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カルト宗教とそうではない宗教はどう違うのか?
カルト宗教とよばれるからには、それ相応の理由があるのだろう。 が、宗教に興味もなく知識もない僕には、すべて同じに見えます。 統一教会の友人もいますが、頭も良くて礼節もわきまえています。 エホバの証人の知人もいますが、みんないい人です。 同じキリスト教であるのに、カルト宗教とよばれるのは、中世の 異端審問みたいに、権力者が自分らの意に沿わないものたちを、 迫害しているように思えてなりません。 みなさんどー思いますか?
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ANo.15 私はそう思います。オーム真理教は知りません。 そういう欺瞞をどう克服していくかが私たちではないでしょうか。しかし、カルト的になるがそれは地上的存在と経験をどう超越するかの問題だと存じます。 以下はご参考:全ては夢、画像だと私たちのSelf-Realization Fellowshipは教えています。 (http://www.yogananda-srf.org/)
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- cincinnati
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イエスキリストの生きたように行きたくないものは聖書を読んでいてもクリスチャンでないと思いますし、また自分勝手に教義を作って奉ったり、あるいは教団の指導者を奉るようですと、異端とかカルトに近くなるような気がします。プロテスタントは教会に行ってみると分かりますが、牧師と信徒しかいません。その牧師でさえ「私は罪びとで皆さんと同じくキリストを知って人生が変わっただけなのだ」といってはばかりません。使徒信条というのがあってこんなことを信じてますというのはありますが、教会規則などというのもは無いと思います。ただひたすら聖書なのです。私どもの信仰の創始者であったイエスでさえ、自分でキリスト教会の創始者だと言っておりません。なぜなら彼は30数歳のときに「人々の罪を許すため」にと言って十字架で死んでしまったのでその後の教会の設立にも発展にも何ら関与していないのです。キリスト教はその開始時において教祖とも言うべき方がさっさと死んでしまったのです。プロテスタントの考えでは「すべての人が祭主なのです。」 神様と対峙するのは牧師でも教会指導者でもございません。一人ひとりが神様と交流し、日々の歩みに指示を頂いています。 聖書の個所を参照しておきます。 「神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。」Iテモテ2;5 「 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」ヨハネ14:6 「4....世の中に偶像の神などはなく、また、唯一の神以外にいかなる神もいないことを、わたしたちは知っています。5 現に多くの神々、多くの主がいると思われているように、たとえ天や地に神々と呼ばれるものがいても、6 わたしたちにとっては、唯一の神、父である神がおられ、万物はこの神から出、わたしたちはこの神へ帰って行くのです。また、唯一の主、イエス・キリストがおられ、万物はこの主によって存在し、わたしたちもこの主によって存在しているのです。」Iコリント8:4-6 以上のような意味では私は立派なカルトの信者なのかもしれません。そうであればイエスキリストを信じる者にとっては最大級の賛辞と思います。ありがとうございます。信じるということは理論ではございませんので、他の人の信じていることをとやかくうべきでもないと思います。イワシの頭も信心からという言葉の通りだと思います。たまたま最初に参加した教会がプロテスタントの教会だったことが幸いであったと思っています。毎日がハッピーであることがイエスキリストに従っていることの最大の理由です。そのような理由が無ければカルトであろうが異端であろうが、プロテスタントであろうが、即刻飛び出すべきでしょう。 私どもの立場では聖書を否定することはある意味ですべてを否定することになります。恐ろしいことだと思います。信仰が無ければそもそも同じ土曜で会話が成立しません。
