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古典的な表敬方法の伝統
「大鏡」等の場合には、『地の文』へも対象作品の著者が其処の登場人物達への【表敬】を盛り込んでいるそうですね。 それでは、著者が自分の作品の登場人物への【敬意】を当該作品の『地の文』へ盛り込む遣り方は、日本の現代文でも採用されていますでしょうか? そもそも、自己の作品の世界は作者の身内に類似しているのでしょうから、「身内への表敬を外部の方々へ晒け出す応対」は【謙譲】の発想に反しているのではないか、と思われましたから、畏れ入りますが、御教授を賜れませんでしょうか?
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偉人の伝記などには、そういった表敬を盛り込むことがありえるのではないでしょうか。 それらも歴史カテゴリとなると、途端に「だ・である調」になりますが。 古文において、登場人物にも身分があって、それが作者よりも偉い人なら、当然地の文にも敬語を使う、ということだと思います。 現代には身分制度がございませんからね。地で尊敬語を使われるのは、皇室くらいのものです。
補足
有り難う御座います。 聴衆・読者達によっても表敬の対象だと見做されている立場の方が、現代日本の中では、皇室に限られている故に、たとえ実話で御座いましても、登場人物達への表敬を【地の文】へ盛り込み難くなっているのですね。