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人の生命はどこから
仏教では業とゆう事実があり、人は生死を繰り返していると知人が言っていました。この知人は日本最大の仏教系宗教団体の人です。ぼくは宗教哲学思想についてはことさら無教養ですが、ぼくなりに知人に質問をしてみました。父Aと母Bに子Cが生まれました。ABC三人ともそれぞれ過去に死んでいた人たちだとすると、AとBの子として生まれたCは受精の瞬間を見ていてグットタイミングで入り込みこの受精卵をC個人のものとしたのか。受精が試験管で行われる場合もあるし、双子五つ子のときもあるし、人種の違いもあるし、個人が生まれては死ぬを繰り返すのであれば精子と卵子はいらないしDNAもどうなるのか、人が生まれるのには精子と卵子と見えない個人の三つの要素がひつようなのか。クローン人間はどうなるのか。現在生きている人は六十数億人だが過去人類として生まれて死んだ人の数は何千億人になるはずだ、個人が無くならないならいつまでたっても生まれてこれない個人もいるけど、業とゆう生まれては死んでとゆうことがぼくには解らないから説明して。知人いわく、数の勘定が合わないのは地球上に限定した考えだからだ、大宇宙に広げれば何千億人でも少なすぎるぐらいだ。 ほかのことについては、短い時間では話せないから今度じっくり話そう。このとき深夜になってましたので次回続きをと分かれましたが、ぼくとしては、その知人に続きを教えてもらえばいいわけですが、答えが知人個人の答えなのか所属の宗教団体の正式な答えなのかぼくには仏教思想がわかりません。みなさんの回答を参考にして考えてみたいと思いますのでよろしく願いします。
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質問者様が「人の生命はどこから?」という問いに対しての答えを求めているというように解釈して仏教とは違った立場から回答させていただきたいと思います。質問の答えにはなっていないかもしれませんが、違った立場の回答も読んだ上で「人の生命はどこから?」という問いに対しての答えを出してくださればと思います。 私はクリスチャンですから絶対者なる神の存在を信じています。絶対者なる神というのはこの天地万物を創造された神です。神は絶対者であるゆえにはじめから存在している方です。神は誰が造ったのか。という人がいますが、神は造ることなんてできません。だから神なのです。日本人がよく口にする神というのは人間が造った神です。日本人はいわしの頭でも神様にしてしまいますが、日本人はなんでもかんでも神にしてそれを神と信じているだけであって、それは本当の神ではありません。 ここに時計があったとします。私はこの時計を誰がいつ造ったのかは知りません。しかし、時計があればだれかが作ったから存在しているということがわかります。だれも偶然にできたという人はいないでしょう。しかし、多くの人たちは命は偶然にできたと簡単にいいます。時計があればだれかが作ったから存在しているということがわかるならば、それと同じように宇宙があれば、地球があれば、人間が存在すればそれはだれかが造ったと考えるのが普通の考え方です。しかし、特に日本人は進化論という考え方を叩き込まれているので、世界のすべてのものは偶然にできたと信じている人が非常に多いのは事実です。進化論というのはダーウィンという人が考えた仮説であって、それが教科書に出ているからといって真理であるとはいえません。なぜなら進化論というのは命がどこから存在したかということについては偶然に発生したとしかいっていません。アメリカなどでは進化論は単なる仮説にしか過ぎず世界のすべてのものすなわち天地万物は絶対者なる神(GOD)が造ったと信じている人もたくさんいるのです。 「人の生命はどこから?」それは絶対者なる神が与えるものです。神は精子と卵子が受精した瞬間にひとりの人間としての命を与え魂と霊も同時にお与えになります。それが世界にたった一人しかいないわたしやあなたという人間です。 私やあなたという人間は、前世があったわけではありませんし、死んだあとに別の命に生まれ変わるということもありません。人間は死ねば肉体はなくなりますが霊と魂は永遠になくなることはなく、輪廻転生もありません。そして、死んだ人間の魂と霊は、天国か地獄のどちらかで永遠に生き続けます。なぜなら天地万物を創造された神が聖書をとおして、そのことをはっきりといっているからです。 神は人間を愛し、人間を地獄へ投げ入れるのではなく、天国へ連れて行くために自分のひとり子であるイエス様をこの世に誕生させ、十字架にかけて殺すことによって、人間のすべての罪の刑罰を身代わりに負って死なせ、3日後に復活させることによって人間が天国へ行く道を開いたのです。イエス様が自分の罪のために十字架にかかって死に3日目に復活したということを信じるものはだれでもそのことを信じるだけで天国へ行けます。しかし、信じないならば神は義なる方であるゆえ人間の罪を裁き、地獄へ投げ入れられ、人間はそこで永遠に苦しまなければならないのです。
