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どうして平和が必要なのですか?
私は来週の金曜日に『未来のための平和の重要性(The importance of peace for the future)』について英語でプレゼンテーションをします。 友人は『戦争』からこのテーマを考え、私は『募金(チャリティー)』から子のテーマを考えることになったのですが上手くいきません。 なので原点に帰って考えようと思ったのですが、なかなか『どうして』なのか明確な考えが出ずに、チャリティーと結び付けられません。 どうか皆さんの『平和の重要性』についての意見を聞かせて下さい。 よろしくお願いします。
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一番単純で、一番難しい議題ですよね。 多分、「平和」の定義とかって人それぞれ違うんだと思います。 参考までに、 私が考える「平和」というのは、「人間への恐怖がない」ことです。 一番身近なことだと、いじめられるとかいじめたとか。 身近になりつつあることだと、殺されるとか殺されたとか。 餓えだとか、世界中の人間が差異なく生きてゆけること。 そういった「事件」を見掛けなくなること。 人がそういった恐怖から解き放たれることが、私の考える「平和」です。 人が人を憎まず、人が人を殺さず。 戦車や兵士がいらなくなる世界。 でも、それが悲しいことに無理であって、 貧困の差はあって、人が人を傷つける現実が終わらない。 だから、「平和」って必要なんだと思うんです。 「平和」という言葉が、必要なんだと思うのです。 自分だけが平和ではいけない。 この国だけが平和ではいけない。 「平和になればいい」「平和をみんなで祈ろう」 今は残念ながら、絶対と言っていいほど実現できないことでも、 言葉にすることで人は安心感を得ようとして、 それを実行に移そうとしたり、願うのだと、思うのです。 「平和」がどういうものなのか。 それは、未だかつて誰も見たことのない、夢の世界。 そしてそれは、未来に待っているものではなく、 未来に向かって人が創造してゆかなければならないもの。 今、発達したこの世界に、発達し過ぎたこの世界に、 ただ一つないものが「平和」なんだと思うのです。 この先の未来で私たちが作る子どもや、その子どもたちが作る子どもたちが知らない「平和」な世界。 戦争も、事件も、人間が憎み合うことも、私たちの身にまだ起きていないだけで、本当は今この瞬間も「平和」から一歩ずつ遠ざかっていることを…いつか訪れる平和のために、世代を超えて伝えてゆくこと。 それが、「平和」の重要性なんだと思うんです。 「平和」という形じゃなく、その言葉自体が、大切なんだろうな。 と、私は考えます。 なんだか訳が分からないかもしれませんが、私なりに一生懸命考えてみました。 ご参考までにお目を通していただければ、と思います☆ 読んでいただいてありがとうございました。
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- sicco
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僕は「for the future」がキーワードだと思います。 「戦争のない状態」が20世紀の「平和」だとするなら、今世紀の平和とはどういう状態を指すのか、その状態を維持するためにはどんな努力が必要か、を考えるとおもしろいんじゃないかと。 たとえば、どこかの国と戦争をしていなくても、テロの不安におびえている状態は平和と言えるのか。 環境が破壊され、島々が水没する状態を平和と言えるのか。 食糧危機で、穀物が供給されない状態を平和と言えるのか。 新しい「平和」の定義ができたなら、その重要性はおのずとわかってくるはずです。 チャリティーやボランティアの重要性も。
- mizinco