本当の宗教が存在すると仮定した上で、カルトというのは、 疲弊し老朽化した物理的・生物的脳をすばらしいものであるとたたえるあり方。 精神的老いを経験と勘違いし 権威を振るう姿に対し 崇拝する・身をゆだねるというばかげた態度です。 つまり、無料のQandAで質問すれば、もうけもの。問題は解決すると錯覚している安易な信者と 強欲じじいたちに搾り取られるだけなのに、無償でサービスを提供してしまう指導層 さらには、そのどちらからも価値を奪い取り、姑息な法律を利用して 利権をほしいままにしている経営=あくの根源である無学管理者の搾取構造です。 逆に、存在するとされる本当の宗教は、 それにあやかれば、お肌も生き生きとし、見た目もよくなり、自身とともにかっこよさに磨きがかかって うきうきしてくる。同時に、はいって、精神的熟練度が高まり、心の若返りが可能な教えと行動のことです。 「しわしわで」かつ「うるさい」のは、どう考えても間違っています。どっちか なら許容範囲かもしれません。 麻薬・薬物・狂信に頼らず、幸せになっている人に近づくことが先決でしょう。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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ANo.1さんがご回答されている、カルトの特徴 [編集]マイクル・シャーマーのご紹介を拝読すると、つまり宗教ではないものですね。 http://dictionary.goo.ne.jp/srch/jn/%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%88/m0u/ では、宗教的崇拝。とありました。 http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/30044/m0u/%E3%82%AA%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%88/ では1 超自然の現象。神秘的現象。2 目に見えないこと。隠れて見えないこと。とありました。 そしてご質問のカルト宗教に関しては、先にご回答のみなさんの仰せの内容でいいつくされていると存じます。 カルトか否かは多分に外表からの区別であり、観念のようですね。 私も50年ほどヒンドゥの信仰を勉強し精進しており、いわゆる信仰者、精進者、devoteeということです。 最初は、まぁ何か美容や健康に応用されているハタ(ハサ)を一応本格的に6年ほど。その後、多少禅に類似のラージャ。 まぁカルトでしょうね。社会的か、反社会的か、非(超)社会的か。社会的な布教や活動をしませんし、社会を離脱することもよいこととはいっておりませんし、社会の大勢的やり方への順応を尊重していますが。 無論、ラージャにもたくさんの種類があるでしょうが。 そういう、軟らかい宗教も結局、科学理論との矛盾をおかしいものだといっても、それを超えた理論をもっていますので、個人の思考面(外に現われる生活面は他の人と同じに普通にするようにいわれている)ではカルトといえそうです。 そういうのも含め、多くのラディカルで、先(急)進的な宗教もだんだん鋭どい角がとれ、善男善女たちの習俗や民俗風俗になっていくのでしょう。 そうなった宗教はカルトではないでしょうね。 でも宗教の中身って、つまり信仰って、カルトなんでしょうね。 カルトやオカルトを避ける、禁止する。という場合のカルトやオカルトっていうのは、ANo.1さんがご回答されている、カルトの特徴 [編集]マイクル・シャーマーのご紹介以上ではないと存じます。 つまり宗教ではないものということになると存じます。
- mmky
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カルト宗教とそうではない宗教はどう違うのか? ○ 宗教は大小はあるにせよ一般人には理解不能の秘密の部分がありますからカルト性はみんなあるものです。カルト性を言葉で信じるか、儀式に変えているかの差で見え方多少違う程度ということでしょう。 さて、本題に戻って、質問の趣旨は宗教が「正教」か「邪教」かの違いという意味でカルトを使っておられるのでしょう。 宗教では「正教」と「邪教」が明確に分けられます。その線引きはまっとうな当業者には非常に簡単ですが、それが一般人や妄信した者には非常に難しいのですね。それで大抵はまともな回答にはならないのです。 どの宗教も宗教を起こす際に大抵は霊示を受けて起こします、受けたものがそれを信じてということになるのですが、悲しいことに受けたご本人がどのような者からの霊示かが判らないのですね。 つまり、教祖が本当は誰を信じているか、あるいは教祖の影に隠れているものが誰かで、「正教」と「邪教」が分かれるのですね。つまり宗教でいう奥の院の住人が天子か悪魔かでその宗教の性質が決まっているということです。奥の院の住人は目には見えない存在ですので普通はわからないんですね。 キリスト教系ですと大抵、キリスト教系の悪魔が鎮座してます。仏教系ですと仏教系の悪魔たちですね。 大きな教団に成ればなるほどトップの悪魔たちがいるということですね。質問にあげられたところにはキリスト教系のトップの悪魔が鎮座してますね。こういうことはお人よしの一般信者にはわからないことですね。教会や寺院にもたくさんいますよ。そういう意味では悪魔同士の権力闘争にはいっているのかもしれませんね。でもまちがいなく奥の院に神仏や天使がいる宗教もあるのですね。 まあ、その違いが一生かけて判るようになるといいですね。それは言い換えれば迷いの人生からの卒業ですね。
- hekiyu
