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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:生命について(1)-2)

生命についての深層を探る

このQ&Aのポイント
  • 生命についての質問について、精子と卵子にはそれぞれ生命があるのか、またどの時点で生命が宿るのかについて考えます。
  • 個々に生命が存在するのか、どちらか一方にのみ生命があるのか、生命の定義についても考えてみましょう。
  • 哲学・思想的な視点から、生命の意味合いや捉え方についても考えます。

質問者が選んだベストアンサー

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  • mmky
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回答No.4

○ 精子も卵子にも人間としての生命意識はありません。 精子も卵子も人間の体を複製する自己増殖生物ロボットのようなものですね。 肉体の複製がある程度進んだ時点で、操縦者の人間が乗り込むようになっているのです。 それがつわりの始まり時期ということですね。 乗り込む者が男性か女性かで性別が決まりますので、乗りこむ時期は受精後7週目前後になっていると思いますよ。誰しも生まれれば死ぬまでは操縦し続けて、死後24時間後以降に肉体ロボットから離れるというのが一般的な人間ですね。それで通夜があるのですね。

ks5518
質問者

お礼

ご回答いただきまして、ありがとうございます。 >精子も卵子にも人間としての生命意識はありません。 人間としてじゃなくても、それらの者に“生命”はあるので しょうか?それとも、外の方が言われているように“細胞” なのでしょうか? >それがつわりの始まり時期ということですね。 なるほど。おもわず納得してしまいそうです。

その他の回答 (7)

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.8

mmkyからの追伸 >>人間としてじゃなくても、それらの者に“生命”はあるのでしょうか?それとも、外の方が言われているように“細胞”なのでしょうか? 精子も卵子も細胞も生命体ですよ。細胞も寿命がありますよね。それと同じですね。 ただ、生命体といっても意識レベルの差の問題なのです。アメーバや小さな細胞だって生きていますね。それが高度な意識レベルを持つかどうかなのですね。細胞が成長して植物になったり、動物になったりする時は高い意識レベルに支配されるということなのです。この支配しているのが人間では人間意識ということですが、肉体は人間意識とは無関係に心臓や全ての臓器は動いているのですね。お腹がすくのは肉体の要求であって人間意識の要求ではないのですね。そういう意味では肉体も生命体なのですね。 肉体生命の要求を自分で考えたことのように考える人といますけど、これは全ての生き物に共通することですから、人間意識で考えることではありませんね。人間意識は食べ過ぎないよう,偏食しないようにしているだけですね。 つまり、勝手に生きている生命体を操縦しているのが人間意識ということですね。動物は人間に似ていますから、望めば大きな猫や犬として生きることも可能でしょうね。肉体は生物ロボットですから勝手に生きているといえるでしょうね。それをどう操縦するかで人の人生が決まっているわけですね。ほっておくと肉体生命に支配され人間というよりは単なる動物という人増えてますよね。食欲、性欲、睡眠欲などはその際たるものですね。人間意識が自身の体という生命体を制御できないとえらいことになるわけですが、そのような人がたくさんいるから、刑事訴訟法、警察、精神医などが必要になっているということでしょうね。

ks5518
質問者

お礼

遅くまでつまらぬ質問にお付き合いいただきまして、 ありがとうございます。 >精子も卵子も細胞も生命体ですよ。細胞も寿命がありますよね。それと同じですね。 ただ、生命体といっても意識レベルの差の問題なのです。アメーバや小さな細胞だって生きていますね。 やはり“生命”と捉えても良いのですね。

  • o-sai
  • ベストアンサー率19% (199/1001)
回答No.7

「生命の定義」は、やはり生物学ですよ。 で、お問い合わせの答は、まだ学者によって見解が異なります。 >哲学・思想的見地から、回答いただけたらと思います ということは、的外れな思い込みの答が希望なんですか? 似非哲学者や似非宗教者のつくる定義ですよ? でしたら、あなたが勝手に定義すればいいのです。 他人に問うことは哲学的ですらありません。

ks5518
質問者

お礼

ご回答いただきまして、ありがとうございます。 >でしたら、あなたが勝手に定義すればいいのです。 >他人に問うことは哲学的ですらありません。 こちらの質問は“定義する”という事ではなくて、 どういう考えがあるのかということなのですよ。 質問に対しての、御意見をいただければ結構なのです。

