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宗教は平和を築くために必要か?

宗教は平和を築くために必要でしょうか? 理由合わせて考えを教えていただけると幸いです。 お願いします。

みんなの回答

  • aran62
  • ベストアンサー率16% (485/2911)
回答No.6

平和とは何ら無関係です。 もともとは人が自分の心の平安を得るために有るものです。 ですから本来は数十億の宗教が存在するのです。 自分の心の中の不安を他人が持つ宗教で払拭された。これの集まりが宗教団体です。 ですから当然払拭されない人もいる。これが宗教対立です。 心の中の問題を多数決で解決できる訳も無いです。 話し合いで決着がつかなければ、力での解決以外はなくなります。 家庭・会社など全ての団体での解決は心穏やかに100%平和的に解決したことは一回も無いとも思います。

  • TANUHACHI
  • ベストアンサー率31% (791/2549)
回答No.5

 全く必要はないと考えます。 少なくとも日本の中世に誕生した新仏教の中には他宗を邪教として位置付ける原理主義的色彩の強い宗派が一つだけあります。彼らが日本近代で採った政治活動はファシズムと連動していることも歴史上明らかです。どの宗派とはいいませんが、少なくとも僕は彼らの政治姿勢を評価することはできません。井上日召のことです。彼は血盟団事件の思想的バックボーンとして北一輝・大川周明を煽動し、さらには実行部隊として西田税や石原完爾を育てた罪を逃れることなどできません。宗教家として平和を口にしながらもその実はテロ行為を煽るなど以ての外です。  こうした話をしますと、その宗派の一部である巨大な宗教組織の人が必ず口にする言葉があります、曰く「私達は○○大聖人の教えを守って活動しています。だからあの人達とは違います」。世間一般の常識的な見地からすれば「それは単なる言い訳にしか過ぎない」と言っても彼らには理解が出来ない様です。  信仰はあくまでも個人の内面に関する問題であり、自分が信奉するからといって相手にもそれを強要する様な姿勢は現に慎むべきである、と僕は考えます。自分の考え方を相手にも押しつけるような姿勢を持つ限り、宗教が自らの殻に閉じ籠もり他の考えを知らずに排撃するだけで対立を招く、これでは対立の要因と呼ばれても反論の余地は何処にもないでしょう。  また神道も同類です。本居宣長や国学の様に他の価値を認めない偏狭なスタンス、これでは「八百万」を標榜する資格など全くありません。

  • kuni-chan
  • ベストアンサー率22% (678/3074)
回答No.4

 「異教徒は殺せ」という考えがある限り、平和は来ないでしょう。

  • caesar-x
  • ベストアンサー率48% (101/208)
回答No.3

全く必要ありません。 宗教は大衆の阿片です。 また平和とも無関係です。

  • nontro_08
  • ベストアンサー率19% (33/173)
回答No.2

創価学会所属の者です。 確かに、現今の宗教は、所詮金が目的だったり、偏狭な信条で神の名を利用してテロを起こすなど、本来ならば人々を幸福にするためという宗教の使命を放棄した惨状が展開されています。しかし、だからといって、これらをもってして、宗教そのものに対して諦めの感情を抱き、否定的になってしまうのは早計です。宗教には、正邪があるのです。 今日、社会では、青少年による犯罪や、社会的に指導的立場にある者による不祥事など、人の道に反する出来事が渦巻いています。結局これらは、「何のために生きるのか」という哲学が、心の中に確立されていないがゆえに、目先の欲望や怒りに囚われて、短絡的、衝動的に行動することしかできないがゆえです。 平和、平和といっても、法制度などを整備しても、それだけでは実現はできません。肝心の人間の心を変革しないことには、いくら平和を叫んでも「画に書いた餅」にすぎないのです。では、どうすれば心は変革できるのか。単なる心の持ちようなどでは、無理です。末法の人間の心は「貪(むさぼり)、瞋(いかり)、癡(おろか)」の三毒に覆われきっているからです。そのような心では、どんなに立派に生きようと決意しても、悪縁に屈して悪しき生き方に堕してしまう場合があります。 それには、正しい宗教の力が必要です。人間の心を変革し浄化させる宗教です。その宗教とは、この宇宙を運行させている大力を自分の中に引き出し、それによって心の変革と浄化を実現する宗教です。それは、日蓮大聖人が確立された「南無妙法蓮華経」です。「南無妙法蓮華経」とは、宇宙を運行させている本源の力の名称だからです。 こうして心を変革し浄化された人間は、人々に対して慈愛の心が強くなり、おのずと平和を志向します。争いの心はなくなり、戦争は回避されることでしょう。このような「人間革命」された人々が多くなればなるほど、世界はより平和になるのは自明の理です。このような宗教ならば、人類のために是非必要な宗教なのです。 「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」(池田名誉会長の言葉。小説『人間革命』第1巻「はじめに」から)

回答No.1

全く必要ないです 過去の歴史において宗教は戦争の火種にこそなれ平和を築いたことなどないからです。 現在においても紛争やテロの原因になっています。 そもそも宗教というものは、個人の心のよりどころであり、政治や平和を築くためのものではないのではないでしょうか?