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「驂鸞」とは?
旧制第七高等学校寮歌「北辰斜め」の歌詞に出てくる「驂鸞」とは一体何のことでしょうか?
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諸橋轍次の「大漢和辞典」によりますと、「驂鸞」とは 1.鸞をそへ馬とする。美しい車。 2.美しいものの喩。とあります。 七高などの多くの寮歌に登場する「驂鸞の夢」は「美しい夢」の意味だと思いますが、その背景にはこれまでの回答で指摘されているように鸞という想像上の美しい鳥に乗って仙人が雲遊するイメージもあるのではないでしょうか。 この「驂鸞の夢」は明治32年に刊行された土井晩翠(当時27歳)の第一詩集『天地有情』の中の作品にも登場します。 暮鐘 …… 天地有情の夕まぐれ わが驂鸞の夢さめて 鳳樓いつか跡もなく 花もにほひも夕月も うつゝは脆き春の世や …… 多くの寮歌にも登場することから考えますと、「驂鸞の夢」という言葉は明治から大正にかけて、あるレベル以上の教育を受けて漢文の素養のある若者が愛用した言葉であったと思われますが、現代ではほとんどの辞典に載っていない死語になってしまったようです。
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- SPS700
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驂鸞は、下記のように韓愈の「逺勝登仙去,飛鸞不暇驂」に依り、 http://zh.wikisource.org/wiki/%E9%A9%82%E9%B8%9E%E9%8C%84 「仙人が鸞鳥に駕して雲遊すること」という#2さんの解釈は、正しく、中国では下記のような范成大の紀行文の題にも使われています。 http://www.amazon.co.jp/%E5%91%89%E8%88%B9%E9%8C%B2%E3%83%BB%E6%94%AC%E8%BD%A1%E9%8C%B2%E3%83%BB%E9%A9%82%E9%B8%9E%E9%8C%B2-%E6%9D%B1%E6%B4%8B%E6%96%87%E5%BA%AB-%E8%8C%83-%E6%88%90%E5%A4%A7/dp/4582806961 僕は、こういう正規の中国の意味と少し違った意味で七高寮歌の作詞が行われたのではないか、と文脈から思っただけです。
お礼
更なるご回答ありがとうございました。私も范成大の紀行文の題名は知っていたのですが、韓愈の「逺勝登仙去,飛鸞不暇驂」については知りませんでした。ご指摘の通り、日本の寮歌や校歌で使用されている「驂鸞の夢」は本来の意味とは少し離れたものであるようです。
- dayone
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下記WEBページによれば、中国語で「驂鸞」は 「仙人が鸞鳥に駕して雲遊すること」を意味することもあるようですから、 だとすれば「自在に駆け巡る(夢)」といったところでしょうか。 ◆小山裕之のホームページ http://yuzhi68.web.fc2.com/ >中国文学>清代小説 白話 『閲微草堂筆記』>第六巻 濼陽消夏録六 http://yuzhi68.web.fc2.com/yw06.htm …塵海[155]語るに堪へざるべし、驂鸞[156]を試みて紫清[157]に向かふ。… ◇[156]驂鸞…仙人が鸞鳥に駕して雲遊すること。 http://www.zdic.net/cd/ci/11/ZdicE9ZdicAAZdic9680870.htm ※『閲微草堂筆記』…中国清代の文語体短編奇談集。 『四庫全書』編纂を終えた紀韵(きいん)[1724-1805]の著。 門人の盛時彦が1編に編集。狐鬼幽怪の怪談・奇談を淡々と記す。 ただ、当時の作詞者が上記の漢語を知っていたか否かは謎ですし、 下記WEBページの記述にもあるとおり ◆鹿児島大学理学部同窓会のホームページ>2006年度の最新情報 第七高等学校造士館 第14回紀年祭歌 北辰斜に 「北辰斜に」の歌詞についての考察 http://www.sci.kagoshima-u.ac.jp/~dosokai/dosokai/shichaku/2006/hokushinnaname/nanmei.htm 「…その簗田先輩はなぜ辞書にない「南明」の字を使ったのであろうか。 「大瀛」「驂鸞」といった難解の文字を使い、 「芳英」というこれも辞書にない字句を並べているのも 当然考えがあってのことにちがいない。