まずは『日本の美術311 十一面観音・千手観音』(至文堂)の一読をお薦めします。
初心者から研究者まで、幅広く利用しているもので、通論から最新の研究まで、ざあっと見渡せる良書です。
多分大き目の書店の日本美術コーナーを見てみれば、
殆どのところが仕入れています。または公共図書館でもすぐ見つかると思います。
もちろん、三十三間堂ほどの有名な寺院であれば、中心的に載っていますし、千手観音の成り立ちにまで触れています。
二十八部衆などであれば、
『日本の美術379 八部衆・二十八部衆』が良いでしょう。
取っ掛かりとしての情報は・・・・
三十三間堂は、後白河天皇の勅により1164年に平清盛が建てたものです。長細いお堂で、柱の間が三十三あるため三十三間堂と呼ばれます。
ご存知の通り、千手観音にはたくさんの手がありますね。それは、多くの願いを叶え、多くの人々を普く救う役割を持っているからなんです。
三十三間堂には行ったことはありますか?とてもたくさんの千手観音が並び、一体だけでも数多の欲望を叶えるというのに、それが1000体あるのですから、院政における後白河の果てしない欲求と不安感が感じられます。当時流布した末法思想も関係しているのでしょう。
あの有名な運慶が、13歳のときに作った千手観音も中には混じっています。運慶以外にも円派、院派仏師などの当代随一の仏師による仕事が見られます。
また、ここの風神・雷神は、後の俵屋宗達筆『風神雷神図』(建長寺蔵)の屏風にインスピレーションを与えたことで有名ですね。
このように、清盛と後白河は強い信頼関係を持っていたのですが、歴史上、彼らの間には権力上の争いから、対立が起こり、清盛が後白河を幽閉するに至ります。それに怒った後白河の息子・以仁王は挙兵するのですが、返り討ちに合い敗死します。しかし、一ノ谷の戦いにより結局源氏により平氏は滅びます。時間があればそこのところの絡みも見ていけば良いかな、と思います。
また、平安から鎌倉期にかけて始まる宋風の技法についても面白いところです。是非、色々と調べてみてくださいね!
お礼
すごく助かりました!早速図書館に行ってきます。実は私高校の授業で日本史習ってるんですけど、ここまで詳しいことは知りませんでした。本当にありがとうございます★