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宗教に頼らない世界は正しいが、味気ないもの

  かつて何処かの誰かさんがゆーておった。(確か木造建てに百年住んでおるとかゆーおったが、・・・) 宗教に頼らない世界は正しいが、味気ないものであると。 果たしてそーであろーか。 ラッセルは味気ないほど単調な時間が人間精神にとって必要であるとゆーておるが。

みんなの回答

回答No.14
回答No.13

ラッセルがアルケーの神を殺したのですか。

回答No.12

宗教の喪失が味気無くする、という見解さえもが、 煩悩への固執を肯定してしまっていますね。

回答No.11

 ANo.9  マウスが利かなくなって、書き忘れが追加できなくなっていました。  何かに頼るのって、宗教ではないし、宗教って宗教にも頼らなくするんですよ。  人間とこの世界というスクリーンの画像に何を頼るんですか。  心にも精神にも学識にも信仰にも肉体にも無論人にも、そして観念や思考にも呼吸にも頼らなくするのが宗教なんでしょうね。宗教にも無論頼らない。  肉体や呼吸にも、自己という仮想存在にも頼らない。何もない世界です。  味気って、つまり甲斐とくいうのですかね。面白みとか。  そんなのにも頼らない。  これが宗教、宗教にも頼らない。これが宗教。

  • _AXIS_
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回答No.10

天才かもしれませんが、悟ってはいないので気にしないことです。 あれ、言われてロゴを元に戻しましたか。 人の道さんも悟ってはいないようです(笑)

回答No.9

 自分の存在意識を最後まで根源を求めることもなさるといいかもしれませんね。  その手法も大事ですが。  頼ってなくても、存在基盤になっているってことがないのかしらね。  もっとも宗教という語もそして宗教も多様ですね。  人の道さんも、どうしてこんなことにこだわるのか。表層意識にないのなら、問題にしないで無邪気にやっていけばいいだろうになぁ。  ラッセルは翻訳タームでの表示では味気ないとなっているが、そういう次元もあることは在るんですね。  宗教に頼らない世界が味気ないのかどうか知らないが、自分では頼っていない思っている世界はるだろう。  それが味気ないのではなく、単にガキの無邪気だというだけではないのだろうか。知らないだけでしょう。

回答No.8

医者に頼らぬ人生、 不実に頼らぬ人生、 借金に頼らぬ人生 この三つが良い人生の基礎になっちょるんだよ。 その三つ以外、女房に頼らぬ人生とか、ITに頼らぬ人生とか、と同列に宗教に頼らぬ人生というものが来るね。 だから、健康、正直、無借金の三大目標にくらべたら宗教の有無なんちゃあ相対的に小さいもんやね。 味気ないと思ったきは、よく噛むこっちゃ。 噛んで居るうちに味がでてくることも多いけんのう。

回答No.7

宗教が発展した時期を見ればわかるが、人類の社会性が増して、 人の意識の自己チューさが問題になってきた時期に、それまで 「環境認識の補完としてのアニミズム+生活コミュニティのモラル」 として分離していた意識の社会性を、1つの体系的かつ体制的な 世界観として、強力に強制する必要があったのだ(そうでない社会 は劣化し征服された)。 人類が社会生命となり、自己の生存システムが肉体の外に拡張 される上において、それを自覚化する認識の発達を省略し、宗教 が代行して社会行動をとらしめたのだ。 しかし、その「認識の発達の省略」は、人の生きる目的が即物的な 繁栄なら問題ないが、精神的な充足感が目的である場合、その 充足量に関わる決定的な関数(認識深さ)を損なう事を意味する、 次善の策に過ぎない。 宗教に代わる、「社会生命的自覚(愛)による自律的社会行動~ 自我仮説と時空仮説の相補分化」による、自己存在の本質に 根差した生=生きる事自体による充足こそ、最大充足を可能にする。

Hitonomichi-1
質問者

お礼

  その答えは完全であった。 その答えは完璧であった。 その答えはブータン的であった。 その答えはあまりにブータン的であった。 その答えは真理を探求した者のみが与えることのできるものであった。 その答えは「人の道」そのものであった。 深く感謝します、有難う。      

  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.6

昔読んだ毛唐の本で確か『人間』という題目の本があった。その各章の副題が面白かった。曰く、「言葉と論理」「芸術」「宗教」「戦争」だった。他にももう一つぐらい章があったと思うが、著者名も内容も忘れた。でも要するにこのどれを取り除いても人間じゃあないんだそうだ。もし人間じゃなかったら、あたしも味気ないと思うよ。あたしゃまだ人間の肉食ったことないけど。

回答No.5

宗教というのは元々は単なる美学・哲学なんですよ。 情報網もなく人々の広いつながりもなかった秩序の少ない時代には必要だったんです。 現代でも宗教で謳われているようなことを口にすれば、美学として酔いますよね。 ただ、情報が発達した現代においてまで古臭い宗教に頼ることは、正直、人生をサボってるとしか思えません。 祈っている暇があれば、悩んでる問題についてググれとw 宗教が当たり前の国ならともかく、現代日本において宗教に頼ってる輩は怠慢で他力本願な人間だけです。

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