• 締切済み

宗教の必要性について。

あなたは。 おそらく。 宗教を。 知らない。 しかし。 その必要性について。 どう。 理解しているのか。 ただ。 やらなければならないと感じるか。 すれば少し効き目があると感じるか。 宗教の本質を知らずに。 ただ。 食わず嫌いで。 無宗教の宣伝をうのみにして。 無宗教の運動に加担してはいないか。 知らなければならないのは。 宗教を必要とする動機について。 現に困り祈る。 それもひとつ。 来世を願う。 それもひとつ。 自らを知り。 おそれて。 身を投げ出して祈る。 それもひとつ。 必要性について。 あなたは。 どう考えるか。 宗教の本質を。 知る機会になれば。

みんなの回答

  • daidou
  • ベストアンサー率29% (491/1687)
回答No.16

重ねていう。 神や創造主を崇めることは、信仰と同意ではない。 それは自らの思考の停止だ。 神や創造主がいたとして、思考を停止させた被造者を望むのか? 答えは否。 だからこそ、彼らが我々に預ける言葉は「戒め」であり「断罪」だ。 如何にあるべきか? それを考える事を放棄してはならない。 かくあらんとする事。 その努力を怠ってはならない。 信仰者に求められるのは、それだけだ。

itimainokonoha
質問者

お礼

あなたの言う信仰は。 意味がわからない。 思考の停止とは。 そういう意味不明の言葉にくるのでは。 わたしの信仰とは。 偉大な創造主を信じ行うこと。 そのことが信仰の本質と考えます。 あなたの信仰はなにか。 不信仰を必死にもぐりこませたいというふうに感じます。 信仰は。 論理パズルのようなものではなく。 難解な。 哲学のようなものではなく。 だれでもはっきりと。 理解できる言葉で。 伝えられるのです。 思慮深さとは。 信仰者の特質のひとつです。 では。 なぜ。 すべてが。 こうのようにあるのか。 真剣に。 考えて。 その答えを。 知る。 確かに。 破滅に気がついて。 はっと。 道を正す。 そういう。 思慮深さが。 不信仰者にはない。 ないのです。 真実は。 信仰にある。 ただ。 それだけのこと。 その明瞭なことに。 気がつけないのが。 不信仰者の。 思慮の浅さ。 あなたは。 そのこころで。 自分の。 あるべき姿を。 知ってください。 なぜならば。 こころこそが。 信仰の。 もっとも。 重要な。 ところにあるから。

  • daidou
  • ベストアンサー率29% (491/1687)
回答No.15

あなたは「宗教」と「信仰」の本質的な違いを理解されていない。 真なる信仰には「神」「仏」「偉大なる創造主」いずれも必要ではない。 信仰とは「かくあらん」とし「己を律する」事。 「かくあるべき姿」を自ら求めることが信仰であり、修道であり、修行である。 宗教は「神」だの「偉大なる創造主」だのと言った「規範的存在」を作り出し、それに帰依することで「信仰」を満たそうとする。 もちろん、自らが求める「かくあるべき姿」をそこに見いだせるのであれば、それでも良い。 しかし、宗教家や布教者は、宗教に帰依する事こそが信仰だと言う。 神あるいは創造主を崇めることこそが信仰だと言う。 それは違う。 神が人々に預ける言葉は「戒め」と「滅びの示唆」だ。 「するなかれ」という言葉は多く、「戒めを破りし罪を償え」という言葉も多い。 しかし「人はかくあれ」という言葉を神は人々に預けた事はない。 耶蘇教においても回教においても、神と人が交わした契約は禁止事項で構成されている。 だが宣教者は「かくあるべし」などとのたもう事も多い。 それは「神」よって示されたものではない。 「宗教」に「あるべき姿」を見出すことができた「信仰者」の言葉である。 「神を崇めよ」 「創造主に帰依せよ」 それは既に「信仰」とも「宗教」とも言わない。