…」と作詞者の造語を示唆している事からすると、 No.1の SPS700 様のおっしゃるとおりの可能性の方が高いかもしれませんね^^ あと、上記WEBページによれば 「簗田氏自身の歌稿は残っておらず、したがつて原詩の詮索は不可能であるが、 安東謙治氏が刻明に筆録された大正4年10月22日発表の 「北辰斜に」全歌詞こそ作者本来のものであった。」とする一方で 「聴くところによると校歌集の発行権は設立の新しい南寮に与えられていたが、 編集に際し委員は辞書を片手にあたらしい漢字をあてることをもって “学”をひけらかす風があったという。」ことの可能性も残るとすれば、 最初の漢語からか、あるいは例えば「燦爛」だったのを単にあたらしい漢字として無雑作に 「驂」と「鸞」を当て嵌めたのでは?との妄想も広がります^^
お礼
早速のご回答ありがとうございました。私は漢文は苦手なので、ご丁寧な文献引用までしていただいて大変参考になりました。「仙人が鸞鳥に駕して雲遊すること」とは、本当に明快なご解釈をいただきました。またご指摘の通り、「北辰斜め」の歌詞には大変難解な言い回しが使われており、他にも通常では使用されない熟語が見られます。より格調高く謳い上げるための作詞者の造語とも考えられますが、本来の意味からある程度外れた語彙の使用がなされているのかも知れません。
- SPS700
- ベストアンサー率46% (15297/33016)
まず、失敗のご報告から、驂鸞(さんらん)は、オンラインの国語辞書にも、小学館の『日本国語大辞典』にもありませんでした。「驂」と「鸞」はバラバラにはありました。 1。驂(さん)は『三省堂漢和辞典』には、三つ意味が挙がっています。 (一)四頭立ての馬車の外側の二頭 (ニ)三頭立ての馬車 (三)驂乗。そえのり。貴人の馬車の右側に乗って、お供をする<こと<人 2。鸞(らん)は、同じ辞書にやはり三つの意味が挙がっていました。 (一)霊鳥の名、鳳凰の一種 (ニ)=ラン(鸞の鳥の代わりに金)。スズ (三)天子が使われる物の名に冠する美称 とあります。 3。文脈は「驂鸞の夢」として、旧七高寮歌にも、下記のように旧名古屋高等商業学校の校歌などに出てきます。 http://kitan90.6.ql.bz/kouka.html 4。旧七高寮歌では次の文脈にあります。 悲歌に耳藉す 人もなく 沈み濁れる末の世の 驂鸞の夢よそにして 疾風迅雨(じんう)に色さびし 古城の風に嘯ける 健児七百意気高し 5。こう見ますと「沈み濁った末の世」と関係があって七高生は、避けるべきもののようです。したがって、目立つところにいるが仕事をしていない「そえうま」の驂、目立つところにあって音は出すが実用にならない「鈴」の鸞、すなわち「きらびやかではあっても、役をしていないもの」、という意味ではないでしょうか。 6。競争相手との釣り合い 第一高等学校の第二十年記念寮歌、「嗚呼、玉杯に花受けて」の中に下記のように「栄華の巷低く見て」(贅沢にふけっている町の有様を軽蔑して)というのがありますが、それに似たような弊衣破帽時代を謳歌する実質主義を歌ったものかと思います。 http://www6.ocn.ne.jp/~kohryoh/ryoka02.html
お礼
早速のご回答ありがとうございました。辞典引用までしていただいて大変恐縮しています。旧名古屋高等商業学校の校歌は知りませんでした。私も自分なりに調べてみましたが、明快な説明がなかなか見つかりませんでした。ご指摘の通り、「驂鸞の夢」というある種の決まり文句としていくつかの引用例が有るようでした。栄華に耽る世の中を、比喩的に表現したものと解すれば良いでしょうか。 旧制高等学校の寮歌や校歌が好きで、CDなどで良く聴いています。おっしゃる通り、「北辰斜め」も「嗚呼、玉杯に花受けて」などと相通じる当時の実質主義を重んじる学生の心意気を謳ったものだと思います。
お礼
ご回答ありがとうございました。「大漢和辞典」まで調べていただきまして恐縮しています。流石に掲載されている辞典も有るのですね。大漢和辞典では、かなり語源に近い意味が示されていることを教えていただきました。 中国では「驂鸞」は元来、鸞という想像上の美しい鳥に乗って仙人が雲遊するイメージを例える言葉だったのですね。一方、我が国では「驂鸞の夢」としてどちらかといえば「美しいけれども、空虚なもの儚いもの」の例えとして使われているようです。この由緒ある言葉が現代では死語になってしまっているのは、とても残念な気がします。 本当にありがとうございました。多くの皆様から教えていただき、長年の疑問が解決いたしました。