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- N_Flow
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>人の生命はどこから 全能の意思(神)が、地球が誕生する遙か昔に多くの意識体(魂)を創りました。 肉体の死の後も存在する意識体(魂)は、肉体的に生まれる前に、終わりのない永遠の世界 に生きています。 個々の意識体(魂)は、進化し、自分自身を知るために、さらに心が全能の意思(神)と一体 であることを認識し一体となる目的で、地球と言う惑星で修行や学習するために生命と自 由を与えられました。 宇宙には地球が属している銀河系と同様の系が数多く存在し、従って、地球と同様に生命 が生存できる惑星が数多く存在します。 地球と言う惑星で霊性が一定のレベルに達する まで人生を何度も繰り返し、何度も修行や学習を積み、霊性が一定のレベルに達すると地 球での修行を終え、更に高いレベルの霊性に到達するために別の惑星で修行することにな ります。 (向こう側の世界(あの世)では、地球の時空概念や物理法則は成立しません。) 個々の意識体(魂)は、肉体の誕生と同時か、誕生の数日後に肉体に入ることもあります。 意識体(魂)が肉体に入ろうとする際に何時間もかかることもあれば、入ってくる魂が入れ 替わることさえあります。意識体(魂)は、その人生を生きるかまたは向こう側の世界(あ の世)にとどまるかを選べます。 肉体に宿る前に、個々の意識体(魂)は、今ここで肉体に入ることによって自分の魂の目的 を達成できるか検討して、両親だけでなく、物質生活で成し遂げられることを選択します。 この選択で向こう側の世界(あの世)にとどまることを選んだ時に、乳児の原因不明の突然 死、SIDS(乳幼児突然死症候群)となります。 乳児の死は両親にとって大変辛いことで すが、その両親が人間として成長するための試練として役立ちます。 意識体(魂)が自由に流れる広大で解放された次元からやってきて、この物質界へと下りて きます。そのような移り変わりの時点で、より深い霊的意識が覆い隠されてしまいます。 地球に生を受け物質生活に入るとき、霊的な部分は消失してしまいます。 誕生から死に至るまで、霊的な存在(守護霊)に導かれますが、多くの人はその存在に気づ きません。 自分が解決しなければならない課題にふさわしい状況に身を置くために、わ ざわざ欠陥のある身体や逆境を選択して生まれるよう助言したり、夢や瞑想状態での啓示 など様々な方法でヒントが与えられたり、事故などで即死状態で幽体離脱した際、さらに その環境での修行が必要な魂の場合、肉体に戻るよう助言したりします(助言に応じて肉 体に戻った時、現代医学で説明の出来ない奇跡として関係者が驚嘆します)。 苦難や苦悩から逃れるために自殺を選択した場合、来世では同様の試練が課題として与え られ、課題をクリアするまで、何度生まれ変わっても同種の課題が繰り返されます。 また、現世での言行は、善悪に拘わらず、言行に応じてそれ相応の境遇が、現世や来世ま たは数世代後の人生で、必ず自分(魂)に返ってきます。 残酷な死に方など非業の死を遂げた場合、そのショックは、当惑や怒り、自己憐憫、復讐 心などの欲望を引き起こすため、死んで身体から抜け出た魂を、この世に引き止める原因 になり、魂が死を自覚できないままこの世に留まり俗に言う「地縛霊」となります。 深い瞑想や祈りを通して、顕在意識が内なる霊的自己と同調できるようになるにつれて、 意識は自然と拡大(超意識)していきます。 この超意識の部分が徐々に顕在意識に上って くるようになると、自分は永遠な存在(生命の連続性の直感)であるという理解も得られま す。 物理的肉体を失った後にも意識(魂)として存在し続けること(死後の生命)や、物理的肉体 を失った後にも意識体(魂)として存在し、再び肉体を持って生まれ変わること(輪廻転生) が確信として容認できれば、日常の小さな不満や何の価値も持たないように見えた不幸や 挫折がいかに重要な意味をもっているか直感的に理解できます。 精神疾患や情緒障害の多くは、現在の人生よりもむしろ過去生(数世代前の人生)の人生経 験にその根を持っています。 