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ブータンヤマト語的なものとは
ブータンヤマト語的な、あまりにブータンヤマト語的なものとは何かと考えたとき、 思い浮かぶものとゆーと、 愛、すなわち社会生命的自覚化であり、 時間、すなわち自我仮説であり、 空間、すなわち時空仮説であり、 認識、すなわち存在的宇宙であり、 現実、すなわち存在的認識であり、 無、すなわち無限不確定化であり、 悪、すなわち非認識、非充足であり、 常識、すなわち非自覚的判断であり、 嘘、すなわち相対有であり、 原理、すなわち絶対化であり、 実体化、すなわち非現実的有限化であり、 進化、すなわち反エントロピーであり、 ・ ・ ・ そしてブータン帰りのあの人であった。 皆は何を思い浮かぶ。
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- agripapa
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製造不良のカインかな。。 現実社会で使いものにならない表裏一体の製造不良のコイン ・
- kigurumi
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>翻訳ソフトではなく、自分の感性と自分の言葉で翻訳するのです。 例えばこんなことを役所の窓口で真剣そうに訴える人をどう思いますか? 「猫は税金を支払わなくていい。猫にはひげがある。俺にもひげがある、俺は猫である。 従って俺は税金を支払わなくていい」 本人は理論が通っていると思っている。 本人が自分は猫だと主張するのですから、猫は法律では品物ですから、檻に入れてもいいですよね。 「なんでこんな狭い檻に閉じ込める」といおうと「猫がなんか にゃーにゃー 言っとる。 チーターも猫科だからチーターの檻に移すか」って言っても 社会的には許されないが、本人は猫だと言い張るから、チーターの婿として檻に入れてもいいですよね? まあ チータが婿とするか、食料と認識するかは別にして・・・ >ブータンヤマト語についてはブータン帰りのあの人に訊くのが一番えー。 ブータンヤマト語? それなんですか? それが一体この質問と どう関係があるんですか? 日本語がどこからやってきたかって説として むかし そっちら方面から来たという説がありましたが、とっくの昔に誤りだと否定されてますが、、、、、 なんか 下手な文学というか 文学を気取った売れない自称作家の文章を読んでいる気になります。 芸術性のある文章と、ただ ちょっと関連することが端っこに共通してあるってだけの文章 違いは明白ですよね。 先に述べた ひげ 関連で、「人間の男は猫である」という主張に芸術性は無い。 美しさが無い。 それなのに「俺は天才作家だ 芸術家だ」とうぬぼれる自称作家がいたとする。 ピカソと3歳時の絵は明らかに違う。 3歳児の絵を描いて 「俺はピカソだ 芸術家だ」と自称する芸術作品と3歳児の作品の違いのわからない馬鹿がいる。 自分の才能を世間にしらしめてやる いいことをしてやる と公共性のある建物に落書きをしまくるのは、犯罪ですよね。 自分の文章を世間にしらしめて あ げ る とばかりに、ネットの哲学カテに書きまくったら、荒らしですよね。 本人は 作品発表 でも 現実 それは人に迷惑をかける汚らしい行為で、哲学カテという人間の神聖さを問う学問を侮辱する行為ですよね。 そこまで人間を侮辱できるあなたは 何様ですか? と私は問いたい。 もちろん あなただけじゃないですよ。 何人か いいかげんにしろ いつまで公開自慰にこのカテを使ってやがるんだ とひっぱたいてやりたくなる人たちがいる。 しっかりしろ! あまえんな! 人の寛容さを利用して、いつまでもネットで公開自慰してんじゃねーよ このド変態! ってフツフツと怒りがこみ上げてくるが、真性の変質者の可能性もあり、こうなるともう 心ってものが無い物体に心に訴えかけるってのは まったく意味の無い行為なので、心で通じないのなら、品物として扱いしかないですよね。 ペットを殺したら、器物損壊となる。 人としての義務を放棄したものは、人間とみなされないので、動物扱いに処される。 だから 人間社会に害を与えたものは、動物とみなされ、檻に入れられる。 人間を動物のように檻にいれるとはなにごとだ とはいえない。 だって 人間を放棄して 動物のふるまいをしてしまったのだから。 動物になってしまったのだから。 人間として扱って欲しかったら 人間のふるまいをしないと。 自分語で一方的にデンパ発信して「わかるかなぁ」とうぬぼれるドアホウなことは もうやめましょう。 真性のドアホウだとわかったら、もう動物に何を言っても無駄 コミュニケーションは取れない低レベルの動物 爬虫類 とみなし、私の方が態度を変えます。 人間界から完全孤立したければ、どうぞ デンパを発信しつづけてください。 そのうち人間に有害な発信塔は 破壊されるでしょうけど それでま きばって デンパを垂れ流し続けてください。 制御の利かない 壊れた発信機ですから そうするしかないでしょうし。
- kigurumi
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すいません デンパ語を翻訳するソフトは どこで手に入れればいいんですか?
