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食中毒にあたった偉人
今、調べ学習をしているのですが、 食中毒にあたった 偉人はいますか?? できれば日本人がいいです(^-^;
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- siege7898
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日本人ではありませんが、参考までに 釈迦 スーカラマッタヴァという料理を食べて食中毒で亡くなっています(入滅)。
- ota58
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歌舞伎俳優 8代目坂東三津五郎 人間国宝 昭和50年 フグ中毒で急死
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%A5%E8%BB%BD%E6%89%BF%E7%A5%90 ↑ 津軽 承祐(つがる ゆきとみ) 既出の、徳川家康さんほど有名では有りませんが・・・。 (^^;ゞ その昔、修学旅行で訪れたコトが有り、この殿様の死因をガイドさんから聞き、鮮明に覚えています。 ★『桃に砂糖をかけて食べ、猛烈な下痢をして、若くして亡くなった』 そうなのです・・・。ヾ(^^; しかし、その結果、死後に一番腐敗が進み易い内臓の中が、ほぼ空っぽの状態となり、上記の説明文のように、「自然ミイラ化(死蝋)」した状態で発掘されたそうです。 私達は、防腐処置をした状態でしたが、そのミイラを拝見出来ました。 現在は、URLの説明文にも書かれてあるように、火葬にされて再び埋葬されているようですね。
- kusirosi
- ベストアンサー率32% (2838/8859)
徳川家康は、日頃から、健康に気を付け、簡素な食事、自ら薬草を煎じ薬を調合などし、73歳まで生きたが、 元和2年(1616年)1月21日、現在の駿河の田中(藤枝市)での鷹狩りの帰路、田中城で、親友の京都の豪商、茶屋四郎次郎と会い、最近、上方では、南蛮料理の鯛の天ぷら(鯛をカヤの油で揚げ、薬味としてニラを細かく刻んだものをかけて食べる、現在では南蛮焼き とされるもの)が流行していると聞き、さっそく 東海の新鮮な鯛で作らせ、皆で食べ、家康公は、お代わりまでして、楽しんだという。 が、油が悪かったのかその晩から腹痛が始まり、田中の城では充分な養生ができないと考えた家康は、急いで隠居所の駿府の城へと戻り、自らの調剤知識を活かした自家調剤の薬での治療に専念します。途中、自己流の治療を侍医が諫めたりもしたのですが、その侍医を信州に流罪にしてまで自らが信じた治療法に専念しています。しかし、高齢という事もあり、体調回復せず、衰弱し持病の胃癌が悪化、四月十七日、死亡したそうです\(^^;)。
お礼
徳川家康がそんな死に方を したなんて 全く知りませんでしたΣ(゜ロ゜ノ)ノ 参考になりました ありがとうございます^^
お礼
詳しくURLまで載せてくださり ありがとうございます^^