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わび・さびとは何か?その美意識への変化を知りたい
- わび・さびとは、生気や活気が失われ、荒れたり古びたりする状態を表現する言葉であり、日本の美意識の一部である。
- ワビ・サビの美意識は、世俗を遠ざかって淋しく貧しい暮らしに安らぎを見出すことや、修練を重ねて俗気のない清らかな精神になることを追求するものである。
- ワビ・サビの思想は、一般的な生活の状況を削ぎ落とし、本質を見ることを意味し、社会から除け者とされた人々によって生まれたものである。現代においてもワビ・サビの達人は存在し、その美意識は今でも魅力的である。
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こんばんは。 要らぬ投稿に辟易なさっていることと存じますが、お礼方々付け足しをご容赦下さい。 "less is more"って、ご存知ですか。 ミースというモダニズム建築の巨匠がそう述べたと伝えられています。 一見、わびさびに多少なりとも通じるものがあるように思えなくもないですよね。 そして、その言葉を噛みしめながら、今春バルセロナの地で彼の復刻パビリオンを見学する機会を得ました。 乾いた風と伸びやかな木々、強烈な陰影の対比に加え、中世ゴシックからガウディ等そして現代建築まで混在する街だからなおのことそう感じたのかもしれませんが、彼のパビリオンがおよそわびさびとは似て非なるものに映りました。 過去の建築群に対して"less is more"と今なおその斬新性を誇らしげに湛えているように思われたのでした。 翻って日本のわびさびを思いおこせば、"less is more"とは独自に主張し得ない心許なさを感じずにはいられないのは何故なのでしょう。 でも、どこか心和み癒されます。 それはやはり、少なからず対人的な関係性を重視する美徳、美意識ゆえではないでしょうか。 先にご指摘くださいましたが、白氏文集の壮大な世界観を日本の庭に凝縮して気持ちや情緒を託した遊び心ともとれるアレンジによって、二人の間に互いの尊敬の念や親密性が増したであろうと察せられます。 それと同じで、枯山水や能舞台にしても、研ぎ澄まされた削ぎ落としの結果、人(観客)と自然や世界、物との親密性や一体感に訴えかける作用をもたらし、時としてそれが何とも心地よく感じられるのではないでしょうか。また待庵はどうでしょうね。 このたびのわびさびが転じてアウグスティヌスというあなたのお説はとても斬新でユニークなお説だと思いました。 あなたの強い気概と思いがひしひしと伝わってきます。 お若くて頼もしいかぎりです。 これからも前に進めていっていただきたいと願っております。 そしてこのたびの多くのご教示につき大変参考になりました。 本当にありがとうございました。
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- Tefu_Tefu
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こんにちは。 変な外国人ですね。 何故、日本の詫び、さびなんて知りたいんですか。 今の若者は、礼儀、挨拶位しか知らないのではないでしょうか? 私もよく分からないんですが、江戸時代の千利休が確立したと聞いたような。 茶道すれば分かるのではないでしょうか? 日本は、ご存知の通り島国です。 大和朝廷、から鎌倉幕府に歴史が変わるうちに、仏教が聖徳太子によってもたらされ、それが平家滅亡の時代に、平清盛の没落により「おごる平氏も久しからず」と言われるように、諸行無常が武家社会に結び付いた。 源平の争いが武士に諸行無常感を植え付け、子孫を残す手段として、家督争いに負けた者が生き延びる手段としてお寺への出家が行われるようになった。 それは、日本の将棋、(採った駒はまた使える)、チェスと違うところにも残っています。 さらに、江戸時代に徳川幕府が鎖国政策をとったことにより、千利休が茶道を完成させた、詫びさびとは、エントロピーを少なくするということではないでしょうか。戦国時代に武士が城の中に箱庭のような空間を造り自らを癒すことによって、 温泉もその一つでしょう。盆栽もその一つ。知識もその一つ。 庶民は、士農工商と言う身分制度や今の地方に繋がる小国に閉じ込められることにより、自分達も寺小屋、温泉、園芸等でエントロピーを小さくする方法をしたのではないでしょうか。 それが、今の引きこもり漫画文化と繋がるのでは。 宇宙は、背景輻射によりビッグバンが有力視されていて、エントロピーは大きくなっているので、人間のエントロピーも大きくなるのでは。そして、分子生物学の福岡伸一氏が言う動的平衡により常に人は変化している、今日の自分は明日の自分とは違う。閉ざされた環境でエネルギーを一定に保つには、詫びさびにより自分のエントロピーを小さくするしかなかったのでは。と考えてみました。http://washimo-web.jp/Report/Mag-Entropy1.htm bragelonneさんは、エントロピーを小さくする達人なので、詫びさび要らないでしょう。
お礼
てふてふさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。 夕食前のこの時間に読んでしまいましたので とりあえずのご返答をいたします。 ★ 変な外国人ですね。 ☆ 除け者にしようとお考えですか? ★ 何故、日本の詫び、さびなんて知りたいんですか。 ☆ 何故 知らなくてよいと考えるんですか? ★ 今の若者は、礼儀、挨拶位しか知らないのではないでしょうか? ☆ これが 知らなくてよい理由になるんですか? ★ 宇宙は、背景輻射によりビッグバンが有力視されていて、エントロピーは大きくなっているので、人間のエントロピーも大きくなるのでは。 ☆ エントロピーは 増大する一方なんですか? 無秩序の度合いが高まると 秩序感も高まるのでは? あとは ふたたび考えて返答します。
補足
お礼欄のあとにおぎないます。 ★ 詫びさびとは、エントロピーを少なくするということではないでしょうか。 ★ 庶民は、士農工商と言う身分制度や今の地方に繋がる小国に閉じ込められることにより、自分達も寺小屋、温泉、園芸等でエントロピーを小さくする方法をしたのではないでしょうか。 ☆ そうですね。 けっきょく簡略質素を旨として生活して行って その結果生み出された生活の場や道具といったところでしょうか? そうですね。ただ もしそこに美を見い出したとすれば 贅沢や絢爛豪華にしようとしてその場や道具を作り そこにも美を見い出したとなりましょう。 その美とは何か? 華やかな美と枯れた美とは 美として同じか違うのか。 こういった問い求めとして さらにみなさんと考えて行きたい。こう考えますが いかがでしょう?
続きです。 さてどうなったかというと・・・ きれいだと思って見ていた桔梗が変わっていったように見えました。 もちろん桔梗そのものが変わったわけではありません。 見ている自分の感覚や意識が次第に変化してゆく、といった感じだったと思います。 そして・・・ 美しいという客観的観察の深みにおいて、ついには、対象である存在の実感覚の把握というのか そんなところにまでいってしまったようにも感じられました。 感覚のすり替えが起きてしまったのかもしれません。 私が桔梗を見るのではなく、桔梗が私を見ているようでした。 桔梗にとって私とは、そこに居合わせた、ただの一人の人間にすぎないものだったのかもしれません。 この感覚の逆転は錯覚だといってしまえば、それまでの事です。 しかし、立ち去る時にも、桔梗の視線らしきものを感じ取れたことも確かです。 桔梗は確かにそこに居たのです。 ・・・・・・・・・ 知る働きが対象と化してしまうという事が 単に私の影を浅く写し出したものに過ぎないものなのか それとも、一つの命を確かにとらえたものなのかは解りません。 ただ、結果的に こうした事があってから (正直にいうと他にも似たような事がありました) 自然と「草」に目がいくようになった気がします。 今まで見過ごしてきた道端の草が あっ~中々いいな、 きれいだな~、 かわいいな~・・・とか とにかく段々と地味な草にも目がいくようになった。 半ば病気みたいなものかもしれませんが・・・(お笑くだ) ・・・・・・・・・・ 句帳をめくってみると、その時の事を詠んだ句がありました。 「苔庭の桔梗の一花忘れざり」 結局、写実にはならない下手な感覚的な句にしかならなかったわけです。 桔梗の存在感に呑込まれてしまって客観性を失っていたからでしょう。 しかし、一花忘れざり という刻みつけるようなところに少しは「わび」らしきものがあるかもしれません。 ・・・・・・・・・・ 「わび」とは存在感なのでしょう。 その存在感に至る美のしつらえを「わび」と呼ぶ事もできると思います。 鑑賞面においては、寂という真空に浮かぶ美が「わび」と呼ぶにふさわしいと思います。 無常感から見れば、すべてはわずかに無常を引き止めるだけに過ぎないもの、という感慨が「わび」らしくもあると思います。 「ヒラメキ」云々・・・という事については 上述の中で、 知る働きが対象と化す・・・とあるように 直観が感覚に付随する形で働く中において、感覚外のものを捉えて意識に伝えていたかどうかは不明のままです。 無理にあったと決めつけるべきではないように思います。 それよりも、自身と等質の存在感が得られたという結果を重視すべきと思います。 「ヒラメキ」との客観的な共通点については・・・ 個人の存在状況の変化の一種のピークにおいてもたらされるもの・・・・・といった見方から 「ヒラメキ」とは自覚されない「ヒラメキ」であった可能性はあります。 ゆるやかな「ヒラメキ」 (笑) であった、といえば、そういう事になるのかもしれません。 こじつけ気味ですが・・・ そのへんの解釈はお任せいたします。 以上がご注文に応じた内容のあらましです。 美味しい料理にはならなかったかもしれませんがご容赦ください。 それではお元気で。
お礼