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色々理由はつけられるでしょうが、結局は同じだと思います。 オーム真理教だって、2000年続けられるだけの 力や運があれば、キリスト教になれます。 キリスト教は2000年生きながらえたオーム真理教に すぎません。 オームは悪いことをした? オームが数百人しか殺していなにのに、キリスト教は 数千万殺しています。 キリスト教は2000年の間に、洗練され理論武装が 進みました。 2000年続いたので、社会の警戒が薄れ、認知され 信者が増え、積極的に組み込まれただけです。 宗教は皆胡散臭いので、社会に認知されるまで 警戒されるのです。 それでオカルトという名をつけて、注意信号を発する ようにしているのです。 それだけだと思います。
- cyototu
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#1さんが紹介して下さったカルトの特徴に、 1)絶対的な真理 さまざまなテーマにおいて、指導者、あるいは集団が見いだした究極の知識に対する盲信。 2)絶対的な道徳観 指導者、あるいは集団が確立した、組織の内外を問わず等しくあてはまる、思考および行動に関する善悪の基準への盲信。その道徳の基準にきちんと従えば、組織の一員としていられるが、そうでない者は破門されるか罰せられる。 と言うのがあるそうですが、それに正に相当する例が奇しくもこの回答欄に出ていますね。 曰く、 「偽預言者を警戒しなさい。彼らは羊の皮を身にまとってあなたがたのところに来るが、その内側は貪欲な狼である。あなたがたは、その実で彼らを見分ける。茨からぶどうが、あざみからいちじくが採れるだろうか。すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。良い木が悪い実を結べことはなく、また、悪い木が良い実を結ぶこともできない。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。このように、あなたがたはその実で彼らを見分ける」 要するに、上の1)の言う如く、自分だけが絶対の真理だと言うことを主張し、それに盲信せよと要求している。 また、曰く、 「この書の預言の言葉を聞くすべての人々に対して、わたしは警告する。もしこれに書き加える者があれば、神はその人に、この書に書かれている災害を加えられる。また、もしこの預言の書の言葉をとり除く者があれば、神はその人の受くべき分を、この書に書かれているいのちの木と聖なる都から、取り除かれる。 ということで、2)に述べられているように、自分の決めた善悪の基準を盲信しない者は取り除かれる、と言っています。 そして、 3)「書き加えても、削除してもいけない」と明確に述べられています。 もカルトの典型的な条件を満たしておりますね。 4)従いましてその教会が聖書的か否かはまず聖書以外の書物を持っているかということが目安になるのではないでしょうか。 これも、カルトの条件を満たしている。 西洋の天才達が本気で考え続けて来たキリスト教が、こんな説明で納得出来る筈がありません。そんな理解の程度でいるから、江戸時代初期の鈴木正三の『破切支丹』のなかで、 「程度の低い宗教ほど、魔術などに頼って無教養な連中を誑かすものだ。だから、仏教のような高度な宗教はそんな魔術に頼らずに、奥の深い教義で人々を説得している、ところがキリスト教には奇蹟という子供だましの魔術が多すぎる」 と喝破されてしまうのですね。 私は、キリスト教ってそんな程度のものだとは思っていないのですが、キリスト教を盲信する方を見ていると、キリスト教もカルト集団ではないかと不安になってしまいます。
- cincinnati
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カルトであるとか異端であるとかという名前を付けて排除するのは確かに状況を知らない人たちから見ますと、あまり美しいものではないと思います。聖書には次のような箇所があります。 「偽預言者を警戒しなさい。彼らは羊の皮を身にまとってあなたがたのところに来るが、その内側は貪欲な狼である。あなたがたは、その実で彼らを見分ける。茨からぶどうが、あざみからいちじくが採れるだろうか。すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。良い木が悪い実を結べことはなく、また、悪い木が良い実を結ぶこともできない。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。このように、あなたがたはその実で彼らを見分ける」マタイ福音書7・15~20 ある異端の教会では脱税で米国に入ることもできない教祖がおりますし、お金集めに奔走している教団もあります。あるいは団体内で婦女子に対する不適切な行為が行われている教団もあります。どうしてそのようになってしまたのでしょうか。聖書の別の個所を見てみましょう。 ヨハネの黙示録 この書の預言の言葉を聞くすべての人々に対して、わたしは警告する。もしこれに書き加える者があれば、神はその人に、この書に書かれている災害を加えられる。