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「ヴェニスの商人」はご都合主義過ぎませんか?
- 「ヴェニスの商人」は、映画版を見た感想です。裁判のシーンでの契約書に関する血の流し方の根拠が不明瞭であり、正当性が疑わしい点がありました。天秤での髪の毛の量の規定や物理学的なモーメントの扱いも疑問であり、それらが人生の重大な場面であるため、より明確に言及するべきです。また、ユダヤ人に対する同情やシャイロックの娘の設定についても疑問がありました。物語全体がご都合主義的である印象を受けました。
- 「ヴェニスの商人」は映画版を見た感想です。裁判のシーンでの契約書に関する血の流し方についての根拠が不明瞭であり、正当性が疑わしい点がありました。天秤での髪の毛の量の規定や物理学的なモーメントの扱いも疑問であり、それらが人生の重大な場面であるため、より明確に言及するべきです。また、ユダヤ人に対する同情やシャイロックの娘の設定についても疑問がありました。物語全体がご都合主義的である印象を受けました。
- 「ヴェニスの商人」は映画版を鑑賞した感想です。裁判のシーンでの契約書に関する血の流し方の根拠が不明瞭であり、正当性が疑わしい点がありました。天秤での髪の毛の量の規定や物理学的なモーメントの扱いについても疑問があり、それらが人生の重大な場面であるため、明確に言及すべきです。また、ユダヤ人に対する同情やシャイロックの娘の設定についても疑問がありました。物語全体はご都合主義的であると感じました。
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質問者が選んだベストアンサー
あれはね、ユダヤ人=悪人 というシェイクスピア側の偏見で書かれたような物語なので、嫌いです。 ちょうど、昔々、力道山というプロレスラーが悪人に拳で殴られたりつま先で蹴られたり、散々反則の限りを尽くされて、・・・ またオキシキナというレフェリーが敵側の味方をしてね、日本側の反則ばかりに目を光らせて、もうダメだと観衆のイライラが絶頂に達した時に、空手チョップがたまたま当たる、その威力がすさまじくて相手が倒れたのをきっかけにして大反撃に出る、そして相手をギタギタにして勝つ、というのと同じ、しごくありふれたパターン。 私如きがナニをと言われるのは百も承知で言わせてもらえば、シナリオとしても駄作だと思います。 それが読者を熱狂させる、どんな時代でも、どんな民族でも通用する筋立てなんだ、と言われればその通りだと思うのですが、つまらん!驚きがない。 彼ほどの、天才と言われる人ならば、「なんでこんな筋だてでこんなに泣けるんだろう」とか思うようなのを書いて欲しかったです。
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- mshr1962
- ベストアンサー率39% (7417/18945)
>皆様はどう思われますか。 まず、この作品は小説ではなく、戯曲です。 上演されることを基本に書かれているので、ある程度のご都合主義は仕様がありません。 >シャイロックの娘がユダヤ教を捨て駆け落ちするという設定は必要なのか。 >論理的なキリスト教徒批判をするが誰も言い返さない。 >慈悲だとかの解説は根拠が無い精神論。 現代で見れば、あなたがそう思うのは当然だと思います。 でも、作品が書かれた時代背景を考えればいたしかたないと思います。 >肉は切り取っても良いが、契約書にない血を1滴でも流せば、契約違反として全財産を没収する。 >髪の毛1本分でも天秤がずれたら... 上記の内容は基本的に無理な話(契約)であり、最初から財産をかすめ取る為の内容です。 当時としては確認しないで契約書にサインした方が悪いということになるのでしょう。 だから、「シャイロックの要求は正しい」ということになるのです。 現代では、上記の契約書は無効となるんでしょうけどね...
お礼
戯曲だったのですね、大変失礼いたしました。 シャイロックはどうすれば良かったのかというより、この物語はどこがおかしいのかという議論の方がしっくりきますね。
- alwen25
- ベストアンサー率21% (272/1253)
私は、法律学専攻ではありませんが、 このような法解釈を見たことがあります。 肉を切り取ってもいいという契約には、 法律上、当然に血を流しても良いというものです。 >次に、最大のポイントとして髪の毛1本分でも天秤がずれたら、という点になるかと思いますが 規定の量より少なくてはいけない根拠は何か、例えば市場で他の肉を扱う際はどうなのか。 現代でも、化学天秤を使っても、完全に誤差0などということは 不可能です。
お礼
前提が分からない以上なんとも言えないですよね。 あんなおかしな状況で何で突っ込みが入らないのか、創作ならではのご都合主義じゃないのかと。 どこにでもいる小学生の書いた本でしたらそれでもいいのでしょうが世界的に評価をされているシェイクスピアはそんなものなのかとか素人ながら思ってみたり。 推理小説で「犯人はあなたです」って言った瞬間「バレてしまったのね、○年前のある日~」っていきなり犯人が語りだすレベルのビックリですよw 髪の毛一本分の誤差未満は許されるとするなら電子天秤なんかで大丈夫じゃないですかね。
- potatorooms
- ベストアンサー率28% (3506/12498)
シェイクスピアは、小説ではなく、戯曲 シナリオなので、役者の演技、監督など、舞台に関わる人たちの意図にまかされているぶぶんがあります。 ユダヤ人を悪、単純な庶民の復讐劇に描くのは、割と古い演出で、演劇や映画が資産階層のものになると、ご質問にあるような印象を残すように演じられ、今は、純粋な人間劇としてのクライマックスでの敵役の絶望感や主役の優越感など、心の激しい動きを中心に添えた演出になるみたいです。 シェイクスピアの意図を超えて、時代時代、作品ごとの考え方の違いのおもしろさが、今に残る理由なのかもしれません。 岩波文庫などで文字はほとんどの作品を読みましたが、正直、面白くはないです。この辺は、文字て読むものではないのかもしれません。
お礼
ありがとうございます。 下に重なりますがやはり資料的価値ですかね、でも映画になるくらいだか人気があるのかな。と 文化祭の劇なんかでも定番らしいです、私は知りませんでしたが。 ユダヤ人への思いはありませんので差別の項目は譲るとしても、仰る敵役の絶望感や主役の優越感は釈然とせず。納得できず。 もっと良くできていて面白いお話は何千、何万とあるだろうに何故これがー、って感じでした。 >シェイクスピアの意図を超えて、時代時代、作品ごとの考え方の違いのおもしろさが、今に残る理由なのかもしれません。 これはやはり歴史的な作品ならではの素敵なことですね。
お礼
ありがとうございます。 ボロクソ叩かれるんだろうなぁと思っていたのですが意外と皆さん同じような意見で驚きましたw この作品は学校でも何かしらで出てくると思いますので相当有名ですが傑作だから、では無いところに疑問を感じます。こんなもんに価値があるのかと。 世界史の資料的価値、例えば日本史で言う藤原元命みたいな...