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日本最初の宿は?
歴史に興味があって色々調べているのですが、日本では街道の整備とともに宿場町ができ、そして料金をとって部屋や食事を提供する商売ができたようです。 そこで質問なのですが、街道の整備以前には宿は存在していなかったのでしょうか? また、日本で最初の宿と考えられるのは、どこで生まれたと考えられますか? それは一体どういう経緯で生まれたのでしょうか? そして、その時のサービス内容はどうだったのでしょうか? 料金は? 資料には残っていないと思うのですが、ちょっと興味を持ってしまいました。
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古代においては、基本的に庶民は生まれた土地で自給自足生活をしていたので、旅をする理由がないと言えます。 旅が必要なケースを考えると、石器時代や縄文時代では、黒曜石やヒスイがその産地から、何百キロも離れたところで見つかっているので、物々交換の手渡しのほかに、原石を採取するために旅をした可能性は高いと思われますが、宿というようなものがあったというよりは、小船に野宿するための準備をして出かけた可能性が高いのではないでしょうか。 「宿」というものがはっきりと整備されるということは、「旅」が必要な社会の成立と同じ意味を持つと思われます。 社会的に「旅」が行われる状況とは、端から端まで数日はかかる、ある程度の大きな地域の中に、政治的中心集落が形成され、地方と中央の区別ができて、地方から中央へ、また中央から地方への情報・物資の定常的な移動があるという状況を考えなければなりません。 ですから、宿は大和朝廷の成立の前後からあったと思ってよいと思われます。 具体的に記録に残っているものとしては、古代の最重要幹線であった「山陽道の駅家」が明確な例ではないでしょうか。 ウィキによれば、大同2年(807年)の改制までは、播磨以西の山陽道には51の駅家があり(駅間距離13里程度)、それぞれに25疋の駅馬が置かれていたそうです。(当然宿泊施設もありました。) 尚、この駅家は、地方と中央の連絡の為に作られた政治的な設備で、公的な使用のためのものでした。 古代山陽道 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E9%99%BD%E9%81%93 布勢の駅家 http://www.kus.hokkyodai.ac.jp/users/his1/report.html
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- tanuki4u
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%BF%E5%9D%8A 現代との連続性を考えるとこのへんからじゃないかな
お礼
有難うございました。 なるほど、平安時代のお寺の宿坊が発展して、やがて今の旅館の元になったと考えられますね。 これを考えると、旅館の歴史は長いですね。
- Mumin-mama
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サイトのご紹介だけですが、ここに少し答えが載ってます。 http://www.v-rise.co.jp/rekisan/htdocs/ryokoindex/shukuba-yado/rekishi/rekishi.htm
お礼
有難うございました。 とても参考になるサイトでした。 旅館の元祖は8世紀まで遡ると考えられるのですね。 そう言えば、学校の歴史の授業で奈良時代の税金は租庸調で、日本各地から自分で品物を都まで運んだと習ったような記憶があります。 おそらく数週間~数ヶ月という長丁場の作業になると思うのですが、たしかに毎日寝るところが必要になりますよね。 今のような旅行気分で泊まる旅館とはまるで違ったでしょうが、この辺が宿のルーツなのでしょうね。 とても勉強になりました。
- eeb33585
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川の源と同じで、はっきりしないと思います。 宿のはじまりは、 行き倒れを見た、ある親切な人が軒先を貸して、水を一杯飲ませた。 あくる日、何度も頭を下げて、旅人は去って行った・・・ そんなもんじゃないの、初めは。
お礼
有難うございました。 多分、最初の宿はそんな感じだったかも知れません。 それがいつの間にか「これは商売になる」と、誰かが思いついて始めた、そして広まった・・・こんな感じなのでしょうね。
お礼
有難うございました。 詳しい解説に感謝します。 たしかに古代人には、今のような「旅」という概念が無かったでしょうね。 彼らが現代人をみれば、「他国をウロウロして何が楽しい?」と揶揄されるかも知れないなと感じました。 当時は旅というより、生活資源確保のための「移動行為」と考える方が正解なような気がします。 私たちが考えているような宿は、奈良時代にまで遡れるようですね。 中央政府の統治と、租庸調を都まで運搬する作業のために街道が整備され、次第に宿泊施設もできるようになった ・・・ これがルーツなのでしょうね。 とても勉強になりました。