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数年前のと同じ質問を

※ 「1の十分の一は?」と質問すると小学生でも「0.1」と答える    しかし    0  0.1  0.2  ~  1    ・--・--・----・  をベースで考えると   「0.1」という答えは「0~1の十分の一は?」という質問に対する   ものでなければならない。  つまり何を言いたいのかと言うと  「1の十分の一は?」という質問は「1は細分化出来る」がベースでなければならない。  つまり  「1の十分の一  と 0~1の十分の一」とは意味が異なるべきだ、がしたい主張。  でも世間様はこれを否定するのが常 - 自分が間違っているのは了解しているが~!!

質問者が選んだベストアンサー

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  • k_kota
  • ベストアンサー率19% (434/2186)
回答No.4

否定の前に言いたいことをもう少しわかりやすくして欲しいのですが。 1と言うのは値です。絶対量の基準は0からと言うのはそもそも一般的な数学の大前提です。 基準を0以外に置くなら明示的に各必要があります。 0~1と言うのは座標間の距離の問題です。 距離の値は1です。 >0~1の十分の一は? これは数学の言葉になっていません。 0~1の距離の1/10なのか、0~1の範囲にある変数aを1/10掛けたものの値なのか。 いずれにせよ >「1の十分の一  と 0~1の十分の一」とは意味が異なるべきだ と言うのは正しいですよ。 でも答えは1/10ですね。

daisuke200
質問者

お礼

※ 有難う御座いました (1) 0.1が10個の集合体を「1」とする-1の十分の一は「0.1」問題なし (2) 線を引き、左から 0 0.1 0.2 ~ 0.9 1 と並べたうえで   考えるから話がおかしくなる (3) 日本語としては別におかしくない言葉でも数学の世界ではおかしい  =了解しました=

その他の回答 (6)

  • mmk2000
  • ベストアンサー率31% (61/192)
回答No.7

数学を奥深くまで考えると哲学的な分野にいってしまいますので(経験者)お気持ちは良く分かります。 ただ、daisuke200さんのおっしゃる質問だと、数字を「量」として考えすぎなのではないでしょうか? 「1の十分の一は?」 という質問は決して数直線に表した0.1を求めさせるもの、と決まったわけではなく 「1の十分の一は、1に対してどの程度の割合?」 という質問に置き換えたときに、間違いなく0.1となるでしょう。 もし、 「0~1の十分の一は?」 という質問を答えるなら、0~0.1、または0.1~0.2、または・・・、0.9~1 と答えなくてはなりません。 daisuke200さんの御希望通りにするには 「0~1の十分の一のうち、一番小さい数字は?」に質問を変えなければなりませんが、そうすると 「1の十分の一は?」とは別の質問になってしまいます。 だから答えが違ってくるのではないでしょうか?

daisuke200
質問者

お礼

※ 反響の多さに驚いとります  まったくおっしゃる通りなのです 前の回答へのお礼にも書いたとおり、0.1の10個の集合体が「1」なのです であるにも拘わらず、これを左から順にならべるとある程度の幅というか 長さとい言うかが出来、最後に「1」が来るため「0から1までの十分の一」 と言うべきだ、と言いたくなったわけです。 いんや~!! いい歳をして小学生すら抱かないであろう疑問を持ってしまいました。 有難う御座いました

  • hanniyagi
  • ベストアンサー率15% (14/88)
回答No.6

半年ばかり前から、哲学カテ(哲学とは名ばかりですが)を主に質問に答えたりしている者ですが。 私が回答すると?、消される?検閲にひっかかる?。ことがあ多いようです。 ひがみ、でしょうか? ご質問の趣旨は。数学は、本当の、現実(この世界の在り方、起こり方と合致した)の知恵、 なのか。架空の計算技術、あるいは、起こる事象世界の半分しか見れないもの、ではないのか。 という。多くの数学者が自覚している筈の問題であろうと思います。 「有るものを有るがままに見る者は、思惑愛好家ではなく、愛知者(哲学者)と呼ぶべき者ではないかね。」とソクラテスが言った。(とプラトンが書き残していますが) 現実にあるのは、1(老子の、いっ、ですが)という単位なのです、 つまり、一個のリンゴがある、それを、均等に10箇に分割した、1欠片、が10分の1のリンゴ、 となるものです。またその10欠片を皿に載せ客にだしたら。1皿のリンゴ、となるのです。 一個のリンゴ、には戻らないのです。 1+1=2 が数学の基本でしょうが。 現実は、むしろ 1+1=1  なのです。 +、とは、一つの単位の中に、個々の姿形を保持したまま並存させる。というような意味であり。 一個、あるいは1片のリンゴが勝手に、自分で集まったり、皿の上に乗ったり、する事はないのです。 誰かが、何かが、移動させた、のです。 一個のリンゴ×移動+一個のリンゴ×移動=(1+1)×移動=1皿のリンゴ となるのです。 この、移動、を無視して成立しているのが数学なのです。移動、と表現した、変化を起こすもの、 釈迦の言う、縁。老子の無、は実体としては何処にも存在しない、能力、方向性、であり。 「×1」の概念であり。無視しても、答えは変わらない。数学は正解にはなるのです。 だから、数学を知恵(の代役)物理科学が発達したのですが。数学は、現実にはない、 ゼロ、やマイナス、を取り入れても成立する。答え、が出る。しかし物理科学が、0やマイナスを取り入れると、架空の理論になる、架空と現実の区別がつかないものになる危険があるのです。 的外れの回答になったのかも知れません。