★ ~~~ 「ヒラメキ」とは自覚されない「ヒラメキ」であった可能性はあります。 ゆるやかな「ヒラメキ」 (笑) であった、といえば、そういう事になるのかもしれません。 ~~~~~ ☆ むつかしいですね。 ★ それよりも、自身と等質の存在感が得られたという結果を重視すべきと思います。 ☆ ――おっと へたのすけさん こんにちは。待ちに待ったご回答をありがとうございます―― どうもヒラメキには 目叩(ばた)きの内におとづれるものと そうではなく 時間をかけて持続するようなかたちでというよりは・実質的にそのようでもありつつ どうも そのヒラメキが過ぎて行ってから あとでそれに気づくというかたちのものもあるかに思いました。 ★★ 桔梗のほかは真空 ☆ という状態あるいは情況では まだ《存在感》は感じられていないかと思われます。(かろうじて感じられていましょうか)。たぶん次のように・すなわち ★ ~~~~ 私が桔梗を見るのではなく、桔梗が私を見ているようでした。 桔梗にとって私とは、そこに居合わせた、ただの一人の人間にすぎないものだったのかもしれません。 ~~~~~ ☆ という状態になって 《存在》もしくは《わたし》の問題が浮かび上がってくるのかとも思います。 たぶん 次の側面とともに もう一つの側面があるかにも思います。すなわち ★ そこに居合わせた、ただの一人の人間にすぎないものだったのかも ☆ と同時に・またそれゆえにも このただの人間が 《わたし》として――ということは ほかの人びとも一人ひとりがそれぞれ同じ《わたし》として――あるそのことは 言わば果敢無い夢のようでいて その《現在》というのは すでに一生のあいだ持続する《とき》なのではないか? どうも――No.23のあほお007さんの提起した《心敬》の《無常感からくる〈冷え寂び〉》にしろ こまあすさんとのやり取りで ではこの無常感は 美の本質もしくは存在の基礎にあるものなのかと問うた課題〔No.22お礼欄 ( o )〕にしろ―― ブディズムは 無常感ないし諸行無常について《はかなさ》のほうに重きを置いているのではないかと考えられます。 果敢無さの側面のみを重んじ過ぎていまいか? あはれにしても 哀れや憐れのみを捉えてしまって あっぱれ(天晴れ)といった側面を省みない。天晴れが 侘び寂びに対して 雅びの側にのみあるかという問いさえ出しておきたい気持ちになります。 華やかな美のほうにも 果敢無さや哀れとしての無常感は 感じられるものであるはずです。枯れた美の中からこそ 土の中に強く張った根の力強さを感じるという場合もあるはずです。 存在感は どちらかと言うと 枯れたワビサビのほうに不易の美としては 感じられるものかも知れません。金閣寺は それが達成されて もう美はおしまいであるといった感じを与えるのではあるまいか? それを見て わが存在ないしその《わたし》を しみじみと味わうというものではないように思われます。巨大古墳や奈良の大仏の系譜ですね。 その個別の技術や芸術性に目を見張るものがあるのかと思いますが 全体として見て どうなのでしょう? その天晴れ感が わが存在の根っ子にまで通じていましょうか? ヒケラカシには 不易の美が感じられないという人間もいると思います。金(ゴールド)は 不易のものとして輝くと言うかも知れませんが。 ★ 無常感から見れば、すべてはわずかに無常を引き止めるだけに過ぎないもの、という感慨が「わび」らしくもあると思います。 ☆ このご見解に言わばわたしは楯突いた格好にもなっていますが その言わんとするところは こうです。 ★ すべてはわずかに無常を引き止めるだけに過ぎないもの、という感慨 ☆ において 《存在感》を基礎にすれば 無常を突き抜ける根っ子の感慨をもあらたに生んでいるのではないか? これです。その《永遠の現在》感がたとえまぼろしであっても そうだとしても 無常感という観念が 現実を覆うとは見たくない。現実は 無常であり空だと観るなら その観念としての無常感ないし空観をも 空と観なければウソである。ということまでは言えるであろうし そこまでとしては まぼろしではなく現実である。こう言いたいわけです。 ★ 「苔庭の桔梗の一花忘れざり」 ☆ ここに流行の美と不易の美とが見られるとしたら とうぜん無常感を超えて不易のうつくしさ――それは 瞬間のヒラメキであることを超えて 根強くしつこくしたたかに生き続ける何か つまりむしろそれは チカラである――を見逃す手はない。こう考えられますまいか? 経験世界つまりは 相対的なものごととしての限りある存在 これの内に ふと《永遠》が顔を覗かせたという現実的まぼろしだってあり得る。こう思います。 (ブディズムが 諸法無我を唱えつつも 仏性を言い出したのなら そういう話になります。無常感の――非思考の庭における・つまりは ナゾの――乗り越えのことになると思います)。
心敬に聞いてみろよ。
お礼
あほお007さん こんにちは。ご回答をありがとうございます。 ★ 心敬 ☆ についてちらっと検索して読んでみました。 そうですね。あえて早とちりを侵しますと 例の ○ ひえさび(冷え寂び) ☆ ですか どうもこれは 心敬による意図的な 何と言いますか 《極北の星》への旅をあたまの中の体操としておこなうようなものではないかと感じました。 あなたが 無造作に投げ込んでいるので こちらも それに合わせます。これで お応えは おしまいです。 * 心敬は 坊主だったようで 一にも二にも《無常感》が 先に来たのではないですか? とことんその極みへと ことばによる表現をとおして 迫って行ったと思いますが だからどうなの? という受け留めになりましょうか。 おそらく 無常感のその観念(想だけではなく 色も受も行も識も)についても空と観るのではなかったか? いやしくもブッダの徒だというのであれば。 いやみをも言っておくとすれば 極北の表現への壮絶なる旅路へと ごくろうさん! となると思います。 反批判がないことをおそれます。
古代日本史までお詳しいブラジュロンヌ様にはとても太刀打ちでないと思いつつ、不肖私なりにわびさびについて皆さまの論考をつらつら拝見しているうちに、またろくでもない妄想が浮かんできました。また深められた皆様の気分をあだにかき乱すだけかもしれませんが、ウザいと思し召しのぶんにはさっとスルーしていただきたく。 さて、わびずまいの傍流文化人がある日自分の可能な生活範囲の中でひらめいた新しい美である「ワビ、サビ」アイテムはなぜ彼らを驚かしめたのか、欣喜ばせたのか?という謎ですね。それは「ワビ、サビ」という言葉の中にあるはずですし、本来の美が持っている性質に関わっていただろうことは間違いないと思われます。 わび:孤立、目立つ、特異 さび:古い、悲しい、消え入る こういったわびずまいの傍流文化人が自身のキーワードを弄んでいれば、当然彼らはこういったことに至極敏感な感覚が醸成されていったのではありますまいか。 都の真ん中に住んでときめくひとたちとわいわい騒いでいたらとても捉えられなかったそんな美が、彼らの研ぎ澄まされた耳目には簡単に感受出来たのだろうと思われます。 へたのすけ様のおっしゃる静寂の中の一輪の桔梗の美も、秋の夕べにおける一瞬の入り日の輝きの照り返しが山辺の陋屋を浮き上がらせる悲しいまでの美も、単なる古いだけの汚れた仏像も、へしゆがんだ出来損ないのこわれそうな陶器のほのかな輝きも、やはりそんな宮廷からつれなくされて失意のなかを下野した傍流文化人ならでこそ「自身の悲しい心情にも共鳴して)捉えることが可能だったとは言えないでしょうか。それは多分、傍流の美とはいえ、間違いなくこれまで見過ごされていた、従来になかった新しい美の創造だったのでしょう。 孤立したもの、そして特異な個性的世界は、偉大とはいえないまでも、優れた芸術、あるいは美というもののひとつの特性でもあります。彼らが発見し、そして主張した美のジャンルが中央の権威を動かしたのはゆえなきことではないと私は思います。 何か上記の駄文にブラ様の共鳴できる部分がありましたら幸いです。
お礼
こまあすさん ご回答をありがとうございます。お早うございます。昨夜は 早くに就寝しました。考えがなかなかまとまらなかったゆえです。 ◆ けっきょく 美とは何か の問い求めが必要なのであろうか さてつらつら考えますに けっきょく美とは何かという正面からの歩みが必要なのだろうかと思うようになっています。 それは ご回答に接してこう思ったからです。 わたしの ID 写真を見てください。この苫屋なら わが心の侘びしさと響き合うといったことを――煮詰めて言ってしまえば――今回はおっしゃっている。(もし《改ざん》していましたなら おしえてください)。 ところが たとえば富士山を見れば その侘びしき心のままでも 心が晴れます。つまりは潜在的なものであったとしても 晴れ晴れとした心も――生活の常としての侘びしき状態の中にあっても――現われます。 もっと言えば 侘びしき苫屋をながめていると やがてわが心はその侘びしきさまを突き抜けて 晴れ晴れとした状態を見させるような心のうごめきがあるのに気づく。これが 美でありその力であろう。 この仮説のままにですが それでは 美とは何か? ◆ 美とは 《みづみづしい息吹き》である。 * 仮説(たたき台)のままに述べますので その断定口調など についてご容赦を願います。 ( a ) 美とは おもに視覚および聴覚をつうじて知覚されるその描像(イメージ)が わが心にうったえるときの《はたらき》である。 * 富士山を見たときには 辺りの空気に触れたという触覚や 仮りに周りのにおいの嗅覚も作用しているかも知れないが お もに上の二つと見る。 ( b ) 美のハタラキは おもに色と形が 要素ごとに互いに織り成すその構成のあり方 これを全体として見て わが心がいかに感じ 響き合うかにかかっている。 《構成》については 黄金比などの《比率 ratio 》という用語も持たれている。 ( c ) おそらくであるが 心のさまざまなあり方に応じて 美もさまざまな種類があるのかとも思われるが 考えるにそのさまざまな種類というのは ただただ表面における心理的な心の動きをそれぞれ表わすに過ぎないのではないか? 言いかえると 心の底における響き合いは 表層における心理的な――すぐさま移ろいゆく――気持ちとしての反応とは別にあるのではないか? ( d ) ( c )の例示として:《一輪の桔梗の花》が わが心の心理としての動き・つまり言わゆる喜怒哀楽の状態に応じて そのまま喜怒哀楽それぞれとしてのハタラキを持ち得る。《富士山》の姿を見ても それを避けたいという反発としてのハタラキを 心理の状態によっては 起こすかも知れない。 ( e ) 心理とは 海面における平穏な状態およびそこに湧き立つ波風のようなものである。《こころ》とは 海である。この心理に応じて現われるハタラキは 美にとって本質的なものではない。のではないか? ここで《本質》とは おおむね――相対的なものごとの世界にあって おおむねである―― 一度味わったらだいたいにおいて生涯変わらない性質のものを言う。 ( f ) 《美の背景》 これも 美の本質的なハタラキとは別であろう。 仮りに桔梗の花が 身内やあるいはそうでなく友人やそのほか要するに接したことのある人びとのことを思い出させるなら それは とうとい時間つまりその持続であって しかもそれは 桔梗の花そのものが引き出すわが心のハタラキとは別であろう。 ( g ) けれどももしその桔梗の花が 侘びしき状態にあってにせよ喜びの内にあってにせよ その寂しさや嬉しさといったうわべの心理を通り越して あたかも人と人とのきづなのごとき暖かなぬくもりを仮りにわが心に引き出したとしたら それは おそらくどこから叩いても壊れることのない美のちからだと言えるのではあるまいか? ( h ) 言わずもがなのこととして 桔梗の花ないしそれを描いた絵について《第二次の美》と称するもの・つまりは 貨幣に置き換えた値打ち これも美の本質ではなかろう。 画家の生活を保証するための値打ちなら 《第一次の美 しかもその変わらぬ力としての美》に付随するものとして入れておいてもよい。