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型稽古の伝承
日本では、伝統技術を学んだ際に、「建て前」を重んじて其の技術の基本への問題定義を慎ませる、という傾向が比較的に高かったのでしょうが、「修・破・離」の過程の途上で比較的に深刻な弱点の存在が其の伝統技術の中から見付かる可能性さえもが有ろうか、と思われます。 でも、若し其処に「儒教」的な発想が絡んで参りましたら、師匠の教えに逆らう判断が忌み嫌われるのでしょうから、其の場合には、「互換性の調査・検証」よりも「袂を分かつ遣り方(破門)」の方が(比較的に)優先されやすかったのでしょうか?
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型稽古ではありません。 形稽古です。 少なくとも武術ではこう書きます。 これは時代物を書く小説家もよく間違えます。 以下、武術の形について。 こう攻撃されたら、こう受けてこう返す。 そういう攻防の技術が武術です。 当初流派をたてた人は、これを試行錯誤で会得する訳ですが 他人に伝達したり、宣伝するためには、これを体系化する 必要がでてきます。 このように体系化された技術が「形」です。 門下生はこれを基本として学び稽古するのですが、 当然独自の工夫が出てきます。 師匠はこう言うが、俺はこうやった方がよいと思う。 てな具合です。 そうなると新たな流派をつくることになります。 陰流→新陰流 てな具合です。 ま、独立した方が実入りがよくなる、てことも 当然にあるわけですが。 御指摘のように師匠に逆らうという点はあるので しょうが、破門云々はあまり聞かないですね。 示現流だって、東郷示現流から始まって、軽輩に広まった 薬丸示現流などという流派もでていますし。 ちなみに、剣術の流派は5百以上もあるそうですが、 同じ流派から出たものは、兄弟みたいな感じで比較的 仲がよいと感じています。 これも儒教の影響と言えるかもしれません。
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破門には答えられないのですが、武術における型稽古の意味なら受け売りに過ぎませんが、別の観点をご用意できます。 まず、技術(技法、技巧ではなく)の本質とは何かということですが、(最近やたらとマイブームですが)直観です(直感ではない)。 思考の形態で言うと、推論などの論理操作を経ないで結論をだす、ことらしいです。私たちパン屋が生地の熟成を見極める時、そしてパンの生地に触れる時、この直観を必要としますし、これまた私が習った囲碁の布石なんかは「直観」の存在を示してくれるものです。これらは決してマニュアル化されることがありませんし、習得に普遍的な法則があるわけではなく、ひたすら修練を積み、すでに習得している者の技を見取り、ある日気づくと身についている類のものです。 武術における型稽古の型は、それが実戦に向くか否かで考案されたものではなく、その開祖が得た(悟った)身体操法の直観を身につけるための修練なのです。ですから、修練半ばで型稽古に疑問を発することに、なんの意味も価値もないのです。疑問を発し(心の中で)、見極めなくてはならないのは、指導を受ける師匠の技量なのです。 中国武術にも 「三年かかっても良師をさがせ」とありますし、 職人は自らが惚れ込める親方に弟子入りするのです。これはフランスでも同じですから、洋の東西を問わないのでしょう。 肝心なのは アリストテレスが「模倣」と論じたように、 「その人のようになりたい」と人に惚れるということであり、 名門だからとか何だとかのネームバリューで選ばない、ということではないでしょうか。
お礼
「三年かかっても良師をさがせ」、という表現からの連想で、下記のURLのページに続きの質問を提出させて頂きました。 http://okwave.jp/qa/q6826833.html
補足
有り難う御座います。 「三年かかっても良師をさがせ」、という懐かしい教えに感激しました。 未熟な頃には所属先の教義を踏襲せざるを得ないのかも知れませんが、上達の過程の途上で、別の流派との対立に巻き込まれたり、他所に魅了されたりする、という可能性さえもが高まってき得るのでしょうから、「所属先」選びにも慎重な配慮が要求されるのでしょうね。 因みに、藤原定家は「新しい風情を詠む際にも古典的な形式の踏襲が望ましい」という事情を諭していらっしゃったそうですが、様々な分野で「中興の祖(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E8%88%88%E3%81%AE%E7%A5%96)」が登場して、形式の再構築が試みられていくものなのでしょうか?