  • hanniyagi
  • ベストアンサー率15% (14/88)
回答No.6

「生物の世界」という本の中で、著者(今西金治?)が 「差違あって境界なし」という言葉を何度も言っていました。 猿と人間の境界はない。ボノボ、昔のピグニーチンパジーは、遺伝子的には 人類に属すると言われています。ではチンバンジーやゴリラは、人類とははっきりと 、猿、と何をもって分別、境界、を引けるのか。知能が違うのか。彼らは、人間の5歳児から 10歳児の知能を持っている、と言われ、生まれて4、5年で。なのです。 はっきりと、4,5、歳までは、猿の方が、知能が高い。と言えそうなのです。 馬など、4歳で、ダビー馬になると、何億も稼ぐ、能力?を持っているのです。 人間の4歳児よりは、体力、だけでなく。知能も上回っているのです。 人間が他の動物より、賢い、か、進化しているか、もあやうい。定義、出来ないのです。 最も進化している生命体は、大腸菌、ではないだろうかとさえ思える、との微生物研究者の 言葉もあるようです。 精子は生命か精子と同じ形態の鞭毛で動く微少動物は、はっきり生命体です。 だから精子も生命体である、とも言えない。違いは、精子は、自分で、食と、排便、排出、をする事によって、身体構造を保持し、生き延び、コピを創造し世代交番をする。 という、生命体としての能力は不随していない。方向性をもって3日ばかり、動く能力、しかない。 (冷凍すれば、その能力を後に発揮させることは出来る) 卵も同様であるが。受精すれば、生命としての能力が起こる。生命となる。 とは言えるでしょう。 精子と同じ意味、能力、を不随させている、花粉、は生命か、 カビ、などの胞子はなどと見て行くと。卵と精子の区別、境界、がなくなります。 無性生殖、細胞分裂をするだけで、増殖する、微生物物、やウイルスなどになると 、雌雄、の区別、境界もなくなります。 最小生命体と言われる、ウイルスなどは、有機物の分子並の大きさ、のようです。 有機物の分子は物質であり。ウイルスは生命体である。 どう違うのか。 昔は、方向性をもって自分で動く、ものが生命体である。というのが。生命体の 定義、となっていたようです。 しかし、顕微鏡の倍率があがり、観察すると、有機物質は、ブラウン運動、をしている。 自分で動いている。ことが明らかになりました。 生命体と物質の境界はないのです。境界がないから、生命体が、誕生、進化し得る のであって。境界があったら、生命は誕生しないのです。 霊魂とか、方向性をもったエメルギー?を吹き込む、神様、創造主、でもいない限り。 いたとしたら、ではその神とは、どこからきているか、なにから出来ているか であり。始めから考え直さねばならなくなるだけ、であり。多分を付けずとも 考えるだけ無駄な、思考停止故の人間の空想、想像、なのです。 有機物質(に限らず、原始、電子、素粒子、までもが)は何故、自分で動く能力 を保持しているのか。物質には、その物質の構造と一体の、変化を起こす能力が 付随している。ということになります。 自ら動く能力は、生命体特異の能力ではない。 生命体となる、特異点、物質との差違はなにか。 それは、自らのコピーを作り出す能力があるか。遺伝子構造を付随させたか。 になるのででしょうが、とすると、精子も卵子も、半分の遺伝子構造を持っている 。半分の生命体。とも言えるのでしょうね。

ks5518
質問者

お礼

ご回答いただきまして、ありがとうございます。 >受精すれば、生命としての能力が起こる。生命となる。 >生命体と物質の境界はないのです。境界がないから、生命体が、誕生、進化し得るのであって。境界があったら、生命は誕生しないのです。 >考えるだけ無駄な、思考停止故の人間の空想、想像、なのです。 >とすると、精子も卵子も、半分の遺伝子構造を持っている半分の生命体。とも言えるのでしょうね。 たいへん興味深いお話しだと思います。 ところで、遺伝子構造の話がありましたが、よくX-X',X-Yなどとあり 男児と女児に生み分けられる可能性の話を、以前に何かのTVで 放送していたように思います。そうすると、父親の遺伝子は精子から、 母親の遺伝子は卵子から受け継ぐということなのでしょうかね??