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単純に考えれば、誰だって銃で撃ち殺されたりはイヤだ、と思うのは当然の事だと思うので、「戦争」というアプローチは省略して、「募金」という側面から考えようと思います。 「平和はどうして重要なのか」というような事を落ち着いて考えるには、平和でないと考えてる余裕がないと思います。弾丸飛び交う中で考える事は中々難しいでしょう。 色んな事を考えて色んな物事を解決していく、という事に平和は必要なんだと思います。ゆとりを持った方が間違えなくて済む、というか、ゆとりがないと人間間違うもの、と考えてもいいかもしれません。 例えば、「ゆとりがない」の代表格として「食べる物がない」。 人間「死にたくない」と考えたらなんでもやってしまうものです。 誰かを殺して食べ物を奪う、誰かを殺して国を奪う、誰かを殺して思想(宗教など)を奪う。 それで自分の身はとりあえずなんとかなったとしても、今度は殺された方の身内が自分を殺そうとするでしょう。そうなってしまったらもう殺し合いを止めるのは難しいです。アフリカや中東などの紛争地域を見れば解りやすいと思います。 じゃあ例えばチャリティーで食べ物や着る物、それらを買うお金などを貧しい地域を送ったらどうなるかというと、食べる物や着る物に困ってた人達は安易に人から略奪しようという事が無くなります。 まあそれがそのままいけば大変めでたい事なのですが、身近なところで北朝鮮なんかは「募金や物資が庶民に届かない」というようなケースも考えなくてはいけません。もっともっと身近なところでは、募金した直後からそれが誰かにピンはねされる、というニュースも少なくありません。募金活動そのものより、募金に向けられる「本当に届くのか?」という疑念を払拭する行程がむしろ難しいのではないかと思います。 本当に「届けてあげたい!」と熱烈に思ってる人ならば、多分誰かに頼んだりせず自分で直接行くでしょう。お金や物資ではなく、技術や医療という面では、自分の意思で、自分の足で、自分が死ぬリスクも恐れず現地に向かっている人も少なからず居る事はよく知られています。僕なんかはただただ関心するばかりです。 僕のような庶民が平和に対して何かをしたい、と考えた場合出来る事と言えば 1. 「異文化を」受け入れる まあ簡単に言ってしまえば、人とはなるべく喧嘩をしない、という事です。(笑) 相手の印象で色々決め付けたりせず、人は人、自分は自分と考えて共存の道を探る、平和へ向かうには一番身近で手っ取り早い行為です。戦争といっても、始まる時はごく個人的なごく些細な事から始まってるものです。 2. 技術を磨く 日本は技術立国ですから、平和と直接関わっているように思えない事でも巡り巡って自分の知らないところで役立ってる事もあります。だから平和うんぬんに関係なく自分の仕事の精度をコツコツ上げる事です。 というようなことですかねぇ。
争うことは忙しい(けど金になる)。 平和は暇だから募金して生活をつなぐ。 それで役に立つ場合もある。生活をつながないと困る場合もある。 ハンデや貧困、エトセトラ。 だから拾ったお金は社会に返せ。 アンダースタンド?
- jamiru
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たまには、命に勝る平和というものが必要なんですよ。 人間はわが身可愛さに命を低いものと見なすんだよ。
なんとか時代の昔からずっと、世界、どころでなく日本国内でも、余程外部との接触を嫌う隠れ集落のような場所でもない限りは貿易によってモノやサービスをやり取りし、互いに不足するものを補い合ってきました。 石油、金属、木、水、穀物、加工品、技術すべてを自給できる国はありません。 自給できると主張するとしてもそれはきわめて低い次元で、です。モノだけでなく留学だったり研修だったり旅行だったり、果ては移住。すべては平和だからスムースにできます。 平和で穏やかな国、そう思われているからこそ武器でも食料でも燃料でも大量に売ってくれるし、逆にこちらの作ったものもたくさん買ってくれます。 大規模な工場も建てさせてくれますし留学生も大量に受け入れてくれます。技術も学ばせてくれます。 平和が乱されると交易ができない、もしくは困難となり経済活動が停滞します。結果として生活水準も停滞することになるでしょう。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%87%E6%99%AF%E5%B3%B0%E5%8F%B7 http://www.eurus.dti.ne.jp/~freedom3/economic-defence-2004-sai-axx.htm http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq08n.html#02334b
- Roman0