それだけの仕事に 経済的な価値としてのむくいがあっておかしくない。心理の側面よりも直接に 本質に付属する。 ( i ) だとすれば:項をあらためます。 ◆ 以上のようだとすれば 侘び寂びの美は 侘び寂びといった表面の現われには関係がない。 ( j ) だとすれば 侘び寂びか雅びか あるいは華やかな美か枯れた美か このような分け方は 表層におけるその現われだけによる分類である。 ( k ) どんな身なりや格好をしていても――つまりは その対象がどんな構成をしていても―― わが心に響き合うチカラがあれば それが 美である。 ( l ) その構成がもしわが心のうわべとしての心理と呼応しているにすぎないとすれば それとしての美である。 きれい・かわいい・すてき・グー・怖いもの見たさのグッヅなどなど流行と言ってよいような《かざり》としての美であろう。なら 心に移ろいゆくことのないハタラキを導き出した美が 不易としての美であり 美の本質である。 流行の中に 不易を見い出すことがあるか?――課題として保留しておきます。 ( m ) ★ 彼らが発見し、そして主張した美のジャンルが中央の権威を動かした――☆ この《中央の権威》という力は 本質ではないであろう。 ゆえに 美にとってその市場価値〔の上げ底もしくはバブルの部分〕が第二次の美であった〔=( h )〕ように 中央の権力や権威が保証するところの美のあり方も まづ二次的な派生としての部分であり しかもこれは極めて簡単に移り変わってゆくものと思われる。 高い値で売り買いされうる美作品にも 第一次の本質的な美があるか?――課題とします。 ( n ) あともう一つ 《ゲルニカ》のように一般には醜悪と見られてしまう作品が 美として提出されるその現象について どう考えるか? これは 心の傾きとしての・つまりはうわべの心理としての反応にしか過ぎない。と言い切っておいてよいか? 心が(つまりは 厳密には 心理が)ムカツクというときに 醜悪なスキャンダラスな内容の作品を見て そのまま反応することはあり得る。こういった生活の中のひとつの側面の問題だと言っておいてよいものかどうか。――課題です。 * ( o ) 最後になってしまいましたが もし ★ ~~~~ わび:孤立、目立つ、特異 さび:古い、悲しい、消え入る ~~~~~~ ☆ が 例によって無常感とともに 人間の存在のあり方として《本質》であるとすれば 上の仮説は これまた大幅に修正しなければならなくなります。 わたしの感触では 無常感は うわべの心理に属する。こう見ますが 果たして いかがでしょうか? (こうなると 今度は話が一転して ブディズムの議論――ゴータマ・ブッダのバカ野郎論――になって来てしまいます。ああ)。
補足
お礼欄をおぎないます。 ( p ) ヒラメキ問題が残っていました。 本質としての美 不易なるチカラとしてわが心に残る美のハタラキ この美の経験は そこにヒラメキ――直感ないし直観つまりは インスピレーション――を伴うと言ってよいか? ただし 課題とします。(これも ブディズムなりの一般に《わが心の非思考なる庭としての信仰》にかかわり そして現象学などの哲学にもかかわっているようです)。
こんばんは。お久しぶりです。 元来、周縁の文化というのは破れや歪みを逆手に取り、(大陸の)中心の文化にはない独特の視点や遊びを生み出し、それをおもしろきものとする余地があるのではないでしょうか。 移ろいゆく山の空、月の形、海の風、波のうねり、森の香りや川の流れ、雲の形や風雨に晒され朽ちていく木々の色褪せるさまを愛でる。 季節感もそうです。時の流れや時間のズレを織り込み、それを懐かしげに詠む。 時空を超えて亡き者が現れ舞を舞い、そしてまた立ち戻る。 この時間と空間の感覚が一種独特なのだと思います。 いえ、一種独特だと事後的にそう私が思いたいだけなのかもしれませんが。 また、戦乱による破壊は従前の文化的価値観(たとえば唐物至上主義)とは異なる新たな価値観を生み出す大いなる力を秘めていましたね。 仏教観はいざ知らず、(貴種業平の雅び的な)敗者の美学などは牽強付会と言われてしまいそうですが、現代人の私達には想像もつかないほど昔の日本人はうつろう自然と寄り添いあるいは対峙し、そこから侘び寂びの「ひらめき」の美を感じる心を抱いていた── ──というのは結論ありきであまりにありきたりな発想なのでしょう、きっと。 進歩がないです、まったく。 めっきり寒くなってまいりましたね。 御身お大切に。
お礼
あぁ ましゅまろさん こんばんは。もうお見限りかと思っていましたよ。ご回答をありがとうございます。 相変わらず こんなやり取りを――誰かさんとは やはりけんかをしつつ――つづけています。 さて ましゅさんにも似合わず おとなしいご回答で。 ★ 現代人の私達には想像もつかないほど昔の日本人はうつろう自然と寄り添いあるいは対峙し、そこから侘び寂びの「ひらめき」の美を感じる心を抱いていた ☆ なのですが・そうなのですが へたのすけさんによりますと 侘び寂びは ヒラメキとは別種ではないかとも言われています。(まだ 保留のかたちですが)。 そうですね。 例によって 大野晋を出してみます。日本語の《うつくしい》は かなり語義に変遷があるようなのです。あらためて気づいたところのほやほやを引いてみておきます。 平安時代の女流文学では 《うつくし》は小さい者への愛情の 表現に変わってくる。 つまりさらにそこから その《可愛らしい様子》の意味を持ち これがその対象そのものの《美》を表わすというように解釈されうるというところから こんにちの意味に移って来たのだそうです。 枕草子では 人がねずみ鳴きをして ちゅうちゅうと呼ぶと 雀の子が飛んでくるのを《うつくしい》と言っている。 としてこれは《小さい者への愛情 あるいは可憐の感情》を表わしたと言います。さて ではその昔は どういう意味であったか? ▼ (大野晋:うつくしい) ~~~~ 奈良時代の人たちは 完成したばかりの寺々の赤 緑の色あざやかに塗られたお堂や塔を見て 《うつくし》と言ったろうか。また 秋の紅葉 初夏の新緑を見て《うつくし》と言ったろうか。それらを《うつくし》と言うことはなかったろう。何故なら 《うつくし》は当時次のように使われていたからである。 遠い九州の防備のために筑紫へ遣わされた関東の人たち 防人(さきもり)の歌が万葉集の中にある。 あめつちのいづれの神に祈らばか うつくし母にまた言問はむ :天地のどの神様に祈ったならば 《うつくしい》母と再び 言葉をかわすことができるだろうか。 また 有名な山上憶良は 妻子(めこ)見ればめぐしうつくし とうたっている。《妻子(めこ)》とは 《め》は女または妻 《こ》は子供である。妻や子供を見ると《めぐしうつくし》と感じたのである。《めぐし》とは 今日《めんこい仔馬》という童謡のあるあの《めんこい》の古形で 今日の方言では 《めごい・めんごい》などという地方もあり 可愛いという意味である。 ここにあげた二つの場合の《うつくし》は 親に対する愛情 妻子に対する愛情を表わしている。 《うつくし》は 万葉集では このように夫婦の間や 父母 妻子 また恋人に対する非常に親密な 肉親的な感情の表現である。 これを動詞にすると 《うつくしぶ》となる。《うつくしぶ》は 平安時代の漢和字典には 《仁・慈・恵・寵・憐》などの文字の訓となって現われてくる。これらの文字は 天子の臣民に対する愛 親の子に対する愛 また夫が妻を憐れむ感情 それらを表現する文字である。つまり《うつくし》は 決して 美を表現する言葉ではなかった。 (大野晋:『日本語の年輪』1966 p.20f. ) ~~~~~~~~~~~~~ ☆ 言葉の意味が歴史的に変化するのは めづらしいことではないと思われますが この例で思ったことは 《人の感情をともなった》ものであったのが その感情を取り去って《対象の見良さ》といったありさまへと移って行ったことです。 そう考えると 《孤独(さび)》や《気落ち・不如意(わび)》から 古くなったものの趣きや 閑寂質素の良さへと変わるのは それほど――つまり 錆びついたものから趣きのある様子が現われ わびしき貧困から簡素なものの良さを引き出すというのなら その移り変わりについてそれほど――首をかしげることもないと思われます。 それでもそこに やはりヒラメキ――インスピレーションですね――が介在することもあったのではないかと 思い入れをして見ようとしています。 あとは おっしゃるように 人びとが 自然とどう交わって来たかに・つまりあるいは 人は日本の自然とどのようにつき合って来たかに応じて 或る種の仕方でおのづから美意識は形作られて来たのでしょうか。 ○ 華やかな美と枯れた美 この二分法でよいのか? ○ 侘び寂びとヒラメキとの関係は如何に? こういった課題が目の前にあると言うべきでしょうか。
補足
★ ~~~ めっきり寒くなってまいりましたね。 御身お大切に。 ~~~~~ ☆ ありがとう。 わが日本のルネサンスが来ましょうから そのとき動けないということのなきよう くれぐれもおからだを大切に。(へへっ)。
>桔梗のうつくしさは いったいぜんたい へたのすけさんご自身にとって どうだったのでしょう? 実体験における深層を知りたいという逆質問のようですね。 対象の一つ以外は真空である、という きれいごとの表現だけでは物足らぬという事なのでしょう。 ご希望にそって少し記憶を辿ってみることにします。 そこで私の身に何が起きていたのか、という たぶん検証じみた事になるのでしょう。 うまく説明できるかどうか分かりませんが、やってみることにしましょう。 まずは状況的なところから入ってみたいと思います。 時と場所、私という感覚と対象との関係です。 (散文的な箇所は不要な肉付けだと解されやすいと思いますが、私なりの自然な表現だという事でご了承ください) 以下、状況の内容です。 その庭を見に行ったのは、たぶん夏も盛りを過ぎた頃だったと思います。 小さな庭門をくぐると中庭になっていて、竹垣根の仕切りなどもあって、ちょっとした別世界という風情があったと思います。 飛石を伝ってゆくと、土蔵住まいの客間の前に出て、そこの廊下からの眺めがいいように庭が造られている感じでした。 私はその廊下からいつも庭を眺めていたのですが たぶん、曇りの天気の日だったと思います。 というのは、晴れて日差しの強い日には、木の影が地面に沢山できてしまい、ちょっと見ずらい感じがするものですが その日は、そうした感じがなく、薄曇りで庭をよく見渡すことができたと思うからです。 庭の詳細まではお話すべきではないと思いますが、古い庭木につつまれた落ち着いた苔庭といった感じでした。 私がこの庭を好きだったのは、いつ見ても何となく落ち着いた感じがしていたからです。 格別に、庭の何々を見にゆこうとか思っていた訳ではありませんでした。 私が見た桔梗は庭の真ん中より少し左側にありました。 すぐ脇には伽羅の古木が重々しくあって、その枝から少し離れた苔の中にありました。 廊下に座っていた私からの距離は約2~3mぐらいだったと思います。 以前から、そこに桔梗があることは知っていましたが、咲いている事は知らずに見にいったわけです。 廊下から見ると、その桔梗は少し見降ろす感じに見えました。 この角度や距離といったものが、今思うと大きなポイントだったように思います。 また、曇り日で木の影がなかったこともポイントだったと思います。 光琳の杜若図にしろ、抱一の風雨草花図にしろ 対象がほどよく見える大きさで描かれています。 また、少し上からの視線をもとに描かれています。 そこには、絵を見ることを前提とした、距離感や角度や描く大きさの設定といったものがあるように思います。 また、影を描かないことも見やすくする方法だと思います。 これらのことは、絵画的手法の常識なのかもしれませんが、私にとっては今まで気が付かないことでした。 私は、こうした絵画的な美のしつらえ、条件の中に、たまたま居合わせる事になってしまったようです。 知らず知らずのうちに、一幅の桔梗の生きた絵を良い条件で見た、ということになるのでしょう。 以上が状況のあらましです。 さて、どうだったのか・・・という事ですが 体験の実際とその前後も(頑張って・・・)思いだしてみることにしましょう。 少し時間をいただきたいので、今日はこれまでとさせていただきます。 美のしつらえの中に偶然居合わせたという事と「ヒラメキ」ですか・・・ さてどうなんでしょうね。 「わび」を感じることは・・・「ヒラメキ」である・・・う~ん、どうかな? よく思いだして正直にお話することにします。 それでは、また。
