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日本国憲法について質問があります。

第二次世界大戦で日本が戦争に負けた理由って何だと思いますか? 私なりに考えたのが日本は武器とか作戦が甘かったのかなって思ったのですが、いろんな人の意見が聞きたくて質問してみました。 回答よろしくお願いします。

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  • xiansui
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回答No.3

戦略や戦術では無く本質的な答えとしては、 「物量において圧倒的に差がある、アメリカに全面戦争を挑んだ事」となります。 アメリカと開戦した時点で、少々優秀な兵器や作戦があっても勝利する事はありません。 太平洋戦争開戦時(1941年12月8日)時の日米両国の国力は、参考資料により異なりますが、 (アメリカの統計資料はかなり正確に把握できますが、日本の資料は秘密にされていたものも多いためハッキリしません。) 目安としては、日本を「1」とすると、 人口「2倍」・国土面積「15倍」(満州含む)・GNP「12倍」・1人当たりの所得「18倍」となります。 石油にいたっては生産量(輸入を含む)で「32倍」の差があります。 加えて船舶建造量「7倍」・自動車製造数「53倍」と工業面でも格差があります。 (日本がアメリカと同量を産するのは「銅」のみです。) これらを考慮すると、国力差は「10倍」、計算方法によっては「50倍」位あるかもしれません。 これだけの国力差で戦争になれば、日本が幾つかの戦闘に勝利した所で最終的な勝利には結びつきません。 もちろん、色々作戦や兵器開発にも問題点がある訳ですが、個人的には「挙国一致」体制が充分でなかったのではと思っています。 政府と軍部は、民間人の労力を利用するのみで、頭脳の活用を怠ったという事です。 あらゆる分野において、専門家が中心になるのは当然で重要視されるのですが、 ・専門家が常に正しく ・将来を精確に見通し ・広い視野を持っている 訳ではありません。 欧米の軍部は民間人の頭脳を有効に活用していました。 (軍部が直面する問題を隠さず提示し、民間の頭脳集団にその解決を依頼する。) これに対し日本は「素人に何が分かる」という態度を変えませんでした。 もしかしたら、現代の日本でも「専門家の絶対視」の悪弊が残ってるのかもしれませんね。

rtwrada
質問者

お礼

自分の知らなかった事が学べました。早く回答してくださってありがとうございます。

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その他の回答 (4)

回答No.5

1.ドイツに翻弄された ソ連は敵・・・の筈だったが、同盟国ドイツが独ソ不可侵条約を締結したため、日本も日ソ不可侵条約を締結した。日本はソ連を仲間に引き入れ日独伊ソの4カ国同盟を結びたかったが、ドイツはソ連に侵攻、日本の目論見は破綻した。 2.中国は広すぎた 日中戦争は日本のゴリ押しだった。しかし広大な国土を持つ中国では、首都が陥落しても、拠点がどんどん内陸に引っ込んでいくという作戦で日本軍を疲弊させることに成功した。 3.アメリカとは国力が違いすぎた アメリカ国内には油田もあり、様々な資源が国内で採掘できる。鉄鋼生産量も段違い。もちろん工業製品の生産拠点・生産能力でも日本を凌駕していた。 4.対米戦を終わらせる作戦が無かった 日本のトップは対米戦争に勝利の見込みがないことは十分認識していた。日本はソ連を仲介として講和を結ぼうという希望的観測のもとで戦争を始めた。 5.対米開始をしたときに、日本は既に疲弊していた 日中戦争を継続したまま、日本は戦争を始めた。日中戦争で日本は既にガタガタ。列強国の政策によって資源の輸入さえほとんど出来なかった。 6.陸海軍の連携が不味かった 陸海の中が悪いのは万国共通。しかしそれらの組織をまとめる上位組織が存在しなかったため、両者はしばしば衝突し、お互いを探り合った。現場では、武器兵器の規格がバラバラで非常に融通の効かない効率の悪いものであった。 7.杜撰な作戦 真珠湾攻撃が成功したのは奇跡であった。暗号云々がよく指摘されるミッドウェイ海戦は、暗号が解読されなかったとしても作戦は失敗に終わっていたと考えられるほどの作戦だった。ちなみに日本の負け戦への転換点でミッドウェイ海戦ではなく、その前の珊瑚海海戦。 8.機動部隊運用方法が不味かった 防空システムの連携不備、航空機の利点を生かせていない運用方法、十分でない偵察・・・。南太平洋海戦では多少改善されたが、多くの損害を出し、ガダルカナル島争奪戦も苦しいものとなった。 細かいことは色々ありますが、今頭に浮かんだことを書きました...

rtwrada
質問者

お礼

早い回答ありがとうございます。さっそく友人にも教えてあげたいと思います。

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  • eroero1919
  • ベストアンサー率27% (3007/11113)
回答No.4

