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ヨガ教室とヒンズー教
ヒンズー教の歴史を、ごく簡単にサラッと紹介する本を読んでいて、初めて、ハタ・ヨガは、教義の実践のためのものだと知りました。 ヨガ教室に通うということは、ヒンズー教に帰依することになるのでしょうか。 教えていただけると幸いです。
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>イメージトレーニング=瞑想だと考えてよいのでしょうか。 >瞑想中は何か特別なことを念じるのでしょうか。 テレビでイメトレの番組をやってました。 小学校の女子が取り上げられてた。 両親はその子がいつも弱腰で臆病だったので、柔道を習わせたんです。 トレーナーは彼女に勝つイメージをするように訓練しました。 頭の中で試合で勝つイメージを抱かせるわけですが、要するに自己暗示(催眠)です。 勝つイメージが持てたときは試合に勝った。 もてなかったら試合に負けた。 オリンピック選手も試合直前に自己暗示をかけるそうです。 (トレーナーがいて、自己暗示の仕方を教える。野球選手もそういう系統のトレーナーを雇っている人がいる) ものすごい観客がいるし、世界でもトップクラスの強い選手とやりあうわけで、腰が引けない人はいないでしょう。 あがって緊張するわけですが、緊張すると筋肉の動きが悪くなるし、冷静さを欠くのでよくみれないですよね。 あるオリンピックの柔道の選手は、イメトレに成功すると、体が軽くなり、相手の動きがスローモーションに見えると言っていた。 >宇宙のスピリットを呼び出しているとか、 人間はどれだけの力を持っているか? 例えばたんすを持ち上げられるか? 無理ですよね。 いえ、本当は持ち上げることができる。 しかし、制御して持っている力を普段は出さないんです。 火事とかそういう命に関わることが起こった場合、リミッターが解除される。 例えば、、、コンビニで前の人が落とした効果がテーブルから落ちるのをキャッチした後、「あ、硬貨が落ちる」と思ったことがあった。 落ちる硬貨をキャッチしるときは無心で、スローモーションのように感じた。 感覚・思考が伴っていない瞬間。 すくったあとから、気づいた瞬間の意識が起こった。 0.5の誤差のあれかもしれませんが。(脳の伝達速度とと感覚の速度の間に0.5秒誤差があるとかなんとか) 従って宇宙のスピリットとかじゃないです。 >そういうのでしょうか。なんとなく真言宗の曼荼羅と通じるところがあるのでしょうか。”己を空しくする”座禅とは180度違う方向を目指すものだと思うのです。 硬貨を拾うとき、拾ってあげようとかそういう意思や意識は無かった。何も無かったんです。 キャッチするというイメージを抱かない状態。 自分が拾っているスローモーションの動作を<自分の外から眺めている>ような感じ。 自分の意思でやっているのではなかったです。 >お説のように、瞑想をしていると、好ましくない脳の働きが起こることがあるので、それを予防するために、ヨガ(体操)をすることを思いついた、ということです。精神のバランスをとるためのもののようです。 緊急事態の時に勝手に発動するのですが、意識して緊急事態の時の感覚の持っていくのなら、イメトレで自己暗示して、イメージを抱くようにすればいいのかなぁ・・・ わからないです。 その柔道の子は、勝つイメージが抱けないこともあった。 その時は負けていた。 どうして勝つイメージをしたいのに、勝つイメージができないことがあるんでしょうね? 訓練して勝つイメージがうまくできるようになって、勝率が上がっていってた。 それでも全戦全勝までには至らなかったが、完全のマスターしたら全部勝つことができるんでしょうね。 合気道は、女性でも自分より大きな男を投げ飛ばせますよね。 相手の力を利用してワザを使い、自分の能力以上の普段はできないことをやるわけです。 合気道の場合、コツがわかっていても、ワザをなかなかかけられないのは、相手の動きが見えていないからかも。 つまり心を空にできていないからかも。 弓道をやる人に言わせると、自分と弓という2次元が消え、無次元になるまで矢を放たないそうです。 カバラはこれとはちょっと違うでしょうけど、成功すると上昇するとされています。 言葉のあやでしょうけど、イメージ的には重力が消えるってことかも。 要するに意思(欲)という重力が消えることで、重力という鎖が消え、開放されるってってことかも。 それを解脱と呼ぶのかも。 これをしたいと欲が強いと、緊張して体が堅くなり、自由に体が動かせませんよね? 緊張したまま行うと、筋を痛める。 リミッターを自分で解除しようと思ってもなかなか。 突発的なことが起こらないと、自動解除されない。 おそらく、古代インド方面の宗教の一派が、パレスチナに移動して、それがカバラになったんだと思う。 だから両者の基本は同じなんだと思う。