お礼
>すいません デンパ語を翻訳するソフトは どこで手に入れればいいんですか? 翻訳ソフトではなく、自分の感性と自分の言葉で翻訳するのです。 あと、ブータンヤマト語についてはブータン帰りのあの人に訊くのが一番えー。 あと、超能力と奇跡についてはkigurumiさんに訊くのが一番えーと思います。
- atomonados
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こんにちは。ちょっとだけ。 善,すなわち認識深化であり, 幸,すなわち最大充足である。
お礼
そーそー、そーゆー調子。 だんだんと、あのブータン的な雰囲気が醸し出されてきました。 ブータン帰りのあの人が見たらきっと涙を流して喜ぶはずである。
- kigurumi
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>そしてブータン帰りのあの人であった。 デンパ。 ファイトクラブって映画がある。 腕っぷしが強いタイラー、ふしだらなマーラ。 二人は主人公の別のペルソナ。 主人公がテロ起こして爆破するのを見たマーラは主人公に「あんた イカレてる」と言った。 主人公は自分がイカレていると自覚しているわけだ。 映画パイってのは、数式でこの世がすべて表せると思い、そのことに執着しすぎて(漬かりすぎて)、日常生活が破綻していくが、止めることができず、病気が治ったことで、やっと苦しみから解放されて、漬からなくなったって話し。 この世が数式で解けるかどうかが問題なんじゃなくて、この人は病気だったので、病気によって漬からされ続けて、狂気の世界から出られなくなってしまったというもの。 数式じゃなくて病気が彼を狂気の世界に閉じ込めた。 考えすぎて狂ってしまったって映画じゃあない。 病気だから考えすぎてしまうしかなかったってこと。 デンパと呼ばれる人。 例えば「神はいます 神を感じます あなたがたも神の愛を感じるべきです」と発信する人 デンパ。 日常生活において、特にこれといった奇妙なことはしないので、判断力と理性はちゃんとあるわけですが、パイの映画の男のようになっている。 私はこの人は2つの世界をレバーを切り替えて行き来している人だと思う。 信号が赤だと止まれるので、日常生活においては不自由していないが、人と話をするとき「赤は止まれだとどうして断言できるのだ」と絡むむ人。 「じゃあ どうしてお前は赤信号のとき 止まってんだよぉ」と絡み返したくなる。笑 哲学のある教室で生徒が あーでもない こーでもない と理論のバトルをずっとやっているのをみた教授は、「教室の外に出ろ そうすればすぐに正解がわかる」と言った。 赤信号で止まるべきか 止まらなくていいか ずーーーっと議論することはできますが、実際 外に出て赤信号でも横断歩道を渡ってみれば、長時間議論する必要など無かったとわかるわけです。 デンパ系の人って、現実を生きていない。 「雨が天から降ってくるとどうして言えようか 天から降ってくるのだというのなら、その説を言ってみろ。」と絡むわけですが、首根っこつかんで 雨の中 ポイって家の外にそいつを放り出せばいいわけです。 「はい これが現実世界です」って。 空想をし続ければ、それがやがて実体化するわけじゃない。 空想は大いに結構だが、空想が現実では可能かを現実の世界で確かめないと。 言葉遊びを楽しんで、自分はなんてすごいのだろうと 自画自賛して、みんなに自慢したいとネットに投稿して、自分を誇示して快楽にふけるってのは、ただの デンパ。 デンパと呼ばれたくなかったら、自分ですらわからない言葉を並べて遊ぶことはやめましょう。
お礼
ロシア人と語るにはロシア語で語り、 スペイン人と語るにはスペイン語で語り、 アフリカ人と語るにはスワヒリ語で語り、 インド人と語るにはヒンズー語で語り、 アラビア人と語るにはアラビア語で語り、 ・ ・ ・ そしてブータン帰りの人と語るにはブータンヤマト語で語る、 これが現代における正しいコミュニケーションの有り方なのです。
お礼
何か大きな勘違いをしているよーである。 この質問で元々問いたかったのは、哲学の方法論に関して、特に哲学的テーマを記述する言葉にはどのよーな特性が必要とされるのか、そしてここで具体例として持ち出したブータンヤマト語はそのよーな特性を持つものなのか否かを問おうとしたのであるが・・・全く見当違いの受け取られ方をしてしまったよーで。