表題と質問内容がかなり違うのですが、質問内容の方について。 もし質問者さんがボクシングのチャンピオンとボクシングして負けたら、その理由ってなんだと思いますか?「ボクシングのチャンピオンとやってもどうやったって勝てるわけねえだろ!」と思いますでしょう?それと同じです。元々の実力差があり過ぎて多少がんばったところで勝てる相手ではないのです。 まずどこでもいわれるのが、その圧倒的な生産力の違いです。まず日本軍が開戦後に完成させた正規空母は大鳳、雲龍、天城、飛鷹、隼鷹です。大和型三番艦である信濃は厳密には試運転中だったので完成にはカウントしません。うち飛鷹と隼鷹は客船からの改造で、天城は完成したときに乗せるべき航空機(とそれだけの錬度を持つ搭乗員)がもうありませんでした。 一方、アメリカはエセックス級空母を投じましたが、完成したのがエセックス、ヨークタウン2、・・・と書いたらキリがないので数だけ挙げますが合計11隻完成させました。一番艦であるエセックスから11隻目であるオリスカニーまでの完成ペースは【2ヶ月に1隻】となります。 またさらに別名ジープ空母と呼ばれた護衛空母を大量に生産しましたが、これは【1週間に1隻】のペースとなります。さらに他に軽空母も投入したので、このアメリカの生産ペースを雑誌になぞらえて「隔月間正規空母」「週刊護衛空母」「臨時増刊軽空母」なんて言われたりします。 さらに驚くべきことは、アメリカは「本気で日本と戦っていたわけではない」ということです。どういうことかというと、元々ルーズベルト大統領にとっても米軍全体にとっても優先するべきはヨーロッパ戦線で、対日戦は「ヒトラーが片付いてから」という方針でした。ゆえに、予算も資材も人材も対ドイツ戦優先で、元々は「対日戦はドイツ戦が終わってから反撃で、それまでは防御に徹する」予定でした。 しかしアメリカ海軍のキング提督やご存知マッカーサー元帥が「ハア?防御だけ?ふざけるんじゃねえ、もっと予算よこせ!」と喚いたので仕方なくある程度反撃を認めました。 日本の軍事マニアから小説家に至るまで多くの人が間違えているのですが、ミッドウェー海戦にしてもそもそもはアメリカは出撃する予定はありませんでした。だって、ミッドウェーというのはまだハワイと1500キロも離れていて、これは東京と沖縄の間の距離にほぼ匹敵します。 しかしアメリカが反撃を決断したのは、ひとつは暗号を解読して日本軍の手の内をほぼ知っていたことと、その暗号解読の過程で日本軍が「アメリカは反撃してこない」と油断していることを知ったからでした。だから、日本を出し抜くことができると目論めたので出撃したのです。またミッドウェー開戦では「数に劣るアメリカ軍が優勢な日本軍を奇襲した」と思われているケースが多く、確かに空母の数は日本4に対してアメリカ3ですが、実は投入された航空機はほぼ同数です。そういう意味では互角の戦力でした。 さらにさらに、アメリカは日本とドイツとだけ戦っていたわけではありません。イギリス、ソ連、中国に膨大な「軍事援助」をしました。それがどのくらい膨大な量だったのかというと、イギリス軍の大戦後半の主力戦車のひとつであるシャーマン・ファイアフライ戦車のボディはアメリカ軍のM4シャーマン戦車でしたし、中国(国民党)軍は自前で武器を用意することができなかったので戦闘機から大砲から弾薬から小銃に至るまでほぼアメリカ頼み、ソ連軍はアメリカからトラックを供与されたのでトラックを作る必要がほとんどありませんでした。圧倒的な物量を誇るソ連軍の補給を支えていたのはアメリカ製トラックでした。 つまり、アメリカは「日本とほぼ単独で戦い、ドイツにも直接兵力出して戦い、イギリスとソ連と中国に膨大な量の物資を提供して戦争に勝った」のです。そのくらいに国力が圧倒的だったのです。 昔NHK特集を見たときに、当時日本陸軍の作戦課というエリート中のエリート(今なら東大を出て財務省に入ったくらいのエリート)だったおじいさんがNHKのインタビューに答えていて、「いや、戦争前に日本とアメリカの生産力がどのくらい差があるかは調べたのだ」といっていました。 「日本の生産力がこのくらい(といって手を平行に伸ばす)なのに、アメリカの生産力はこーんな(といって手を天井に伸ばす)になる。あまりにも差がありすぎてこんなバカな話があるか、何かの計算違いだろうと思っていたら、(開戦してみたら)本当にそのくらいの差になった」といっていました。 日本とアメリカのスケールの違いを知るなら、やはりアメリカに行くのが一番です。日本じゃ絶対走れない超大型トレーラーが全然大きく感じない、家が平屋建てだとバカにしているとやたらと広い、無名の単科大学(カレッジ)に行くとまったくの無名校なのに天然芝のフットボール(アメフト)場と野球場の両方がそろっている、ゲットーに信じられないくらいの大量の黒人がいる、など、何もかもスケールの違いを感じて「こんな国とは100回戦争しても絶対に勝てない」と痛感しますよ。

rtwrada
質問者

お礼

回答してくださってありがとうございます。

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noname#208901
noname#208901
回答No.2

