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宗教はなぜ必要なのですか?
どこぞの他人が作った思想や規律に縛られて、教えに背けば罰が当たると脅され、宗教が争いの種になる事もあり。 宗教のどこがいいのでしょうか?宗教はなぜ必要なのでしょうか?
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- hekiyu
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宗教のどこがいいのでしょうか? ↑ 未知な出来事を説明するために宗教が 産まれました。 この世界、月や星はどうして存在するのだ。 神が創ったのだ。 つまり、宗教というのは人間活動に伴い 自然的に発生したのです。 宗教はなぜ必要なのですか? ↑ 1,人間に善悪を教えたのが宗教です。 なぜ人を殺してはいけないのか、を理論で 説明することはできません。 ウイトゲンシュタインも、不可能だと しています。 宗教なら簡単です。 神が命じたのだ。 新渡戸稲造の「武士道」にあります。 「御国では宗教教育をしていないと聞きましたが 本当ですか?」 「本当です」 「おお、それでどうやって子供たちに道徳を 教えることが出来るのでしょうか」 当初はキリスト教を禁じていたローマ帝国も、 宗教の社会秩序維持機能に着目して 積極的に導入するようになりました。 宗教的感情が皆無なら、身内の遺体もただの 生ゴミになります。 そういう社会は背筋が凍ります。 2,神の存在は、食物連鎖の頂点に立つ人間を謙虚に させることができます。 3,死の恐怖を緩和させることができます。 自爆テロだって出来ます。 宗教家はどこの国でも長寿職業です。 4,神の神秘を解き明かそうとする熱意が 西洋で近代科学を発展させました。
>教えに背けば罰が当たると脅され、宗教が争いの種になる事もあ こんな言葉くらいでビクともしませんが? 宗教で言われる背く行為てまともな人間なら 罪悪感のあることですよ。 教えに背けば罰が当たるとか、 教えに従ってれば厄払いできるとか 信仰する人の問題を宗教のせいに するほうが おかしいでしょう。 「~教の人は」信仰否定する人のほうが 何か脅されてませんか。 「~は否定しなさい」、「~教はだめ」 こんな教えかたはキリスト教、イスラム教、 仏教にないでしょう。 宗派はあったとしても。 信仰否定する気はないが、攻撃的な教えに 信仰してる人は幸せなんだろうか。
誰かの金儲けとか、戦争の言い訳に必要だからです。 それ以上でも以下でもありません、裕福な国ほど無宗教になるらしいですよ あなたがそんな物が必要でない事を祈っています。
>宗教のどこがいいのでしょうか?宗教はなぜ必要なのでしょうか? 商品じゃないんだから分かりませんよ。
- aisakasayo
- ベストアンサー率27% (18/65)
信じるものって必要なんだと思いますよ。 辛いときとか苦しいときになにか信じるものがあれば頑張れますからね。 別に信じるものが宗教である必要はないんだと思います。 宗教を信じるのは多くの人が信じておりそれを信じれば外れないだろう的な感じなんだと思いますよ。 宗教同士で争うのは入れ込みすぎて自分を見失うダメな人たちでしょうね。 信じるのもほどほどにってことですよ。
- Dr_Hyper
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私は端から見ると,まったくの無宗教であり,都合良くクリスマスを楽しみ,正月には神社,葬式ではいろいろな宗派のお経をありがたく上げていただいて降ります。 そんなある意味典型的の日本人,世界的にみれば希な一部の人間からすれば,何かしらの形式をきめていただいており,それで故人が満足される。自分が納得できる,安心感がある。というのが現在の宗教の異議。というのが正直な所だと思いますね。 そんな私でもですよ,何か得体の知れない自分の中のリトル自分。いや,それとはちがった,守護霊のようなものや,ご先祖様などを含めて,信じるものがあったり,頼りになるものや,守ってくれているものを感じることは,人生をすこし生きやすくなっているように思います。例えば人生やり直したいなぁと思うよりは,こうゆう人生を歩ませてくれてるのはご先祖が俺に将来何かを期待してるんだろなぁって思った方が未来が楽しみじゃ無いですか? もっと極端で話をすれば,たとえば簡単な車同士の接触事故を起こしてしまったとしましょう。 何も信仰せずに単に事故を受けただけだと,ああ自分はついていない。と感じるだけですが もしそこに一つ信仰や自分なりの神様を挟むと,すこし印象がかわります。 それは,こういった事故を受けたのは何かの意味がある。 と考えられるようになるのですね。 そして,きっと,実はもっと酷い事故だったのをご先祖が守ってくれたのかも。とか もっと道路は気を付けろと言ってくれているのだ。とか,もっと妄信的に,神様はきっと守ってくれたのだ,私が日ごと怠惰なのを注意なさったのだ。と事故のお陰でサボり癖までなおしてくれる場合もあります。 宗教はある意味究極のポジティブシンキングをしやすくする,苦しい生活を乗り切るための心理的な手段,手法として歴史的に残ってきました。 そして,それは現代では必要の無い人の方が多くなっているのも事実です。 が,それでもある局面局面でその信仰が自分の気持ちを楽にしてくれるところがあるから宗教は無くならない。そしてもっと弱った人は安易に新興宗教などのすこしカルトなものを信じてしまうのでしょうね。 一方恵まれた国米国のキリスト教信仰は年々薄れて言っています。しかし自分の宗教とは違う宗教を敵に回すことで,戦争の引き金をつくり軍事産業を活性化させます。 この面で私は必要だとは決して言いたくないですが,ブッシュにおいては宗教は必須だったのではないか。と思いますね。何かのヒントになれば幸いです。
- eroero4649
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私たち日本人の多くが「私はどの宗教も信じていません」と自称します。でも、お正月になれば初詣はしますし、結婚式では牧師さんを呼んで神様の前で永遠の愛を誓い、死んだらお坊さんがやってくることに誰も疑問も違和感も感じていません。 これは「どの宗教も信じていない」のではなく、「どの宗教も信じている」のです。もしどの宗教も信じていないなら、亡くなった人の遺体を丁寧に取り扱う必要なんてないはずです。死んだらたんなる塊になるわけですからね。 人類学者によると、どんなに未開の部族にも宗教というのは存在するそうです。「人間あるところ、宗教あり」だそうです。 我々日本人は、神様も仏様も精霊もすべてが平等に存在する「なんでもあり教」の信者なのです。西洋人に言わせるとそれはアミニズムという原始宗教の宗教観らしいですけどね。
- siukimaok
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今、必要じゃない人には、なぜ必要なのかは分からないと思います?
- nekosuke16
- ベストアンサー率24% (903/3668)
どこぞの何者が作った思想や規律、宗教も必要な人達にとっては、大事でしょうね。 当然、そうした人達にとっては、罰も恐れるし、争いにも加担することもあるでしょう。 しかし、自分にとって宗教は、必要とも思わないし、流されることも従うこともありません。 宗教を不要とするのも、また、自分の思想信条です。 全ては、個人の自由だと思いますよ。