それらの障害に起因する症状は、その根底にある過去生の 体験を再体験すると、消滅するか軽減されることが実証されています。 被験者に治療のために行った退行催眠によって得られた膨大な数のデータにより、敬虔な キリスト教徒や医学部教授、無神論者である物理学者の中にも死後の生命や輪廻転生を (あらゆる角度から疑ってみたが、ついに認めざるを得なくなり)認めている方もおります。 そのデータによると、前世で死んでから今回生まれ変わるまでの期間は、平均で14.5か月、 最短で1日、最長では224か月と、人によってかなりの差があります。 ある意識体(魂)は、地球上に肉体を持って86回生まれ替わっている例があります。 霊性が一定のレベルに到達して、地球での肉体を持った修行の必要性がなくなり、地球を 卒業した意識体(魂)も存在します。 このデータ分析により、被験者の魂が過去生において、肉体に出たり入ったりして経験し た過去の試練や成功、失敗などが、全て現在のその人の人間形成に役立っているというこ と、各人の生まれ変わりの経歴をたどっていくと、一見それぞれの人生に全く脈絡がない ように見えても、実は大きな理由があったこと、ある人生での行動や態度が、現在あるい は将来の人生での、環境や挑戦目標を決定していたことが推認できること、と輪廻転生に 批判的立場であったクリスチャンの医師が結論づけています。 以上、参考意見として。
お礼
回答ありがとうございました ご意見を参考にして考えてみます
科学の言葉と宗教の言葉を同じように聞いてしまうと、どちらかが間違いになります。宗教の言葉は(そして日常生活でも大部分のことは)たとえとして語られています。宗教的世界が実在するしないを争うのはいわば自己中心同士のケンカです。「非科学的」なことも人間にとって真実であることがあるのです。 人の生命について。人は親の生殖細胞から別の個体として分かれて生まれますが、その親も親から分かれたわけで、親が無生物だった人間などはたぶんいないわけです。クローンを別にすれば、人はすべてそうして生まれる。個人を無視すれば人の誕生そして死は一様です。人はみんな「普遍の存在」です。(ちょっと「業」に似てませんか?) しかし個人を意識すれば、ひとりひとりがすべて個別の人です。他人とは違う唯一の自分。これは二度と生まれませんから、その存在は「固有の存在」です。(ちょっと「霊」に似てませんか?) たとえとして語られるはずの宗教を道具に社会で独善的であろうとする人や業者がめだつのは、彼らのどこかは合理的だからでしょう。 宗教でも科学でも身近な生活に役立たないなら、それもまた悩みがなくて結構なことです。
お礼
>宗教的世界が実存するしないを争うのは自己中心同士のケンカです。 知人がぼくに争いを持ち込んだとも思いませんし、ケンカとも思ってません。ぼくは宗教のことが解らないから質問をしているだけです。質問をすることが争いに向かう方向であればものが言えないことになると思います。 回答ありがとうございました
- mmky
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追伸の参考程度に [人が生まれるのには精子と卵子と霊の三要素が合体すると思ってよいのでしょうか。] 大体そうです。一般的には妊娠3週間目ぐらいに人霊が入ると言われてます。だから3週目以降の堕胎はよろしくないということなんですね。生まれわかりのシステムはかなり複雑なようですがシステマチックに運用されているようですね。例えば、以下に示した400ー500億の霊人があの世の空間にいるとする本当はあの世が主体でと地上の60億のほうが特別な世界への一時的な旅行とれるでしょう。そうすると、つまり生まれるというのは土星の衛星タイタンへ行くようなものですから緻密なシステムが必要ですね。立派な科学者はあの世でそんなシステムも作っているのでしょうね。そのような世界があるのですが知らない人の方がおおいんですね。これ霊界の秘密なのかな。
お礼
参考になりましたありがとうございました
- fukuyori
- ベストアンサー率45% (38/83)
