信じている人と信じていない人がいるのはかなり昔からでしょうね。
中世ヨーロッパといえばキリスト教で、イスラムもある時代です。
ユダヤの宗教から、極端な宗教改革ともいえるかたちで
キリスト教やイスラムが生まれたのは、当時の聖職者が堕落していたからこそだし
堕落した宗教家が、神罰を現実的に意識して、職についていたとは考えにくいと思います。
現代の先進国では、古来からの宗教を重視しない人が増えたのは
就学率が高く、ものごとが科学で説明されていて
ものごとを理解不能のちからとしてとらえることが減ったからでしょう。
半面…理解できないものを神や何か特別なものとして感じることは
現代人においてもごく普通のことだと思っています。
不幸を原始的な信仰である"祟り"として考えること多いんじゃないかと思います。
逆に僥倖に神を感じる人はあんまりいないかも。
結局、自分の価値感を客観的に考えることは難しいという話で
教育や指導のいかんによっては、神についての考え方は
現代でも大きく変わるし(先進国でも日本と米国ではかなり違いますよね)
何を神のごとく崇めるかも大きく変わると思います。時として人さえ神になる
#ex.「あなたが神か」「なんだただの神か」
八百万の神のような存在を単一の神の下において説明付けてきた経緯はありますから
現代のキリスト教圏やイスラム圏にも、日本と同じような感性はあります。
宗教学的に考えれば、宗教的指導者であったイエスが
神と同一の存在だと説明づけたキリスト者は
良き教義を広めるために、一神教をかなり曲げたと感じています。
人でも天使でもないサンタクロースの存在は、かなりの大譲歩でしょうし…
たくさんの神を悪魔呼ばわりしたキリスト教ですが、その前には
たくさんの神をそれは天使だとして宗門を広げたりしているわけです。
("-elつけりゃいい理論"と呼べる考え方があったと…)
いつも大衆は納得できれば神を信じるし、逆にその力を感じられず
また違う説明に納得できれば、神を信じなくなるものなのだと思います。
#ぼくは科学崇拝者 :-)
お礼
うーん、神っていうと絶対ってイメージだったけど、やっぱりそこは人間なんでしょうかね?神様と人間はセットで考えなくちゃいけないですね。 詳しく書いてくれてありがとうございました