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緑酒
旧制高校寮歌で馴染んできている、緑酒はお酒の美称だそうです。 これが気に入らないというのではないが、出典的には中国の古典文学に使われてきているのが、経緯としてはあるようです。 秋、月、日本酒。たしなむ程度にしたいものですが、日本酒と中国の酒とは、やはり趣むきも異なることもあります。 それに伝えられる文化や文献で知る中国は素晴しい世界を画かせてくれますが、やはり日本人の気持ちで楽しみたいと存じます。 東洋人の肌に合う真珠(しらたま)の歯に染みとおる酒というのは、透き通ったと緑でもいいが、日本人としては日本酒に合うような、何かいい美称はないでしょうか。色なら黄金ですか。でもこれなら緑の方が月には合いそうな感じだし。 どなたかどこかで、日本酒に合うような、美称をお使いになられていないでしょうか。 暢気なことを、お忙しい皆様に伺いするのは申し訳ないのですが、私としては困っています。どうかお教え下さい。
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酒 美称 でGoogle 検索してみました。 http://www.asahi-net.or.jp/~mu9h-atb/otsuka/imyou.html http://www.alpha-net.ne.jp/users2/negotoya/imyou.htm 菊の水、春酒(中国)瓢の水、瑠璃の酒、などがあるみたいです。 (やはり中国の出典が多いようですね。) ご質問の趣旨とははずれるのですが、(ご存知とは思いますが) 悠久の酒、幻の酒、旬の酒、雪見酒、ましら酒、、等 また寮歌では「賛酒歌」としてご存知かもしれませんが「紫淡く水むせぶ」 http://homepage2.nifty.com/akihiko-nakano/e-ryouka.htm と言うのも有るようです。(酒の美称ではないのですが) 余談ですが、私(女:四十半ば)寮歌、十曲(「嗚呼玉杯に花うけて」「南下軍の歌」等)ぐらいは歌えるんです。(笑 高校の行事で、砂浜でストームをやりました。ご質問文を拝読して、嬉しく、懐かしく思い出しました。
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- o23
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美称とは言えないでしょうが、まぁ参考までに・・・ 「水辺の鳥」・・・洒落です 「ささ」 「竹葉」 「菊水」「菊の水」 「笹の露」 「玉箒」 「忘憂」
お礼
有難う御座います。 よく検討させていただきます。 何か、お酒の銘柄に使われそうなことばですね。 美と、肌の感覚、景色状況が浮かびます。 詩わない詩人がちょいと、秋のせいか、駄作し、其の中で何とかいいことばをと苦労しているのです。 妹に額を書いてもらおうと存じておりますが、韻の不正確な漢詩で。
補足
笹、竹。好きなあしらいです。 老梅も好きですが。花がなくても、あのぶきっちょうな枝が。 其の都度説明したり、どこかに注記や解説をつけておくようでは困りますしね。誰に見せる額でもないのですが。
お礼
全て新しい知識です。早速に有難う御座います。 心よりお礼申しあげます。 寮歌はたいへん酔い痴れるものがあります。 しかし、そういうふうに、青春を謳歌し、指導者の心意気精神とその 道を行くものの一方には、ことばも声も持たない、いえ持つことを許されも、可能性もなかった人たちもいるのでありましょうね。 だからこそ、エリートはエリートとしての気概で、天下万民に尽くす、奉仕するという心意気ももっていたし、また涵養に務めたのでしょう。 全部の人では勿論なかったでしょうが、どの世界も同じに。 でも所詮は人としての存在だから、そういうエリートたちと雖も、勿論、競争、落としあい、いろんなことにこんがらがっていってしまった人も、たくさん見る中で、なんとも卑賤なという思いも持たされることもあります。寮歌の世界とは隔絶はなはだしいのですが。 人次第でも有るし、意識と自覚だと存じますが。 素晴しい人は、やはり努力と経験をしています。 私は古希、貴女は子らの世代のお方ですね。 此身は45年以上一つの大学で定時定点観測で、多くの先輩を拝してきました。労組の中心でもありました。 人の悲しさ、素晴しさは今、またこれを新たにしております。 それは年老いたそういう各位にまた、お会いする機会があるので、やはりこの方は、こうなってしまうのかと。 でも素晴しい方は同じなのです。 同じ寮歌で育ちながらなのにですね。 寮歌の時代と精神、思想は。これは日本人、私たち自身の青春として、一定のエリートの独占・占有ではありませんよね。 無関係な身ではないかと謂われても、素晴しいですね。 [どこの国の人であれ、クリストフの顔を、見ている人はあしき死をしなないであろう]と、ロマン・ロランは言わなかったかな。
補足
私はユダヤの選民思想は知りません。 でも[人は自分の存在の意義と役割を自覚しなければ、その人生は意味がない]というような意味のことを下村湖人もいっておりましたと記憶します。 寮歌に酔い痴れてて、独りよがりの意気込みで行動する年齢ではありませんし、育った時代も、社会的立場階級も異なりますが、心意気だけは同じです。 寮歌のことでは、http://kikitai.teacup.com/qa3314232.htmlでも教えを受け、とてもありがたく、ご回答の方のお人柄の、純粋さを、しのんでいます。 邂逅に恵まれた、かの方々と同じ日本人性を感じております。 どうか今後も、素晴しいお方であられますように。お元気で。