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- kigurumi
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ユダヤ教の派生としてカバラがあるように、ヒンドゥー教の派生がヨガじゃないかと。 ヨガとは確か瞑想することで、輪廻する宿命から解脱することだったと思う。 昔は薬草(麻薬)を用いて、あっちの世界を知覚するということが、今のように「薬物によるトリップ」として禁止されていなかったようなんです。 薬物により脳の別な場所を刺激すると、別ワールドを知覚するように、脳内物質の具合をいつもと違うようにすると、この世の認識が異なる。 例えば、戦争で科学兵器により化学薬品を浴びた場合、外見はどこも傷が無いが、精神病の人と同じ言動をするようになる。 例えば、麻薬を摂取すると、ハイになりこの世がきらめいて感じるようになる。 例えば、脳溢血とかアルツハイマーになると、今まで使っていた脳神経の通路が使えなくなり、この世を今までとは違う世界として感じるようになる。 シャルルボネ症候群と呼ばれる人は、別ワールドを知覚する。 この病気になると目が見えない人が、見えていた時と同じ視覚体験をする。 視力を失ったことで、別な部分で補おうとする脳が別な部分を刺激して起こる減少。 側頭葉てんかんの患者の中に幸福感を体験する人がいるそうです。 我々の脳は微弱な電気が流れており、それで物質が行き来して思考しているわけですが、ある箇所が大量に発火すると、別ワールドになってしまう。 カナダの教授が側頭葉てんかんを起こした人の中に、神を知覚したという人がいることから、患者の脳のどの部分に大量発火が起こっているかつきとめ、キャップを作る自分でかぶり、特定の部分だけ発火を人工的に起こしたところ、神と遭遇したという同じ体験を得ることができたそうです。 オウム信者がかぶっていたキャップも、一種のそれ目的に作ろうとしたものだと思われます。 頭に穴を開けなくても、外から脳の一部を刺激することができる。 その人のかぶらせ、装置を使い特定の部分を刺激するように操作すると「今、手に氷が乗っているようです」と知覚させることができる。 このような装置を使わず、自分で脳の発火状態を変化させようとするのが、ヨーガではないかと。 イメトレで徐々にやっていき、コツがあるみたいです。 しかし、コツをつかめていないと、別の部分が刺激されることになり、危険なのだそうです。 従って、それを習得した人が側にいて、瞑想トレーニングをしている人が、危険な状態に陥らないように指導しているらしいです。 要するに麻薬を使わずイメージだけで麻薬を摂取した人が知覚する世界を体験しようってことだと思います。 で、いつもと違う脳回路にするわけですが、稀に組み合わせによって画期的な思考になることがある。 クリックは麻薬を吸ってDNAの螺旋を思いついたそうです。 いつもと違う思考にするには、手っ取り早く麻薬を摂取すれば、すごい発明ができるようになるかというと、この人の知識があったことで、それをベースに詳細に理論ができたのだと思う。 従って誰でも麻薬すれば特許はもとより平和賞も受賞できる とはならない。 まあ、イメトレで快楽を得る分には、個人の趣味ですからそれは問題じゃない。 ただ、イメトレで見たものを、現実だとして、社会に害を与えるようなことをしてしまうと、個人の自由 を主張できなくなる。 簡単にイメトレで快楽感覚が得られるのなら、がん患者はモルヒネいらず ですよ。 そのノウハウが確立しているのなら、医療現場でがん患者に対してヨガ指導してますよ。 ってことで、宗教の中の本体ではなくそこから派生した神秘主義じゃないかと。 従って、ヨガをやっているからって、ヒンズー教を信仰していることになるわけじゃない。 神秘主義を信仰して実践している。
お礼
