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神と紙についての問答
- 神と紙についての問答の要約文その1
- 神と紙についての問答の要約文その2
- 神と紙についての問答の要約文その3
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こんばんは。 神=紙ですね。 最近は、神=プラスチックの物もあるんですよ。 初詣のときに買ってきました。 世の中、なんでも検索だとか、百科事典だとか流行なのでしょうか。 偉い学者が書いた事を真実だと、頭に刷り込んで エリートになっていくのでしょうか。 自分自信の経験の方が、よっぽど真実だと思いますが。 お金を神とあがめるのに比べたら 神=紙の方が、神も喜ぶのではないでしょうか。 でも私は、紙=神=プラスチック ですね。
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神=紙というのは語呂合わせですね。 和歌のテクニックでは掛詞とかいいます。 語呂合わせとはいまではお笑いのネタですが、古においては呪術であったと私は考えています。 言霊信仰というのがありますね。 口にした言葉は実現する力を持っているとか。 おそらく、昔の人は掛詞をつかうことで言葉本来の意味を変えられると考えたのでしょう。 うちの駐車場は「42番」で、家族が「死に」に通じるので嫌だ、と言うんです。 それで「あほやなあ、4がふたつで『しあわせ』やんか」 というと、納得したのか、42番が嫌だと言わなくなりました。 道祖神の前で、幣といって細かく裂いた紙を散らす習慣があるそうですが、なんでなんでしょうね。 怨霊と紙は同義語であったともいいますので 紙=神を細かく裂くことで、怨霊を撃退しようということなのかな、と思ったり。 神=髪も気になります。 怨霊になったことで知られる崇徳天皇は讃岐に流罪となり、髪も爪も伸ばしほうだいだったとか。 逆に、仏教の僧侶は髪をそってますね。 日本では神仏は習合されて信仰されていましたので関係ないともいえないような。 >紙も真っ白なものは中身が無い。 >実体のない神も中身がない。 >だから神と紙は殆ど同じや。 これは中々うまいこと言うな、と思いました。 神には中身がないとわかっていれば、惑わされずにすみますね。 自分としては言葉や物に力を与えてはいけない、と思っています。 言葉や物に力を与えると、それに惑わされます。
お礼
今日はRupapoさん わしが一番気に入っとるのは、そのrupapoちゅーネームなんや。 rupapo、ルパポ、るぱぽ、rupapo、ルパポ、るぱぽ、rupapo、ルパポ、るぱぽ・・・・・ rupapoさん、あんたは道歩きながらこれで歌歌っとるんやないんかね。
- tumaritou1
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神は存在します、誰でも一人の人は一つの神を持っています。その証拠をウイキペデアからコピーしてみます。 ”ロジャースペリー 分離脳 ノーベル賞受賞者 受賞年:1981年 受賞部門:ノーベル生理学・医学賞 受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究 ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球が『それぞれ独立した意識』を持っていることを実証した。” この右脳に存在する、自我意識とは違う人格を、お釈迦様は『仏性』と名を付けました、『一切衆生悉有仏性』です。右脳がない人はいないと言う事です。 右脳はキリスト教においては神と云う事になります。自身の中に存在しながら自身には判らない、然し脳梁を切断したら、はっきりと存在していました。ですが自覚出来ません。その訳を書いてみます。 何故ならその人格は『無意識界を取り仕切っている存在です。』人間は眠る場合、自我意識が眠っていると云う錯覚をしています。本当の深い眠りとは、『意識がなくなって、すっかり無意識の自分が入れ替わって、身体と心を支配しています、そうして無意識の自分が眠りに入るようにしています。』 今言った事を勘違いする場合があります。眠れないから自我意識がしっかり眠りに入ろうと意識する場合です。自我意識は単体では眠りに入る事は出来ません。自我意識が、単体で眠ろうとする事が『不眠症』と云うものです。 この者は、生まれる前から『命そのものを働かせていて、しかも、教えられなくとも、人間固有の全てを持っています』泣ける場面では、全ての人がその感情を共有していて、感動します。或は音痴の人でも上手な歌と、下手な歌は判ります。蜘蛛が蜘蛛の巣をかけるように、何も教えられなくとも、『不安や安心』を知っています。 酸素が必要なら供給する働きをしています、びっくりした場合には心臓でさえ早くできる者の事です。急ブレーキが必要とあらば、思う間もなく、『身体が反応しています』自我意識が身体に指令を出す前に、自我意識以外の者が指令を出しています。この場合『思わずに体が動く』と云う言い方になります。 この者の機能を自我意識が嫌う場合があります。脳梁を通して送られてくる情報を嫌うと云う意味です。高い所にいると云う情報を嫌って受け取ろうとしない事が『高所恐怖症』と云う事になります。 誰でもが鋭い刃物を見た時感じる事『尻の辺りが、もぞもぞする感じ』を嫌って受け取ろうとしない場合です。この場合を『先端恐怖』と言っています。狭いところに居る事を教えようとする情報を受け取ろうとしない場合が『閉所恐怖症』です。 こういうことが如何して起きるのかを書いてみます。脳梁を介して送られた情報は、左脳の機能である分別と云う作用に一回掛けられて、頭の中で情報を再構成して、その情報を認識するようになっています。 その情報を悪いものとして『受け取りを拒否する場合』その情報は拡大されて、『もっと大きくなって再送される事になります。』是が恐怖症のからくりです。 生きるために必要として送られた、始めは小さな『不安』、嫌って受け取ろうとしない場合、その情報はもっと大きく拡大されて送られてきます。その小さな不安と云う情報が、拡大された情報とは『恐怖』と云う事になります。是がパニック障害の原因です。 自我意識に生きるための情報を送っている者、そうして身体や、心や、身体機能として働いていながら、更に無意識として、自我意識を休ませている者、それが『神や仏です』紙に書いたものとは、機能が全く違います。 没我、或は我を忘れている時に働いている者の事です。無意識の中に封印されているために、意識は意識出来ない仕組みになっていますが、脳梁を切断した場合、確かに自我意識の他に存在しています。
- jinseiwalk
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神=紙って議論を吹っかけているが、もっとまともなことを書けば!気がおかしい!
お礼
あのなあ、 そー思うのは、もー既に漬かっとるちゅーことなんや。
- ふじ-さん おたま-さん(@OtamaFJWR)
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この物理学の発達した現代において、宗教とは、戒律であり、 他律的社会性を持続させるための「方便」でしかない。 それなのに「神が存在する」と勝手に思うのは自由だが、 既に、物理学で「神はいない」と判ってしまっている以上、 神学などは、無意味な頭の体操でしかない。
お礼
人が宗教漬けになって神や仏に振り回されるのは何故やと思う。 それは人間の弱さがそーさせるんや。 そして真理を探究する精神の欠如が人間を弱くするんや。
お礼
pixsfineさん、もしかしてあんたの言う紙とは札束のことではないよね。 まーそれも自然な流れかも知れんなー、この現代の金満社会では。 あと検索の話、この情報化社会ちゅーのはだんだん世の中空しくなってくるなー。 そー思うのはわし一人では無かったちゅーことやね。