また、もしこの預言の書の言葉をとり除く者があれば、神はその人の受くべき分を、この書に書かれているいのちの木と聖なる都から、取り除かれる。 異端とかカルトと呼ばれている団体では聖書以外の書物を勝手に書いて、それを聖書と同等に置いています。しかし聖書では「書き加えても、削除してもいけない」と明確に述べられています。いわゆるプロテスタントの主旨は「聖書に帰ろう」と言うことですので、この点で異端やカルトの団体は似て非なる教義をもって活動しているということにおいてそもそも道をはずしてしまっています。つまり聖書から都合のよいところだけ取り出し、その他は他の教義を作成して、それを奉っているうちにモラルの崩壊を招いているように思えます。 従いましてその教会が聖書的か否かはまず聖書以外の書物を持っているかということが目安になるのではないでしょうか。その結果、罪が許容される団体になってしまうという過程を経るのではないでしょうか。
- JidousyaGaisya
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カルト http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%88 無宗教 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E5%AE%97%E6%95%99 無神論 http://ja.wikiquote.org/wiki/%E7%84%A1%E7%A5%9E%E8%AB%96 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E7%A5%9E%E8%AB%96 私見では、人類が宗教からの自立を叶えてほしいと望んでいますが、 此処で主観的な価値判断を表明するべきではないのかもしれませんので、 参考にして頂けそうなウェブページのURLを紹介致します。
こんばんは。(・∀・)ノ カルトの特徴 [編集]マイクル・シャーマーによれば、一般的に以下のように性格づけられる。 指導者に対する崇拝 聖人、あるいは神格に向けられるものとさして変わらない賛美。 指導者の無謬(むびゅう)性 指導者は絶対に間違いを犯さないという確信。 指導者の知識の広さ 哲学的な事柄から日常の些細なことまで、指導者の信条や口にすることはなんでも無条件に受け入れる。 説得のテクニック 新たな信徒を獲得し、現状の信仰心を補強するために、寛大なものから威圧的なものまで手段はさまざま。 秘密の計画 信仰の真の目的と計画が曖昧としている、あるいは新規入信者や一般大衆にはそれらが明確に提示されていない。 欺瞞 入信者や信徒は、その頂点に立つ指導者や集団の中枢部に関してすべてを知らされるわけではなく、また大きな混乱を招くような不備や厄介事に発展しそうな事件、あるいは状況は隠蔽されている。 金融面および性的な利用 入信者や信徒は、その金銭およびそのほかの資産を差し出すよう説得され、指導者には一人かそれ以上の信徒との性的関係が許されている。 絶対的な真理 さまざまなテーマにおいて、指導者、あるいは集団が見いだした究極の知識に対する盲信。 絶対的な道徳観 指導者、あるいは集団が確立した、組織の内外を問わず等しくあてはまる、思考および行動に関する善悪の基準への盲信。その道徳の基準にきちんと従えば、組織の一員としていられるが、そうでない者は破門されるか罰せられる。 ということらしいですが。 私は、今の新興宗教をしている教祖の方々は、元々、昔からの宗教を勉強されていた方々なんですね。 でもそれらではだめだ、自分が教祖になって自分の教えを広めなければいけないんだと、 だから、中身は元の宗教をちょと変えたり、いいとこどりしただけなんです。 単なる、教祖のエゴの塊なんですね。 だから、教祖が亡くなれば、より多くの信者の人たちの意見によって洗練されたものになると思います。 でもそうすると、元の宗教と変わらなくなるので、また新たな、教祖が出てくると。 結局、私は、宗教を学んでる人達はいったい何をやっているんだと言いたくなります。 人間を救いたいなら、まづ、宗教家同志の争いごとを失くしてくださいと。 「宗教対立ばかりしてては、何時か本当に人間は滅びるだろう。」と思います。(>_<) また、権力と宗教は強く結び付いているんですね。 だから、新たな宗教は反権力なんです。 反権力は、テロ、革命にもつながります。 反権力が国を治めても、また、新たな宗教(教祖が亡くなるとあまり元の宗教と変わらない)と繋がります。 前にも述べたように、単なる宗教家のエゴはへたすると戦争になります。 だから、宗教対立は止めてくださいと言うことです。 (>_<)
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補足
>ある異端の教会では脱税で米国に入ることもできない教祖がおりますし・・・・ でも、バチカンも第二次世界大戦中のナチスのユダヤ人に対する迫害を、 みてみぬふりをしていますよ。所詮は同じ穴のムジナのよーな気が・・・