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明・清の海禁政策について

明の末期には、日本をのぞいて海禁が解除されたそうですけど、その理由は「日本が倭寇の根拠地と見なされていたから」というものだったそうです。 参考:帝国書院「最新世界史図説タペストリー」七訂版 31ページ 【疑問1】 明が日本をのぞいて海禁を解除した背景には、どういう事情があったのですか? 私はとりあえず「日本銀・メキシコ銀による活況が原因だった」と理解していますけど、活況が起こると、なぜ政府が海禁を解除するといったことになるのでしょうか? 【疑問2】 やがて清や江戸幕府の時代になると、長崎での日清貿易が黙認されるようになりました。 そのあいだに中国では王朝交代がありましたけど、どういう経緯で日本にたいする海禁が解除されたのですか? とくに清が台湾にのがれた鄭氏と抗争していたとき、台湾には海禁をおこないましたけど、そのとき日本はどういう扱いだったかを知りたいです。(日本は台湾と同列に扱われて海禁の対象だったのか?それとも、すでに貿易が黙認されていたのか?) 【疑問3】 「海禁のもとでは密航者がたくさんいた」ということですけど、彼らが現在東南アジアにいる華僑の先祖となっているのでしょうか? また、合法的に渡航できる時代に比べて、きびしい海禁を敷かれていた時代には、渡航者は大幅に減りそうですけど、実際の数はそんな減少したわけではなかったのですか?

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回答No.1

そんなに詳しくないので、大雑把に。 当時、中国国内は経済発達に伴い、貨幣に使う銀が足りなくなってしまいました。 銀の需要が伸びる →銀を国内に運べばいくらでも捌ける →よーしパパ海外に船出しちゃうぞー♪ ってことかと。 質問者さんのおっしゃる「銀の活況」というのもこのことかと思います。 お金のためなら多少危ない橋を渡るのが人間です。 当時取り締まり側だった役人が、 「取り締まってもキリがないので、免許を付与して海外渡航を解禁にしたほうがよい」 と進言したそうですから、沿岸部のひとヤマ当てたい人達は相当やりたい放題だったんでしょうね。 華僑については、旅行先でガイド等を見る限り、現在チャイナタウンとしてはっきり残ってる所は清時代の海禁解除以降の移住が多いようです。

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