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マリアナ沖海戦について。
マリアナ沖海戦で日本軍の航空隊は壊滅しました。 マリアナの七面鳥撃ちとまで言われています。 負けた理由は航空隊が実戦経験が無いもしくは少ないとか、訓練不足で母艦の離発着がやっととか、隊長機まで実戦経験が無かった為と聞いています。 それ以外にもアメリカ軍のレーダーとVT信管搭載の対空砲の為とも言われています。 でも、ある本で見たのですが、VT信管搭載の対空砲はたいして威力を発揮していない。 それよりも、レーダーで日本軍機を発見、上空待機の敵遊撃隊に撃墜された為と書いてありました。 そこで、パイロットの技量不足が一番の敗因と考えていましたし、実際、敵遊撃機に襲われても、まっすぐ飛んで、避けるとかしないで、次々と撃ち落されていったとかも聞きました。(隊長機も含む) でも、1944年末?に、最後の最強航空隊を作りましたよね。 松山沖の航空戦で大勝利、日本軍の意地をアメリカ軍に見せつけましたよね。 そこで、疑問が。前置きが長くなりましたが、どうして、この部隊というか、パイロットをマリアナ沖海戦に参加させなかったのかです。 この後のレイテ沖海戦では、おとり部隊ですし(航空機はほとんど積んでいなかったらしいですが?)壊滅必至の作戦なので仕方ないとか思いますが、マリアナ沖海戦の時は、全力、日本軍の持てる力すべてを注ぎ込んだ海戦のはず。 偵察機が敵機動部隊発見、攻撃隊全機発進した時、日本海軍の司令部にいた人達は喜んだそうです。勝った!と。このことからも、負けることが前提では無く、勝てる布陣を、今の日本軍にできる事すべてをしていたはず。 なのになぜ?それほどの海戦なのに? もし彼らが隊長機なら、あそこまでアメリカ軍に言われなかったのでは?的確に回避行動・交戦などにより、敵母艦上空に…もしかしたら、勝利…は難しいかもしれませんが、それなりの損害を与えていたのでは?と思います。 どうして、温存したのでしょうか?参加しなかったのでしょうか? 彼らはマリアナ沖海戦には参加していないと思うので。航空隊は壊滅している。それに松山沖の時に50機以上で遊撃しているので、それなりにベテランパイロットが沢山いたはずと思います。
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質問者が選んだベストアンサー
マリアナが落ちるまでは、本格的に空襲にはあっていないので、まだまだ各地でパイロット育成中です。それがマリアナが落ちた結果空襲でパイロットの育成もできなくなったので、教官を大量に引き抜くことができたのです。あとは、空母搭乗員の訓練の多くは、発着艦、計器飛行に費やされます。そこで落第したもの(技量甲ではなく乙)の中にも、空戦は得意だったものもいるでしょう。
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- agboy
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質問者様が、私よりお若いと仮定して。 「その状況に臨まずに手前勝手な事を言うなよ。」 と言うことです。 その時の戦況がどうであったか、指揮官にどの程度の情報があったかは、我々には知りえません。 楽な立場で、評論だけするのは、当時の方々に大変失礼な行為と思いますが如何?