お礼
へたのすけさん 注文の多いレストランですみません。ご説明をありがとうございます。さらにその中身をお待ちします。 ★ 対象の一つ〔* 桔梗の花〕以外は真空である ☆ といった絵画のごとき短歌があります。思い出しました。めったに国語カテには投稿しないのですが なぜか 次のものがあります。かなり似ているかとは思いのますので かかげてみます。 ▼ 【Q:文法的には破格なのでしょうか?】 ~~~~~ http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa6720261.html 「くれなゐの 二尺伸びたる 薔薇の芽の 針やわらかに 春雨の降る」 * 《芽》は 茎をも言うそうで 60cmほど(二尺)のものらしいです。 ☆☆(回答No.5) ~~~~~~~~~~~~~~~ くれなゐの 二尺伸びたる 薔薇の芽の 針やわらかに 春雨の降る ☆ これは まづ文の成り立ちがほとんど全部 体言(つまり名詞ないし名詞相当語句)の羅列であるかに見られます。 文末の論述用言(述語動詞)の《降る》 これも 存続法(終止形)と見るよりは 連体法(連体形)だと見られます。連体形ならそのあとに体言が来ているはずです。 ○ ・・・降る〔とき。 / ころ。 / きょうの日。 / この世界。 / ・・・〕 ☆ のようにです。だとしたらこのうたで 体言相当でない語句は 《やわらかに》だけではないでしょうか。 《春雨‐ノ》というノ格 これもむろん基本として連体法でしょう。そのあと用言の《降る》とのかかわりにおいてやっと その動作(現象)の主体として主格を担い(つまり 《春雨‐ガ 降る》となる) 動詞( V )に対して主語( S )と呼ばれる線形論理としての意味連絡を担います。 そしてこの S-V-O の意味連絡はあくまで――日本文においては―― 結果論だと言えるはずです。 つまり 文の構えとしては 主題を次から次へと言い出して行きます。行くのですが それは 極論として言えば 体言の羅列として成されて行く。こういうかたちなのだと見られます。 つまり 《二尺伸びたる》は 用言の《伸び》が述格を担うからにはその主格があるはずです。むろんそれは《薔薇の芽〔‐ガ〕》であるわけですが その意味連関は あくまであとで分かるようになっている。こうだと考えます。 つまりは 《二尺》も《伸びたる》も けっきょくみな小主題を成すべく体言として表出されている。 《くれなゐ》も《の》も《薔薇》も《芽》もみな 体言の羅列として成り立っている。とさえ見られますまいか? おそらくその一連の体言の行列に対してあたかもその並びから外れるようにわづかに波を起こし風の吹くのを感じさせるのは 《降る》という論述用言であるよりは 《やわらかに》という論述条件(副詞)なのではないでしょうか。 《降る》という語句を含めて《やわらかに》のほかはみな 図柄としては地を成している。みな体言の行列の中におさまっていて地となって背景を構成している。《降る》という現象でさえ 背景にしりぞいてしまって 動きはないかに見える。 わづかに《やわらかに》だけが 地の中に浮かび上がる図として描かれた。 何が《やわらかに》なのか? 《針が》なのだ。 と子規の目には見えていたのではないか? ~~~~~~~~~ ☆ 《〔薔薇の針が〕やわらかに》以外は真空だと 言っていますまいか? しとしと降る春雨も 子規の目には止まっていると。 ☆ ちなみにその回答No.1にて こまあすさんが投稿なさっています。 ☆ ヒラメキというより ギョギョッ! とか ムムッ? とかといったオドロキが介在していましょうか? あるいはやはり あはっ! ないし あはれ! でしょうか?
こんばんは。 また長いご返事をいただき、何らかのお答えをせねばならない立場に追い込まれているようです。 もともと不肖わたしが本来のブラジュロンさんのご質問設定をかき乱した責任がありますので、わたしなりに落とし前を付けておきたいということもございます。 美が(本流であれ傍流であれ)いのちの息吹きであるとおっしゃるその卓見についてはまことにそのとおりであると私も思います。そこで、なぜわびしいさびしいという本来の生命力の反対のようなところに日本のひとつの重要な美が生じたのかという疑問が出るのは当然ですね。それを解く鍵が日本中世の貧乏であり、当時流行した仏教の末法思想ではないだろうかというのがひとつの考え方としてあるわけです。 どんな考えも最初誰かが思い浮かべるところから始まり、それが一般化するには何らかの権威づけがなければなりません。 西行法師はもともとエリートでしたから、出家しても俗世間からは相当ちやほやされていたようです。西行だけではなく、その当時は上流の人間が出家をして歩き回ったり、山野に侘住居してなんとなく生きるというようなことが流行したようです。そういったひとたちの貧乏暮らしはもちろん宮廷でのくらしとは比べられないでしょうが、それでも当時一般の農民たちの貧乏暮らしなどとは異なって、それなりの余裕ある生き方だったのではないかと思われます。ですから彼らは貧乏の中でも自然をゆったり眺めることができ、その中で思考し、美的なものを楽しむ生活の中から生まれた感覚がわび、さびという価値観になったのでしょう。そこでは贅沢はできないのできらきらしい家具は扱えない、彼らのなけなしの財力のなかで、近くの窯元へ行って売れ残った出来損ないの茶碗のなかからこれは!というものを選んで持ち帰り、磨いているうちにそれを見た権力につながる友人の噂でそれが次第に共感を生み人気を呼んだ、ということではなかろうかと思うわけです。侘住居する人たちのなかには結構な、中央がないがしろにできない文化人が多かったのではないでしょうか。西行、兼好、長明、他にもいらっしゃりますよね。 一応ご質問にまともにお答えしたように思います。かならずしも除け者にされたひとたちがそういった文化を見出したのではなく、そこそこ権力者に近い、しかしちょっと変わり者がそういうことを言い出し、権力者たちもそれなりの文化人ですから、「おお、そういう考えも面白いぞよ(わしもあまり金がないから、その方が良い)それで行こう」ということになったのでしょうか。 最後に >(7) そしてこう問います。現代においても ワビ・サビの達人は 人知れず わんさといるのではないか? 人間社会は それでよいのか? 哲学は これに どう答えるか? わび・さびは 今でも うつくしいか? それはそのとおりでしょう。ちょっとものを斜に見るひょうげものはいつの世にもいるということですね。 ご参考になれば。
お礼
ふうーっとまづは 一息つきまして。 こまあすさん たいへん有益なご説明をいただきありがとうございます。 このスレ全体がかかわっていますが 特には直前のへたのすけさんとのやり取りを参照していただくと 話が分かりやすいと思います。つながっています。 § 1 とは言うものの やはり話の前提を掲げることから入ります。 ☆☆(No.18お礼欄) ~~~~~ ワビサビの美としての要素を 乱暴に取り出してみます。 (1) 《うつくしさ》とは何かにかかわるその何か。【第一次の美】 (あ) わが視界に映ったものごとの言わば構成というもの。(ほかに聴覚の場合があるらしい)。 (い) つまりは全体としても部分としてもその色かたちなどなど互いの配置具合いないしそれらの対比関係。 (う) しかもその視像がわが心の悩みや悲しみやの傾き(もしくは傾きのない秩序としてのやすらかさ)と響き合うような構成であること。 (え) (う)を基礎として全体を捉え合わせると こうなります。《わたし》を含めた《世界》の成り立ちについてまで その美の対象が そのうつくしいという感覚となって言わばニュートリノのごとくわたしの過去と現在とをつらぬいて 見えるようにさせ わたしと世界とを分からせてくれるということ。 (2) わたしが 美を感じるそのものごととどう係わってきているか。わたしの《生きられた時間》がどうであるか。《わたし》と――ほかの人びとをも交えた情況や環境における――美の対象との交わりの歴史。【美をめぐる背景】 (3) 社会における評価の問題。特に経済的価値にかかわるそれ。【第二次の美】 ~~~~~~~~~~~~~~~ § 2 ワビサビとしての美は 負け惜しみから生まれた。 貧乏(ワビ)になり孤独(サビ)になった言わば没落貴族が 負け惜しみのごとくに そのような生活条件のなかにあっても見い出し作り出した風流である。 わづかに孤立をまぬかれたとすればその昔のつてを伝って 権力の側に近づき その力と権威を拠り所にして自分たちの風流の美を世に広めようとした。 ★ ~~~~~~~~ ・・・ですから彼らは貧乏の中でも自然をゆったり眺めることができ、その中で思考し、美的なものを楽しむ生活の中から生まれた感覚がわび、さびという価値観になったのでしょう。 そこでは贅沢はできないのできらきらしい家具は扱えない、彼らのなけなしの財力のなかで、近くの窯元へ行って売れ残った出来損ないの茶碗のなかからこれは!というものを選んで持ち帰り、磨いているうちにそれを見た権力につながる友人の噂でそれが次第に共感を生み人気を呼んだ、ということではなかろうかと思うわけです。・・・ ~~~~~~~~~~ § 3 美とは《みづみづしい息吹き》か ★ 美が(本流であれ傍流であれ)いのちの息吹きであるとおっしゃるその卓見についてはまことにそのとおりであると私も思います。 ☆ もしこうだとするならば § 2の負け惜しみから生まれた美は どうなのか? すなわち ★ そこで、なぜわびしいさびしいという本来の生命力の反対のようなところに日本のひとつの重要な美が生じたのかという疑問が出るのは当然ですね。 ☆ こまあすさんは 次のような視点から解こうとしておられますが そして少なくとも情況証拠としては そのとおりだと考えますが 質問者としましては この《美とは〈みづみづしい息吹き〉か》の観点を第一の条件に推し立てようとしています。 ★ それを解く鍵が日本中世の貧乏であり、当時流行した仏教の末法思想ではないだろうかというのがひとつの考え方としてあるわけです。 ☆ すなわち 問い求めの焦点は こうです。 ○ 没落貴族の負け惜しみ族は わびさびの美としたその自然の風景や人為的な作品に《みづみづしい息吹き》を 果たして見い出したのか? § 4 日本人の見つけ出したワビサビの美は 人為的な想像〔力〕や認識〔力〕を超えた言わばヒラメキ(インスピレーション)を宿すことが出来たか どうでしょう? どうなんでしょう? ☆☆(No.16お礼欄) ~~~~~ こころ なき身にも あはれは 知られけり 鴫立つ沢の秋の 夕暮れ (西行 新古今和歌集・秋上・362) ○ ~~~~~~~~~~~~~ 鴫が何羽か飛び立ってがさがさと音を立てている。それでもわが心はいつものように沈んでいる。 いつものことなのだけれども いまふと そこから妙にみづみづしくてしかもあたたかいものが湧き上がって来る。 ひょっとして これが 世界か? これが わたしなのか? これが 人間というものか。 ~~~~~~~~~~~~~~~~ ~~~~~~~~~~~~ ☆ この解釈によれば たとえ負け惜しみであっても そこには天与のとも言うべきヒラメキがおとづれたと言おうとしています。§ 1の(1)(え)の世界観――ものの見えたること――の問題です。 これが あったかなかったか。ここに美の問題としては――§ 1の【第一次の美】の主題にかんしては―― すべてがかかっているのではないでしょうか? ヒラメキを ブディズムのさとりにかかわらせても構わないでしょうが それはたとえば無常感が先にあってそれゆえにさとりを得たという順序では捉えていません。無常感をつねにと言うほど感じていてもよいのですが その観念を持つゆえに さとりを得たとは考えません。もしそうだとすれば そこら中にさとりの達人がいることになります。 § 5 古代人の美を考えることをとおして 《ものの見えたる》境地をとらえる じつはわたしは 中世や近世についてさして明るくなく 西行にしてもこれだけ取り上げていながら 決して詳しくはありません。 そこで古代史に事例を取ります。そこから 言わば観自在菩薩のヒラメキが 日本人にも起きたか? これを探ります。 まづ次の――必ずしも史実だとは言えないようですが――挿話を掲げます。 ○ (あだ討ちの気持ちを回転させるオホケ・ヲケ兄弟の物語)~~~ 昔昔 やまとの国では 市長(もしくは大君)の身辺でも 勢力争い・権力闘争が繰り広げられていました。 次代の首長候補の市辺忍歯(イチノへノオシハ)のミコは 対抗勢力の雄略ワカタケルによって暗殺されました。その野原にともにいたオシハの息子兄弟(双子)は 命からがら逃げて 権力を握った雄略ワカタケルから隠れて 身を長らえることにしました。 ところが オシハの血筋の飯豊青(イヒトヨノアヲ=女性)は これら兄弟を 播磨の地で探し出したと言います。迎え入れられ 二人はともに続いて首長の務めに就いたのですが そのとき 父の敵(かたき)を取らなければいけないという話が出ました。 暗殺者の雄略ワカタケルは もう死んでいました。 弟のほう(顕宗ヲケ)でしたかが 強硬派で かれが先に位に就くことを譲っていた兄(仁賢オホケ)に命じて ワカタケルの陵墓を壊せと指示しました。 仁賢オホケは 行って その陵墓の端っこを少し破壊して戻ると その旨を伝えました。弟もすんなり これを了承しました。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ § 6 あだ討ちの心を回転させることは そこに理性による思考や人為の努力を超えたヒラメキが介在したのではないか という話です。これは われわれ日本人のこころを表わしているのではないか。 《ゆづる》という精神です。ここには 二人だけではなく 日本人一般のこころにおいて 革命が生じたと言っていいのではないか。 これは さらには 《ゆづる》精神というよりは 《なにものか大自然への畏れ》といった思想であるかとも捉えられます。その意味で 美ではないかと。 首長の位に昇れなくなっただけではなく 血筋からも離れてしまったとき・その隠れ家としての播磨の土地で もし仮りに二人が うたを詠んだり陶器を作ったりしてその作品を世にうったえ これが仮りに受け容れられたとしたら それは孤立(サビ)し貧乏(ワビ)になった人間の芸術として ワビサビの美だということになるだろうか? と考えてみた場合 どういうことが言えるか? のちに首長の位に返り咲いたときの復讐心の乗り越えと同じ心構えにおいて作った美術は ワビサビを表わしていると言えるか? たぶん 返り咲きする前においては それは《負け惜しみ》による美だとは言われてしまうでしょうね。そのツテでは ワビサビだとも呼ばれ得ましょう。 ただし その美の中身は 何なのか? § 1の美の要素分析に照らして どうなのか? 世界を自在に観るという観自在菩薩(または観音菩薩)としてのはたらきを そのインスピレーションにおいて 持ち得なかったか? こういう問いに代えることが出来ると思います。 言いかえると にわかには答えが出ないでしょうから 問題提起になると思います。 § 7 復讐回避の物語(イチノヘノオシハ事件)の後日談を添えます。 ○ 暗殺された野原の近くに 或る老婆が住んでいて じつはそのひとむかし前まだ若かったときに 暗殺の現場と その後イチノヘノオシハが埋められるところを見ていて その場所を覚えていたそうです。 じっさい果たせるかな 掘り出してみると 歯が出て来て 出っ歯(押し歯)だったので 実証することが出来たとさ という物語です。
再度失礼します。 わび・さびの実例を取り上げておきたいと思います。 ご自由に解釈なさってください。 さび、の実例です。 私の家には祖父が作った四枚の襖があります。 正確にいうと、そこに字を書いた習字の先生との共作の代物です。 かなり古びて痛んでしまったので、以前に父が表具師に頼んで直そうとした事がありました。 表具師がそれを見に来ましたが これは、このままの方がいい、古色があって張替や作り直しはしない方がいい・・・という意見でした。 で、現在もそのままになっているのですが その襖の上の方には祖父の似顔絵も飾ってあり、何となく釣り合っている感じもするので、これでいいのかもしれません。 字を書いた習字の先生のご子息も見に来たことがあります。 一字だけどうしても読めないとか、一字米一俵の値打ちがあるとか言っていました。 ですが、私にとってはそうした値打ちはどうでもいいのです。 祖父の形身として今もあるという事が貴重なのです。 薄汚れて、少し擦り切れているところもあります。 端の方には、私が子供の頃に飼っていた猫のおしっこの痕もあります。 こんな汚い襖でも、専門家が見て古色があっていいというのですから不思議なものです。 私にとっては、いわゆる「さび」の価値ではなく、祖父の遺品としての価値のあるものなのです。 猫のおしっこの痕も含めて、そこには遠い昔の時間が凝縮されているようにも思います。 その時間の内容を知らない人には、単なる「さび」としか映らないのでしょう。 時間がもたらす変化の妙麗さという客観のみがあるように思います。 美意識による評価とは客観的に確かではあっても、その反面虚しくもあるように思います。 「さび」に込められた時間の中に踏み入るとき、「さび」は美しさではなく、人それぞれに生きた証として見えてくるような感じがします。 美しさではなく、時の重味です。 美しさとして取り上げることも自由でしょう。 自由だからこそ「さび」という美が生まれたのかもしれません。 次は「わび」です。 私が昔よく行っていた旧家で出会った風景です。 旧家といっても豪邸ではなく小じんまりしたお家でしたが 中庭があって、その入口には小さな数寄屋門がありました。 明治中期の頃に造られたお庭で、低い築山が部分的にあるだけの平庭といった感じでした。 庭木もみな古い木ばかりで、地面には苔が沢山生えて、中々趣のある庭でした。 私はこの庭が好きで、よく見に行っていました。 土蔵住まいの廊下に座って、この庭を眺めていると自然と気持ちが落ち着く感じがしました。 ある時でしたが いつものように廊下に腰をかけて庭を見ていた時です。 苔一色の深い緑の中に目を惹くものがありました。 それは桔梗でした。 紫色の花が幾つか、傾いた茎の先に咲いていました。 一株の桔梗でしたが、その鮮やかさが強烈に感じられたものです。 茎は立ってはいないのです、乱れて傾いて地面に届きそうなのもあれば、少し地面から離れているものもありました。 苔の中に咲いている紫色の花が余りにも見事な感じがしました。 その時感じたのは この庭の中には、桔梗の花しかない、という不思議な感覚でした。 あとは真空のようなもので、あるようでいて無いに等しいもの・・・といった感じでした。 時間の流れも止まっているかのような感じさえしたものです。 幾つかの桔梗の花以外には何も無い、といった感じです。 私はこの時「わび」という言葉さえ思いつきませんでした。 尾形光琳の杜若図の解説の一つに、群青色の花以外は真空である、というものがあります。 真空に咲くもののみがあるという世界です。 これを「わび」と呼ぶのならば 「わび」とは全てを占めるもの、時の流れさえ止めてしまうものなのかもしれません。 また、そこに立ち会った一期一会は忘れ難いものです。 私が見たこの庭も、今は荒れて廃園のようになってしまい、昔の面影はなくなってしまいました。 思い出せば、時の移ろいの中の一瞬の煌めきのような風景でした。 仮に、毎年のようにこの眺めを見ていたとしたら印象には残らなかったと思います。 一度きりの花の輝きに出会ったという「わび」だったのだと思います。 人それぞれ体験的には違うものがあると思います。 これが「わび」「さび」だといっても、絶対は無いような気もします。 ただ、近い感覚はあるのではないでしょうか。 ご参考にしてください。
お礼
