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原理、性質とはなんですか?

表題の通りです。 例えば、飛行機が飛ぶ原理、自転車がバランスを崩さずに走れる理由(ジャイロ効果では説明できない?)は、 未だにわかっていないそうです。 しかし、現実に飛行機は飛んでますし、自転車はバランスを崩さずに走っています。 ならもう、それはそういう性質なんです、で済む話ではないのでしょうか? そもそも原理とはなんなんでしょう? そうなるのはなぜ?→~だから。→じゃあそれはなぜ?→~だから。→そんでそれはなぜ?→…… と繰り返していけば結局どこかしらで、そういう結論に持っていかざるを得なくなるのでは、と思います。

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noname#175206
noname#175206
回答No.17

 お礼、ありがとうございます。#16他です。 >これは今ある原理は誰がどう考えてもそうに違いない、と確定している状態なのですか?  ぎっくう! 「確定」を「仮定」と言い換えれば、お見事と申し上げるよりほか、ありません。「これは原理としとこう!」と決めた方々の内心の付かれたくないところを、ピンポイントでズバリと、でしょうか。「これは原理にしとこう」と決めた人々の内心はおそらく間違いなく以下の感じであるに違いありません。 「うーん、あたしらにゃこれ以上分けられないし、分からんし。しゃあない、これ原理にしとこ。頭の切れる奴が、後から『これが原理のわけねーじゃん。ほれ、証明できるぜ』とか言うんだろうなあ。でも、あたしらじゃ限界だから、ここいらで我慢しとこ」 >それとも、未だにまだ分解できるだろ、と研究を続けている人もいるのでしょうか?  もちろんです。素粒子物理学が分かりやすいでしょうか。 「陽子と電子で最後まで来た。中性子は、陽子+電子だしな。これでゴールっと」 「あれあれ、電子は最後でいいみたいだけど、なんか陽子だか中性子だか、まだもっと小さいのからできてるみたいだし、なんか小さいのも出てる。名前、クォークとニュートリノにしとくか」 「おやおや? どうも一瞬だけ現れて消える不思議なちっちゃいのがあるみたいだ」(by 湯川博士、超有名な中間子) 「なんか、クォークとニュートリノ、種類が多いなあ。一瞬のやつら、とんでもなく重いのもあるし。あ、なんか小さいひもが一つだけあって、それのぶるぶるの仕方でいろいろ、とか考えると説明できんじゃないか? うん、行けそうだ」(ひも理論、そして超ひも理論で、宇宙論まで手を出すようになる) (そして、あーだ、こーだは未だに終わる気配もなし)  やはり、いったん「ここがゴール」と決めても、まだちっちゃく分解できると、後から気が付くことも、少なくないようなんです。  でも、本当はまだ分けられるのに、いったん「ここがゴール」と決めた人々も、そのときまでに分かったことを一生懸命考えて、ベストは尽くしたことは認めてあげなきゃいけないんでしょうね。 >ということは、歴史上は定理よりも原理のほうが先に確立された、ということですか?  ええ、そうですね。ただ、確立したというよりは、とりあえずそれ以上分からないし、まあまあ理論を作るのに行けそうだし、要はしょうがないし問題なさそうだから「妥協した」、というほうが正確かもしれません。「てこの原理」も、古代に気が付いた当時はそれ以上分からなかったのでしょう。 >ある法則が発見されても、その原理たるものが証明され、その上でその原理でもって導かれることを確認されないといけないのですか?  