お礼
ご回答ありがとうございます。 そうですね。 このような質問はイヤな方も沢山いますよね。 申し訳ありませんでした。 ありがとうございました。 ご回答してくださった方、ありがとうございました。 このような質問に付き合って頂き感謝しています。 ポイントは大切な時間を割いてご回答してくれていますのでポイントは付与させていただきます。 ポイントは質問に対する、回答とさせていただきますので ANo.6さんのご意見は質問者の質問に対する意見なので、対象外とさせて頂きます。 ANo.6さんもその辺りは理解していただけると助かります。 ご意見はとても参考になりました。 すみませんでした。
- toro321
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343空が活躍できたのは、紫電改を与えられたからで、ようやく、米軍の戦闘機に対して十分に戦える機体が生産できたからです。 マリアナ海戦では、戦闘機は零戦52型で、もう旧式化してました。 速度に勝る米軍戦闘機が2機でチーム組んで、一撃離脱戦法を取ってからは、零戦に勝ち目はなくなってます。 しかも、この海戦は、小沢提督が、アウトレンジ戦法を取り、かなり遠い距離(航続能力一杯)で発艦させたため、米軍に迎え撃つ準備をたっぷりとさせたり、練度の低い搭乗員に長時間操縦させたため疲れさせたり、味方撃ちしたりと、大失敗に終わっています。 米軍が地上攻撃に発艦させた機体が日本軍を迎え撃つのにちょうどよかったとか、天佑も味方しなかったというのが実情でしょう。 また、その稼動機数も日本400に対して米軍は1200ぐらいですから、勝つことは難しかったと思いますよ。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >343空が活躍できたのは、紫電改を与えられたからで >マリアナ海戦では、戦闘機は零戦52型で、もう旧式化 なるほど。持ってた戦闘機の性能差は大きかった。 旧式では…。。。 343空の人達は性能差が無くなったから、アメリカ軍に対抗できたんですね。 >アウトレンジ戦法 有名な作戦。日本軍機の有利な性能、航続距離をうまく使った、見事な作戦。なんと、敵が攻撃できない距離から、発艦、一方的に攻撃できるはずだったのだが…。。。 無理に無理を重ねた結果…壊滅してしまった涙 >その稼動機数も日本400に対して米軍は1200ぐらいですから、勝つことは難しかったと思いますよ。 3倍か…勝つ事は難しいでしょうね。 343空の人達でも、旧式戦闘機では、あまり活躍できなかったかもしれませんね。 少し、アメリカ軍の損害が増えるくらいで日本軍の損害は変わらず、母艦は沈んだでしょうね。。。涙 ありがとうございました。
>訓練不足で母艦の離発着がやっととか、隊長機まで実戦経験が無かった為と聞いています。 レイテ突入の際、敵機動部隊を早期に発見しますが更に懐深くへ進入。 敵の索敵機に補足されてから全機を投入します。 帰還ガ困難ナ場合、マニラ空港ヘ着陸セヨ。 (着艦経験が殆ど無い搭乗員が多い。)の追加指示を与えましたが、 途中スコールに遭い、多くが離散してしまい目標を見失います。 (計器飛行が出来ない) 目標に到達出来た機体は数機であったようです。 (いずれもベテランパイロット) 爆装零戦による至近弾、ベテラン搭乗員の艦攻による命中弾1発が戦果であったようです。 小沢機動部隊に帰還した機体は数機程度になっていました。 オトリ部隊として敵の空襲にさらられる寸前、残存零戦を発進させ、 発艦シテマニラ空港ヘ向カエ。の指示を出しますが、 零戦3機は途中で遭遇した300機を相手にひるみもせず敢に防空戦闘を開始します。 これが小沢機動部隊の最後の戦闘になります。 マラリアで参加出来なかった搭乗員や、歴戦の勇士は点在しており、 これかき集めた訳です。
お礼
ご回答ありがとうございます。 これは・・・レイテ沖海戦の時の航空隊の戦いですね。 ちゃんと、戦ったんですね。 ほとんど搭載していない空っぽ空母では無かったんですな(笑) >レイテ突入の際、敵機動部隊を早期に発見しますが更に懐深くへ進入。 何!日本軍の方が先に見つけていたみたいな感じの書き込み。 更に懐深くへ進入…なぜ??? >途中スコールに遭い、多くが離散してしまい目標を見失います。 …悲しい。。。涙 >目標に到達出来た機体は数機であったようです。 ベテランパイロットは数人しかいなかったんですね涙 >爆装零戦による至近弾、ベテラン搭乗員の艦攻による命中弾1発が戦果であったようです 頑張ったんですね。でもなんにあたったんだろう? 航空隊の意地を見せつけましたな。おとり部隊なのに、先に攻撃できたのは奇跡ですね。 >発艦シテマニラ空港ヘ向カエ。の指示を出しますが、 小沢さんの最後の優しさなんですかね。 >零戦3機は途中で遭遇した300機を相手にひるみもせず敢に防空戦闘を開始します。 >これが小沢機動部隊の最後の戦闘になります。 たった3機(涙)でも母艦を守ろうとするのはパイロットの意地なんですかね。 最初は何機くらいだったんですかね? これが、最後の機動部隊ですか…マリアナ沖で本当に壊滅したんですね。。。かき集めてもこれだけだったとは涙 ありがとうございました。
