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陳和卿が作ったとされる大船
陳和卿が作ったとされる大船がどんなだったか絵等は残っていないのでしょうか?
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某氏による「源実朝再考」。 堀田善衛さんの「明月記私抄」をひもとき実朝の渡宋妄想と陳和の船に触れています。 既にご承知の範疇であればskipなさってください。 http://blog.goo.ne.jp/norilino1045/e/be74fbd9c95da67ac26ae3275a440af6 内海航路の小船ならば兎も角、大陸へ行く少なくとも数十人以上の乗る船です。ただの仏師(鋳物大工) 陳和卿がこのような造船技術を持っていたのでしょうか。大船の造船には手下の技術者も沢山必要で、陳和卿に棟梁の技術力があったでしょうか。実朝が本当に宋へ行こうと考えたとは思えないし、思いつきの妄想の延長。陳和は造船について何がしかの目算があったのかも知れませんが、成り行きで造船を命じられて拒否のしようもなかった。実朝は武家としては半端、公家もどき、社会人としても世間知らず。陳和も承知の上で妄想のお付き合いをしたのかもしれません、または他に思惑があったかもしれません。結局船は進水せず失敗に終わっていますが(1216年)、私はこの造船話自体に胡散臭さを感じます。 とはいえ、遣唐使以降宋と正式の国交はありませんでしたが、平家の時期は鴻臚館貿易、鎌倉幕府は民間貿易を継続、その航海の危険、船の大きさや装備について両者とも知識はあったでしょう。そう考えれば、船の大きさは直近の遣唐使船や以降の貿易船程度と考えます。 直接的回答は有りませんが、鎌倉前後の貿易船他の解説です。 ・中世船と交易 http://blog.livedoor.jp/challengersglory1/archives/51348497.html ・鎌倉・室町時代の絵巻物から船の画像 http://www7a.biglobe.ne.jp/~yurusu240/funenogazou.htm