noname#156094
noname#156094
回答No.5

すでにご存じとは思いますが 釈迦によって説かれた、十二因縁説があります。 この解釈は、輪廻の実相である、というものと、現実においての心理や行動に関してものである、という二つの解釈に大きく分かれているようです。 また、仏教者によっても実に様々な解釈がなされている感じがします。 十二因縁説が、人間という生命の輪廻の実相である、という解釈の立場における場合ですが その中の「識」というものは、「受胎の一念」と解釈されている場合もあります。 人の死後においても「業識」は無くならず、「生存の享受を求める」というもののようです。 人の生存中も、死後においても、全ては「業」であると捉えられています。 このような生命観は唯識論において究明されていますが、こうような解釈に基ずく輪廻の真実が無いとは、誰も言い切れないように思います。 また、こちらについてもご存じかもしれませんが 業という生命現象が、生命の全てでは無いと思わせる解釈もあります。 涅槃ともいわれる、業輪廻からの解脱の世界であると解釈されているものです。 生死を超えた世界であり、変わらぬ真理の世界であるとも解釈されています。 大宇宙の生命、とも言われる場合もあります。 この場合においては、人間的な生命観を超えた、生命の本質とも取れる解釈のようです。 以上から、簡略ですが 生命についての仏教的な解釈は 人間としての生命観は「業」という捉え方がされており 生命の本質については、真理そのもの(法身)であるという解釈のようです。 3.については 上記の十二因縁説の中の、「識」における「受胎の一念」の瞬間かもしれません。 それが、受精の瞬間と同一であるかどうかは不明ですが・・・ また、それに続く「名色」とは「胎内生育」 「六処」とは「六根具足して誕生前の胎児」 とも解釈されていますから こうした十二因縁説の中の、「識」において「生命が宿る」のでしょう。 色心不二という見方からすれば、受精という現象に、業識の働きが伴っているという推測も成り立つかもしれません。 お釈迦様が、そこまで示しておいてくだされば良かったのですが・・・・ そんなところです。 ご参考まで。

ks5518
質問者

お礼

ご回答いただきまして、ありがとうございます。 「業」ですか。 >生死を超えた世界であり、変わらぬ真理の世界であるとも解釈されています。 大事な点だと思います。 >受精という現象に、業識の働きが伴っているという推測も成り立つかもしれません。 私は、精子自体が生命体であると思っていたのですが。 この確率でさえ、“人間に生まれる”といった稀有の縁なのだと 感じていたからです。じゃあ、卵子はといった疑問が出てきます。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.3

精子は一匹づつでも生命体でしょう。 卵子も生命体です。 人間は60兆個の細胞から出来ていますから、 60兆個の生命体を有していることになります。 精子もその一つでしょう。 分子、原子、電子、陽子、クオークがいくつ、どのように 集まると生命体になるのか、という問いの方がはっきり するのではないですか。 それとも、いつから人間になるのか、という問いかしら。 何時から人間になるか、という問いには諸説あります。 種が出来た時点で人間だ、という説から始まって・・ 母体から出て来たとき、産声を上げたときから人間だ、という 説まであります。 私は次のように考えています。 ある日いきなり人間になる、というのではなく 徐々に徐々になるんだ、と。 この反対に何時死ぬのか、つまり生命体で無くなるのか、という 問題があります。 人の死は通常は次のような段階を経ます。 脳死→心臓死→各細胞の死 このように、厳密に考えれば、死も徐々に招来するのである と考えるべきではないでしょうか。

ks5518
質問者

お礼

ご回答いただきまして、ありがとうございます。 >卵子も生命体です。 卵子も生命体なのでしょうか?? >ある日いきなり人間になる、というのではなく 徐々に徐々になるんだ、と。 そうなのです。仰る通りです。 受精した後に、母の胎内において、人間としての 進化を経て出生するという事は、もう医療や科学では 映像として証明されています。 問題は、そこではなくて、それ以前なのです。 ※文面から推測して女性の方なのでしょうか? それでしたら、上記の卵子についても、もう少し詳しく 教えていただけたらと思います。