daisuke200
質問者

お礼

※ う~ん!? 難解   「1の十分の一は」という質問は「1は細分化出来る、がベースでなければならない」   についてこう考えたことがあります(1はあくまでも例 / 0.~単位で)      「1には幅がある」- 0.8  0.9  | 1 |  1.1   1.2   0.9から1の世界に入りたての数  1から1.1の世界にまさに出ようとする数   「表記法」がないのは人間の勝手で数の知った事ではない。    ま、空論ですな   有難う御座いました 

  • alice_44
  • ベストアンサー率44% (2109/4759)
回答No.5

何を言おうとしているのか、はっきりしない質問だが… 単に、実数 1 は 10 等分できるが、整数 1 は分割できない と言っているようにも見える。 だとすれば、これは当たり前の話で、反対する理由も必要もない。 ただ 1 と書いただけでは、議論の対象が特定できたとは言えない。 殊に、10 で割れるか? といった計算を考える場合、 演算の結果は、1 と、その他の数との関係の中で決まってくるのだから、 考えている数の範囲を特定しなければ、「1」の持つ性質も特定できない。 そのため、1 が分割できるかできないかも変わってくる。

daisuke200
質問者

お礼

※ う~ん!? 難解!! もしかしたら整数1も分割出来る、と言いたかったのかもしれないが (他の回答へのお礼参照) これ以上はオイラには無理。 有難う御座いました

回答No.3

 面白い意見ですね。私好きだな~。この考え方。  『数学を公式』基準に考えるのであれば、あなたの主張は駄目でしょう。しかし数学は、 『可能性を追い求める学問』 が本来の方向だと私は考えているので、そういった考え方も良いと思います。私もいい勉強しました。この意見を否定するほうが逆に変ですが、現在の教育環境の中では否定的の意見が圧倒的に多いでしょう。

daisuke200
質問者

お礼

※ 有難う御座いました   く~ッ!! 私の考えを好きになってくれるひとがいるなんて~!!   「いい勉強になった」なんて言ってくれる人がいるなんて~!!   でも書き込みは「小学生にすら否定されるであろう考え方」   である、っちゅ~自覚はしているんです実際のところ。

  • Cupper-2
  • ベストアンサー率29% (1342/4565)
回答No.2

ぶっちゃけた話、ゼロから数えると言うことが暗黙の了解の元に成り立っているから。 同じようなことでは「 1/10(10分の1)はいくらか 」と言う問いに対し  「何に対して 1/10(10分の1)なのか示されていないので答えはない」 と小学生の頃に答えて怒られたことがありますが、 中学の頃に同じ質問に同じ回答をしたところ  「ゴメン。説明不足だった。何も指定されていない時は1に対するものなんだ。    式にすると 1×1/10 になる。    …と、今説明したから次からはちゃんと答えてくれ。」 こんな解説を受けて、「前提」 を教え込まれましたですよ。 そんなですので、数学に対する理解度の違いで教え方が異なるので深く突っ込まないことをお奨めします。 (要は察しろと…)

daisuke200
質問者

お礼

※ 有難う御座いました   が、う~ん!? 主旨がよ~わからん。

回答No.1

お答えになるかちょっと自信もないですが、少し回答してみますね。 的外れだとすいません。 まず、数学には公理というものがあります。 そして公理は証明ができません。 例えば、「a点とb点の2点を結ぶと、ただ1つの直線になる」 これは公理です。証明はできません。 ですので、数学という物はもともとの根本に 「ルールとして、こうしましょうとみんなで決めたもの」があります。 そして 「「1は細分化出来る」がベースでなければならない。 これも公理に当たる部分ですので、はじめに決めたルールになります。 公理を否定してしまうと数学そのものが存在できなくなるので公理を否定する 議論は社会的にも行いませんし、学問的にも不毛です。 はじめに決めたルールなので、例えば1+1=3でも言い訳です。 なんで2なの?3ではだめなの?という議論は不毛ですよね。 ご指摘の話に、レベルは違えどこれと同じ話のように思いますよ。

daisuke200
質問者

お礼

※ 有難う御座いました   が、う~ん!? 主旨がよ~わからん!!

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