているだけでしょ、本当に嵌るのは、病気や悩みで困っている人達です。 私は、元々日本人は勤勉な国民なので、戦後のアメリカの思想により自分達だけ楽して儲けようとする者(役人、政治家)が変われば、日本は変わると思いますが。日本人の高学歴な知識人が何もしない等おかしくないですか。エジソンのように知識を与えられた者が努力するのが筋だと思いますが。まあ~すでに日本を見限った日本のエジソン達(企業家)は、海外の人を雇用すると思いますが。役人は、どういうふうにして日本の通貨価値を下げないようにして、日本の企業を引き留めるのでしょうか?今からが役人が給料に見合った働きをすべき時かもしれません。社会的手抜きなしで。・・・・・・・・・もう寝ます。
お礼
てふてふさん あくる朝になってしまいましたが こんにちは。ご回答をありがとうございます。 お二階さんと市民一般との関係は 成り立ちとしては――第一階と二階ですから――かんたんでもあり その溝を埋めることは むつかしいようでもあります。 ★ 私は、元々日本人は勤勉な国民なので、戦後のアメリカの思想により自分達だけ楽して儲けようとする者(役人、政治家)が変われば、日本は変わると思いますが。 ☆ この関係ですね。 極端に言って 一階の人間の勤勉に対して 二階はとかくガリ勉だとわたしは言ってきましたが 優秀ですから そのガリ勉をも突き抜けて もとのふつうの勤勉に戻るか それを活かすようにつとめて欲しいところです。 でも 一階のわれわれが変わらなければ 二階も変わらないという見方も 正論であるように思われるというのが むつかしいところのようです。 ★ マインドコントロールは商売でやっているだけでしょ、本当に嵌るのは、病気や悩みで困っている人達です。 ☆ これは たぶん クウキの問題に移行すると思います。直接にはまだ取り上げていません。 この際 出しゃばりますが もし少しでも参考になればと思って掲げます。 【Q:アマテラスお二階さんは 一階に大政奉還すべし。】 http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa6373495.html 【Q:アマテラス政治家の無謬性の神話がくづれたか?】 http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa6597041.html
- Tefu_Tefu
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ご返事ありがとうございます。 千利休は、商人で知識人だったと思います。 まあ~未来は、どうなるか分かりません。 時の権力者は、宗教、資本家、知識人、法律等利用して国を治めようと試みますが、文明の進歩と共に、世の中は変わっていきます。そして、庶民は、法律を守らないものです。まして、政治家、官僚、公務員が守らなければ、法律は、無ともいえます。 教育、勤労の義務は、ありますが、最低限度の生活の保障もうたわれています。(2005万人多すぎませんか?)法律を守らない役人が幾ら法律に従い守れと言っても無駄でしょう。むしろ、庶民は、変化を望んでいるのではないでしょうか? マインドコントロールは、信じない人は嵌りません。特に日本人が、一番おこなってるし。危ない宗教家は、日本人? 日本人思いのbragelonneさんには、驚いています。一国民として、私から感謝します。 bragelonneさんの考え方は、非常に勉強になっておりますので「ありがとうございます」。お体をお大事に。
お礼
てふてふさん やり取りがつづきます。ご回答をありがとうございます。 今回は ニートや引きこもりについて ○ そのネガの状態から ポジの姿へとドンデン返しする。 ☆ この問題ですね。その変化が 社会もしくは国の変化とどう連動していくか。 権力を持つ者ないしその近くの者は わたしはお二階さんと言っています。お二階さんは なかなか変わりませんね。 ということは これをえらぶ国民も 変わっていないということでしょうか? そこのところが つねに問題になるのだと思います。法律を守る守らないのことで そのような情況について触れておられるのですね。 マインドコントロールのこともありましたが。マインドコントロールではなくても いわゆるクウキには それをわざわざこちらが読んで したがう場合が多いのではないでしょうか? われわれは お二階さんには弱い?
