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王羲之の官職について

高校生のレベルで書家・王羲之について調べているのですが、 彼は「晋書」などによると  秘書郎→会稽王友→臨川太守→寧遠将軍→  江洲刺史→護軍将軍→右軍将軍→会稽内史 というように官職を歴任したそうですが、 これはそれぞれどのような職だったのでしょうか? 簡潔で結構ですので、ご存知の方、お教えください。

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  • yashua
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回答No.1

○秘書郎   秘書省(文書、書籍を管理する役所)の役人です。   当時の貴族の子弟が、初めてつく官職としては一般的なものです。 ○会稽王友   会稽王であった司馬イク[日の下に立]の側近のようなものです。 ○臨川太守   臨川郡の長官です。   太守とは今の日本の県知事のようなものですが、中国の行政区画の単位では、   県よりも郡が上で、さらにその上が州となります。県の長官を(県)令、郡の長官を   (郡)太守、州の長官を州(刺史)と呼びます。   だいたい太守以上の官職が、高官と呼ばれます。 ○寧遠将軍   これは官職というより将軍号です。   もともとは実際に軍隊を率いる将軍であったのですが、王羲之の時代には単に名誉の   称号としてのみ用いらるようになります。   将軍号が無ければ軍隊を指揮することができないので、太守や刺史の官職につくと、   その領地の治安を維持するためにも、将軍号がしばしば同時に与えられます。   つまり「寧遠将軍→江州刺史」という順番ではなく、寧遠将軍であり、同時に江州刺史   となったとするのが正しいでしょう。   ただ寧遠将軍が、どの程度の地位名誉を表すかについてはちょっと分かりません。 ○江州刺史 江州の長官です。 ○護軍将軍   これは将軍号でもありますが、実際の役職で、中央政府の軍府(陸軍省)の長官です。 ○右軍将軍   これは将軍号です。会稽内史に伴って与えられたものです。 ○会稽内史   会稽郡の長官です。   内史とは王の領地の政治を担当する長官で、太守と同じようなものです。   会稽は会稽王の領地であるので、太守の代わりに内史がその地を治めていたのです。 以上のような説明でよろしいでしょうか。 地名の具体的な説明については省略しました。 もしご希望であれば、地名についてもまたご説明します。

ramage1776
質問者

お礼

大変わかりやすく説明していただき、ありがとうございました。とても助かりました。

その他の回答 (1)

  • naosan1229
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回答No.2

1.秘書郎  宮中の経書(図書)の補修校勘に当たる役割。 2.会稽王友  これについては、「王友」という官職(と言えるかどうかも分かりませんが)を調べてみましたが、見当たりません。 資料を見てみても、「秘書郎」から「臨川太守」となっているものしか見つからないんですよ。 3.臨川太守  臨川という地方(江西省臨川)の郡の長官で、県令・県長その他の地方官の任命権をもつ。 4.寧遠将軍  武官としての将軍の位のひとつ。 寧遠という軍の将軍。 5.江洲刺史  江洲(広東省思平市江洲)という州(郡が集まったもの)の太守の監査・監督役。 6.護軍将軍  武官としての将軍の位のひとつ 護軍という軍の将軍。ただし、寧遠将軍よりも位は上位となる。 7.右軍将軍  武官としての将軍の位のひとつ 右軍という軍の将軍。ただし護軍や寧遠軍などよりも位は上位となる。 8.会稽内史  会稽と言う郡の長官です。民を治める仕事ですね。

ramage1776
質問者

お礼

中国の官職制度についての知識がまったくないので、困り果てていました。ありがとうございました。