この場合、原理が証明されるとは、あるところより先は理屈をこねるのが(その時の関係者には)無理だけど、観測や実験が示す事実はてこでも動かないといったところでしょうか。  仕方がないから、そういうのを精選して、できるだけ少なく原理を決めちゃう(妥協するとも言う^^;)わけですね。  仕方ないけど原理にしたくないものもあります。凄く物理学を進歩させたのに。  たとえば量子力学なんですが、計算していくと、あちこちで無限大が出てきて、にっちもさっちも行かなくなってた時期がありました。  妥協について賢い人、うーん狡猾な人かもが、 「じゃあ、無限大になる、ここやそこ、実験結果の値になることにしちゃおう。できるだけ、そういうの、少なくなるようにだけど……」 としてみたら、うまく行って、またするすると量子力学の理論は発展を再開しました。この「技法」を「繰り込み」というんですが、今のところ、一応「原理」ではあるんですが、数学屋さんはもちろん、そんなの正しいと認めませんから、後ろめたい物理屋さんは「技法」と言うことが多いです。「原理」と呼ぶ物理屋さんも、妥協っぽくないよう、一生懸命に言葉を飾ってる感じが、私個人としては強く感じられます(^^;。  物理現象を、分解できるだけ分解するのも大事だけど、それ自体が最も大事というわけでなく、とにかく理論、その理論の範囲内では矛盾がない理論を作って、その理論で物理現象を説明し、さらに未知のことも予想して、実験屋さんや観測屋さんに検証を頼むのが、理論屋さんの一番大事な仕事です。  そして、原理は理論ができちゃうと、「もう基礎にした原理なんて、どうでもいいや」ということも少なくありません。  たとえば、特殊相対論では「光速度不変の原理」なるものがありますが(あとガリレイそのままの「どんな慣性系でも物理法則は同じだよ原理」があります)、そこから出発して「ローレンツ変換式」なる特殊相対論では、そこから出発すれば何でもそれで説明できる式にたどり着きます(その式自体は相対論以前に作られてましたけど)。  そこまでたどり着けば「特殊相対論の原理なんて、もう忘れて全然OK!」ということになっちゃうんですね。その二つの原理は数式、何にもありませんから、理論展開に使えませんし。  数学でもあるんですよ。「1+1=2」は、当たり前です。数学を数学として支える正しさを研究する、数学基礎論という分野があります。その分野のある有名な本では300ページを超える分量であれこれ述べた挙句、「こうして、数学では1+1=2としてよいのである」と出てきます。基礎論の人々にとって、1+1=2は定理みたいなものです。  でも、1+1=2、そんなことは何故かを理解しなくて、普通は構いませんし、実際、基礎論の人々以外は誰も気に留めません。「そんなことは、当たり前だ」と言うかわりに「そんなこと、1+1=2みたいなもんだ」と言うことすらあります。  基礎論以外の数学はそうだし、物理学は数学が神様ですけど、1+1=2は原理ですらない「当たり前」です。その他、数学で証明されてることは、物理学では「当たり前」であって、わざわざ「原理」と名付けはしません。  原理について、極論の一つとして「原理なんて当座がしのげればいいだけのもん。理論に最低限必要で使える数式さえ揃えば忘れていいしね」と言ってもいいことも多いでしょうね。使える理論こそ大事であって、原理なんて最初だけ便利な小道具にしか過ぎないと考える方がおそらくは多くのケースで正解だと、実は私自身、内心では思ってたりします(^^;。