itimainokonoha
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 信仰者のあるべき姿とは。 祈り祈る。 偉大な創造主は。 するなといい。 しなさいという。 どうしてか。 ひとを。 正しくあらせたい。 偉大な主の僕として。 本来の姿に。 戻したい。 なぜならば。 偉大な主は。 やさしい。 とてもやさしい御方。 信仰は。 自己満足の考えではなくて。 確かに。 いらっしゃる。 創造主への。 確信により。 帰依するもの。 確かな。 知識を。 得て。 本当だと信じて。 おこなう。 だから。 すべてを。 投げ出して。 信仰に。 励む。 すべてを。 創造主が。 支配。 管理。 なさる。 その真実の。 確信が。 信仰の。 重要な。 本質である。 もし。 創造主を信じられないのならば。 その者は信仰者ではない。 その者は信仰を行うことはできない。 正しく。 正確に。 真実を。 知って。 行う者が。 本当の。 宗教を。 知り。 行うのである。

回答No.14

No13です。せっかくの機会なので補足しておきます。その‘自分を律する‘ための土台と軸が普遍的であってみんながそれに従う世の中であれば、自分の(納得の)ために生きるということが世の中と何の矛盾も軋轢もなく成立するものだと考えています。そしてそういう‘各人が人間に生まれてきた意味を各人なりに実感できる世の中‘を少なくとも目指すことは意味があると考えています。

itimainokonoha
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 みなともに手たずさえて。 ゆく。 そういう社会は。 いい。 そういう社会を。 目指したい。 ともに。 信仰をするならば。 ともに。 社会を生きるならば。 宗教は。 みなに。 どういう。 意味を。 教えるか。 そこには。 確かな。 知識と。 導きがある。

回答No.13

 宗教とは‘本音のレベルから自発的に律することの必要性を説くもの、あるいはその必要性に気づくきっかけを与えるためにあるもの‘だと思います。ちょうど法律や憲法が外側から建前的に律しようとするあまりともすると抜け道を探すための的のようなものに成り下がってしまうのと対極にあるものだというイメージがあります。人間は社会的動物にすぎませんからお互いの尊重のために律するというファクターは欠くことができません。それを自発的にするということ、それこそが各人が自分なりに納得のいく人生を送るために大切なものとなるのでしょう。

itimainokonoha
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 律するですか。 なぜ律するのか。 律しなければならないから。 律することが。 正しいから。 では。 なぜ。 必要か。 あなたの魂のために。 どうしても。 いる。 では。 宗教は。 なぜ。 教えられて。 あるのか。 愚かな。 人間を。 正し。 信仰を。 おこなわせ。 偉大な主の御創造の目的を。 まっとうするために。 祈らなければ。 最悪。 すべての衆生の中で。 最悪。 祈りはじめて。 ひとの義務をなさせる。 宗教は。 人間本来の姿をなさせる。 人間であるならば。 宗教をしなければならない。

noname#184677
noname#184677
回答No.12

私は宗教は枕と考える。人は悩みを抱える者だ。なじんだ枕があれば、安眠できる。しかし、なじんだ枕であることが重要で、買ったばかりの枕は効果がない。眠れなくなってしまう。しかし、人は自分の力で眠れる生き物だからたまには枕なしに自分の意志で眠れ。そして、時には枕カバーを洗濯すべきだと。  自分なりに宗教を考えての結論がこれですね。長年この考え方は変わっていません。結構若いときに感じたことですね。  頼り切ったら、今度は枕の言いなりだから怖いけどね。 重要なのは、人間は眠るために生きているということ。煎じ詰めたら死に向かって生きている。安らかに死ねるように宗教はあるのですね。

