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『晋書』『佩文韻府』に「景初四年」?
邪馬台国論争の主要な論点の一つに、三角縁神獣鏡=中国製説vs日本製説がありますよね。以前、京都の古墳から「景初四年」の年号が入った三角縁神獣鏡が発掘されたとき、その年号は魏では使われてないから日本製の証拠だ、といわれていたように思います。 ところが、週刊新潮の6/16号に、『邪馬台国』論争にケリをつける!?「卑弥呼の鏡」の新証拠!という記事があり、その中で聖徳大学の山口博名誉教授が、『晋書』や『佩文韻府』という文書に「景初四年」の年号が出てくるので、この年号は実際に使われていた、と言っています。『晋書』は唐、『佩文韻府』は清の時代の文書だそうですが、本当に「景初四年」が出てくるのでしょうか? 出ているとしても、そんな後の時代の文書が証拠になるのでしょうか?
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お礼
具体的なご教示ありがとうございます。 三角縁神獣鏡の製作場所や工程は、色々な説があるようですが、はっきりした根拠はなくて、そうとも考えられるというもののような印象があります(はっきりした根拠があれば色々な説がでることはないでしょうし)。山口氏がいう「銅鏡の鉗文を止め・・」も、それが特注の証拠といわれると、そんなんでいいのかなという気がします。 季刊『邪馬台国』のHPをみると、104号に「景初4年」は存在した!というのがあるので、108号のはその反論でしょうか。まだ読んでないので、どちらが正しいのかわかりませんが、『晋書』の「景初四年」がそうでないとすると、『佩文韻府』も怪しくなりますね。ただ、専門家がそんな間違いをするかという気もしますが・・・