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原理、性質とはなんですか?

表題の通りです。 例えば、飛行機が飛ぶ原理、自転車がバランスを崩さずに走れる理由(ジャイロ効果では説明できない?)は、 未だにわかっていないそうです。 しかし、現実に飛行機は飛んでますし、自転車はバランスを崩さずに走っています。 ならもう、それはそういう性質なんです、で済む話ではないのでしょうか? そもそも原理とはなんなんでしょう? そうなるのはなぜ?→~だから。→じゃあそれはなぜ?→~だから。→そんでそれはなぜ?→…… と繰り返していけば結局どこかしらで、そういう結論に持っていかざるを得なくなるのでは、と思います。

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noname#175206
noname#175206
回答No.17

 お礼、ありがとうございます。#16他です。 >これは今ある原理は誰がどう考えてもそうに違いない、と確定している状態なのですか?  ぎっくう! 「確定」を「仮定」と言い換えれば、お見事と申し上げるよりほか、ありません。「これは原理としとこう!」と決めた方々の内心の付かれたくないところを、ピンポイントでズバリと、でしょうか。「これは原理にしとこう」と決めた人々の内心はおそらく間違いなく以下の感じであるに違いありません。 「うーん、あたしらにゃこれ以上分けられないし、分からんし。しゃあない、これ原理にしとこ。頭の切れる奴が、後から『これが原理のわけねーじゃん。ほれ、証明できるぜ』とか言うんだろうなあ。でも、あたしらじゃ限界だから、ここいらで我慢しとこ」 >それとも、未だにまだ分解できるだろ、と研究を続けている人もいるのでしょうか?  もちろんです。素粒子物理学が分かりやすいでしょうか。 「陽子と電子で最後まで来た。中性子は、陽子+電子だしな。これでゴールっと」 「あれあれ、電子は最後でいいみたいだけど、なんか陽子だか中性子だか、まだもっと小さいのからできてるみたいだし、なんか小さいのも出てる。名前、クォークとニュートリノにしとくか」 「おやおや? どうも一瞬だけ現れて消える不思議なちっちゃいのがあるみたいだ」(by 湯川博士、超有名な中間子) 「なんか、クォークとニュートリノ、種類が多いなあ。一瞬のやつら、とんでもなく重いのもあるし。あ、なんか小さいひもが一つだけあって、それのぶるぶるの仕方でいろいろ、とか考えると説明できんじゃないか? うん、行けそうだ」(ひも理論、そして超ひも理論で、宇宙論まで手を出すようになる) (そして、あーだ、こーだは未だに終わる気配もなし)  やはり、いったん「ここがゴール」と決めても、まだちっちゃく分解できると、後から気が付くことも、少なくないようなんです。  でも、本当はまだ分けられるのに、いったん「ここがゴール」と決めた人々も、そのときまでに分かったことを一生懸命考えて、ベストは尽くしたことは認めてあげなきゃいけないんでしょうね。 >ということは、歴史上は定理よりも原理のほうが先に確立された、ということですか?  ええ、そうですね。ただ、確立したというよりは、とりあえずそれ以上分からないし、まあまあ理論を作るのに行けそうだし、要はしょうがないし問題なさそうだから「妥協した」、というほうが正確かもしれません。「てこの原理」も、古代に気が付いた当時はそれ以上分からなかったのでしょう。 >ある法則が発見されても、その原理たるものが証明され、その上でその原理でもって導かれることを確認されないといけないのですか?  この場合、原理が証明されるとは、あるところより先は理屈をこねるのが(その時の関係者には)無理だけど、観測や実験が示す事実はてこでも動かないといったところでしょうか。  仕方がないから、そういうのを精選して、できるだけ少なく原理を決めちゃう(妥協するとも言う^^;)わけですね。  仕方ないけど原理にしたくないものもあります。凄く物理学を進歩させたのに。  たとえば量子力学なんですが、計算していくと、あちこちで無限大が出てきて、にっちもさっちも行かなくなってた時期がありました。  妥協について賢い人、うーん狡猾な人かもが、 「じゃあ、無限大になる、ここやそこ、実験結果の値になることにしちゃおう。できるだけ、そういうの、少なくなるようにだけど……」 としてみたら、うまく行って、またするすると量子力学の理論は発展を再開しました。この「技法」を「繰り込み」というんですが、今のところ、一応「原理」ではあるんですが、数学屋さんはもちろん、そんなの正しいと認めませんから、後ろめたい物理屋さんは「技法」と言うことが多いです。「原理」と呼ぶ物理屋さんも、妥協っぽくないよう、一生懸命に言葉を飾ってる感じが、私個人としては強く感じられます(^^;。  物理現象を、分解できるだけ分解するのも大事だけど、それ自体が最も大事というわけでなく、とにかく理論、その理論の範囲内では矛盾がない理論を作って、その理論で物理現象を説明し、さらに未知のことも予想して、実験屋さんや観測屋さんに検証を頼むのが、理論屋さんの一番大事な仕事です。  そして、原理は理論ができちゃうと、「もう基礎にした原理なんて、どうでもいいや」ということも少なくありません。  たとえば、特殊相対論では「光速度不変の原理」なるものがありますが(あとガリレイそのままの「どんな慣性系でも物理法則は同じだよ原理」があります)、そこから出発して「ローレンツ変換式」なる特殊相対論では、そこから出発すれば何でもそれで説明できる式にたどり着きます(その式自体は相対論以前に作られてましたけど)。  そこまでたどり着けば「特殊相対論の原理なんて、もう忘れて全然OK!」ということになっちゃうんですね。その二つの原理は数式、何にもありませんから、理論展開に使えませんし。  数学でもあるんですよ。「1+1=2」は、当たり前です。数学を数学として支える正しさを研究する、数学基礎論という分野があります。その分野のある有名な本では300ページを超える分量であれこれ述べた挙句、「こうして、数学では1+1=2としてよいのである」と出てきます。基礎論の人々にとって、1+1=2は定理みたいなものです。  でも、1+1=2、そんなことは何故かを理解しなくて、普通は構いませんし、実際、基礎論の人々以外は誰も気に留めません。「そんなことは、当たり前だ」と言うかわりに「そんなこと、1+1=2みたいなもんだ」と言うことすらあります。  基礎論以外の数学はそうだし、物理学は数学が神様ですけど、1+1=2は原理ですらない「当たり前」です。その他、数学で証明されてることは、物理学では「当たり前」であって、わざわざ「原理」と名付けはしません。  原理について、極論の一つとして「原理なんて当座がしのげればいいだけのもん。理論に最低限必要で使える数式さえ揃えば忘れていいしね」と言ってもいいことも多いでしょうね。使える理論こそ大事であって、原理なんて最初だけ便利な小道具にしか過ぎないと考える方がおそらくは多くのケースで正解だと、実は私自身、内心では思ってたりします(^^;。