ええっとですね。 一つは中国に満州国を築きましたよね。そこまではよかったですが、 それから中国に侵攻を開始するために、戦力を分散させてしまい、 局所局所の戦力が減ってしまって、統一した動きが取れず、 各個撃破される体制に移ってしまったこと。 で、レイテ島や、アッツ島なんかのミッドウェー海戦以降の日本の 連敗については、本土からの支援がほとんどなかったことかな。 硫黄島の総司令官に、栗林忠道中将という大変有名な指揮官が いらっしゃって、この方が硫黄島で、ベトナム戦争時と同様の、 トーチカ作戦っぽく、地中に潜り込んでゲリラ的な戦法を取った おかげで、アメリカ経済は硫黄島の戦いのため混乱に陥りました。 日本の強さをアメリカに知らしめ、日本は叩き潰すより飼いならした 方がよく、植民地にするよりは味方につけた方がよいとまでは 思ったかどうか知りませんが、とにかく日本の凄さを痛感させた 戦いが硫黄島の戦いです。おかげで日本はタイと並んで植民地 とならず、間接統治に、経済援助、同盟関係と、破格の待遇(反対派 も多いが。)を受けることができました。 私は日米安保だの難しい話はちょっと詳しくないのですが、 そしてこういった話は賛否両論ですが、帝国主義時代に支配を された中国や朝鮮、インドやアフリカ諸国などと比べると、日本へ の待遇はかなりましな方だった。ということができます。 この硫黄島の戦いにすら本土からの支援はほとんどなく、ここに 支援が送り込まれていればおそらく日本は勝っていたのではないか なと。たぶんこんな小さな島に支援を送るより本土を防衛した方が いいって思ったのかもしれないね。私もこの考えもわかるなぁ。 また満州国も満州国で、じわじわと形を持って攻め込み、そこの 統治を徹底することに力を注ぎ、新しい場所を敢えて求めることは しない方がよかったのではないかなぁ。 また、アラスカ地方にあるアリューシャン列島等も占領しようとして 、これもあまり利益のない占領政策だったと聞きます。ほとんど 氷土だっただろうしね。 抗日軍がかなり激しく来ていただろうからやっぱり日本はもっと 攻め込みたかったんだろうね。 連勝に酔った軍部の暴走がやっぱり一番の原因かなって思いますよ。 占領できたらできたでじわじわと内政を向けるべきだったのかしらん。 火ぶたが切られたらやっぱり安定なんてしないから、次々と戦の 波に飲み込まれていく。どっちが勝ちか負けかなんていう線引きは もう戦争が始まったら見えなくなっちまうもんなんですよね。 一番わかりやすいのが、抹殺です。

rtwrada
質問者

お礼

硫黄島の戦いのことをはじめて知ったので勉強になりました。回答してくださってありがとうございます。

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noname#140269
noname#140269
回答No.1

1.奢り 日本は太平洋戦争で敗北するまで戦争で負けを知りませんでした。それに、かつて何処の国の植民地にもなった事がありません。日露戦争で大国「ロシア」を負かしたのが日本を戦争には負けない。欧米列強に追い付いたという「奢り」へと思想を進ませたのでしょう。 2.兵器の進化の遅れ 日本は太平洋戦争突入の際は、既にアメリカに兵器ではかなり遅れをとっていました。これは質問者様のおっしゃる通りです。 3.情報戦の敗北 日本の暗号は殆どが解読がバレバレでした。情報戦で既に負けていた事になります。ミッドウエー海戦でもハルゼー率いる機動部隊が日本のおとり作戦の術中にはまっていた際、本来の目的であるレイテに向かっていた艦隊は、おとり作戦失敗の打電を受け、レイテ行きを回避します。この打電が誰によって成されたのかは謎とされていますが、そういった情報の混乱、そして山本五十六の飛行機が待ち伏せされて山本が戦死したのも暗号が解読されていた為です。 私は特に「情報戦の敗北」が大きいと思います。何せ作戦のやり取りはバレバレの筒抜けだったんですから。

rtwrada
質問者

お礼

情報が筒抜けだったんですね。それだったら相手の思うつぼっていうのが理解できて日本が負けてしまった理由がわかった気がします。回答してくださって本当にありがとうございます。

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