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アメリカの、第二次世界大戦中・大戦後の中国政策。
アメリカは戦中・戦後にかけて中国を支援しましたが、蒋介石だけではなく、毛沢東にも一貫して肩入れしたそうです。むしろ、蒋介石を支持したルーズベルトは例外中の例外だった、と保阪正康氏はある対談で述べています。結局、アメリカは、共産党中国をつくるためにアジアで日本と戦ったとも言える、とも語っています。 質問です。 1.アメリカはなぜ、毛沢東を支援したのですか。 2.毛沢東陣営へは、どこから(空路・陸路)どんな兵器・物資を運び込んだのですか。 3.毛沢東陣営にアメリカの軍事顧問はいましたか。 よろしくお願いします。
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1. 公式、非公式にアメリカ政府が毛沢東を支援したことはありません。 2. 確かに毛沢東軍には「米軍供与」の武器がありました。仕組みはこうです。アメリカは国民党軍を支援してかなりの武器を「貸与」という名目で実質的には無償供与していました。ところが当時の国民党ときたら今の中国共産党が生ぬるく見えるくらい腐敗がすさまじく、米軍が供与した武器がいつの間にやら横流しされて幹部の小遣い稼ぎに使われてしまったのです。その横流しされた武器が流れ流れて毛沢東軍の手元に渡った、ということは確実にあったようです。 まあこれを、「横流しを装った秘密提供」と称することもいえなくはないかなとは思います。 3. いません。ある意味、毛沢東は外国の軍隊の支援や干渉を受けることなく国内を統一したからこそあそこまでの権力を手に入れることができたのです。もちろんソ連からそれなりの支援やらなにやらは受け取ってはいましたけどね。 保阪氏が何を根拠にそんなことを言い出したのかは、ご本人に聞いてみないとわからんですね。私の個人的な見解を述べれば、アカ嫌いの妄想に基づく事実誤認だと思いますけれども。
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- paddrink
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アメリカが、中国共産党を公式に訪問したのは、1944年7月に中国共産党のメッカである延安を訪問したアメリカ軍事視察団(ディキシー・ミッション)が最初です。 当時八路軍(中国共産党)は日本人捕虜を反戦兵士として洗脳し, 日本軍に対する有効なプロパガンダ戦を展開していた. 米国は八路軍の戦略を学んで,日本兵の戦闘心をそぐことによって太平洋戦線での自軍の犠牲を減らすとともに,来るべき日本占領を円滑に進めたいと考えていた. また中国共産党も,自らを世界に宣伝する格好の機会ととらえ,視察団に進んで情報を提供した。 アメリカの調査内容は、延安リポート -アメリカ戦時情報局の対日軍事工作 山本武利編 岩波書店 900ページ 1万5千円で発売されています。 野坂参三(延安では岡野進)なる日共幹部が日本兵捕虜を短期間で思想改造に成功していることをアメリカは知って、彼への接触を重ねた。岡野も、中共側の意向を体して、積極的にアメリカに情報提供している。23名の調査団の中には、元アメリカ共産党所属の日系米人もいて、岡野との会見記録は、実に迫力に富んでいる。これらレポートの中には、戦後日本の天皇制はどうあるべきか、農地改革はどう進めるべきか 岡野進の提案こそ、戦後アメリカ進駐軍マッカーサーを大きく方向付けたのではないかと推定される。
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ご回答ありがとうございます。 >アメリカが、中国共産党を公式に訪問したのは、1944年7月に中国共産党のメッカである延安を訪問したアメリカ軍事視察団(ディキシー・ミッション)が最初です。 分かりました。 「延安レポート」を調べました。たいへん参考になりました。
- trytobe
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『保阪正康氏はある対談で』どのような歴史資料を根拠にして話したのか、 という文献リストを、保阪正康氏から直接取り寄せることで、疑いなく判明するかと思います。
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ご回答ありがとうございます。 対談相手は福田和也氏です。 福田氏は、 「毛沢東や共産党の幹部は、パール・バックの『大地』から来ているような、アメリカ人のロマンチックな中国感にピッタリとはまったのだと思います。」と応じています。 両者の認識は一致しています。
お礼
ご回答ありがとうございます。 保阪正康氏と福田和也氏の、ある総合雑誌の誌上対談ですから、信用して質問しました。 しかし、ルーズベルトが絡む話は、共和党と民主党、互いに政敵を貶めようとする思惑がありますから、うっかり信用できないということですね。 これも、「トンデモ説」の一つなのでしょうか。 考え直してみます。