- cyototu
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破門?そんな例もあるでしょうが、そうでない例も一杯在ると思いますよ。例えば、平田篤胤は本居宣長の弟子でしたが、篤胤の『霊能真柱』では、宣長の死後の世界の認識に同意せずに、宣長よりも遥かに楽観的な世界観を提示しています。しかし、それで宣長が篤胤を破門したなんて聞いたことがありません。篤胤は、宣長によって創られた「型稽古の伝承」をしつつ、全く新しい世界観を創出しております。 そもそも、学習における型稽古の伝承と言う方法論は、大変に合理的で効率の良い方法です。単に今までの物を金科玉条のごとく継承するのではなくて、全く新しい物を生み出すには、この方法よりも優れた方法は思いあたりません。事実、その方法は自然界でも使われており、そのことの要点は、「個体発生は必ず系統発生を繰り返す」という言葉で凝縮されます。また、これをもっと日常的な言葉で表現すると、「習うより慣れろ」とも言います。 私は物理学者として若い連中を指導していますが、私の研究室では、新しい学生に決していきなり最先端の物理学の論文を読ませたりしません。そうではなくて、その専門分野で歴史的に重要な論文を約50年程前ぐらいの論文から時代順に何編か読ませて、物理学の系統発生をその学生の個体発生のときに繰り返させます。歴史的に重要な論文は分野を限るとそんなに多くありません。多くても精々10編ぐらいなものです。その過程で、習うよりも慣れてもらい、人類が50年100年かけてやって来た物理学の系統発生を、学生の中でほんの数年の短い間に個体発生の過程で経験してもらう。そうすると、その学生は数年で先生のレベルまで追いつくことが出来ます。また、そのように個体発生をすると、流行には無関係に、別の視点に気が付くことがしばしばあり、流行を追いかけないオリジナルな論文が幾らでも書けます。だから、私の研究室を出た学生は、流行に無関係に何時もオリジナルな論文を書いています。 また、偶々その問題が、今流行っている問題と結び付いていることに気が付いた場合にも、現在皆が論じている問題の歴史的な裏が解っているので、何でそんな問題が今流行っているのかも、解るようになります。さらに、もともと流行を追いかけて問題を解いていた訳ではないので、たとえ流行りの問題でも、殆どの場合、皆とは全く違った視点を提供することも出来ます。だから、「型稽古の伝承」と言う方法は、全く新しい独創的な物を創出するに関して決定的に重要なのです。 ところが、まわりの先生のほとんどの方のやり方を見ていると、新しい学生にいきなり流行りの最先端の論文を読ませて、さあ、新しいことを創り出せ、と訓練しているようです。私はその学生達が可哀想にと、何時も同情しています。確かに、最先端の論文の論理展開は、古い論文よりも論理的には洗練されていることがしばしばあります。しかし、そんな洗練された論理だけを幾ら理解したって、殆どの場合使い物になりません。それに、その先生は20年30年と似たような問題を扱って来たので、知らず知らずその先生もその分野の歴史的経験をして来たのですが、若い学生は最先端の論文を幾ら読んでも、種としてのその歴史的な経験が出来る訳ではないので、その学生は絶対にその先生に追いつくことは出来ません。 生物の世界を見たって、貴方は母親の胎内でいきなり人間になるのではなくて、先ずは単細胞から多細胞になり、エラが出来、シッポが出来、と順に種として数億年かかって進化して来た系統発生を、たったの9ヶ月と言う超短時間で繰り返し、そしてやっと人間として生まれて来るのですね。要するに、種としての経験を個の中で繰り返さない限り、決して今現在の存在にはなり得ないのです。 我々の文化も同じなのです。最先端の存在になるためには、その時点でのどんなに優れた論理を認識したとしてもそれだけでは駄目で、貴方は個人の中で必ず先人達の思考方法や経験を繰り返さなくてはならない。私はどうしてそう出来ているのか知りませんが、経験によると、自然は確かにそう出来ているのです。だから、全く新しい物を作り上げるためには、型稽古の伝承は決定的に重要なのです。 んで、破門?さあ、それと型稽古の伝承の間に私は全く関係を見出すことが出来ません。もしかしたら、型稽古の伝承の意味が理解出来ずに、それを全くはき違えてしまった程度の低い頓珍漢な連中が、そんなことを言い出すのではないでしょうか。
お礼
形骸化された型の練習を繰り返す過程の途上で、それを利用する技術が磨かれていく可能性は高まっていきやすいのでしょうけれども、どういう経緯を辿って其の型式が纏められたのかは練習の中から窺われ難くなっていくのでしょうから、「最先端の教義」は抜本的な改革の目的に適っていないのかも知れない、ということでしょうか? つまり、理想的な温故知新の為には、実践と報告とが必要なのだろう、という印象を受けました。
補足
有り難う御座います。 #1の方への返信で紹介させて頂きました方(武道家)は、既存の基本型の抜本的な見直しの為に、新しい流派を立ち上げるべく、後継者への道を断り、敢えて破門して貰ったそうです(1965年の出来事)。
- 雪中庵(@psytex)
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そもそも伝統技法とは、経験的に醸成され、伝承されるもの であり、それを脱する時もまた、経験的にしかできず、その 根本にある原理的共通性を把握して、意識的に応用するの とは異なるだと思います。
補足
有り難う御座います。 或るKnight称号保持者の方(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E6%9C%A8%E5%AE%8F%E4%B9%8B)は、免許皆伝を受けた後に、他流派の型との融合の為に基本・極意の改定を行なうべく、師匠に御願いして建設的に「破門」して貰ったそうですが、そういう事態は稀にしか起きないのでしょうか?
補足
直接的に関係が有る話題に言及して頂きまして、 誠に有り難う御座います。 「形稽古(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9E%8B%E7%A8%BD%E5%8F%A4)」のページの中にも「修・破・離」の言葉が登場していますが、既存の形から「下位互換性(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E4%BD%8D%E4%BA%92%E6%8F%9B%E6%80%A7)」の乏しさが窺われた場合の歴史的な展開が綴られていませんでしたので、其の事情の確認が出来れば勉強になるだろう、と考えまして、此の質問を提出させて頂きました。 因みに、Wikipediaでは師匠の敗北の話が出ていませんが、針ヶ谷夕雲と小田切一雲との師弟関係(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%9D%E3%83%B6%E8%B0%B7%E5%A4%95%E9%9B%B2)にも、仰っている内容が当て嵌まりそうですね。