回答No.2

人間としての"いのち"と考えるなら、 ミニマムは精子と卵子が結合した受精卵の状態ではないでしょうか。 精子も卵子も、それだけでは人間を形成しません。まあ、受精しなくても卵子の細胞核を移植すればうんぬんという話もありますが、これも移植した核がすでに受精したものと考えれば、このふたつが合わさって初めて人間としての道を歩み始めるということだと思います。 その次は、細胞分裂が進み、各部位への変化を果たして五体、特に脳ができあがった状態でしょうか。 脳死状態でも、手を尽くせば生命維持はできるとは思いますが、哲学的な観点ということであれば、思考を司る脳が出来上がって初めて、人間として成立したと言えるかもしれません。 その次は、生まれおちて母体から切り離されたときでしょう。 ここから、自立した生命活動を行っていくことになります。それまでは母体からの栄養補給なしでは生きられません。 くどいようですが、機器を使えばそれも代用できるでしょうが、自然体で考えた場合、それ以前は自力での生命活動を行えない状態なので、産声を上げて呼吸を開始したときから人生が始まるとも言えます。 学術的にはどうか知りませんが、 思想的な部分では、それぞれの段階でも好きなように解釈したらよいと思います。 個人的には、一個の個体としてという部分を重視して、"生まれおちたとき"から生き始めると考えています。

ks5518
質問者

お礼

ご回答いただきまして、ありがとうございます。 昨日、ある番組で“人間の誕生”の番組がありました。 その中に、胎児の映像があり、それがモニターに映し 出されていましたが、私は、この胎児は既に生命体と して生きていると感じました。 そして、上記質問の疑問を持つに至ったのです。

回答No.1

「生物」あるいは「生きている」の定義が必要ですか? 実は、その定義は、生物学や社会学など、大きな分野の 違いにおいても異なりますが、さらに生物学の中でも、 分子生物学や生態学、分類学など、細分化した中でも、 また異なります。 それを踏まえて言うならば、「生命とは、生物学が生命的 対象としているもの」です。 実際には、単細胞生物も生命ですから、精子も似たような ものなので生命だと言いたくなりますが、かといって精子を 殺したり、毛根を抜いたりしても、「その人」の命は微塵も 減ったとは言いません。 もし、その細胞にも人としての生命性を認めねばならないなら、 人体の細胞は絶えず新陳代謝して死んでますから、毎日が お葬式です。 細胞は約1年で全て新しくなり、骨などの物質も数年で入れ 替わりますが、それを別人だとは言いません。 有機化合物の集まりが細胞を成し、細胞が集まって個体を 成す上で、どこかでパッと生命になるのではなく、「徐々に 生命性を帯びる」というのが正確な表現でしょう。

ks5518
質問者

お礼

早速、ご回答いただきまして、ありがとうございます。 よく仏法などでは、『輪廻』や『業』などで、『生命』という 表現をすることがあります。そこて、死んだ後に良く言う 『離脱』の後に、どのようにして『侵入(こういう表現も、正しい のか良く分かりませんが、、、)』に至るかという事です。 まぁ、人として再度、生を受けるかは不確かですが。 また、前回の質問で、生命科学や医学などにおいては、 『生命』を現在生きている中での根本的なものとしており 、流転するようなものではなく、寿命が尽きればそこで 生命も途絶えてしまうものだと考えているようです。 回答者様の前半でもこの認識は現われていると思います。 では、哲学的・宗教的な『生命』とは、何と言い表わせば 良いのか?となります。⇒これは、別に質問を建てたいと 思います。