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宗教は必要or不必要?

皆様どうもいつもお世話になります。 私は宗教比較論者でもなく反宗教論者でもありません。18歳の普通の一般市民として、私は宗教はこの世界から不必要だと思っています。 理由は宗教は世界平和を実現していないからです。逆に宗教という幻想は紛争を招くばかりです。 皆さんはどのようにお感じでしょうか?

みんなの回答

  • fatpigs
  • ベストアンサー率10% (32/310)
回答No.32

必要も何も、単一の神というのは存在するんだよ。それだけの話だ。 信じるも信じないも人それぞれだ。そのうちわかるさ。 ところで、天皇なんて単なる人間なのであって、あんなものは神でもなんでもないし、国の探究心なんかになりえない。北朝鮮と同じような国だった、戦争中の日本じゃあるまいし。もっとも、今の馬鹿自民党はその時代に戻りたくて仕方がないらしいけど。それに、着々と戻っているよね、あの時代に。もう駄目だな...。 まっ、日本人の大多数に宗教の話してもまぁ、無理ってもんだな。

noname#65311
質問者

お礼

私は無知でした。 出直してきます。 皆さん回答どうも有難うございました!!

  • riehana
  • ベストアンサー率28% (14/50)
回答No.31

こんばんは^^ 私も少し自分の意見を書き込みさせていただきます。 私はクリスチャンです。 自分の信仰を“宗教”とはとらえていませんが、信仰を宗教という言葉で表現するのであれば、答えはイエスです。 必要です。 というか、神様がいて、私たちが創られたのですから、アダムとイブが創られたそのときから信仰は存在しています。 世界がこのようになったのは、私たち人間が神様を裏切り、罪に堕落したためだと思います。 >理由は宗教は世界平和を実現していないからです。逆に宗教という幻想は紛争を招くばかりです。 世界平和から遠ざかっているのは、私たち人間がそうしているからではないでしょうか?? 私にとっては信仰は真理であり、現実です。 幻想ではないと思いますよ^^ 紛争を巻き起こすのは、神さまではなく、明らかに人間です。人間の罪ゆえです****

回答No.30

No.23の者です。注意を受けた部分に配慮してまるごと削除された文章を再説します。 (質問に回答するという形式を踏んでいないという指摘があったようなので、 まず、そこを付け加えます) あなたが「個人で必要ない」というのならともかく、「世界に必要ない」という考えを是認するとなると、宗教が現実として存在する以上、個人の思想や信条に踏み込むような政治や教育が必要になりませんか? 少なくとも理想になりませんか? 全く現実味がなければ、理想も幻想に過ぎません。いや、理想は幻想より肯定的に把握される概念だけに、より厄介かも知れません。 「そのようなわけで、あなたの質問に対する私の結論は前回のようになります」と続けようとしたのですが、よく見ると最初の文での結論部分が削られています。一度目を通していることと思います。似た言葉で言い換えるつもりはありません。

  • mt33
  • ベストアンサー率7% (4/54)
回答No.29

日本では、天皇という、政治を裏付けることができる存在(権威)がありますので、さほど必要性は感じませんが、国によっては、それが宗教となります。 天皇といっても、現在のような平常期ではピンとこないでしょうが、変動期においては、国の求心力となります。