- kurinal
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こんばんは、 門外漢のトンチンカンですみませんが、思うところを述べさせていただきます。 (わび) 「なんで、この良さが判らないんだ!」的な、ある意味、独り善がり (さび) 「・・・「ふるい(古い・旧い)「感(?)」」ということ」 ・・・とすれば、海外へ行って「わび・さび」を感じることがあっても不思議ではないと思います。
お礼
くりなるさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。 たしかにおっしゃるようであるかも知れません。 ★ (さび) / 「・・・「ふるい(古い・旧い)「感(?)」」ということ」 ☆ さびれた状態・ふるびた状態で趣がある。でしょうね。 ★ (わび) / 「なんで、この良さが判らないんだ!」的な、ある意味、独り善がり ☆ これは少し分かりにくいですが でも孤立感を表わしているかと思われます。 《独り善がり》気味になってしまい勝ちなのですが 自信もある。《「なんで、この良さが判らないんだ!」》と。そして 貧困の中からも よさ・うつくしさを持つ風景を見い出したり 道具や何らかの作品までを作り出した。 たしかにこういった基礎の上に ワビサビが広く一般にも迎え入れられて行ったのでしょう。 ★ ・・・とすれば、海外へ行って「わび・さび」を感じることがあっても不思議ではないと思います。 ☆ まづ《寂び》は 同じようにどこにもあるでしょうね。 《侘び》は どうか? 簡素で質素な生活を送る中にそれに見合った美を見いだす・作り出すということは あり得ましょうか? ただしそれを 日本のように様式として完成させることはなかった。かもですね。いえ 知って言っているわけではありません 残念ながら。 ありがとうございました。
お礼
お早うございます。ご回答をありがとうございます。 まづは お勉強です。 ▼ (ヰキペ:ミース・ファン・デル・ローエ) ~~~ ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ(Ludwig Mies van der Rohe、1886年アーヘン - 1969年シカゴ)は、20世紀のモダニズム建築を代表する、ドイツ出身の建築家。 ル・コルビュジエ、フランク・ロイド・ライトと共に、近代建築の三大巨匠と呼ばれる(ヴァルター・グロピウスを加えて、四大巨匠とみなされることも)。 “Less is more.” (より少ないことは、より豊かなこと)という標語で知られ、近代主義建築のコンセプトの成立に貢献した建築家である。柱と梁によるラーメン構造の均質な構造体が、その内部にあらゆる機能を許容するという意味のユニヴァーサル・スペースという概念を提示した。 § 略歴 1929年のバルセロナ万国博覧会で建設されたドイツ館、バルセロナ・パヴィリオンは、鉄とガラスで構成され、大理石の壁を配したもの。モダニズムの空間を実現したものとして、建築史上有名。・・・パヴィリオンは、博覧会終了後に取り壊されたが、1986年に同じ場所に復元され、「ミース・ファン・デル・ローエ記念館」となっている。 ▼ (ヰキペ:妙喜庵)~~~~~~~~~~~~~~ § 待庵 国宝。日本最古の茶室建造物であると同時に、千利休作と信じうる唯一の現存茶室である。現在一般化している、にじり口が設けられた小間(こま)の茶室の原型かつ数奇屋建築の原型とされる。 ・・・ 茶室は切妻造杮葺きで、書院の南側に接して建つ。茶席は二畳、次の間と勝手の間を含んだ全体の広さが四畳半大という、狭小な空間である。南東隅ににじり口を開け、にじり口から見た正面に床(とこ)を設ける。室内の壁は黒ずんだ荒壁仕上げで、藁すさの見える草庵風とする。・・・ ~~~~~~~~~~~~~~~ ところで 《能舞台》は 神社に設けられた青天井の舞台が起こりであるとのこと。そして能楽は 1881年(明治14年)の能楽社の設立によって それより前の《猿楽》が名称を変えて伝え続けられたとのこと。 少しその歴史をひもといてみます。 ▼(ヰキペ:猿楽)~~~ § 奈良時代 中国大陸から、散楽と呼ばれる芸能が移入されたのが、猿楽のはじまりと考えられている。 § 平安時代 延暦元年(782年)、桓武天皇の時代に散楽戸(=散楽師の養成機関)は廃止される。朝廷の保護から外れたことにより、散楽師たちは、寺社や街角などでその芸を披露するようになった。そして散楽の芸は、他の芸能と融合していき、それぞれ独自の発展を遂げていった。 *(ぶらじゅ註) おそらく《かみやしろ(神社)》はその昔から あって そのまつり(祀り)に芸能が伴われていたと思われます。 