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平和の反対は、戦争ではありません。 平和というのは状態を表す言葉ですし、戦争とは行為を表す言葉です。そもそも表現の対象が違う以上、対義語にはなり得ません。そこをまず認識しましょう。 このねじれに気づかないと、ロジカルな説明ができません。 ちなみに、平和という状態に対立する概念は何かというと、「無秩序」とか「混沌」という状態です。戦争という行為に対立する概念は何かというと、「交渉」という行為です。 重要性という表現をするなら、無秩序の状態と平和な状態を比べれば分かるでしょう。 道を歩いているだけで殴り殺されたり撃ち殺されたりしかねない状態が、「無秩序」です。究極は、アナーキズム(無政府状態)ですから。ホッブスの言う「万人の万人に対する闘争」という状態ですね。そんな状態では、まず生きること、生きるために周りの敵を倒すこと、が最優先課題になり、それ以外のあらゆる行為(経済活動、文化活動、教育、etc.)は果てしなくどうでもいい代物になり、良く言って世の中は弓矢で戦うレベルの戦国時代に戻るでしょう。 平和なればこそ、テクノロジーも発展して、ニートや引きこもりでも生きていける世の中があるのです。
人間は動物に無いモノを内包したのです。 なので、人間以外の動物には無い世界を築き上げなければ、 人間の進化の意味が無いでしょう。 そう、進化の袋小路で躓いて滅びるしかないでしょう。 それが、戦争への道がイコール滅びの道です。 人間は知恵を持ったと同時に平気で人を殺す事を覚えました。 そう、文化を築き科学を発展させて来ましたが、 1つだけ動物に劣る点が出来てしまいましたね。 それは、動物は優劣の順位を着けますね、そう同族同士ではね。 しかし、人間は同族をも簡単に裏切って殺戮して財を奪ってしまいますね。 肉食の動物が草食の動物を襲うが如くにね。 いや、もっと酷い。 肉食の動物は満腹に成ればそれ以上は殺しませんね。 そう、将来の自分たちが食べる食料が無くなる訳ですからね。 楽しむ為の狩で絶滅に追い込む事はしないでしょう。 人間はどうですか?。 狩を楽しむ為に動物を殺戮し全滅なんて事もあり~の、 金儲けの為にすべてを捕る様な有様ですね。 それに、人間同士で、同じ民族ででも、親類であってもお構いなしの有様がね。 なので、煩悩という欲に駆られて集まる社会は、結局破綻するでしょう。 ソビエトの共産主義が破綻したのは、権力が一部に集中して、 人々が有る一定レベルを目指さなく成ったからかも知れませんね。 資本主義では天井知らずで上を目指せるけれど、それは、落伍者が居るから、 天井知らずに金儲けが出来る。 このアンバランス。 で、2割の搾取する側と、8割の搾取される側に分かれて、支配が成立している様です。 なかなか、この人間世界のアンバランスが解ける事はない様ですね。 そして、行き詰まりの頂点に達した時に戦争で人類の数を減らす未知なる作用(チカラ)が働き、 世界を一度リセットをする事に成るのでしょうね。 しかし、第二次世界大戦では、核兵器の開発と試験をして終了しました。 そう、今度、世界大戦が巻き起これば、何百年の地下暮らしをする事になるかも知れません。 そして、地上は放射能の汚染された空気が漂っているかも知れないね。それから、放射能のレベルが落ち着き人間が住めるレベルになって、 すでに科学も文化も最初に戻った、いや同じ文化が登場するとは限らない。 そして、少数の人類から新たな文明が成立するか解らない。 そう、其処には見慣れた動物も見慣れた植物も無いかも知れない。 なので、平気で人の命を取るとか傷付けるとか財産を奪うとかする人間が増えれば増えるほど、 戦争が起こり易い環境に成るでしょう。 自然災害も誘発されるかも知れない。 (宗教的にある種のクセを持った人間は集まり易いとかね。) 戦う道具を作る会社は、武器を買う人が居れば居るほど巨大化するでしょう。 そうなれば、政府に働きかけて軍を作る。 軍を作れば、その軍を動かす必要に駆られる。 しかし、自衛に徹していても支持しない国民が増えるかも知れない。 そうなれば、国民の支持を得る為に、密かに紛争の種を巻きかねない。 紛争の種が巻かれた後進国では、産業の育成にはチカラを割かない、 それよりか、権力の座を守る事を優先する政府が生じているかも知れない。 そして、市民軍と政府軍に分かれて悲惨な紛争(戦争)を繰り広げているかも知れない。 それを尻目に兵器産業が道具であるライフルや携帯ミサイルの類をせっせと売り込み、 そしてその兵器の購入資金は、ケシの花の草原が白い粉に変身して支払われて、 軍事産業の盛んな国の人々をも虜にして蔓延する。 負の連鎖、負のスパイラルに陥る。 だから、人間はもっと進化して悪い欲望を無くさなければいけない。 そう、悪い欲望の1つが導くのが戦争でしょうね。 だから、平和の重要性を幾ら云っても欲望に人間は惹かれて行く。 そして、悪い欲に駆られない人間に進化する必要があります。