  • baka_inu
  • ベストアンサー率58% (148/254)
回答No.28

ごぶさたしています。 私自身は特定の宗教に偏ってはいませんが、信仰心に近いものを持っていると思います。よく知りませんが、たしか実家は日蓮宗だったかと。 宗教が不要かどうかを問う前に、「宗教が不必要」と一般に言うためには、以下のどちらかを述べる必要があるかと思います。  (1)「必要」という全ての要素を否定しなくてはならない。もしくは、  (2)「必要」な要素を全て否定しうる否定証拠を出さなくてはならない 宗教の介在があったお陰でお互いに譲り合い夫婦仲を円満に過ごすことができた家庭があります。神頼みをすることで受験に意識を集中させ合格した人がいます。座禅を組むことで職場のストレスを軽減させることができた人がいます。隣人への愛を説かれ自らの振る舞いを正す人がいます。 これがつまり今までの回答者の方が述べられている、個人レベルでの宗教の効用です。こういった、信心深い人の素朴な思いを、どうかご理解いただきたいと思います。 そういったメディアには出てこないが多くの人たちがもつ「宗教の効用」を、簡単に否定できるものではないのではないでしょうか? 質問者の方が気にされていることは、個人レベルでの宗教への信仰というよりは、宗教が組織化され組織を維持拡大していく上でもつようになる強制力・政治性の問題なのかなと感じました。 宗教の目的を世界平和という風に捉えていらっしゃるようですが、あまり世界を単純化しませんよう。 人は常に自らの望む平和を求め、実際には自分の心を平安に保つことすら難しい生き物です。自分や身近な人が傷つけられたら相手にも傷をつけてやりたいと思うし、異なる考え方の人と出会うと相手を変えてやろうと思うものです。私はそれは、我々の誰もがもつ自然な感情や反応だと思っています。 それを身近なレベルで矯正していくのが宗教であり、その反面で紛争の種として利用されることがあるのも宗教であると。 ならばすべての宗教を捨て去ればよいか、といっても、紛争の原因が人間の持つ本能的な衝動にあるのであれば、宗教を捨て去ることは根本的な解決にはなっていません。宗教が理由にならなければ食糧問題やエネルギー問題が理由になるだけのこと(今でもそうですが)。また、無宗教です、という日本人が多いのですが、「日本には『無宗教』という宗教がある」と養老孟司が述べています。養老はまた、「原理主義に陥ることの危険性」も述べていますが…。  ・バカの壁  ・まともな人  ・「無宗教」という宗教(これは私は読んでいませんが…) といった本を一度、読まれることをおすすめします。いずれも養老孟司の著した新書です。考え方の幅を広げることは決して無駄にはなりませんし、読みやすさの割に、とてもよく考えられていると思っています(全てを支持しているわけではありませんが…)。 隣人と分け合い仲良くする。お互いが楽しく過ごす。何よりも自分が幸せに生きる。そういう目的で生まれたものが神の概念であり宗教というシステムだと思います。むしろ、そういう自助システムを持ってすら争ってしまうのが、人の持つ悪い癖なのだと。あぁ、気をつけなくちゃ。と。 そう思えば、むげに多くの人がうまくやっている宗教を否定して回る必要はないのではないでしょうか? 人間は、自分を変えることはできますが、他人を変えることは難しいのです。質問者の方の意識が変われば、宗教の捉え方を見直したり、宗教との付き合い方を変えり、信仰を持つ方をよりよく理解できるようになるかもしれませんよ。 まずは実践あるのみ、です。 なぜ上記のようなことを述べたかというと、宗教を否定する前に、ある程度一般的な人々の思いや一般的な宗教の扱いについて、地に足がついたレベルで理解しておく必要があると思うからです。お若い方ですから極論に走ってしまうことは理解できますが、実際に宗教が不要であると主張し宗教を信じる人と争うことがあるとしたら、それも新たな宗教否定の原理主義であり、宗教が招く紛争の一部に取り込まれていることになるからです。 ロックが反体制を歌いながらも、結局は現在の体制に取り込まれているじゃないか、という昔むかしの状況に、似ていなくもないですね。 どうか、上記のようなやり方にならない、別の道をお探し下さい。 多くの方の主張を正しく理解し、きちんと受け入れられるような方になってくだされば、何も言うことはありません。 それでは。

  • daidou
  • ベストアンサー率29% (491/1687)
回答No.27

こんにちは 色んな宗教観とか宗教論とかを抜きにして… 人がいずれ死ぬという事や今自分が生きているという事 命を育んでくれる自然 道徳や倫理 そういった事に対する畏敬と感謝・尊重の念が宗教の原点だとするならば 「必要」とまでは言いませんが、「あった方がいい」とは思いませんか? 異なる思想を弾圧したり、 自らの信仰を押し付けたり、 妙に難解な理屈を考え出して有り難がるように強制したりする行為は 確かに無い方が良いと思います。 誰かの言葉に 「宗教とは大河の水。源流は清らかに澄み渡り、河口では淀み濁る。」 というのがありますが、正にそのとおりだと思います 淀んで濁った宗教はゴメンです。

回答No.26

私は宗教を信じる人を否定するつもりはありません。 ただ、信じてる以上は、時として信じていない人達に説明しなくてはいけないこともあるだろう、勉強していなかったら自分の信じる宗教の価値を下げることになるのでは?と思っているだけです。

  • katyan
  • ベストアンサー率9% (201/2029)
回答No.25

宗教というのは世界平和を実現するためにあるのではなく、あくまで個人の心のよりどころとなるものです 私から見れば信仰なんかいらない。という宗教 無心教の信者さんですね。

  • 1112
  • ベストアンサー率22% (716/3114)
回答No.24

全く要りません 正直「必要なし」です理由としては 1.某有名な所に、入ったとたん「宗教勧誘」して友人を、なくした   (あくまで、旧友人の話です) 2.別に、神が、未来を築く訳ではなく「人」が築く物だと思う 3.人の「死」と宗教は、別物 ですね

回答No.23

あなたの母親や恋人が亡くなったとして、その遺体や遺骨を「ゴミ」として扱えますか?  仮に無宗教葬だとして、あなたは亡き人の冥福を祈らないのですか? 特定の宗教を信仰していなくても、その人の行動や思考の背後には、やはり切り離 せないものとして宗教は存在するでしょう。宗教のあり方はさまざまです。 不可解な戒律、神への拝跪、狂信による暴発―こういったことばかりが宗教ではあ りません。 宗教を否定するということは、突き詰めれば遺体を「ゴミ」として扱うくらいの厳しい 認識なり宗教観なりが必要なのではないかと、私は考えます。