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自然保護 それを行う理由は何ですか?
自然保護という考えが出てきたのはそう遠くない最近ですよね? それは人間の環境破壊による影響が技術の発展とともに科学的に証明され、 そしてそれらの影響が将来的に人間に多大な影響を及ぼす、 もしくは既に取り返しのつかないことを行ってしまったからだと思います。 ただ、何故そこまで自然保護に執着するのでしょうか? 先に書いておきますが、私は自然保護には賛成です。 自然は保全よりは保護するべきだと思いますし、 その結果人間が滅んでもしょうがないとは思います。 しかし、現在の快適な環境も捨てたくはないです。 電気を使わない生活も水道水が普通に飲める生活も捨てたくはないです。 私の生活のために環境破壊が進んでいると言われても今の生活は捨てられません。 問題に戻りますが、例えば日本で絶滅した動物としてトキがいます。 日本のトキが死んだことをさも大きな問題のように言いますが、 一体何が問題なのでしょうか? 私たちの生活の中でトキが絶滅したかたと言って困ったことは何一つありません。 例のように、私たちは自然保護と口にはしても、 自然保護を行うことにどんな意味があるのか。 それに対して明確な答えを私は出せません。 自然が減っていくことは悲しいと感じるとともに、 自然が減らないと維持できない私たちの生活は捨てられない。 このジレンマを解決する方法、考えはないのでしょうか?
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- kohichiro
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貴方の論旨の誤りは A>その結果人間が滅んでもしょうがないとは思います。 多くの人はそうは考えません。もっともAはあなた流の冗談だと思いますが。 >自然保護を行うことにどんな意味があるのか。 これは一言で言えば、人間も自然の中に組み込まれてあり、地球の自然を破壊すれば(おそらく)人間も滅んでしまうだろうと考えられるからです。ですからどの程度まで自然保護保全を徹底すれば人間が巻き添えを食わずに居られるか、まだ完全には分かっていないけれど、とりあえずは現状維持を目標にしてがんばろうということになっていると思います(これだって大変むづかしいし、特に発展途上の国には辛いハードルなのですが)。 >自然が減っていくことは悲しいと感じるとともに、 自然が減らないと維持できない私たちの生活は捨てられない。 上記の目標を達成するためには、多分、日本などは近い将来生活水準を落とさねば成らないだろうと思っています。エネルギー関係で大きな発明、ブレークスルーがあれば別ですが、人類の滅亡か、生活を落とすかという2択です。 提起された問題の中で絶滅危惧種保護の事が出ていますが、これは難しいですね。ひとつは将来、人間が絶滅種から大きな利益を受けられる可能性を否定できないということ。現状としても自然の複雑なシステム、メカニズムの中でそれらがどんな働きをしているのか、解明できているものは少ないのです。アマゾンの膨大な未知の新種などではそれらの多くが薬用になる可能性もいわれています。トキなども農業には害にしかならなかったということがいわれますが、はっきりと証明できたわけではないでしょう。日本狼を鹿の淘汰のために復活させようというような議論すらあるのです。 もうひとつは道義的に人間は現存種を(可能な限り)残さねば成らないという考えです。人間は同胞である人間を殺害することを禁じています。絶滅危惧種が、あるいは人間のせいではなく絶滅する運命だったと仮定しても(その証明は困難だろうと思いますが)保護が可能だったものを見殺しにすることは、それを殲滅したことにひとしい、ということでしょう。現代版の「ノアの箱舟」という考え方ですね。
自然があまり残ってないから観光資源として屋久島とか知床とか保護してるんじゃね。保護してるから別に自然は減らないし便利な生活してていいんじゃね。(´・ω・`)
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
"自然保護 それを行う理由は何ですか? " ↑ これには、欧米キリスト教的考え方と、東洋的 考え方があります。 欧米キリスト教的考え方は、あくまでも人間中心です。 人間以外の自然は総て人間の為に存在すると考えます。 従って、この考え方によれば、自然保護はあくまでも 人間の利益に為、ということになります。 自然を破壊したら、結局人間に跳ね返ってくるので 困る。 だから自然を保護しましょう、ということです。 日本を初めとする東洋は違います。 人間は自然の一部に過ぎない、と考えます。 だから、人間を保護すること≒自然保護、という 考えになります。 ”私たちの生活の中でトキが絶滅したかたと言って困ったことは何一つありません。” ↑ トキを保護する、というのはトキは自然の象徴であり 指標だからです。 いわばコマーシャルガール、イメージガール、看板娘です。 ”自然が減っていくことは悲しいと感じるとともに、 自然が減らないと維持できない私たちの生活は捨てられない。 このジレンマを解決する方法、考えはないのでしょうか?” ↑ 科学技術しか無いと思います。 自然を減らさないで、今の生活を良くしていく。 そういう方法を創り出していけばよいのではないですか。 具体的にはそういう部門に予算をつけることでしょう。
- sutorama
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少し整理が必要かとも思います まず、トキは、自然保護でも保全でもありませんよね このような間違いは良くあることなのですが、「自然保護とはなんなのか?」が抜けてしまっていると思います つまり、それがわからずに口に出してしまっていることにも気づけると良いかと思います 例えば、潰れたゴルフ場や施設や山を自然に戻すような活動も、保護でも保全でもないわけですから、心配されている今の生活を壊すことには、直接関係ありません ので、「自然保護とはなんなのか?」、今一度、調べるチャンスではないかと思います それが、 >それに対して明確な答えを私は出せません の答えに繋がるのではないでしょうか?