含蓄ある回答をありがとうございます。 なるほど、私たち自身の脳が、神秘を作り出し、現実を遠ざけるわけですか。 確かに、脳生理学の最近の進歩はすさまじく、そのうちに、夢を見る原理や、投薬に頼らずに苦痛を和らげる方法も見つけられるかもしれませんね。 イメージトレーニング=瞑想だと考えてよいのでしょうか。瞑想中は何か特別なことを念じるのでしょうか。宇宙のスピリットを呼び出しているとか、そういうのでしょうか。なんとなく真言宗の曼荼羅と通じるところがあるのでしょうか。”己を空しくする”座禅とは180度違う方向を目指すものだと思うのです。 お説のように、瞑想をしていると、好ましくない脳の働きが起こることがあるので、それを予防するために、ヨガ(体操)をすることを思いついた、ということです。精神のバランスをとるためのもののようです。 そういう趣旨で出来たものなら、二つを切り離してしまうのは、不可能(というか、意味がないの)ではないかと考えたのです。 瞑想についてお詳しそうですので、もし、思うところがおありでしたら、またの回答をお願いします。 ありがとうございました。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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ハタ、ハサもYogaですが、日本などのはむしろストレッチ体操ですね。 ヨガとしてのハタやハサの先生もおられますが、ヒンドゥ教の教義とは関係ないでしょう。 ヨガって、実は宗教っていう意味と同じで、仏教はカルマ・ヨガ、本当のキリスト教ってラージャのヨガですが。 今の教室などでは、そういう思想性は直接出さないでしょう。むしろ全く知らない先生がおおいとぞんじます。 あぁどこかでペァ・ウインターも教室を持っておられたようですが、これは本物でしょう。 でも教えの押し付けはしませんよ。本物の人って。 藤田鳳子さんも持っていますが、彼女はなにせスワミですから、無論押し付けはしませんが。 ヨガは思想を押し付けません。本物とはそういうものです。
お礼
親切なご回答をありがとうございます。 お返事によりますと、ヨガといってもいろいろな種類があるようですね。私は、”ヨガさん”という人が始めたのだとばかり思っていました。豊かな歴史を持つヒンズー教を表現するために、用語も複雑で、ひとつの言葉にしても、簡単に飲み込めるものではありません。ヨガスクールと思ってよいのでしょうか。 えー、ごく簡単に言うと、ヒンズー教は、二元論に基づいた、バラモン教の進化したものと考えていいんでしょうか。バラモン教の教えは、ギリシアにも伝わったので、ヒンズー教とギリシア哲学には共通点が多いですか。すみません、自分で調べればいいのですが。ヒンズー教の概略がもうひとつぴんとこないので、間違っていたら教えていただけるとありがたいです。 ヒンズー教では精神を高めるものとして瞑想があり、それを補う形で(相乗効果を生むものとして)、いわゆる私達の知っているヨガがあるのでしょうが、果たして、ヨガが独立して、意味のあるものか、疑問に思ったこともあったので質問しました。 ヒンズー教の方は、自分達の宗教から生まれ出たものを、世界の皆さんと分かち合ってわだかまりがないのは、ご立派だと思います。その寛容さからの多様性が、外部のもの(私のことです)が短期間に理解しようとするためには、躓きの元になります。短気は損気です。 また何かありましたら、よろしくお願いします。ありがとうございました。
- carrotcake
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そのようなことはないでしょう。 私の知人は遠方のヨガ教室にかなり熱心に通っていますが、同時に敬虔なクリスチャンです。
お礼
はい、私もそのように思っておりまして、親戚にやめるように言われていた友人に”大丈夫”と太鼓判を押したこともあったのです。 キリスト教徒でヨガの先生をしている友人もいるのですが、その辺はどうなっているのか、ちょっと本人には聞き辛いのでこちらで質問してみました。もちろん、私もクラスに誘われています。 ご回答、ありがとうございました。
お礼
重ねてのご回答をありがとうございました。 おっしゃるように人間の内部には、自分でも気が付かない強力な力が隠されていると思います。それを引き出すのが瞑想の目的なのでしょうか。 ヨガで気を整えて、瞑想で隠れた能力を引き出す。 であるならば、ヒンズー教というのは、大変合理的な宗教であると思います。 カバラについては、始めると、また長くなりますので、機会がありましたら、また質問します。 そのときはご意見、お待ちします。