colum
質問者

お礼

ありがとうございます。 大変よく理解出来ました。

その他の回答 (16)

noname#175206
noname#175206
回答No.6

 しまった、「性質」を忘れていました。こちらは、普通に国語辞書通りです(哲学用定義がありますが、そういう意味では用いません)。

noname#175206
noname#175206
回答No.5

 まあ、専門用語は偏屈ですからね。一般用語と、よく齟齬を起こします。  専門用語的に、よく問題になるようなものをあげてみます。物理学、数学の例です。ますはご質問の「原理」から。 ●原理:証明できないが、なんらかの理論において無条件で正しいとして基礎におく法則。  → 誤用例:「てこの原理」(力学的に証明できる) ----------その他の例--------------- ●定理:  原理を使って、証明できるもの。定理から定理を証明する場合も、元をたどれば原理に行きつく。  → だから「てこの定理」なら間違いでなかったけど、原理で名前が広まってしまった。 ●一般:全ての場合という意味。「普通は」といった意味ではない。 ●特異点:  数学で無限大になってしまう場合のうち、たとえば有限のある数でそれが起こるなら、その数が特異点。たとえば、1÷Xは、X=0で無限大となるので、X=0が特異点。  ブラックホールが広く知られてからは、「大きさ0、密度無限大」と思われるようになった。 ------------------------------------ >飛行機が飛ぶ原理  ベルヌーイの定理(原理ではない)の説明で使われたため、議論になりやすいものですね。それも関わっているますが、迎え角(主翼が進行方向、つまり風に対する角度)が主な要素、と培風館の物理学辞典には記載されていて、逆にベルヌーイ云々は記載がありません。 >自転車がバランスを崩さずに走れる理由  ジャイロ効果も確かにあるでしょうけど、それは補助的な物で、無視してもいいくらい。  実際は、いつも倒れようとしていて、倒れる方向に少しハンドルを向けて曲がり、慣性の法則で建て直すということを、細かく細かく繰り返して、一見安定して走っているように見えるのです。  論より証拠で、道路わきの路側帯を示す白く塗られたペンキの線、そこをはみ出さないように自転車で走ろうとしても、はみ出さないのは結構難しいです(サイクリストの修行の一つになってたりします)。

