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戦前の師範学校について

戦前には、教員を養成する師範学校がありましたが、師範学校は、旧制中学校を卒業した後に入学したのでしょうか。

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  • yumihiko
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回答No.2

残念ながら数的データを持ち合わせないので伝え聞く範囲でお答えします。 戦前の師範学校は、第二次世界大戦中の学制改革までは高等小学校卒後に進学するのが基本ですので、中学校からは普通進学しませんでした。 田舎の自作農やあまり大きくない地主の長男は地元を離れることを許されなかったので、高等小学校卒後農業学校か師範学校へ進むことができれば幸運だったようです。 高等師範学校というものもありましたがこれは主に中学校教員の養成機関で、中学校卒か師範学校卒の学生を受け入れていました。類似するものに農業教員養成所や工業教員養成所があり、それぞれ農業学校や工業学校の教員を養成していました。 ただし戦時中の学制改革によりNo.1さんの回答のように、予科3年を経て本科3年に進むようになりました。 このため戦後、教員養成学校は新制高等学校相当ではなく大学相当になった経緯があります。 (なので戦後かなりの長期にわたり、文学部など伝統のある大学学部の教官は、同じ分野の研究をしていても教育学部の教官や教養部(旧制高校相当)の教官を見下していたところがあります)

buck
質問者

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その他の回答 (4)

回答No.5

旧制中学と師範の生徒が仲が悪かったのは、単なる「同年配なのでお互いに睨み合う関係もあった」からではない。 そもそも、その階層自体が違う。まあ、こんなことは、現在の人には理解できないでしょうね。 「教育の民主化」。それが良かったのか?どうだったのか?その結果がはっきり出た最近です。

buck
質問者

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  • tatsumi01
  • ベストアンサー率30% (976/3185)
回答No.4

皆さんが書かれている通りです。 夏目漱石の「坊ちゃん」で中学の生徒と師範学校の生徒が喧嘩する事件がありますが、中学と師範学校とは同年配なのでお互いに睨み合う関係もあったでしょう。

buck
質問者

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  • yumihiko
  • ベストアンサー率50% (76/152)
回答No.3

No.2です。若干補足を。 第二次大戦中の制度変更より以前は、  高等小学校卒業者=師範学校予科2年・本科3年  中学校卒業者=師範学校別科1年 で小学校の教員免状が取得できました。 ですので中学校から師範学校へ行かない、ということはないですが、イメージ的にはやはり高等小学校卒業者が行く学校、と捉えられていたようです。

buck
質問者

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回答No.1

『学制百二十年史』(文部省編)から引用している手元の本によれば、師範学校入学は、大正10年当時では高等小学校3年間の後に(3年目が予備科となることもあったようです)、昭和19年当時では、国民学校高等科2年間の後、師範学校の予科2年を経て本科へ、または中学校を卒業して本科へとなっていたようです。 高等科・予科経由と中学校経由とどちらが多かったかはわかりませんでした。

buck
質問者

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