colum
質問者

お礼

ありがとうございます。 大変よく理解出来ました。

その他の回答 (16)

noname#175206
noname#175206
回答No.16

 別の方面から、自然科学での多数派といってもいい、素朴な還元主義について、ご説明申し上げたほうがいいかもしれません。とはいえ、原理とかの意味をお尋ねですので、理学に絞ったほうが良さそうです。  生物は、生命体という極めて複雑な物を扱う学問なので、説明用サンプルとして不向きなのでパスです。  地学も同様に、地球物理学ですから、物理学に比べるとはるかに複雑なもの全体を扱っていて、やはり不向きなのでパスです。  化学は、理学の中では産業分野にとって、重要な結果を求める傾向があるし、それはもともと錬金術の思わぬ実用的産物を作り出してきたため。うーん、実学に近い立ち位置は不向きそうなのでパスです。  物理学は、実は一番物事を記述できていない癖に、「世の中は全て物理法則に従っている」なんて嘯く理屈屋。数学は自然科学でない以上、こいつだ。物理学を例にしよう。  さて、質問者様は物理屋さんが、ばたばたしてる様子をご存じ化のような表現を用いておられますので、借用します。 >そうなるのはなぜ?→~だから。→じゃあそれはなぜ?→~だから。→そんでそれはなぜ?→……  これですね。「そうなるのはなぜ?→~だから。」の繰り返し。ここで大事なのは、一つの「そうなるのはなぜ?」に対して、複数の「~だから。」が対応するところです。  どういうことか、地表付近で物が自由落下することを例に取りましょう。  最初は、誰もそういうことに興味を持っていなかったかもしれません。知られている限りで、物が落ちることに興味を抱いたのは、歴史上では古代ギリシアです。  彼らは、観測から入りました。風さえなければ(ここ、意外に大事)、鳥の羽根のような軽い物でも、鉛のような重い物でも、とにかく地面に向かう。これは簡単に理解した、というより物心ついたときから知っていた。  大事なのは、ここで「じゃあ、落ち方はどうなのか?」という疑問を抱いたことですね。観察すると、鳥の羽根より、鉛の玉のほうが速く落ちる。いろいろな重さの物で試してみて、「重い物ほど速く落ちる」という観測事実を見出した。  残念ながら、彼ら古代ギリシアの物理屋さんの祖先はここで満足してしまった。これが彼らにとって「落下の原理」になってしまった。一つの現象に一つの理由。これは、まだ自然科学の素朴な還元主義に至っていません。  ずっとこれに誰も疑問を抱かなかったけど、ガリレオはやっと、「本当にそうだろうか?」と疑問を抱いて検証する気を起こした。伝説では、ピサの斜塔から、大きさが同じの鉛玉と樫の木玉を落としたことになっていますが、実際は坂道を転がして観察したとも、振り子から気が付いたとも諸説あります。  ともかく、彼は充分重ければ重さに関係なく、自由落下する速さは同じだ、という結論に至ります。かつ、落ちる距離は落下所要時間の2乗に比例まで気が付きました。実はこれで、地表での自由落下の半分まで来ただけです。  ガリレオ自身が気が付いたのかどうか不明ですが、じゃあ羽根のように軽いものは何故ゆっくり落ちるのかについては、空気抵抗だと気が付いた人がいて、結局、地表での落下は、基本は同じ速さで落ちようとするが、空気抵抗抵抗も加味すると、軽い物は空気抵抗の影響が大きくてゆっくりになる、となりました。  そして、「じゃあ、空気を無視した落ち方と、空気が与える抵抗=風の力に分けて、考えよう」となりました。  これが、おそらくは物理学が素朴な還元主義を採用した最初の事例です。地表での物体落下について、空気を無視した、つまり真空を仮定した落下現象と、空気だけに注目した、つまり風の力だけに注目した現象、この二つに分けて別々に研究し、分かった結果を持ち寄って、再び一つにくみ上げ直して理解してみようということになったのです。  地表での物体落下について、やがては、ニュートンによって完成するニュートン力学(真空を仮定することを多用)と、それに学びつつ流体力学に分かれて行きます。  地表での物体落下現象に絞って説明しますと、ニュートン力学では、真空の3次元空間での物体の動きなどを数式化、流体力学では風速による物体の力の受け方の変化などを調べ上げて数式化しました。  両者の組み合わせ方を検討したところ、幸運なことに、両者の数式を単純に足し算すれば良いと分かりました。もちろん、実験結果と合うためにそうしたのです。実験する前には、組み合わせ方は分かっていませんでした。  こうして、地表での物体落下という一つの現象は、二つに分けて調べられ、再び一つに組み直して理解することができるようになりました。しかも、数式で。  これについて「別にそんな面倒なことしなくても、重さ別に観測して、いきなり式作ればいいじゃん」と言う人もいます。しかしそれは、二つに分けて理解し、一つに組み直す手間をかけた理解に劣るのです。  一つをいきなり定式化したら、それは地球のある標高という限定した条件でしか使えない式です。  一つを二つに分けて、それぞれ分かった後、一つに組み直した式は、重力の強さや、空気の密度を変えても、正確に落下現象を、実際に実験するまでもなく「予測」できる能力を持っています。  ある物理現象を、まとめて眺めて分からないなら分けてみる、分けてみて考えて、まだ分からなかったら、分けたものをまた分けてみて考える。こうして、分かるまで分けて行きます。一つ一つが、まあ実用上でしょうか、充分分かったといえる状態まで分けて考える。そして、たくさんの小さい分かった物が手に入る。  実は分かった気がしても、まだ分けられるなら、分けるのですけどね。ともかく、これ以上分けられないところまで突き進みます。そして、更に多数の、もう分けられない物が手に入ります。これで、分解は終了です。  今度は、来た道を正確に戻りながら、くみ上げ直して行く。もとの物理現象に組み上がるまで丹念にくみ上げ直して行く。そうして「これで分かった」と宣言します。  これが、素朴な還元主義で、基本的に自然科学は、そこまでやります。「これ以上分けられない」もので、汎用性があり、物理学にとって有益であれば、原理の候補となり、吟味の末、合格となれば原理として採用されます。これが、現在約50あるわけです。 ですので、引用させていただいた分は、自然科学の半分を言い当てています。補完すると、以下のような作業が、引用の作業のあとに行われます。 だからこうなのだ!(単数)←こうだから(複数)←こうだから(複数)←こうだから(複数)←……←もしかすると原理(複数)