colum
質問者

お礼

細かい説明までありがとうございます。 >実際は、いつも倒れようとしていて、倒れる方向に少しハンドルを向けて曲がり、慣性の法則で建て直すということを、細かく細かく繰り返して、一見安定して走っているように見えるのです。 これは倒れないように運転者が無意識に、常に微調整を行っている、というわけですか? しかし、実際ある程度のスピードがあれば運転者がいなくとも、(例えば飛び降りたり)自転車は走り続けますよね? http://youtu.be/9ewqeheLL_I ↑こんな風に。

  • ORUKA1951
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回答No.4

「未だにわかっていないそうです。」  いえわかっています。 「と繰り返していけば結局どこかしらで、そういう結論に持っていかざるを得なくなる」  科学では、ある事象を観察した場合、それを説明しうる法則性を見つけよう{なぜ}と、実験方法・観察方法を考案し、それを繰り返してその現象を説明しうる『法則』を見出そうとします。  その法則が見つかったら、さらにそれを「説明不要の原理(真理)」からも矛盾無く説明できるように、実験や観察を繰り返していきます。  科学とは、私たちが証明できる範囲内で、物の成り立ちや物事の起きる理由を説明するための「観察→推論→実験・観察→理論」を築き上げていく手法にしか過ぎません。特に「観察→推論→実験・観察」がないと単なる迷信や信仰です。 「そういう結論に持っていかざるを得なくなる」  それこそ、科学の目指すものです。はじめに結論が無い、信じてはならない・・・それが科学です。  時間や基本相互作用( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9F%BA%E6%9C%AC%E7%9B%B8%E4%BA%92%E4%BD%9C%E7%94%A8 )の説明は出来るようになるかもしれません。  ではなぜ、「宇宙が存在するのか」「宇宙に時間が存在するのか」「なぜ、万有引力、電磁相互作用、強い相互作用、弱い相互作用」が存在するか、最終的には、「宇宙はなぜそのように出来ているか」にたどり着くのでしょうが、それは「神のみぞ知る」部分ですね。

回答No.3

>ならもう、それはそういう性質なんです、で済む話ではないのでしょうか? >と繰り返していけば結局どこかしらで、そういう結論に持っていかざるを得なくなるのでは、と思います。 要は、こうして行きついたものが原理です。 一旦それを原理として採用すれば、後はそれを逆にたどることで全て導くことができるようになります。 昔の人が色々試行錯誤した結果、証明は出来ないがAという性質がつねに自然界で成り立っていると仮定するだけで、いろいろなものごとがうまく説明できると気づいた。こういうものに原理という名前がついています。

colum
質問者

お礼

ありがとうございます。 改めて質問です、 >要は、こうして行きついたものが原理です。 その「行き着いた」とは何を以って判断するのでしょうか?

noname#194996
noname#194996
回答No.2

>結局どこかしらで、そういう結論に持っていかざるを得なくなるのでは そのとおりです。 人間は、自分が納得するために自分が理解できるもっとも単純なエレメントにまでものごとを分けて考えるくせがついていますが、これ以上分けることが出来なくなった時点でおてあげになってしまうわけです。重力とはなにか?物体とは何か?力とは何か?電気とは何か?世界とは何か?時間とは何か?皆そのあたりで壁にぶちあたってしまい、貴方のいうとおり、「そういうものですよ」「そういうようにできているんですねー」といって先にすすむことを諦めてしまうのです。かなしいことですがそれが現実だと思います(涙:)。

  • tetsumyi
  • ベストアンサー率25% (1946/7535)
回答No.1

誰が原理、理由がわかっていないと言っているのでしょうか? 物理法則できちんと説明できるので設計、製造できるのですが、 わからないという人は、その人が理解できないからそう言っているだけでしょう。

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