宗教的に語られる言葉と、科学的・合理的に語られる言葉は、どこかで矛盾を起こします。宗教は科学ではないし、科学は宗教ではないから、それは当たり前のことですね。だから、宗教を、信仰を、科学や合理の装いで語ることには必ず限界がある筈です。 ひとつの魂が生と死を繰り返しているという輪廻の観念は、仏教以前からあるバラモン教(今のヒンドゥー教)の信仰で、仏教は「輪廻する主体」の存在を否定します(歴史的発展の過程で仏教は輪廻思想を受け入れます)。 これまでに回答が寄せられているように、もともとの仏教は、形而上的な(霊的なものとか、超常現象とか)事柄には回答をしません。必要がないからです。釈迦の思想は当時としては冷徹ともいえるほど合理的かつ内省的なもので、「人の心はどのようなものか、人の苦しみの原因は何か、人はどのようにして苦しみを抜け出せるか」についての心理理論と実践手法の体系でした。 ですので、あなたの疑問である生物学的事実と、あなたの話し相手である方の信仰とを合理的に調停する思想は、元々の仏教には存在しません。だから価値がないのか、それともそれとは別の次元で価値があるのかは、また別の問題です。それはご自身でご判断ください。「事実」についての真偽認定ではなく、「真実」についての価値判断が問われているのですから。
お礼
釈迦の思想は合理的には驚きました。宗教とは不合理の塊りと思ってましたから。ぼくの命が生まれたのは受精から始まったと思っていたところ、知人がそうではないと仏教の話をして、それからこのカテゴリーに書き込んでみなさんに教えてもらっている次第です。 回答ありがとうございました
- mmky
- ベストアンサー率28% (681/2420)
考え方の参考に 仏教には転生輪廻の考えがあります。どこにも答えが無い時は白紙にしてよく考えてみるといいんですね。そこで、転生輪廻ということをシステムとして論理的に考えてみると、 この世に生まれていろいろ経験してあの世に帰って、また別の時間に生まれ変わるとすると同じような環境での経験はしたくないので、少なくとも数百年は生まれてきたくないですね。例えば江戸時代を経験すると次は、昭和ぐらいの変化がないと面白くないですね。そこで300年から400年ぐらいが生まれかわりのシステムとしては適当と考えられますね。現在地上では60億人ということですから、平均寿命70才とすると1年約1億人が生まれている勘定になりますね。(60億人/平均寿命70才 ≒1億人/1年) そうすると、例えば400年ぐらいを目処にシステムを組むと 冗長性を含めて約400億から500億ぐらいの人霊がいるという勘定になります。つまり400-500億人ぐらいがいて始めて数百年規模の転生輪廻システムが組めるということですね。何百億人いても物体では無いのでどこででも存在は可能ですね。 例えば1モルの気体には10の23乗個の分子があるのですから400億とはいっても10の10乗個ぐらいは少ないものですね。というように考えれば、この地球には400億から500億の人霊がいることになりますね。というように何でも論理的に考えることができますね。宗教の話も理性的に判断すればいいかげんかどうかがわかりますね。数学や物理も勉強していないといいものと悪いものは見分けられませんね。
お礼
回答ありがとうございました 人が生まれるのには精子と卵子と霊の三要素が合体すると思ってよいのでしょうか。
- Syo-ya
- ベストアンサー率31% (558/1780)
私はお釈迦さま在世当時の仏教をメンタルヘルスとして求めて勉強しているので、日本の大乗仏教・宗教団体には、詳しくないんですが、仏教の基本としては「答えない」というスタンスなんだそうです。 確かに、仏教は輪廻転生説というのがベースになっていますので、輪廻転生説抜きでは語れないんですが、その内容については「捨置記」とか「無記」とか言って答えないんです。 霊魂の存在とか、宇宙の始まりとか、形而上の話題には、「ある」と答えても、「無い」と答えても、結局は根拠を示せませんから、無反応という答え方をするんだそうです。 で、日本にある仏教というのは、大乗仏教といって、お釈迦さまが亡くなった後、500~600年して創られた経典がベースになっていますので、教義も独自に展開してますし、オリジナルの仏教とはまるで違う仏教だったりします。 じゃあ、日本の仏教は仏教では無いのか?というと、そうでもないような、そうであるような、難しい感じなんです、・・・・まあ、ご参考までに。(^^; 私の意見としては、日本の大乗仏教でお釈迦さまの教えに一番近いのは禅宗の曹洞宗のような気がします。(ご質問とは関係ないですが)
お礼
たいへん参考になりました。 やはり信者となるかならないか平行線でしょうかね。 ソクラテス・キリスト・孔子・釈迦この四聖は話をしただけで死後に口伝を本にしたときいてましたが、編集にたずさわった人たちが誰にでも解るような本を作ってくれたら宗教の教義が身近な生活に役立つのではなかったかなと思います。 回答ありがとうございました
お礼
解り易く教えていただいてありがとうございます たとえ話とかで教えてもらえると良く解ります。 神は義なる方 は解りませんでした。正義の方でしょうか 回答ありがとうございました