それと散楽とが 融合していったと解しましたが。 * だとすれば――つまり 朝廷の保護から外れてみづからの生活を 営まなければならなかったというのならば―― 大きくは《わびさび》 の系譜だと思われ その歴史の一環であるようにも思われます。 このあとの § 猿楽の演じ手 の項でその身分について記されて います。 § 南北朝・室町時代 鎌倉時代の猿楽が発展し、観阿弥や世阿弥らの登場によって現在の能楽とほぼ同等の芸能としての猿楽が形作られる。 § 猿楽の演じ手 もともと猿楽は大和において「七道の者」であった。漂泊の白拍子、神子、鉢叩、猿引きらとともに下層の賎民であり同じ賎民階級の声聞師の配下にあった。・・・ * 《七道の者》と何故言われるのか 土一揆との関連で説明する 説を見かけましたが よく分かりません。 一部の猿楽の座は、社寺の庇護を得て、その祭礼の際などに芸を披露した。 最初は余興的なものとして扱われていたが、やがて社寺の祭礼の中に、猿楽が重要な要素として組み込まれるような現象も起き始めた。 社寺の由来や神仏と人々の関わり方を解説するために、猿楽の座が寸劇を演じるようなこともあった。 これらがやがて、「猿樂の能」となり、公家や武家の庇護をも得つつ、能や狂言に発展していったと言われている。 ~~~~~~~~~~~~ 《枯山水》については いま へたのすけさんが設問しておられますが いまのところその専門的な問いかけにも 一般にその歴史をたどることにも 手が出ないでいます。たのしみに取っておきます。 * 単純に言ってしまえば 脳細胞に書かれた歴史を黒板消しで消してしまい白紙還元するという作業 これがどこかにかかわっていましょうか。わびさびの歴史にはです。 そうして お上のほうからの引き(あるいは 贔屓筋)があるといういきさつにもなるのでしょうか。 ▼(ヰキぺ:観阿弥) ~~~~ 1375年(永和元年 1374年説もあり)に京都今熊野で観阿弥が息子の世阿弥とともに演じた猿楽能を足利義満が見物、以降、将軍はじめ有力武家、公家らの愛顧を得、観阿弥が率いる観世一座は幕府のお抱え的存在とみなされるようになる。 ~~~~~~~~~~~ * ところが・ところが この白紙還元――タブラ・ラサ / 本質直観 / 純粋意識――には まさにおっしゃるように 《人と人とのつながり・きづな》が問われなければ何にもならないということ これを忘れてはいけません。ここまででは 忘れていました。 ★ 翻って日本のわびさびを思いおこせば、"less is more"とは独自に主張し得ない心許なさを感じずにはいられないのは何故なのでしょう。 ☆ 確かに侘びしく不如意で 寂しく独りいるという境遇とその心境を通過しているのでしょうね。身分制度のさらに外の身分に落ち入るというのは かたちとしてワビサビを象徴してます。そこから立ち直るという過程を経て来ていると やはり思われます。すなわち ★ でも、どこか心和み癒されます。 ☆ 現象学的に白紙還元して行ったその先にも つまりけっきょくその純粋意識たる《超越論的主観性》においてもやはり《相互主観性 Intersubjektivitaet 》――共通感覚? あるいは 共同主観?――を見るということに到らざるを得なかった。 ★ それはやはり、少なからず対人的な関係性を重視する美徳、美意識ゆえではないでしょうか。 ☆ アウグスティヌスは この世のしがらみや愛着としての 愛の膠を それでも剥がしてでも 精神ないし《われ》に還れというとき 神の愛を介して 隣人〔どうし〕の愛を言おうとしているようです。まだるっこしい。 ★ ~~~~~~~~~ 枯山水や能舞台にしても、研ぎ澄まされた削ぎ落としの結果、人(観客)と自然や世界、物との親密性や一体感に訴えかける作用をもたらし、時としてそれが何とも心地よく感じられるのではないでしょうか。また待庵はどうでしょうね。 ~~~~~~~~~~ ☆ ですね。そして《待庵》は どうでしょう? 画像も見ましたが 説明を聞くと どうもずいぶん凝った造りのようですね。二畳なのですけれど 柱や壁の造りやあるいは天井の――工夫を凝らしたものなのでしょうけれど――贅沢なと思われるような造りになっているようにも思われます。 言いかえると 一たんすでにワビサビの思想が完成したあとの段階で 一層うつくしいものをこしらえようと思って作っているようにも思われました。 ここらあたりまででしょうかねぇ 質問者が勝手な文章をしたためうるのは。かえって中途半端になってしまいましたが あとは自然史過程にまかせることにしましょうか。つまり しばらくして閉めることにします。 重ね重ね感謝申し上げます。