colum
質問者

お礼

ありがとうございます。 >もう分けられない物が手に入ります。これで、分解は終了です。 これは今ある原理は誰がどう考えてもそうに違いない、と確定している状態なのですか? それとも、未だにまだ分解できるだろ、と研究を続けている人もいるのでしょうか? >だからこうなのだ!(単数)←こうだから(複数)←こうだから(複数)←こうだから(複数)←……←もしかすると原理(複数) ということは、歴史上は定理よりも原理のほうが先に確立された、ということですか? ある法則が発見されても、その原理たるものが証明され、その上でその原理でもって導かれることを確認されないといけないのですか?

  • AkiraHari
  • ベストアンサー率19% (255/1313)
回答No.15

#11です >詳しい説明も根拠もソースもなく、解っていますと断言されても、 >こちらはその真偽を判断できません。 そうですか。気づかれるかと思ったのですが気づきませんか。 >多くの人は解っていることを解っています 世の中の多くの人は物事の全てを理解しているわけではありません。しかし、専門家は理解し、それに基づいて作ってくれていると理解しています。例えばパソコンにしてもどうやって作るか知りません。もちろん部品を買ってきて組み立てることは比較的簡単ですからその程度はやった人もいるでしょうが、部品を作ることはできないでしょう。そうかといって、魔法で作るわけでないことくらいは理解しています。 >専門家やある程度の人は解っています 多くの人は解っていなくても、専門家はどうやって作るかを理解しているということです。作るためには理論が必要で理論上の解明もされていきます。 さて、質問者さんが出された「飛行機が飛ぶ原理」について解っているのか見てみましょう。 今の世の中は素人でも簡単にネットで検索できます。 「飛行機 原理」など、それらしい単語で検索したらいくらでも出てきます。 私も専門家ではありませんが流体力学の応用であることくらいはわかります。翼の上下で空気の流れを変え上下の圧力差を作ることにより圧力の小さい上への力を得ています。 質問者さんが解らない、疑問だというのは結構ですが、専門家が解っていない、解らないまま利用できているなどという懐疑論は成り立たないということを申し上げているのです。 例えば飛行の原理 http://www.ops.dti.ne.jp/~gotha/Aircraft/study1.html

colum
質問者

お礼

>私も専門家ではありませんが流体力学の応用であることくらいはわかります。翼の上下で空気の流れを変え上下の圧力差を作ることにより圧力の小さい上への力を得ています。 上下の圧力差を作ることで、揚力を得る、それでそれはなぜですか? どうしてそうなるのですか? そしてその理由は、どうしてそのような理由になるのですか? そして、その永劫に続く疑問はどこで中止にして、原理は解りました、ということにするのですか?