- BEACHBOYS1970
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なかなか、鋭い質問と思います。 広い視野で考えれば、地球は誰のために存在するのか、またそもそも何のために我々は生まれてきたのかに 思いが至ればより良い答えが見つかるのかもしれません。 >自然が減っていくことは悲しいと感じるとともに、 自然が減らないと維持できない私たちの生活は捨てられない。 正しく、この矛盾は現代において心ある人は必ず行き当たる問題でしょう。 歴史を振り返れば、人類は誕生した当初から自然を壊す存在でした。ただ、昔は人口増加のペースも 非常に遅く、現在のように異常に増えすぎて地球存続の危機ということもなかった。 日本も江戸時代は270年ありますが、3000万人ぐらいで推移してるようですから、それくらいが 適正人口なのでしょう。それが、わずか150年程度で4倍ですから、びっくりです。 栄養が良くなった、衛生状態の改善、戦時中の埋めよ増やせよ政策に乗せられた、原因はいろいろあるでしょうがそれにしても増えすぎですね。これから減少に入るようですけど。 世界レベルでも18世紀の産業革命以降、劇的に人口が増えているようです。中世ヨーロッパ時代でもじわじわ人口が増え、森を切り開いて農地や牧地にしたため土地が足りなくなり、宗教に名を借りた十字軍を中東に派遣して残虐の限りを尽くし、領土を増やしてます(少年十字軍など純粋な気持からのものもあったが、彼らは結局奴隷として売られ悲惨な結果に終わってます)。今も昔も人間の所業は同じと痛感します。侵略するときは、自己正当化して大義名分を述べる。現在の世界見ても、なんら変わりません。 話がそれましたが、結局、そんな感じである時期までは(私の考えでは、産業革命以前の17世紀ごろ)人口も適正レベルだったのが、以降地球の許容範囲を越えて増えすぎた結果が今でしょう。 ご存知かもしれませんが、最近5、600年で滅亡した動物の種は無数です。 あなたのいうトキもそうだし、ニホンオオカミ、モア(だちょうの大きいやつ)、などなど枚挙に暇ありません。(今、すぐ出てきませんが検索してみてください)。そのほとんどが、人間による乱獲(食料、羽や皮を利用、売る)が原因です。 こんなふうに、人類は自分たちの欲望、生存のため同類同士の殺し合い、他の生き物を滅亡させる所業もしてる存在です。神がいるなら、なぜこんな惨状を放置してるのか不思議なくらいですよ。 本題に戻ります。トキに限らず、確かに絶滅しても何ら人類の生活には支障ない生き物は多いでしょう。 現在も多くの種が絶滅の危機にあります。多くは人類が原因です。 きつい言い方ですが、人間さえ存続すれば、他の生き物はどうでもいいというのはどうでしょうね。 冒頭の地球の存在意義は人間のみではないと思いますよ。 多種多様な生物が生きている星です。人間の生活に支障あるなしに関わらず、みんなこの星で生活してる仲間と考え、共存しようという広い心を持ってもらえたらうれしいですね。 最後に、ジレンマの解決方法ですが、冒頭の我々の生まれてきた意味ともつながりますけど、 ありきたりですが、ひとりひとりが他人はどうあれ、自分がよかれと思う正しい行動をとる。 自然破壊につながるようなことには反対する。電気、水道今さら捨てられませんが、普通に使う分にはなんの問題もないと思います。ただ、極力環境汚染につながらないやり方(原発でなく、自然エネルギーや従来の火力水力など)を応援する。 自然保護は、結局、その結果人類も助かるのだから重要だという論調もよく見ます。 一理ありますが、本来は人類のみならず、この地球に生きとし生けるもの全てにとって大事なことでしょう。 驕り高ぶらず、考えていきたいですね。
- ginga3104
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全くの素人のおじさんですが、これまで学んできた私なりの自然保護を意味をお伝えします。 先ず、自然保護の精神は、昔の方が強かったと思いますよ。まぁ、実際には保護と言うより「怖れ」ですがね。世界中見渡しても、原始的な暮らしをしている部族は、多かれ少なかれ自然崇拝の信仰が有り、獲物は必要分しか取りませんでしたから。わが国も近代化する前はそうでした。 で、文明の発達に伴って、その「怖れ」が、人間の力で克服出来ると思ってしまったのが、この百年位じゃ無いかしら。 でもって、想定外の人間にとって異常事態が起きて、その要因を調べて見ると、人間が現況だっったてな事が有って、改めて人のエゴが環境に与える影響の大きさを思い知らされているのが、ここ数十年ってところでしょうか。 