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珊瑚海海戦後の翔鶴搭載機と搭乗員

珊瑚海海戦後、損傷した翔鶴は呉に入港し修理をしましたが、その間翔鶴の搭載機・搭乗員はどこで何をしていたのでしょうか?

みんなの回答

  • DieMeute
  • ベストアンサー率70% (571/807)
回答No.3

補足の質問があったようなので・・・すいません。補足見逃していて今気づきました。遅くなってすいません。 呉に飛行場はあったようです。ウィキによると現在跡地には工場があるみたいですが・・・ 呉海軍航空隊 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%89%E6%B5%B7%E8%BB%8D%E8%88%AA%E7%A9%BA%E9%9A%8A 呉飛行場では戦中に第531海軍航空隊、第634海軍航空隊など幾つか部隊も編成されたようです。 第531海軍航空隊 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%94%E4%B8%89%E4%B8%80%E6%B5%B7%E8%BB%8D%E8%88%AA%E7%A9%BA%E9%9A%8A

  • kuni-chan
  • ベストアンサー率22% (678/3074)
回答No.2

 航空母艦への離着陸は難しく訓練をしませんと能力が低下すると言われています。  訓練が不十分ですと、作戦に支障しますので何らかの訓練はしていたと思います。  珊瑚海海戦では無理な攻撃で未帰還機が出ましたし、翔鶴は大破して出撃した艦載機は着艦できなくなり、可能な限り瑞鶴へ着艦させましたが、収容しきれない機は海上へ不時着しました。搭乗機を失った搭乗員も多かったようです。  2隻分の艦載機部隊が1隻分に減りましたから、戦力を整えるのは大変だったと思います。

ZEKE4423
質問者

お礼

ご回答ありがとうございす。 もし、翔鶴が米空母並みの防御力を持っていたら・・・・・・。と考えてしまいます。

  • DieMeute
  • ベストアンサー率70% (571/807)
回答No.1

搭乗員は休暇と、新たに配属された補充搭乗員の訓練を呉で行っていました。 2003年にトランスビュー社から「ある零戦パイロットの軌跡」という本が出版されています。 この本は当時、翔鶴の零戦パイロットで戦争を生き延びた小町定氏(最終階級は兵曹長)に戦後インタビューして書かれたものです。 この本によると小町定氏は翔鶴が呉で修理中に一週間ほど休暇をもらって田舎に帰省したそうです。 また、補充搭乗員が来たのでベテラン搭乗員が彼らに訓練を施したそうです。 なお、この時、休暇する事なく艦にいた軍医が新たに配属された補充搭乗員の訓練を見て、練度がこれまで配属された搭乗員より低いとも話しています。 訓練には瑞鶴も利用されたようです。瑞鶴の飛行甲板を利用して瑞鶴の飛行隊とともに翔鶴の飛行隊も離着艦訓練を行ったそうです。 そうして時を過ごしているうちにミッドゥェー敗戦の報が入ってきたそうです。

ZEKE4423
質問者

お礼

とても参考になりました。「とある零戦パイロットの軌跡」是非買って読んでみたいと思います。

ZEKE4423
質問者

補足

少しずれますが呉に飛行場はあるのでしょうか?11空廠もありますし、ありそうなものですが山がちな地形ですし・・・・・・。

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