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男性に「なまめかし」という表現を使うことについて。
とりかへばや物語について質問です。 とりかへばやでは、女性美を表現する「なまめかし」が兄君に使われ、 必ずしも女性らしさを表すわけではない「誇りかに」の語が妹君に使われています。 このような例は他の作品にもあるのでしょうか。 源氏物語で走って登場する若紫は、少し近い気もします。 また、とりかへばやのこの描写がなにかの影響を受けているのであれば、そちらも知りたいです。
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- kasane
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こんにちは、平安時代の歴史&文学を愛して○○年のKASANEともうします。 古典の原文から語彙検索ができるサイトを利用して、ざっと調べてみました。 まず「誇りかに」という語は、源氏物語では内大臣やその息子たち(柏木除く)、また宇治編に登場する紀伊守という男性などで、女性では名もなき女房のほかは軒端荻に使われていました。彼女の描写箇所は下記のとおり。 にぎははしう愛敬づきをかしげなるを、いよいよほこりかにうちとけて、笑ひなどそぼるれば、にほひ多く見えて、さる方にいとをかしき人ざまなり。あはつけしとは思しながら、まめならぬ御心は、これもえ思し放つまじかりけり。 継母の空蝉のところに遊びに来て碁を打っているのですが、嗜み深く物静かな空蝉とはまったく正反対で、勝負に負けているのにはしゃぎまくり、垣間見中の光源氏は「なんだか軽そうな娘だなあ」と感想を述べています。 また他の作品では、枕草子に登場する藤三位という女官に使われていました。彼女は冷泉天皇の外祖父・藤原師輔の娘であり、女官としてはほぼ最高位の三位に叙された一条天皇の乳母です。<円融院の御はての年・・・>で始まる一章は長文なので割愛しますが、一条天皇と中宮定子のちょっとしたいたずらにまんまとだまされた彼女が種明かしを聞き、羞恥のあまり中宮に食って掛かります。 宮も笑はせ給ふを、引きゆるがし奉りて、「など、かくは謀らせおはしま ししぞ。なほ疑ひもなく手をうち洗ひて、伏し拝み奉りしことよ」と、笑ひねたがりゐ給へるさまも、いとほこりかに愛敬づきてをかし。 しかし怒りつつも、いつしか一緒になって笑い出し、その大らかな余裕のある様子を「ほこりかに愛敬づきてをかし」と表現しています。 調べて目に付いた「誇りか」の女性への使用はこれぐらいでしょうか。 問題になさっている「なまめかし」の男性への使用については、源氏物語の光源氏をはじめ、朱雀院 冷泉院 夕霧 柏木 兵部卿宮 蛍宮 薫など数え切れません。 他の作品では、『枕草子』の藤原道隆や某小忌の公達・こざっぱりとした郎等。『落窪物語』の右近少将や面白の駒、プレイボーイの交野少将。『狭衣物語』の狭衣大将。『堤中納言物語』では「逢坂越えぬ権中納言」の中納言などの男性が「なまめかし」を使われていました。 また桐壺帝のモデルに擬されたという醍醐天皇もその御集において「帝におはしましける中に、醍醐ときこえさせ給けるぞ、なまめかしき帝におはしましければ」と称えられています。 一方で特に「なまめかし」くないと評されているのは、『源氏』の内大臣がいます。どちらかといえば光源氏の引き立て役的な立場の人物で、「内の大臣のはなやかに、あなきよげとは見えながら、なまめかしう見えたる方のまじらぬに似たるなめり」と娘の玉鬘とともに評価されています。必ずしも「なまめかし」さがない=魅力や美質に欠けている、とは限りませんが、第一級の美貌の条件からははずれているような感じを受けます。 さて『とりかえばや物語』に話題を移しますと、主人公の兄妹は異母兄弟なのにまるで双子のように似ているのですよね。しかし性格は正反対…おまけに男性的な妹と女性的な兄なんて、父君が「とりかえたいなあ」と嘆くのも無理はありません。 以下は父君の独白部分ですが あないみじのわざや、さてもこれはかくてあるべき事かは。 (本当にとんでもない事だ、なんといってもこのままでいいのだろうか) 今はともかくもしなすべき方のなきも、いまさらにせめて女にとりなすべきやうもなかめり。 (男装の姫君は今となっては元に戻す方法も無く、今更、無理に女として扱うことは出来ない) これも法師になして人に交らせず、後の世を勤めさせんこそよからめとおぼすも、心心は又さしもあらじかし。 (女装の若君も法師にして他人とつきあわせず、来世の勤めをさせたほうが良かろうと思うが、それぞれの子にしてみれば、そのように生きるつもりはないだろう) かばかりの宿世なりければ、いま少し言ひ所あることもこそまさらめ、本意深き道心ならぬものから、みないたづらにしなしてやみなんがよしなさよ、などおぼしくだく。 (これだけ優れた美質を持って生まれたのだから、せめてもう少しましな事もありそうなのに心底からの道心を持たないで、まったくいい加減な理由で出家をして人生を送るのは品格に欠けることであるし、と煩悶なさる) 世に似ずるたなかりける宿世かなとかへすがへすおぼし知らる。 (世に例のない不幸な宿世である事よ、とかえすがえすも痛感することだ) >彼らは2人ともとても容姿に恵まれていたため、父が悩んでいたことの本質はなまめかしい兄君と誇りかな妹君をもったという点にあると私は感じました。 との質問者様のご見識ですが、もし兄妹が自分の性別どおりに生きていて、ただ女らしい若君と男っぽい姫君というだけの状態ならここまで父君が思い悩むことは無いような気がします。性別を偽っていたらまともに結婚もできないし(一応できたけれどセックスレスで夫婦関係は悪化)、当然子供も恵まれません。外戚政治によって権力を手にするのが平安貴族の常套手段なのです。女装の若君がいかに美しくても、また男装の姫君がどれほど出世しても天皇家と婚姻関係を結べない・・・とくれば、父君の悩みが深いのも当然です。この二人しか子供がいない一家の運命はお先真っ暗なのです。 やはり父君の第一の悩みは、男と女を『とりかへばや』というところにあるのではないでしょうか。 この作品中「なまめかし」が使用されている男性、それは男装の姫君の親友にして強姦のすえ彼女を妊娠させてしまう式部卿宮の息子です。(とりあえず宰相中将と呼びます) そのころの御かどの御叔父に式部卿宮と聞こゆる人の御一つ子の君、この侍従の君には二つばかりのこのかみにて、かたち有様、いと侍従のほどにこそほはね、なべての人よりはこよなくすぐれて、あてにをかしく、心ばへたとしえなく、かゝらぬくまなく好ましく、なよびなまめかしくて、思ひいたらぬ方なき心にて 宰相は、いとそぞろかに雄雄しくあざやかなるさまして、なまめかしうよしあり、色めきたるけしきいとおかしう見ゆ。 上記の二箇所から見て『とりかへばや』世界でも「なまめかし」き男性の美貌を大変好意的に評価しているようです。 これまで取り上げさせていただいた使用例を見ても 平安時代の貴族社会において「なまめかし」が、男性にふさわしからぬ形容とされていたとは一概に決められないのではのではないでしょうか。 なお、『とりかへばや物語』や「なまめかし」に関連する研究論文は多数発表されています。URLを下記に貼らせていただきますので、よろしければご照覧くださいませ。 語彙史研究を利用した古文教育 : 『伊勢物語』初段「なまめいた女」考 http://repository.ul.hirosaki-u.ac.jp/dspace/html/10129/591/AN00211590_93_1.pdf 『とりかへばや物語』登場人物の位相--形容語彙からの考察 http://ci.nii.ac.jp/els/110007129830.pdf?id=ART0009069954&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1306633658&cp= CiNi (国立情報学研究所(NII)が提供する論文情報ナビゲータです。いろいろな論文が検索でき公開しているものもたくさんあるので、研究家にはありがたいサイトです) http://ci.nii.ac.jp/
- ginkuro814
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兄が内気で女性的な性格、妹が活発で男性的な性格をしている話なのでおかしくはないと思いますが・・・
- Pinhole-09
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[なまめかし(艶かし)」は女性美に多く使われるよう ですが、それだけではありません。 「角川古語辞典」によると 1.みずみずしい、若々しい。 2.優美だ、優雅だ。 3.なよやかだ。 4.色めかしい、艶っぽい。 とあります。 例として 「いと若く、清らにして・・・なまめかしく」(源氏物語 若葉) 「五月こそ・・・・なまめかしきもの」(枕草紙) 「具覚坊とてなまめきたる遁世の僧」(徒然草) 男性に使っても、おかしくはありません。
お礼
ありがとうございます。 確かに「なまめかし」は男性にも用いられますね。 ですが、とりかへばやの冒頭の部分で彼らの父は悩み事を抱えているとの描写があります。 彼らは2人ともとても容姿に恵まれていたため、父が悩んでいたことの本質はなまめかしい兄君と誇りかな妹君をもったという点にあると私は感じました。 そうなるとやはり男性に対して「なまめかし」を使うことは一般的ではなかったように思います。