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何故、麦は炊かれなかったか?
日本人の私たちは、当たり前のように ごはんを炊いて、正確に言えば米を水で煮炊きして 食べます(アジアの結構広い地域でも同様) しかし、歴史で習った様にメソポタミアやエジプト に発し、西域では麦をわざわざ挽き、粉にしてこねて 焼いてパンにするという 面倒な作業を経て主食としていました。 手間の点からも、腹持ちの面 (これは古代では重要だったはず)でも 炊いた方が優れていると思われるのに 何故、麦は炊かれなかったのでしょうか? ご存知の方、ご教示ください
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現代のようなパンが作られ始めたのは古代エジプト時代です。このころ、小麦を醗酵させたパンが、初めは神殿への供物として、後には一般的な食料として広まりました。 それ以前のパンは平焼きパンとでも呼ぶもので、すりつぶした小麦に水を混ぜて石の上で焼くだけのものでした。 この平焼きパンは偶然作り出されたと言われています。 元々、小麦も石ですりつぶして水で煮て食べていたのですが、約6000年前の西アジアであるとき、偶然焦がしてしまったのがパンの始まりであるとされています。 では、何故、パンが主流となったのかというと; 狩猟民族であった彼ら古代西域の人々は木の机に浅い丸い穴を開けて、そこに直接焼いた肉などを入れて食べていたのですが、平焼きパンをその穴に入れて「食べることのできる皿」として使うと便利であることが広まったためといわれています。 これが、西域では一部の地域のみで小麦を煮るという食べ方をし、大半の地域ではパンとして食べるようになったきっかけであるといわれています。 以上、kawakawaでした。
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- tomoka
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これはあくまで私の考えなのですが・・・ 日本は農耕民族です。ほぼ定住していますのでお腹がすいたら(あるいは食事の時間に)米を炊いて食べればよかったのだと思います。 一方西はだいたい狩猟民族です。狩りをして生活をしていたのだから、保存がきくということが重要だったのではないでしょうか。 保存食としてパンが出来、それを主食としたのだと思います。
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ありがとうございました 確かにお米にも「強飯」という 保存携帯方法があるにはありますが 携帯・保存でパンには及びませんね。
お礼
「パンお皿説」・・・ 私の想像を超えた でも、大変ためになる回答でした 携帯性も関係があったのでしょうね ありがとうございました