例えば、近海でのクラゲの異常繁殖による漁業への弊害の要因には、ウミガメの減少が大きく関わって居るそうですが、その原因は亀の乱獲かと思いきや、どちらかと言えば産卵場所の減少や産卵場所に有る照明が問題なそうな。 ニッポニアニッポンの学名を持つ日本のトキの絶滅も乱獲と開発が原因とされていますが、生態の調査もしない内にあっという間に滅んでしまったので、本当のところは分かって居ませんし、トキそのものは、人間にとって(稲作にとって)はほぼ害鳥でしたから、居なくなって困らないのは当然なんですね。 一方で、種の保存としての自然保護も有りますね。詳しい数字は専門家に任せるとして、この地球の種は、年に数千万の種が消えて居るそうです。ただ、これは自然淘汰も有りますから、人間が生まれる前からこの程度の生存競争は有ったと言っても良いのですね。 では何故絶滅危惧種を保護するのか? どうやらこれにも色んな思惑が絡んで居るようですよ。 回顧主義的な想いもあるでしょうし、人が無くしたものを戻したいと言う責任感も有るでしょう。 また、それによって観光の資源にしたいだとか、絶滅危惧種を飯の種にしてる人もいるでしょう。 そして、最も大きな流れとして有るのが、将来私たち人間自体が絶滅危惧種になる前にどのようにすればそれを未然に防げるか?というのが本当のトコロのような気がしています。 つまり、今のところ私達人間は、この数百年の気候の変動の中でしか存続出来ないとても脆い種族で有る事が分かったので、慌ててとりあえず現状維持で行きましょう!というのが現実です。簡単な話、平均気温が数度変わるだけで、主食用の穀物に影響が有るので、とにもかくにも今ある種はとりあえず残す方向で!ってな感じです。 最近よく言われる、自然との共生。これも、「結局、我が身が一番」の人間ならではの良い言い回しだと思いますよ。 心配しなくとも、我々は一旦手に入れた水道や電気を手放したりはしません。それは、これほどまでに増えた人口を賄うにはその方が効率が良いからです。昔のような井戸やましてや水源から直接人が水を取る方が生態系に悪影響を及ぼします。そして、これからももっともっと利便性や快適性を追求すると思います。 ですが、その生産も経済性も含めて効率を求めていますから、次第に環境負荷を減らすことになりますので、人間がすみ良い環境をとことん追求すると、自ずと自然保護になっていくのがこれからの流れになります。 結論として、 自然保護を考える事は、人間が生き残る道を探す近道なんだと思います。
地球上にいる人間が増えすぎて地球に影響を与えています。 地球温暖化もその一つ。 植物をどんどん伐採して、勝手に人間がそこに好きなものを作っていく。 ものを作っていくことは必要かも知れませんが、 その時に必ずゴミが出ます。 そのゴミで、大気、河川、海、山、が汚れていきます。 元々汚れない予定だったものが汚れてるわけですから、地球にも変化が現れます。 人間の生み出した大量の二酸化炭素により、オゾン層が破壊され、直射日光で地球の温度が上がり、流氷が解けて、海が増えて、島が海に覆われていく。 島に生きていた虫が生きられなくなり、絶滅。 虫を食べていた小鳥などの小動物が生きられなくなり、絶滅。 小動物を食べていた生き物が絶滅。 生態系が崩れていきます。 自然界のものは、全てが、何かの糧となるのです。 無駄ものは1つもないんです。 どんな生き物も別の生き物がいないと生きていけないんです。 全部繋がってくるんです。 しかし、人間の生み出すものは人間にしか需要がありませんから、それが要らなくなってしまった場合、ゴミにしかなりません。 自然界の繋がりからはみ出しているんです。 地球目線で考えたら、人間の作るものは必要としていないんです。 最近まで人間は地球に不要なものをたくさん作っても「地球は変化しない」と思っていました。 地球がボロボロに変化していることに最近気付きました。 ボロボロになると人間も生きていけなくなります。 なので、地球に長生きしてもらうため(結局は人間が長生きしたいから)、 地球に必要な植物や動物を保護して、生態系を崩さない努力をしています。 地球に必要なものを残しつつ、人間に必要なものも残していく。それが共存です。 共存したいならこれ以上便利を求めないことです。 本来なら不要なもの(家電とか人間とか)はどんどん減らしていく努力をしなくてはいけないのですが、現在そこまでには至りません。
- Mokuzo100nenn
- ベストアンサー率18% (2123/11344)