へたのすけさん 気遣っていただいてさらなるご説明をたまわり たいへんありがとうございます。 つぎのこまあすさんからの同じくていねいなご説明を受けて合わせて かなり考えました。今回は 大野晋のことばの歴史についての解説――『日本語の年輪』(1966)・その《美》の事項の中の《さびしい(プラスわびしい)》の項目――よりほかは参照せずにひとり考えていたのですが どうもまづはわたしの推測による仮説は 単なる思い入れであるようだということが分かりました。 言いかえると たぶんですが 日本人の美の歴史にかんして わびさびと言えば 言わば世の中に流通したもの(作品など)について扱っているらしいということ。その流通――つまり発端から流行するに到りしかも 広く行き渡ってひとつの思潮を形成するようになるといった流れ――についての歴史は 扱うが その《発端》ないし《起源》についての詳しいことは 必ずしも明らかにしない。特にその文学表現にしてもあるいはましてや思想内容については あまり深くは詮索しないのだと。 へたのすけさんが 今回サビとワビの具体的な事例について述べられていることは 自嘲気味といっ趣きも感じられないのでもないのですが・つまりは もっと深い美の感覚を それがあっても むしろ言わない(言葉で言ってどうなるものでもないと捉えている)ということかなとも思われるのですが もしその表面上の(言葉で表現しうるかぎりでの)中身を取り出すならば きわめて簡単なことになると考えます。 ワビサビの要素を 乱暴に取り出してみます。 (1) 《うつくしさ》とは何かにかかわるその何か。【第一次の美】 ★ ~~~~ ・・・ 苔一色の深い緑の中に目を惹くものがありました。 それは桔梗でした。 紫色の花が幾つか、傾いた茎の先に咲いていました。 一株の桔梗でしたが、その鮮やかさが強烈に感じられたものです。 ・・・ ~~~~~ ☆ 自己流の定義でしかありませんので おぎなっていただきたいのですが おそらく: (あ) わが視界に映ったものごとの言わば構成というもの。(ほかに聴覚の場合があるらしい)。 (い) つまりは全体としても部分としてもその色かたちなどなど互いの配置具合いないし対比関係。 (う) しかもその視像がわが心の悩みや悲しみやの傾き(もしくは傾きのない秩序としてのやすらかさ)と響き合うような構成であること。 (え) (う)を基礎として全体を捉え合わせると こうなります。《わたし》を含めた《世界》の成り立ちについてまで その美の対象が そのうつくしいという感覚となって言わばニュートリノのごとくわたしの過去と現在とをつらぬいて 見えるようにさせ わたしと世界とを分からせてくれること。 (2) わたしが 美を感じるそのものごととどう係わってきているか。《わたし》との交わりの歴史。【美をめぐる背景】 ★ ~~~~~ 「さび」に込められた時間の中に踏み入るとき、「さび」は美しさではなく、人それぞれに生きた証として見えてくるような感じがします。 美しさではなく、時の重味です。 ★ ~~~~~ 祖父の形身として今もあるという事が貴重なのです。 私にとっては、いわゆる「さび」の価値ではなく、祖父の遺品としての価値のあるものなのです。 ~~~~~~~ (3) 社会における評価の問題。特に経済的価値にかかわるそれ。【第二次の美】 ★ ~~~~ 字を書いた習字の先生のご子息も見に来たことがあります。 一字だけどうしても読めないとか、一字米一俵の値打ちがあるとか言っていました。 ★ ~~~~ 表具師がそれを見に来ましたが これは、このままの方がいい、古色があって張替や作り直しはしない方がいい・・・という意見でした。 ~~~~~~ * さて話を端折るかも知れませんが ワビサビについての教科書的な説明としては これら三つを全般的に扱うかとも思いますが たぶん(1)の(う)の言わば心象風景については あまり深追いはしないのではないかと思います。それを取り扱う場合には (2)の美の作者や鑑賞者の歴史――《生きられた時間》と言うと少しは しゃれていましょうか――のほうに重点を置いて見ようとするのではないか。 というのも ほかでもなく質問者がその趣旨説明で漠然とそしてまた思い入れのごとくに触れようとしていたことは (1)の(え)のけっきょく世界観としての問題なのでした。(1)の(う)をそれとして扱う場合も この(1)の(え)の思想(生活態度)の徹底的な究明としてはもう取り上げないのではないかと思われました。 つまり へたのすけさんや こまあすさん あるいはけっきょく ほかの皆さん方が――レチサンスとして言わずもがなのままに置いておくという意味合いを別とすれば――異口同音に説明しておられるワビサビの内容だということになります。 さてさて 額面どおりに失礼して 話を端折ります。 次のこまあすさんへのお応えで この続きを考えてみます。 (1)の(え)は――絵や音楽なる芸術が その美をとおして わが心と呼応し ついには時と所を飲み込んだごとくに世界を見渡せしめ わたしにわが世界観を得せしめるという美のあり方 これは―― いかんせん まぼろしであったか? これを考えます。 考えてみれば へたのすけさんと渡り合うようにしてまでやり取りした《ヒラメキ》問題 ここにけっきょくたどり着くという見方も 出来なくもありません。 《桔梗》のうつくしさは いったいぜんたい へたのすけさんご自身にとって どうだったのでしょう? これが たとえ徒労に終わろうとも いま少し問い求めてみておきたい主題です。 ここで端折る失礼については くれぐれも おゆるしあれ。 * 【Q:《ひらめき》とは そこで何が起こるコトか?】 http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa6797352.html
こんばんは わ美もさ美も自然なので美しいのだと思います。 自然なものはもっとも美しく具体がもつあらゆる側面が含まれ発揮されている。人を含め自然は古びほころび老いてゆくなら、そういう崩壊を美でないとみなしてしまうと、自らも生きて老いる人間としては自己否定になりますから、現実に時とともにゆっくりと生命力が減ることを受け入れれば静かな気持ちになります。 よく湿り雪もふり風の吹く日本の風土に適する自然の木々はゆがんでいますし、やなぎや松や年寄りの背や、そういうものは仲間なので、秋も冬も老いも夜もあるこのくにでむかしの人もいまも 虚勢としての虚飾は不自然で、みずからのイメージを実際のていどにまで去勢すると精神性における成熟へ向かうとか 神は完全であってひとは不完全だというつつしみから、たぶんどの神社の鳥居も石段もみなどこか欠けています 不完全な人間でしかないということと、老いて滅びてゆくものであるということとを受け入れると、まっさらなぴかぴかの玉などより、ゆっくり朽ちてゆく虫のしかばねなんかの方に親近感が湧き、美を感じるというか、仲間意識が湧くのだと思います。 はげた箸やせみのからや梅干しや三本あしのくもや痩せたからすなどに
お礼
しーとさん こんにちは。ご回答をありがとうございます。 そうですね。 総じて言って 自然ないし純粋自然のほうに片向きすぎてはいないでしょうか? まづかんたんなところから: ★ 神は完全であってひとは不完全だというつつしみから、たぶんどの神社の鳥居も石段もみなどこか欠けています ☆ これは初めからそのように作ったのでしょうか? そうでないとすれば 話が違うはずです。 あるいは もし神が完全であるとすれば それに合わせてきちんとその佇まいとしての神域はつくるという考えもありえます。のではないでしょうか? 質問者としてながらわたしが言いたいのは 人はその自然本性から――その本性を保ちつつも――逸れるという意志による選択も どういうわけか しでかしてしまいます。不完全と言えば そういうところでしょう。 ですから ★ 自然なものはもっとも美しく具体がもつあらゆる側面が含まれ発揮されている。 ☆ という命題には 生まれながらの自然本性としての存在(また行為能力)のあり方が含まれると同時に それだけではなく この自然の力を おのが意志によって発揮するという文化(思考)行為つまり非自然も含まれています。 むろんこの思考と判断は 自然本性に対して決してへそを曲げないという道をつらぬくということも 理論的には ありえますが 実際にはそういう人間はいないでしょう。 そうだとすると《自然》を どういう中身として捉えるかが問題になります。 《へそを曲げる前の赤子のごとき無垢自然》か それとも《へそを曲げたことから自己への帰還を得たうえで もともとの自然本性をあらためて活かそうとする人間自然(もしくは 文化自然)》かです。 と言っても けっきょく 選択の余地はありません。後者でしかありません。 ところが 世の中には《純粋》が三度の飯よりも好物な人たちがいて どうしても無垢自然であるとか――つまり聖母マリア崇拝など――あるいは 自我や我執を消滅させた至純なる境地であるとかが一番だと言って聞かず そのあとは何から何まで口から出まかせをそのあやまちに一生涯気づかずに吠え続けるという場合も出て来るようなのです。 所謂る権力の側は 人びとがそういうまぼろしにうつつを抜かしていてくれるほどありがたいことはないのですから 権力とそのインチキ宗教とは 理の当然・事の必然として つるむことになります。 今回のあなたのご回答は どうでしょうか? そのような宗教と政治の側に加担していませんか? たぶんどっぷりとは漬かっていないでしょうが それでもあやしい影はひそんでいるようでもあります。 あるいは ★ 虚勢としての虚飾は不自然で、みずからのイメージを実際のていどにまで去勢すると精神性における成熟へ向かうとか ☆ この場合などは どうなのでしょう? 無垢自然にまでは白紙還元しないのだと言っていましょうか? ★ みずからのイメージを実際のていどにまで〔去勢すると精神性における成熟へ向かうとか〕 ☆ ということは 中道を行くということでしょうか? 人間自然(つまり文化=非自然 と自然との総合)というところでしょうか? ★ 不完全な人間でしかないということと、老いて滅びてゆくものであるということとを受け入れると、まっさらなぴかぴかの玉などより、ゆっくり朽ちてゆく虫のしかばねなんかの方に親近感が湧き、美を感じるというか、仲間意識が湧くのだと思います。 ☆ たぶん この考え方だと 敗北主義に落ち入る可能性が大きいのではないでしょうか? からだは朽ちて行きますが 《人間》はますます元気になることだってありえます。屍に親近感をなぜいだかなければならないのか? それだけだったら わび・さびが 美の問題だということが見失われていませんか? 美が ちからだということを。 そうでなければ 神社をつくり鳥居も石段も仲間たちの思いにしたがって 神をまつるにふさわしい場とするというその美も むなしい。神へのきよらかなおそれにもとづき その庭をうつくしくしつらえることが むなしい。 このおそれは まさしく人間にとっての自然なのではなかったか? ★ 現実に時とともにゆっくりと生命力が減ることを受け入れれば静かな気持ちになります。 ☆ からだは言うことを聞かなくなっていきますが 生命力は老いてますますさかんということもあり得ます。それが 美の問題ではなかったか? あなたの専門ぢゃなかったか? ★ はげた箸やせみのからや梅干しや三本あしのくもや痩せたからすなどに ☆ 生命力を付与するのだというくらいに 描いてください。へへっ。
補足
余計です。 キブツ志向が 純粋志向であり 無垢自然への片向きというところでしょう。 まったくの自給自足の共同生活でなければ ほかの資本主義の世界と――特に経済生活としての――交通が避けられません。 いわゆる NPO や慈善団体にしても すべて営利目的の企業や個人の経済活動と同じ空気を吸って生きています。自分たちが 営利目的ではないと言っても まったく同じことをおこなっていることになります。そう見ないとすれば それは おばけです。 キブツも――詳しくは知りませんが―― 同じことでしょう。 あのあほから賛同を得たからと言って 軽挙妄動に走らないようにというのが 質問者の考えです。 余計でした。
