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鄭成功の中華文明圏での評価について

明の忠臣、鄭成功についての質問です。 日本人女性と福建省の漢族(?)男性との間に生まれて明朝に仕えた鄭成功ですが、父親が清に帰順した時点で袂を分かっています。 中国では一般的に主君よりも親が大事だそうですが、どうして鄭成功は主君のために親を捨てたのに中国大陸・台湾でも評価されているのでしょうか? また、他の中国の歴史上の有名人で親より主君を優先した人はいますか? それと、鄭成功は幼少期は母親と日本で暮らしていたそうですが、このことが親より主君を優先する考えを持つことの原因になったのでしょうか? お詳しい方、よろしくお願いします

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  • PopoAmin
  • ベストアンサー率50% (70/138)
回答No.1

鄭成功の父は鄭芝龍ですが、この人は貿易商と言いながら 裏では倭寇の親玉みたいな人ですから、形勢を見るのに敏ですね。 鄭成功は親を捨てた訳ではなくて一緒に明朝のために頑張っていたのですが 形勢不利な状況を見た父親が清朝に帰順したのです。 どっちかというと父のほうが息子を捨てた感じです。 鄭成功は帰順しようとする父親を泣いて諌めたと言われますから、 父親を見捨てた親不孝者と言われずに済んだんだろうと思います。 大体中華圏では孝のほうが忠より価値が高いので、 不孝の人で忠臣といううのはあまり記録されていません。 忠を孝の上に置いたのは日本だけらしいです。やはり武士の国なんですね。 忠義についてですが、鄭成功が忠を大切にする心を身に着けたのは 日本で育ったからだと台湾の研究者が言っていますから、 やはり日本の影響は大きかったんでしょう。 鄭成功は中国本土では台湾をオランダ人から取り戻したということで 台湾解放の英雄ですし、台湾では台湾から大陸へ反攻した英雄です。 日本では日本の血を引いた忠義の英雄です。 見る人によって英雄の英雄たる意味が変わるんですね。 ちょっと不思議な気がします。 第三者である韓国の人だったらどのように評価するでしょうね?

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