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戦前の女子高等教育
戦前の旧制大学 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A7%E5%88%B6%E5%A4%A7%E5%AD%A6 は、学歴のピラミッドの頂点に立つ存在でした。 女性の場合、男性の旧制中学に相当する高等女学校の上は * 各県が設立していた女子専門学校 * 東京と奈良の高等女子師範学校 * 日本女子大、東京女子大など、名称は「大学」だが、旧制大学には含まれない私立学校 * 東京女子医専(現 東京女子医大)、帝国女子医専(現 東邦大学医学部) ※戦前に女子が医師になる為の学校は私立で2校だけだったようです。 など、旧制大学よりワンランク下の「旧制専門学校レベル」の学校で「打ち止め」が原則であったようです。 旧制専門学校 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A7%E5%88%B6%E5%B0%82%E9%96%80%E5%AD%A6%E6%A0%A1 高等女子師範を卒業すれば高等女学校の教師になれ、女子医専を卒業すれば医師になれましたので、成績優秀でかつ「自立」を志す女性はこのいずれかの進路を目指したようですが。 一方、上記のような専門学校レベルの学校を出た女性が、戦前に「旧制大学」に正規に入学して学士号を得ることは不可能ではなかったようで、東北帝国大学では大正期に日本初の「女性学士」が出ております。 東北大学理学部のHPより http://www.sci.tohoku.ac.jp/ja/third/sci-rekishi06.htm 「1916年 日本の大学最初の女性学士3名卒業(数学科1名、化学科2名)」 戦前に旧制大学を正規に卒業して学士号を得た女性がこの3名だけとは考えられず、他にも女性を正規の学生として受け入れる旧制大学は存在したと推定できます。 質問ですが 「東北帝国大学理学部以外に、女性を正規に入学・卒業させて学士号を与える旧制大学はどのくらい存在したか?実際に学士号を得た女性はどのくらい存在したか?」 です。よろしくお願いします。
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このご質問が投稿された直後にネット検索したところ、「旧制大学における女性受講者の受容とその展開~戦前大学教育の一側面~」(日本大学教育学会紀要:第32号)という論文(PDFファイル)がヒットしまして、東北帝国大学のケースの後に北海道帝国大学と九州帝国大学で女性が正規入学した旨の事例が記載されていました。 ただ、今回改めて検索したら、当該ファイルは開けない状態でした。 また、次のようなサイトがありました。 http://www.archives.tohoku.ac.jp/tenji/special/joshi.htm これによると、昭和初期には「東京・京都を除く各地の帝国大学や私立大学等で女性の入学が認められるようになった」とありますが、その裏付けについての言及はありません。 さらに、次のようなブログがありました。 http://www.melma.com/backnumber_56527_1692001/ これには、女子高等師範を卒業して文理科大学に行くという抜け道があったと書かれています。文理科大学とは、教員養成の旧制大学であった東京文理科大学と広島文理科大学のことかと思われます。 しかし、これは又聞き情報のため、多分にシステムを勘違いしている可能性もあります。 正規入学・卒業の実数については、ネットで検索をした限りでは不明です。文部省等による高等教育に関する統計でも、旧制大学の女子学生に特定したデータはないからです。 ここで確度の高い情報を得るのは難しいと思われますので、大きい図書館のレファレンス・サービスを利用するなど、他の方法を講じた方がよろしいのではないでしょうか。
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- petunia
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東北大学の理学部以外にということなので・・・ 同じ東北大学ですが、英文科を戦前に卒業された方が いらっしゃいます。 東北大学は、戦前に女子学生を受け入れたことで有名ですね。 他の学部卒の方も、いらっしゃるんじゃないでしょうか。
お礼
ご回答有難うございます。東北帝大は、女性の受け入れについては日本の最先端を行っていたようですね。 仙台市のサイトより http://www.city.sendai.jp/soumu/kouhou/shisei/old/sis0208/shishi.html 「大正の末ころから、東北帝国大学では恒常的に女子学生を受け入れていく」 東北大学のサイトで、 http://www.sal.tohoku.ac.jp/news/abelec05.html 「戦中・戦後に女子学生として東北大学に学んで」 「講師 原田夏子氏(国文学者・歌人・仙台市在住、昭和18年10月入学、昭和21年9月卒業)」 とあります。旧制大学は3年制ですので、この女性は正規の学生として恐らく文学部国文学科に入学して、正規に卒業したものと思われます。 「戦前、帝国大学で女子の入学を認めていたのは、東北帝国大学と九州帝国大学のみだった」ともあります。 この方の講演と同様の内容が本になっているようです。 「回想東北帝国大学 戦中戦後の文科の学生の記」原田夏子・原田隆吉/著、東北大学出版会 http://www.7andy.jp/books/detail?accd=31935469
補足
旧制大学は「帝国大学」だけではなく、 * 東京商科大学、新潟医科大学、京都府立医科大学などの単科の官公立大学 * 早稲田大学などの私立大学 もあったわけですが、女子の正規の学生(研究生、聴講生などではなく)としての受け入れは行われていたのでしょうか。 引き続き、諸賢のご教示をお待ちいたします。
お礼
ご回答ありがとうございます。 ご紹介の東北大学のURLでは、戦前に東北帝大の女子学生(正規学生、聴講生)が 「昭和初期には「芝蘭会」という女子学生の親睦組織もつくられています」 というくらい存在したことが判ります。自分の大学の話ですからこれは事実でしょう。 写真を見ると、昭和15年の東北帝大法文学部には、10名近い女子学生がいたようです。各学年に3人の見当になりますからかなりの人数ですね。 ただ 「この時期には、東京・京都を除く各地の帝国大学や私立大学等で女性の入学が認められるようになります」 については情報ソースも不明ですし、仰るとおり不鮮明な情報です。 「女高師から文理科大学への進学」についてですが、ご紹介のブログは確かに「又聞き」で信憑性が薄そうですね。 ちなみに、私の恩師である「奈良女高師卒の数学教師」は、女高師卒業後に大学に進んだりはせず、直ちに高等女学校の教師となり、長く奉職したようです。その先生は 「日本に二つしかなかった女高師は戦前の女子の最高教育機関だったんやで!」 と威張っておられました。(笑) また、女高師には3年制の「専攻科」が設けられていたようで、そこを出れば「もう学ぶものは無い!」と胸を張ったことでしょう。私の先生も「奈良女高師の専攻科卒」だったのかもしれません。 (既に故人ですので確かめようが無いですが)
補足
戦前の女子高等教育についての研究書はないのでしょうか? それこそ、お茶の水女子大や奈良女子大、あるいは「女子大学教育のメッカ」であった東北大学あたりに、このテーマを研究している先生がいそうなものですが。 諸賢のご教示を引き続きお待ちします。