itimainokonoha
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 枕ではないと思います。 ひとは寝て。 ひとは起き。 ひとは暮らし。 ひとは死ぬ。 しかし。 その魂は。 ひとつの。 回帰。 を繰り返して。 ある。 この世界と。 幽玄界とを。 そして。 死ぬ時は。 その回帰はやむ。 ずっと。 幽玄界のものになる。 知るべきは。 宗教は。 目の前の世界の理屈ではとうてい知ることができない。 知識を教えて。 幽玄界の消息をもたらして。 しかし。 ひとは。 信じようとしない。 なかなか。 あなたは。 枕で。 なにを見るか。 夢を。 夢は。 蜃気楼のように。 浮かんでは消えて。 消えては浮かんで。 そういう。 世界は。 ひとつの。 宗教の。 世界を。 かいま見せて。 宗教は。 明日の魂を。 救う。 そして。 永遠に。 やすらぐ。 御創造のゆえは。 夢うつつななかに。 御創造のゆえは。 目覚めて祈る中に。 ある。 信じるならば。 得よう。 信じないならば。 失う。 枕詞を。 秋。 死んで。 冬。 生まれて。 春。 人生の季節は。 春夏秋冬。 終りがくる。 しかし。 来世の季節は。 春か。 冬しかない。 よろこびのなかに。 痛苦の中に。 その寝床は。 どこにあるか。 決まっていない者はいない。

  • kyo-mogu
  • ベストアンサー率22% (3398/15358)
回答No.11

 私は宗教は杖と考える。人は躓きやすい物だ。だから杖があれば、支えてくれる。しかし、杖に頼りすぎれば自分の足は衰え、自分で歩けなくなる。杖に依存してしまう。しかし、人は自分の足で歩ける生き物だから可能な限り自分の足で歩け。そして、時には頼るべきだと。  自分なりに宗教を考えての結論がこれですね。長年この考え方は変わっていません。結構若いときに感じたことですね。  頼り切ったら、今度は杖の言いなりだから怖いけどね。

itimainokonoha
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 つえですか。 違うと思いました。 杖を投げ蛇にかわる。 そういう奇跡が。 宗教にはあります。 人類。 世界。 宇宙。 すべて。 その御創造は。 容易には。 おしはかれない。 しかし。 信仰は。 正しい知識として。 その。 真実を。 認め。 心底。 祈る。 御創造には。 奇跡しかない。 通常の人間の頭では。 知ることはできない。 言うならば。 杖ではなくて。 まっすぐとした。 道である。 宗教は。 正しい道。 あなたの。 人生の。 とおる。 正しい道。 どこを通れば。 間違いないか。 知るべきは。 すべてを御創りになられた。 創造主の。 御言葉による。 知識はそこにあり。

  • redluma
  • ベストアンサー率0% (0/5)
回答No.10

私は思う。 私の神仏は私の中だけに存在し私の外には存在しない。故に組織化しえないと。 正に、個人の問題。 宗教は必要だとしても、今の宗教のように組織された宗教は、私の思いと異にする。

itimainokonoha
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 宗教は。 組織ではない。 いくら人が集っても。 こころで正しく祈らなければ。 なにもなしはしない。 しないのです。 宗教は。 あなたの思いではなくて。 すべて。 なのです。 すべて。 すべてがある。 そのわけは。 信仰。 すべては。 はっきりと。 確かに。 存在します。 宗教は。 その存在を。 あらせる。 ゆえなのです。 あなたは。 ひとりで祈ればいい。 こころで祈ればいい。 しかし。 どなたに祈るか。 そのことこそ。 組織化などという問題は捨てて。 いちばん。 憂い。 考えねばなりません。

  • daidou
  • ベストアンサー率29% (491/1687)
回答No.9

「宗教」には本質などないよ。 それはあくまでも「外側」。 目に見える部分を外から見て言い表しているに過ぎない。 人が拠り所にするのは「信仰」だ。 「内側」が肝心なんだよ。 宗教家は「教義」や「戒律」を並べ立てる。 守ろうが破ろうが関係なく、それで宗教は成り立ってしまう。 そして人としてあるべき姿を守り、その由緒を「神」や「仏」に求めさえすれば、それが「信仰」だ。 いや、「神」や「仏」の存在すら本当は必要ないのかもしれない。