colum
質問者

補足

申し訳ありませんお礼文に対する追記です。 私が飛行機、自転車を例えとしたのが誤りのようです。 当方の無知蒙昧さによるものです本当に申し訳ないです。 ただ、今回のこの質問の真意は単純に飛行機の飛ぶ原理が知りたい、というものではないということをご理解ください。

noname#175206
noname#175206
回答No.14

 お礼、ありがとうございます。#12他です。 >一つきりでない以上、それら全てが定理に過ぎず、ただ未だ原理には至ってはいない、という結論にはならないのですね?  説明申し上げた「A, B, Cの三すくみの原理選び」で申し上げれば、三つの理論ができます。   1)Aを原理として、B, Cを定理とするA理論。   2)Bを原理として、A, Cを定理とするB理論。   3)Cを原理として、A, Bを定理とするC理論。  説明のための便宜的な仮定をおいての説明でしたが、どれか一つは理論的証明なしに無条件に原理として受け入れねば、理論は作れません。どれか一つを原理とすれば、残りは定理としてしまえます。  これら三つの理論に対して、オッカムの剃刀が使えない、つまり平等にシンプル、平易で、適用分野も同じであれば、三つの理論は等しく正しいことになります。どれを自分の研究として採用するかは、人それぞれでしょう。  その場合、もしくは、もし適用範囲は同じでもシンプル・平易さが異なってオッカムの剃刀が有効であってすら、一つの物理現象に対して、各理論の出す結論(数式であるのが普通)は、たとえ見た目は違っても、はじき出す物理量は同じになります。  もし同じにならないなら、どこかに間違いがあります(結果として、一からやり直しと言う可能性もあります)。 >現在はっきりと立証されている、最小の法則を必ず原理として定義する、という認識で構いませんか?  最小作用の原理でしょうか。それでしたら、物理学でも最大級の原理の一つといわれるほどの原理ですね。 >その場合、その原理の原理たる法則が見つかったとき、なんたらかんたらの原理はなんたらかんたらの定理、と名称を変えることになるのでしょうか?  もちろん、原理と考えられていたものが、そうですね、もっと根源的な原理が発見され、それを使って今まで原理と考えられていたものが、数学的に証明可能と判明すれば、直ちにその原理は定理となります。  おそらくですが、原理は「そこ以上がどうしても分からん。降参して、『自明だ』ということにしちゃおう。使える理論作る方が大事だし」と、物理学者は誰しも思っていて、「でも、原理なんて少なければ少ないほどいいよなあ。理想は原理がないことなんだけど」とか思ってるんじゃないかと思います。  つまり「世の中に、理論的にはだけど、分からないことなんて、もうないんだぜ!」と勝ち誇りたいということで(^^;。

回答No.13

「究極の理論」と呼ばれる超弦理論において、全ての物理定数は h(プランク定数)だけから導かれます(=全ての素粒子は量子の振動 状態として得られる)。 即ち、最小のエネルギー単位にして、不確定性原理(物事を原理的 に確定しようとすると無限不確定(=無)に発散する)の本質を持つ 量子から始まる、原理的単位の相互作用>安定反応の蓄積> 階層現象的上位の単位化>その相互作用‥‥という階層現象化 の繰り返しにおいて、「原理的に確定すると無に還元する」本質を、 現象表面的に定性化(経験的に物事を表面的に(=いい加減に) 捉える)によって、有限的存在性(=宇宙)を派生させているのです (量子>クォーク>素粒子>原子>分子>細胞>脳(=認識可能性))。 「それはどうして?」という無限の質問連鎖も、「それは本当は無い んだよ(自我仮説(記憶=時間的流れ=過去=超光速)と時空仮説 (予測=空間的広がり=未来=光速下)の相補分化)」という回答に おいて尽きる。

