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卑弥呼について
なぜ、日本各地で卑弥呼の鏡が次々と発見されているのか?これは、卑弥呼の従属国の証なのか?私は、卑弥呼の時代に、日本はいくつかの従属国を持っていたが一つのまとまった国だったのではないかと考える。島根県の神原神社古墳から出土した三角縁神獣鏡は、卑弥呼の国産鏡として有名だ。そして奈良県黒塚古墳から三角縁神獣鏡が、30枚発見されたのはどうしてなのか?を考えた時に、私は中国の神仙思想の神像(東父王と西王母)と獣(龍と虎)から、古代では、東は神殿を祭り、西は古墳などを祭るという形がとられていたのではないか?と考えた。東には、天照大神と呼ばれる卑弥呼の神殿、西には卑弥呼の墓説とされる箸墓古墳があるので、中国の神仙思想に基づく関係にあると、考えていいのかどうかを、教えて下さい。お願いします。
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noname#163492
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お礼
私は、正直なところ、畿内説よりかは、九州説の方が有力だと思っています。そういう雑誌も多く見かけるからです。大和国というのが、九州にあったから、宇佐神宮が大分県にあるからです。卑弥呼が祭られている神社があるということはその周辺が邪馬台国だったと考えられるからです。大和朝廷とは別の国家であったことも、後から、知りました。いろいろ教えてくれてありがとうございました。