itimainokonoha
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 宗教は。 まもらなければ。 なにもなさない。 と思います。 しかし。 宗教と名のつくものは。 おおい。 そういう。 ゆるやかな。 活動は。 わたしは宗教とは見ません。 本当の意味での。 宗教とは。 正しい。 宗教とは。 善。 宗教とは。 清らか。 宗教とは。 やすらか。 宗教とは。 しあわせ。 ひとつの。 必ず。 得られる。 結果がある。 あるのです。 ひとの。 思いで。 宗教ができるのではなく。 偉大な創造主からの。 啓示により。 宗教は。 立てられるのです。 正しい宗教と。 間違いの宗教がある。 間違いとは。 被造物を崇めること。 おおきな間違いです。 偉大な創造主への帰依こそが。 宗教の本質と。 知ってください。 その肝心なところを外すものは。 火獄の罰を来世で受けるのです。 宗教は。 多い。 しかし。 本物は少ない。 人間のあるべき姿を。 知るには。 宗教を正しく行うことが。 必要なのです。 そこには。 正しい導きと。 正しい知識がある。 知ってください。

noname#181095
noname#181095
回答No.8

現代社会に宗教は必要ないと思います。 宗教は、昔は、人間の行動規範になっていたと思います。 今は、宗教よりも、法律や憲法というものが人間の行動規範になっています。 法律や憲法の方が、罰則を定められている点でも、宗教より強制力が強いと思います。

itimainokonoha
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 憲法。法律。 本当に日本人の行動の規範になっているか。 否。 日本人は。 横を見て。 動く。 集団への。 服従こそ。 尊び。 個人の自由という。 憲法の理想は。 にのつぎの建前として。 かかげるだけ。 社会の建前こそなれ。 まだ日本人の生き方にはなってはいない。 わたし個人。 よりは。 にほんじん。 として。 ありたいと思う。 本当の規範は。 集団への。 従順さしかない。 わたしは。 憲法のように生きたいと思うのは。 法律を学び始めた。 若き学生の心情だろう。 しかし。 外枠として。 社会では。 刑罰の影響はあり。 厳罰化されれば。 犯罪は減るのである。 しかし。 こころの規範として。 宗教は。 まさに。 善と悪を。 教える。 なにが正しいか。 なにが間違いか。 なにをしてはいけないか。 なにをしなければならないか。 人のこころには。 善悪はうつる。 しかし。 はっきりと。 宗教の。 教えで。 善悪を。 示されなければ。 もろくも。 ひとは。 つまずく。 宗教の。 はたらきは。 はっきりと。 なにが正しいかを教え。 導くところにある。 宗教なしの。 法律は。 ただの。 社会工学のような。 快の総和で。 築かれる。 そんな。 おぞましい。 やりかたは。 不信仰者の。 愚として。 見てとれる。 間違いを正しいとして。 間違いを快の計算でねじまげて。 知るべきは。 すべてのゆえは。 宗教にあるということ。 そのこころのゆえは。 宗教にあるということ。 まさに。 あなたの。 こころにあらわれる。 悪を憎む気持ち。 善を求める気持ちは。 宗教を。 御創りになった。 偉大な創造主の。 はっきりとした。 しるしである。 宗教なしの。 社会は。 おぞましい。 なにもなさない。 なにもなされない。 のろわれの。 ひかりのない。 闇のものだと。 知り。 宗教の不可欠さに。 気がついてほしい。

回答No.7

失礼します再度補足参加です。 必要性 先程回答に続き宗教感は宗教ではない思う対象により多様にあります様な。 絶対的必要か否かはわかりません。

itimainokonoha
質問者

お礼

宗教感。 いちばんは。 こころまっしろにして。 みてください。 あなたの信じて祈る対象と。 すべてを御創りになった。 創造主への祈りが。 どうそのこころにあらわれるか。 確信は。 まちがいかもしれない。 まっしろにして。 こころでおもってください。 必ず。 間違いは明らかになり。 正しさは。 はっきりと。 示される。 なぜならば。 すべては。 創造主によって。 創られた。 ゆえ。 あなたも。 そのこころも。 創られた。 だから。 そのこころには。 真実しか。 うつりはしない。