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人間は、自然を発見しただけなのに、

人間は、自然を発見しただけなのに、それを科学者が、拡大する。 これは、大きな、発見と。 でも、自然界では、当たり前のことだった。 それを喜んでいる科学者は? それを、今までに利用出来たのか? 原発もそうだが。 しょせん、自然界のかごの中で遊んでいるだけですよね?

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  • kyo-mogu
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回答No.2

 元々自然の力は神の力とされてきた。しかし、自然の力を理解するには知識が必要。まず自然を観察し知ることで農作物の植えるタイミングなどを見定めた。季節によって起こる現象も理解出来た。これにより防ぐ方法なども考えてきた。しかし、知るだけでは自分たちの生活は良くなりません。操る力を欲しました。特に天の動きを見定める事は国という物を動かす為の神からのメッセージと考えて居た。歴というものをしっかりするが大切としてきた。  ただ、これらを理解するには知識が必要で、その知識は自国にとっては有利だけども、他国にとっても有利なので特別な人間のみに受け継がれてきていることもある。国家機密でもあります。  生活にゆとりが出来てくると、考える事も増えてきた。発見するのではなく理解する事が科学です。宗教と科学がまだ一緒だった時代から分離するように成ってきました。それに伴って宗教と科学が対立することも。  そして錬金術という事が始まり、そこで多くの事が理解されてきました。理解して利用するという形が作られてきました。そして現代でも、理解して、その現象を利用するということは変わりません。発見というのは今まで理解出来なかった物が理解出来た事による発見です。  今、あなたがここに書き込んでいるだけでも、電気というものを知り、利用しているに過ぎません。  ただ、科学を何でも出来る魔法のように感じる人も多く、全部を理解出来ていると勘違いしている人も多いです。これが科学をおかしくさせているのだと。  遊んでいるのかもしれません、これは知識をもった人間だから知りたいという欲望と苦しむことになるのです。知恵を持つことは理解し、悩む運命なのです。  自然はそこにある。だけども全てを理解出来ていない。自然の力で感じるしかない。だから無い技術で感じることは出来ない。ただ科学者は考えて居る。自然という神の力を知りたいから。そして、人間とは何かを考えて居る。

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  • mojitto
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回答No.3

>それを喜んでいる科学者は? 質問者さまは何かを発見した喜びを知らないのですね。 科学に限らず“発見”の喜びを知らないのは、貧しいですね。 質問者さまの視界から人類の自然界における発見、それに基づく発明をなくしたら、ほとんど何も残らないでしょう。 もちろん質問者さまの服さえも。 科学の根源は知的探究心もあります。 まぁ遊びと言っても、間違いではない側面は確かにありますが… 賢さと努力と強運の持ち主が、自然界から大きな発見をします。 賢い者がそれを実益につながるように、更なる発展をさせます。 普通の者はその発展の恩恵に与ります。 そして愚か者はその発展のおこぼれに与っているにも関わらず、そのことに気付けていないので「そんなこと当たり前のことだろ?」「無駄」などと言います。 少し科学(科学史)を学べば分かりますが、発見というのは奇跡に等しいようなものです。 科学では発見というのは、“見知っている”ではなく、それを観察や論理を使って誰にでも分かるように説明することです。 (リンゴが落ちるのは当たり前。そんなものは発見ではない)

  • akibonx
  • ベストアンサー率18% (31/168)
回答No.1

生命が誕生して、何も無いところから現在がある。凄い事ではないですか。人はそれぞれの持分の中で生きてきただけの事です。

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