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秀吉以前の日本の支配構造
史上始めて天下統一をしたのは豊臣秀吉ということは常識ですが、それ以前の幕府や朝廷はいったいどの程度(地域)まで治められたのでしょうか? 例えば、鎌倉幕府は関東地方くらいしか自治していなかったのでしょうか? そうであるとすれば、京都周辺の支配者は朝廷だとしても、東北・中国・四国・九州などは誰が支配していたのでしょうか? 例えでは鎌倉時代をあげましたが、時代などには拘らず教えてください。
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日本全国に 一円知行の体制をひいたのが 秀吉 で、その前は 一円知行でない体制ということになります http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E5%86%86%E7%9F%A5%E8%A1%8C 基本的には荘園単位で、支配はバラバラ。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%98%E5%9C%92_(%E6%97%A5%E6%9C%AC) 荘園自体も、現地の農村の惣村と区切りが違ったりする。 電話番号で基本的には東京23区内が 03 ですが、調布の一部も 03 だったりするように、歴史的な背景が交雑して、綺麗に分かれていない。 一つ一つの農地に対して、耕作者と所有者を決めていったというのが、太閤検地であり、その前は 「そーは、いっても この川のこっちは 右府様以来 こっちのもんじゃい」 というような、歴史的背景が グダグダあった世界です。
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- isa-98
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>倉幕府は関東地方くらいしか自治していなかったのでしょうか? 関東御領から考えるとそうなりますが、鎌倉殿の領地を意味しますので関東以外も含まれます。 寿永二年十月宣旨を紐解きますと、(木曽義仲討伐の褒美。) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BF%E6%B0%B8%E4%BA%8C%E5%B9%B4%E5%8D%81%E6%9C%88%E5%AE%A3%E6%97%A8 東海・東山諸国 東海道。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%B5%B7%E9%81%93 東山道。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%B1%B1%E9%81%93 奥州藤原氏が朝貢する物を検閲したのも、滅亡させたのも筋が通った行いに他なりません。 確かに強制されて院宣を出すようになってはいましたが、 天皇の権威自体は全く揺らぐ事はありませんでした。 ここまでは天皇VS武家は互角でした。 しかし、承久の乱で立場は逆転します。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%BF%E4%B9%85%E3%81%AE%E4%B9%B1 3千とも、5千とも言われる公家、京寄りの武士の所領がことごとく没収されたのです。 戦国時代になると各地に点在する御領(天皇の領地)は侵略され天皇の葬儀すら立てられない程になります。 織田信長は7千石の領地を献上。秀吉も同じ石高を保障します。 江戸時代の禁裏御料は3万石(小大名クラス)でした。 権威についてですが、秀吉の関白就任時には、多聞院日記に「先代未聞ノ事ナリ」と記載されています。 朝野驚愕の一大事であったようです。 また、天皇は宮廷で選ばれる。と言う事が覆されたのも秀吉の時代でした。
お礼
ははあ、色々と込み入った事情ですね。 禁裏が七千石とか三万石というのは初めて知りました。 ご回答ありがとうございました。
お礼
一円知行というのは初めて聞いた言葉です。 ご回答ありがとうございました。