>電気を使わない生活も(中略)捨てたくはないです。 ご立派なことです。 我々凡人にはでん気を使わない生活はなかなかできるものではありません! まあ、冗談はさておいて、質問者さんの考えかたが0か1の幼稚なレベルなのが原因で自暴自棄な発想になってしまうのだと思います。 この世の問題の大半は0か1かではなく、程度問題なのです。 質問者さんでも、普段クルマで行く所に自転車で行くとか、ハワイ旅行の代わりに八丈島旅行にするとか、牛肉を減らして鶏肉を増やすとか、暖房を止めて厚着をするとか、できることが沢山あります。 すべからく0か1かではなくて、環境負荷を減らす程度問題です。 環境負荷を減らすと言う考えが日本や欧州の先進国では普及しておりますが、いまだに米国や中国ではこの考え方自体が普及していません。 アメリカ人や中国人に対して環境負荷を減らすと言う考えを啓蒙する事でも大きな自然環境保全に繋がります。 質問者さんにおかれましては、できるだけ早く0か1かの発想を卒業して、少しでも環境負荷を減らすことの大切さに気付かれる様、お祈り申し上げます。
- toiawasedesuyo
- ベストアンサー率15% (733/4702)
54歳 男性 自然保護は未来の人たちの生活を守る事につながります 今、自然破壊が進んでいますが、すぐには影響はありません 但し、日本海側は自然破壊の影響を受け大雪になっています 地球温暖化と叫ばれていますが、日本海側は大雪 世界でも異常気象が起きていますが、ごく一部と皆 思っていますよね 私もそうです 皆の所に影響した時は地球崩壊の時です それは50年先とか100年先とか言われていますが 今の人たちは実感が無いので、質問者様の様な 質問が出るのだと思います 将来、まじめに考えないとやばいぞとなった時に 対処しても遅いかどうか、今の私たちには 分からないと思います 皆が未来に負の遺産を残さない様に すべきだと思います 一人が行う自然保護は微力ですが 人間全員が行えばすごい力になると思います ただ、少し頭がおかしい人種がテロを行っており 環境を壊しているのも事実です
- pluto1991
- ベストアンサー率30% (2017/6677)
生命の多様性です たとえば、プランクトンをイワシを食べてイワシをサメが食べてサメを鯨が食べてくじらを人間が食べて、人間のウンコをプランクトンが。。。(でたらめですが) という食物連鎖がありますね。 イワシが絶滅したらサメや人間は食べるものがなくなるわけです。人間絶滅。 まあ、でも実際はイワシがいなくなってもアジがいる。アジが絶滅してもハマチがいる。 なのかどうか知りませんがつまり代替の生物がいるから食物連鎖が切れないで人間は絶滅しないですんでいるんです。 この、イワシの代わりにアジがいる。 これが「生命の多様性」と言うんです。 じゃあ、イワシがいなくなった、そのあとアジもいなくなったらどうなりますか? そう考えていくと代替の生命はいろいろ沢山あるべきで、だから種の絶滅というのはすごく大切なことなんです。 トキもそういう食物連背の何処かでなんかの役になっていた、だからこそ大切な存在なんですね。 人間は生きるために沢山の種を絶滅に追い込みました。 そのツケはいつか人間に回ってきますね。 日本人と同じ生活をするためには地球が2個必要だ。というWWFの発表。 日本人はそれを真摯に受け止めないといけません。 それが自然保護とかサスティナブルとかの言葉の意味です。 これは不可能なことではない。 日本人はばい煙垂れ流しの工業を戒めてきれいな空気の日本を作った、中国もいずれそうなる。 人間はそういう知恵とか工夫とか努力とか、そういうのを持っている生命です。 そうやって工夫して未来は現在よりより良くなっていくはずです。 一人ひとりの意識が大切です。 質問者さんにもよろしくお願いいたします、と言いたいです。 ありがとうございました。
補足
食物連鎖というのは確かに基準になります。 しかし、私たち人間も食物連鎖の上でなければ生きられません。 食べ物を食べずに生きることは不可能ですから。 そして、どれくらいならば影響がないか、食物連鎖を崩さないかを決める基準を決めるのは私たち人間自身です。 その基準を誰も正しく決めることができないから今のような状況になったと私は思います。
補足
その程度を決めるのは誰でしょうか? 「程度」で決めるとなるとその「程度」を考えるのは人間です。 今までだって「これくらいなら平気」という「程度」の中で人間は成長してきました。 その結果が現在です。 「程度」を決めて動くのはいいですが、 その人間中心的な考えがもたらしているのが現在の環境破壊ではないのでしょうか?