- thisaway
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松山343空か結成されたのは1944年12月で、マリアナ沖海戦はその半年前の6月です。 源田が熟練搭乗員を各地の航空部隊から343空に強引に引っ張ってこれたのは、すでにその頃には各地の航空部隊が航空機が破壊されるなどし壊滅状態だったから出来たことです。 マリアナ沖の時期は海軍航空隊も余力があったからこそ空母決戦が出来たわけで、この時期ではいくら源田でも熟練搭乗員を引き抜いて新たな航空部隊を作るといった芸当は出来なかったと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >松山343空か結成されたのは1944年12月で、マリアナ沖海戦はその半年前の6月です。 343空です。最強の航空隊の名前、忘れてしまっていました。。。12月に誕生したんですね。 >すでにその頃には各地の航空部隊が航空機が破壊されるなどし壊滅状態だったから出来たことです。 なるほど。まだ、一応元気だった、航空隊では、ベテランパイロットを渡すか!状態だったんですかね。 持てるすべての力を注ぎ込む大切な海戦なのに…。。。涙 >海軍航空隊も余力があったからこそ空母決戦が出来たわけで、この時期ではいくら源田でも熟練搭乗員を引き抜いて新たな航空部隊を作るといった芸当は出来なかったと思います。 チョットは協力しろ!状態ですな。 海軍内部でも、あんまり仲良くなかったんですかね。。。 陸軍とも仲悪かったのに…。。。 一致協力して戦う事してないのに勝てるか!ですね。 ありがとうございました。
- 風車の 弥七(@t87300)
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カギは空母に有ります。 空母の搭乗員は発艦・着艦の訓練があります。 松山の343航空隊の搭乗員は地上基地の経験者が多く、空母の経験者は少なかったそうです。(ネコ・パブリッシング刊 「源田の剣」参照) 空母のベテラン搭乗員は昭和18年10月の南太平洋海戦までに大多数が戦死しました。 海軍の飛行機搭乗員に対する思想は「搭乗員は消耗品」でした。 ですので本当に消耗しつくしたのです。 だから経験の浅い搭乗員が空母に配属されました。 地上基地のベテラン搭乗員はある程度生き残り、技量抜群の搭乗員は343航空隊に配属されたのです。 しかしご存知の事と思いますが、343航空隊は主だった将校クラスが戦死して終戦時は名前だけだったようです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >カギは空母に有ります。 >空母の搭乗員は発艦・着艦の訓練があります 空母の離発着ですか。 でも、彼らほどの技量があるなら、チョット練習すれば、簡単に…とか思ってしまいますが、実際は相当訓練しないとダメなんですかね? >地上基地の経験者が多く、空母の経験者は少なかったそうです。 もう、ほとんど消耗してしまって、ベテランパイロットがいなかったみたいですね。地上と空母は全然違うんですかね。 >昭和18年10月の南太平洋海戦までに大多数が戦死しました。 マリアナ沖の時はまだ、回復途中だったので、質問本文のようなパイロットの人が多かったんですね。 >「搭乗員は消耗品」でした。 攻撃一辺倒で防御無しですからね…後半には少し防御してましたが…。 技量のあるベテランパイロットが沢山いた時期は良かったけど、いなくなると、パイロットの差がくっきりとでてしまった。悲 アメリカ軍の航空機も良くなっていますしね。 >だから経験の浅い搭乗員が空母に配属されました。 補充という意味ですな・・・でもベテランがいないとダメでしょう。 少しは地上勤務の人を空母にとか考えなかったんですかね。 >しかしご存知の事と思いますが、343航空隊は主だった将校クラスが戦死して終戦時は名前だけだったようです。 確か、3人の指揮官は戦死された事は知ってます。 でも名前だけとは…多くのベテランパイロットの人も戦死されたんですね。最強の航空隊が最後は名前だけとは。。。悲 ありがとうございました。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >教官を大量に引き抜くことができたのです。 なるほどなるほど。 みんな教官の人達で、343空は作られたんですね。 それなら、技量抜群の人達ですし、引き抜くこともできそうですね。 マリアナ沖の時はまだまだ、訓練していたと…。納得ですな。 …もしかして、マリアナ沖で戦った人達は、教え子だったのかもしれませんね。 もしそうなら、教官達は技量未熟なのは解っていたから…戦地に送り出すのは辛かったかもしれませんね。。。涙 >空母搭乗員の訓練の多くは、発着艦、計器飛行に費やされます。 空母搭乗員は普通の搭乗員より、訓練が大変そうですね。 簡単に空母の搭乗員にはなれそうもありませんね。 ありがとうございました。