すみません。 NO・6 です。 大部なご返事頂き冷や汗を書いております。 ありがとうございました。 改めてご質問を読み返し、おっしゃるとおり回答にはなっていないことを確認いたしました。 申し訳ありません。それで もうすこし書かせていただきます。 なんであれ、美というのはきわめて個人的な価値観ねんである場合が多々ありますし、先だっての小主張も成り立たないことはないわけです。ただこうやってわびさびが日本のひとつの美意識の代表格になって権威を持っている現在、ただのこじつけという論理は成り立たないことは承知しております。しかし、それが日本中世の貧乏と関係しているだろうことも私は真面目に考えております。また中世の仏教的無常観とも連携しているだろうことも定説として尊重したいと思います。 その方面から行けば、やはりわびさびの美は滅びゆくものの美、弱いものの美、ほのかに一瞬光って消え去るものの一発芸的芸術美と言えなくもないと思います。日本人はそういったいたいけない愛らしいものを昔から尊重したのでしょう。ゆがんだもの、偶然現れた窯変的美、そして冗談とお取りになられたかもしれませんが欠けた茶碗だって日本ではひとつの美となる可能性はあるわけです。現に、割れた昔の茶碗をうるしなどでつなぎ合わせたものが国宝になっている場合があるのではないでしょうか。これも冗談と取ってもらいたくないのですが、うちの近くの公立美術館でマネだかモネだか忘れましたが、たしかに真筆には違いないにせよその重要な部分が破損している半端絵画が大枚で購入されただけでなく、館内に堂々と飾られているのですから、その美もやはり崩れゆく美としてそこの館員には認定されているのでしょう。これが日本人の美意識なのです。これはわびさびとは無関係でしょうか?私だったら恥ずかしくて(資料的に保管するのは勝手ですが)とてもひと様にはみせられないものでしょう。閑話休題 こころなき 身にもあはれは しられけり 鴫立つ沢の 秋の夕暮 (西行 同上・362) 印象批評家の小林秀雄も褒めたことで有名ですが、私も好きな歌です。どんな朴念仁でもこの美しさに感動しないものはいないだろうなあ、という世捨て人の絶唱ですね。 ( C ) 見渡せば 花ももみぢも なかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮 まこれをみれば別に苫屋が特に美しいと言っているのでもないようです。秋の夕暮れでそんな崩れかけた陋屋すらも一瞬の美に浮き立ってみえることよ、その美の前には花ももみじも色あせて見えるんだなあ、という技能的な詠嘆でしょうか。 でも、こういった言語世界の美しさはわびともサビとも無関係に思えるのですがどうでしょうか。
お礼
こまあすさん お早うございます。 質問者として初めの思い入れとして述べた趣旨説明の内容は どうも浅はかであったようだと気づきました。それは こまあすさんの《本来の美観》という見方に接してのことです。 言いかえますと――これは へたのすけさんや ほかの方々からも指摘されていたようなんですけれど―― どうも二種類の美のあり方を前提していたほうがよさそうだと考えました。 華やかな美と枯れた美です。 まづは 次の写真を見てください。 ▼ 五色塚古墳 http://www.geocities.co.jp/Berkeley/8776/gosiki.html 西暦400年ごろの古墳で 出来るだけ当初の姿に復元したものです。つまり葺石を置き あとは埴輪を並べただけですが その幾何学模様だけとしても ひと言で言って《枯れた美》ではありません。古墳は一般にその後は草木の茂り放題であるわけですが 当初はまるきり違っていたと知られます。 古代人も 言ってみれば華やかなほうの美を知っていたし 求めていた。 もっともこれが 主流であったとしても 同時に枯れた美の感覚も 人びとにあったであろうとは考えます。潜在性としてでもあったであろうと。 次の絵模様は どうでしょう? ▼ 装飾古墳 (6世紀を中心にして古墳時代のもの) (トップ) http://kyuhaku.jmc.or.jp/ (文様一覧) http://kyuhaku.jmc.or.jp/index.php/1/-/-/-/-/-/-/m_frame.php 《文様を復元する》をクリックすると 鮮やかな絵模様が浮かび上がります。 こうだとすると こまあすさんに頭が上がりません。 強いて負け惜しみ――ここから 枯れた美の系統が生まれたのでしょうか?――を言うとすれば やはり《華やかな美》のほうは 目立ちたがり屋にそのファンが多いのではないか? 実際に沿って言えば 社会の階段を登って行ったお二階さんたちの好むところではないのか? とはうたがいます。 つまりは もっと悪口を言うなら 華やかな美は ひけらかしであると。権力や権威を示そうとする意図があるはずだと。古墳の被葬者は どう考えても 庶民ではなく お二階さんとしての豪族でしょう。 もっともそのようにたとえヒケラカシであっても その威力があるとしたら 庶民の中にもその系統の美を好む者が やはり多かったとも考えねばなりません。 よって 世の中には ふたつの系統の美が 同時に好まれているであろうと。 * ただし 枯れた美の系統については 隠れていたとしても根強くあるということは さらにもっと示さねばならないかも知れません。 主流ではないということ ひょっとしてその美のよさが分からないといううったえも少なくないかも知れないことから その美の中身を明らかにしておかねばなりません。(この質問は そろそろおしまいかと思っていましたのに とほほ 緒に就いたばかりとなってしまいました)。 次のくだりを取り上げましょう。 ★ ~~~~~ こころなき 身にもあはれは しられけり 鴫立つ沢の 秋の夕暮 (西行 同上・362) 印象批評家の小林秀雄も褒めたことで有名ですが、私も好きな歌です。どんな朴念仁でもこの美しさに感動しないものはいないだろうなあ、という世捨て人の絶唱ですね。 ~~~~~~ ☆ 好きな歌だとおっしゃっていますので それが ★ でも、こういった言語世界の美しさはわびともサビとも無関係に思えるのですがどうでしょうか。 ☆ だとしても まづは 枯れた美の系譜があるということだけは 確認できました。 おそらく問題は ★ 世捨て人の絶唱ですね。 ☆ この捉え方にあるでしょうね。《絶唱》でもなければ この際――世捨て人がうたったとしても そうでない人びとから好かれるからには――《世捨て人》の問題でもない。こう捉え直す必要がありはしないか? ○ 鴫が何羽か飛び立ってがさがさと音を立てているし それでもわが心はいつものように沈んでいるのだけれども そこから妙にみづみづしくてしかもあたたかいものが湧き上がって来る。これが 世界だ。これが 人間である。 ☆ とその瞬間をうたったのではないか? 世の中で寄る辺なく気落ちしてしまった者にとっても つまり人びと一般にとっても その静かな力の湧き起こるうつくしさが 作者西行と同じようになって 感じ取れるのではあるまいか? 《気落ちし 沈み込んでいる》状態は 侘び・寂びなのだと思われます。 * もうひとつ行きます。 ★ ~~~~~~~ ( C ) 見渡せば 花ももみぢも なかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮 まこれをみれば別に苫屋が特に美しいと言っているのでもないようです。秋の夕暮れでそんな崩れかけた陋屋すらも一瞬の美に浮き立ってみえることよ、その美の前には花ももみじも色あせて見えるんだなあ、という技能的な詠嘆でしょうか。 ~~~~~~~~ ☆ 検索でいくつかの解釈を拾い読みしましたが ★ その美の前には花ももみじも色あせて見えるんだなあ、という技能的な詠嘆でしょうか。 ☆ は あたらしい視点だと思いました。《花ももみぢも》の華やかな美の系統と 《浦の苫屋》の枯れた美の系統とが 照らし合わされていましょうか。たぶん こまあすさんは ご自身の好みをゆづってでも 後者に軍配を上げた。ただしそれは どうもまったく自然の振る舞いとも思えない。ゆえに《技能的な》と言わねばならなかったのかも知れません。 おそらくこうなると いのちの息吹き これを――美の要素だと仮りにしますと これを――どちらに感じるか? ここが分かれ目なのでしょうか? 華やかな《花やもみぢ》のほうか 枯れた《苫屋》のほうか。 ということは これら二つの種類が 同時に並び立つということではないか? 一気に結論づけましたが どうでしょう? * ★ 欠けた茶碗 / 破損した絵画 ☆ これらは 修復してそのあとに 元のものに備わっていた美を感じるということではないですか? もしそのままでも美としての価値があるとすれば おそらくそれはすでに市場価値と言いますか 売り買いの対象として考えられていませんか? 自然の第一次の美とは別物になって――と言っても そこから二次的に派生してくるのでしょうけれど――いませんか? ★ しかし、それ(=わびさびの美)が日本中世の貧乏と関係しているだろうことも私は真面目に考えております。 ☆ 実際に生活――世捨て人の生活――から生まれたとすれば 貧乏の問題であろうと思われます。そして 貧乏でない人にとっても 想像力の問題において 同じ主題であろうと考えられます。つまり 一般性があるであろうと。 ★ また中世の仏教的無常観とも連携しているだろうことも定説として尊重したいと思います。 ☆ なのですが――そうなのでしょうが―― ブディズムのおしえやつまりは無常感が先にあって わびさびに美を感じるようになったとは とうてい思われません。という但し書きは 必要だと見ます。湧き上がるみづみづしい息吹き これが どこからか 現われた。この事件が先だと見ます。ヒラメキですね。 ★ その方面から行けば、やはりわびさびの美は滅びゆくものの美、弱いものの美、ほのかに一瞬光って消え去るものの一発芸的芸術美と言えなくもないと思います。 ☆ と見られましょうが それが 起こりではない。こう見ます。《ほろびゆく・弱いもの》が見つけた美でしょうが やはり人間という存在にとって普遍的な心的現象をかたちづくるであろうと見ます。しかも たしかにその湧き起こる泉のごとき静かなちからは その《一瞬》のことに過ぎませんが 《ほのかに一瞬光って消え去るものの一発芸的芸術美》という捉え方とは どこか違うなと思います。 その事件としての《瞬間》が消え去っても その赤き血の流れのごときあたたかな炎(または 燠(おき))は消えません。心の燈心に火がともされたなら この火の持続性は いちどそのワビサビの美を味わったところには 一生続きましょう。そしてそのことが 誰にとっても当てはまるという普遍性を持ちましょう。 この日本人の見いだしたうつくしさは これが世界であり これが人間であるとなりませんか? つまり世界のどこに出しても ひけを取らない美学ではないでしょうか?