noname#175206
noname#175206
回答No.12

 うーん、またお邪魔します。  国語辞書、いろいろ当たってみましたが、物理学で使う「原理」の意味の記載を見つけることができませんでした。  そこで物理学ファンを含む関係者が愛用する分厚い「物理学辞典(培風館)」から、引用してみます。 -------------------------------------- 原理 一般には、ほかのものを導き出したり、ほかのものを規定するためにもととなる理のことで、ほかの法則や理論などから導き出すことのできない最も基本的な法則をいう(⇒法則)。自然科学においては、原理が基礎となってひとつの理論が形成されることが多くその理論によって得られる結果が実験によって確かめられた後、原理の正当性が立証されることになる。物理学には、原理と呼ばれるものが、約50ある。 -------------------------------------- 法則 ヨーロッパ系の語で、「法則」を表す語の語源は、いずれも「置かれた物」の意味を持っている。自然科学での法則は、自然界に置かれた物、すなわち、自然現象の間に成り立つ関係のことである。自然法則は、一般に、経験法則の性質を持っており、多くの自然現象を観察するうちに見出される規則的でかつ不変的な関係であって、自然現象を記述する種々の物理量の関係式であらわされることが多い。法則には常に厳密に成立するものもあるが、成立するための条件が必要であったり、また成立するとしても、近似的に成り立つものもある。法則の成り立たない例外を、法則の破れとよんでいる。特殊な法則は、より一般的な法則から導き出されるのが普通であり特別な問題に対して当てはまる決りは、規則といわれている。ほかの法則から演繹できない、最も基本的と考えられる法則は、公理といわれ、自明であって、かつ証明なしに真実と思われる前提のことである。 --------------------------------------  うーん、国語辞書読んでから、物理学辞典読んでみると、やっぱり偏屈ですねえ(^^;。  ところで、hitokotonusi様が仰っておられることは、多分、以下のようなことだと思います。  ある物理学分野での研究の末、A, B, Cの三つが最重要として残ることが分かったとします。どれも、実験や観測から正しいと分かっているともします。  Aを無条件に受け入れれば、Bが証明でき、さらにA, Bを使ってCも証明できることが分かったとします。  ところが、Bを無条件に受け入れてみると、同様にA, Cが証明できてしまうとします。  そして、Cを無条件に受け入れると、やはり同様にB, Aと証明できるとします。  さらに、Aは、BまたはCを使わないなら、決して証明できないとします。B, Cも同様とします。  すると、どれか一つは無条件で「原理」としなければ理論が作れない。しかし、三つ全部はもちろん、二つを無条件で「原理」とする必要もない。なぜなら、一つを無条件で「原理」と認めれば、残りの二つは証明できてしまい、「定理」で済んでしまうのですから。  こういとき、仮に出来上がる理論が同じものだとすると、最もシンプルに、最も平易に理論を作れるものがあれば、それが「一番正しい」とされ「原理」として選ばれます。そして「原理」は少なければ少ないほど「正しい」理論とされます。こういうのを俗に、「オッカムの剃刀」と呼んでいます(これ以外にも、とにかく単純で少なくするのに「オッカムの剃刀」は使われます)。  もし、シンプルさや平易さが同じであれば、出来上がる理論が適用できる範囲が最も広いものが「原理」として「一番正しい」として選ばれます。  上記の例では、三つが三すくみで、等しく「一番正しい」ので、「原理」は人それぞれ、という事態になることもあります。それが、hitokotonusi様が最初に、熱力学での状況を使って、説明なさろうとしたことなんだと思います。

colum
質問者

お礼

ありがとうございます。 > すると、どれか一つは無条件で「原理」としなければ理論が作れない。しかし、三つ全部はもちろん、二つを無条件で「原理」とする必要もない。なぜなら、一つを無条件で「原理」と認めれば、残りの二つは証明できてしまい、「定理」で済んでしまうのですから。 一つきりでない以上、それら全てが定理に過ぎず、ただ未だ原理には至ってはいない、という結論にはならないのですね? 現在はっきりと立証されている、最小の法則を必ず原理として定義する、という認識で構いませんか? また、その場合、その原理の原理たる法則が見つかったとき、なんたらかんたらの原理はなんたらかんたらの定理、と名称を変えることになるのでしょうか?