お礼
お早うございます。ご回答をありがとうございます。 まづは お勉強です。 ▼ (ヰキペ:ミース・ファン・デル・ローエ) ~~~ ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ(Ludwig Mies van der Rohe、1886年アーヘン - 1969年シカゴ)は、20世紀のモダニズム建築を代表する、ドイツ出身の建築家。 ル・コルビュジエ、フランク・ロイド・ライトと共に、近代建築の三大巨匠と呼ばれる(ヴァルター・グロピウスを加えて、四大巨匠とみなされることも)。 “Less is more.” (より少ないことは、より豊かなこと)という標語で知られ、近代主義建築のコンセプトの成立に貢献した建築家である。柱と梁によるラーメン構造の均質な構造体が、その内部にあらゆる機能を許容するという意味のユニヴァーサル・スペースという概念を提示した。 § 略歴 1929年のバルセロナ万国博覧会で建設されたドイツ館、バルセロナ・パヴィリオンは、鉄とガラスで構成され、大理石の壁を配したもの。モダニズムの空間を実現したものとして、建築史上有名。・・・パヴィリオンは、博覧会終了後に取り壊されたが、1986年に同じ場所に復元され、「ミース・ファン・デル・ローエ記念館」となっている。 ▼ (ヰキペ:妙喜庵)~~~~~~~~~~~~~~ § 待庵 国宝。日本最古の茶室建造物であると同時に、千利休作と信じうる唯一の現存茶室である。現在一般化している、にじり口が設けられた小間(こま)の茶室の原型かつ数奇屋建築の原型とされる。 ・・・ 茶室は切妻造杮葺きで、書院の南側に接して建つ。茶席は二畳、次の間と勝手の間を含んだ全体の広さが四畳半大という、狭小な空間である。南東隅ににじり口を開け、にじり口から見た正面に床(とこ)を設ける。室内の壁は黒ずんだ荒壁仕上げで、藁すさの見える草庵風とする。・・・ ~~~~~~~~~~~~~~~ ところで 《能舞台》は 神社に設けられた青天井の舞台が起こりであるとのこと。そして能楽は 1881年(明治14年)の能楽社の設立によって それより前の《猿楽》が名称を変えて伝え続けられたとのこと。 少しその歴史をひもといてみます。 ▼(ヰキペ:猿楽)~~~ § 奈良時代 中国大陸から、散楽と呼ばれる芸能が移入されたのが、猿楽のはじまりと考えられている。 § 平安時代 延暦元年(782年)、桓武天皇の時代に散楽戸(=散楽師の養成機関)は廃止される。朝廷の保護から外れたことにより、散楽師たちは、寺社や街角などでその芸を披露するようになった。そして散楽の芸は、他の芸能と融合していき、それぞれ独自の発展を遂げていった。 *(ぶらじゅ註) おそらく《かみやしろ(神社)》はその昔から あって そのまつり(祀り)に芸能が伴われていたと思われます。 それと散楽とが 融合していったと解しましたが。 * だとすれば――つまり 朝廷の保護から外れてみづからの生活を 営まなければならなかったというのならば―― 大きくは《わびさび》 の系譜だと思われ その歴史の一環であるようにも思われます。 このあとの § 猿楽の演じ手 の項でその身分について記されて います。 § 南北朝・室町時代 鎌倉時代の猿楽が発展し、観阿弥や世阿弥らの登場によって現在の能楽とほぼ同等の芸能としての猿楽が形作られる。 § 猿楽の演じ手 もともと猿楽は大和において「七道の者」であった。漂泊の白拍子、神子、鉢叩、猿引きらとともに下層の賎民であり同じ賎民階級の声聞師の配下にあった。・・・ * 《七道の者》と何故言われるのか 土一揆との関連で説明する 説を見かけましたが よく分かりません。 一部の猿楽の座は、社寺の庇護を得て、その祭礼の際などに芸を披露した。 最初は余興的なものとして扱われていたが、やがて社寺の祭礼の中に、猿楽が重要な要素として組み込まれるような現象も起き始めた。 社寺の由来や神仏と人々の関わり方を解説するために、猿楽の座が寸劇を演じるようなこともあった。 これらがやがて、「猿樂の能」となり、公家や武家の庇護をも得つつ、能や狂言に発展していったと言われている。 ~~~~~~~~~~~~ 《枯山水》については いま へたのすけさんが設問しておられますが いまのところその専門的な問いかけにも 一般にその歴史をたどることにも 手が出ないでいます。たのしみに取っておきます。 * 単純に言ってしまえば 脳細胞に書かれた歴史を黒板消しで消してしまい白紙還元するという作業 これがどこかにかかわっていましょうか。わびさびの歴史にはです。 そうして お上のほうからの引き(あるいは 贔屓筋)があるといういきさつにもなるのでしょうか。 ▼(ヰキぺ:観阿弥) ~~~~ 1375年(永和元年 1374年説もあり)に京都今熊野で観阿弥が息子の世阿弥とともに演じた猿楽能を足利義満が見物、以降、将軍はじめ有力武家、公家らの愛顧を得、観阿弥が率いる観世一座は幕府のお抱え的存在とみなされるようになる。 ~~~~~~~~~~~ * ところが・ところが この白紙還元――タブラ・ラサ / 本質直観 / 純粋意識――には まさにおっしゃるように 《人と人とのつながり・きづな》が問われなければ何にもならないということ これを忘れてはいけません。ここまででは 忘れていました。 ★ 翻って日本のわびさびを思いおこせば、"less is more"とは独自に主張し得ない心許なさを感じずにはいられないのは何故なのでしょう。 ☆ 確かに侘びしく不如意で 寂しく独りいるという境遇とその心境を通過しているのでしょうね。身分制度のさらに外の身分に落ち入るというのは かたちとしてワビサビを象徴してます。そこから立ち直るという過程を経て来ていると やはり思われます。すなわち ★ でも、どこか心和み癒されます。 ☆ 現象学的に白紙還元して行ったその先にも つまりけっきょくその純粋意識たる《超越論的主観性》においてもやはり《相互主観性 Intersubjektivitaet 》――共通感覚? あるいは 共同主観?――を見るということに到らざるを得なかった。 ★ それはやはり、少なからず対人的な関係性を重視する美徳、美意識ゆえではないでしょうか。 ☆ アウグスティヌスは この世のしがらみや愛着としての 愛の膠を それでも剥がしてでも 精神ないし《われ》に還れというとき 神の愛を介して 隣人〔どうし〕の愛を言おうとしているようです。まだるっこしい。 ★ ~~~~~~~~~ 枯山水や能舞台にしても、研ぎ澄まされた削ぎ落としの結果、人(観客)と自然や世界、物との親密性や一体感に訴えかける作用をもたらし、時としてそれが何とも心地よく感じられるのではないでしょうか。また待庵はどうでしょうね。 ~~~~~~~~~~ ☆ ですね。そして《待庵》は どうでしょう? 画像も見ましたが 説明を聞くと どうもずいぶん凝った造りのようですね。二畳なのですけれど 柱や壁の造りやあるいは天井の――工夫を凝らしたものなのでしょうけれど――贅沢なと思われるような造りになっているようにも思われます。 言いかえると 一たんすでにワビサビの思想が完成したあとの段階で 一層うつくしいものをこしらえようと思って作っているようにも思われました。 ここらあたりまででしょうかねぇ 質問者が勝手な文章をしたためうるのは。かえって中途半端になってしまいましたが あとは自然史過程にまかせることにしましょうか。つまり しばらくして閉めることにします。 重ね重ね感謝申し上げます。