  • AkiraHari
  • ベストアンサー率19% (255/1313)
回答No.11

>例えば、飛行機が飛ぶ原理、 >自転車がバランスを崩さずに走れる理由(ジャイロ効果では説明できない?)は、 >未だにわかっていないそうです。 質問者さんが理解できていないだけで、多くの人は解っていることを解っています。 そして専門家やある程度の人は解っています。

colum
質問者

お礼

詳しい説明も根拠もソースもなく、解っていますと断言されても、 こちらはその真偽を判断できません。

回答No.10

熱力学草創期、クラウジウスさんがクラウジウスの原理を考えた。またそれとは別に、トムソンさんがトムソンの原理を考えた。これがどちらかが優れたものであればどちらかに落ちついたでしょうが、優劣がつかない全く同列のものであるためにどちらも原理として存続している。と、いうことなんですけどね。まあ、気になるなら熱力学の教科書読んでくださいな。

回答No.9

(1) Aを原理としBをその原理から導かれるものとする(Aが主、Bが副) (2) Bを原理としAをその原理から導かれるものとする(Bが主、Aが副) という二つの立場があり、どちらの優劣もつけられないためにAとBのいずれかのみを原理とすることができない、 というようなことを書いているのですが、理解できませんか?

colum
質問者

補足

>というようなことを書いているのですが、理解できませんか? 申し訳ありません。理解できません。 そのような、まるで二匹の蛇がお互いの尾を飲み込んでいるかのようなモノが存在するのですか? AからBを導き、AをBから導く、じゃあそのAとBの両者はそもそもどこから現れたんでしょうか? それらは言い換えた、見方を変えただけ、というレベルではなく根本的に、完全に違った原理なのですか?

回答No.8

>その「行き着いた」とは何を以って判断するのでしょうか? より少ない原理でどれだけ多くのものが説明できるかどうかでしょうね。 それにみんなが納得すればその原理からはじまる体系が広く認知されることになります。 歴史的な経緯でなんとなく決まってきたものなので、この条件を満たせば原理になるというような画一的な基準はおそらくないです。 一つに行き着かなかった顕著な例が熱力学第二法則で、クラウジウスの原理、トムソンの原理、カラテオドリーの原理、など、同等な原理(どれか一つを原理として採用すれば他はそこから証明できる)が乱立したままになっています。最終的には第二法則の数学的表現であるクラウジウスの不等式になるんですけどね。みんなの意見がまとまらないとこうなります。 他に、原理という名前はついていませんが、事実上原理なのがニュートンの運動の法則です。これはいわば“力の原理”で、この“力の原理”から体系づけられたのが(狭い意味の)ニュートン力学です。これをハミルトンの原理(最小作用の原理)を根本原理として再構築されると解析力学になり、解析力学の立場からはニュートンの運動方程式は導出されるものになります。これも一長一短があり一つにはまとまってません。最終的に同じ方程式が出てきますが、同じ力学で異なる原理から始まる二つの体系が併存しています。

colum
質問者

お礼

ありがとうございます。 同等の原理が複数存在するのは何故なのでしょうか? 副次的な原理、ということでしょうか、ならばその元の原理を原理とすればいいんじゃないかと思いますが。 というか、その場合は定理とか法則とかそういう表現になりませんか?

noname#175206
noname#175206
回答No.7

 お礼、ありがとうございます。#5です。 >しかし、実際ある程度のスピードがあれば運転者がいなくとも、(例えば飛び降りたり)自転車は走り続けますよね?  はい、その通りです。これは、別の力学的な仕組みですが、二輪車は倒れる方向にハンドルが向くようにできているのです。そのため、スピードがあれば、しばらく倒れません。設計側も安全のために、そういうことが起きやすいように二輪車を設計しています。  これは、単なる円盤でも同じような現象が起きます。映画のギャグなんかで時折使われますが、皆が静まり返っているパーティ会場なんかで、うっかりもののボーイが、おおきな金属製のお盆を転がしてしまう。しばらく、転がって行き、そして速度が落ちて「クワーーン、クワーン、クワン、クワクワワワ……」なんて大きな音を立てる、あれですね。  ちなみに、この現象はカオスで、力学的に解くことができない代表例として挙げられることがあります。

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