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意味を理解できず、もやもやするSF小説「流れよ我が涙、と警官は言った」の結末について
- フィリップ・K・ディックのSF小説「流れよ我が涙、と警官は言った」は、監視国家や組織機構のメタファーやアイロニーを描いた作品であり、意味を完全に理解することは難しいと言われています。
- 物語の筋や経緯はあいまいに描かれており、具体的な出来事や結末についても明確には語られません。
- 読解力がある人々からの意見を募りながら、この小説を読む際には「意味を理解する必要がないもの」として楽しむことをおすすめします。
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この小説は、ジェイスン・タヴァナーを焦点にして読むと、振り回されるかもしれません。一部の中心が自分のIDを失ったタヴァナーなので、わたしたちはつい、彼の「失われたアイデンティティ」を取りもどす物語なのだろうと思ってしまいますが(そうやってミス・リーディングというか、ミス・カテゴライズに作者は誘おうとするのです)、彼の存在はred herringです。 タイトルに注目してください。『流れよ我が涙、と警官は言った』ですね。この警官とは誰か。警察本部長のバックマンです。つまり、この物語の主人公はフェリックス・バックマンです。だから作者の仕掛けに乗っからず、彼を定点に据えると話はずいぶんすっきりします。 フェリックス・バックマンの双子の妹であり恋人であるアリスは重度の薬物中毒です。 そのアリスが服用した麻薬というのは、KR-3という特殊な薬です。その麻薬の特殊な効果は、服用した人間に非現実の世界を見せる、というものです。 問題は、その人が単に頭のなかだけで幻想を抱くのではなく、麻薬を服用することによって、その人を現実とはちがう環境が包みこむのです。つまり、ディックはカント同様、時間・空間を人間の外側にある絶対的なものだと考えていません。むしろ、人間の脳によって構成されるものである、と考えています。 ただ、カントだったら、人間の意識はまったく同じ鋳型を持っているから、それによって構成された時間・空間はまったく同じ「座標系」、それゆえに人と人の間で齟齬はおこらないと説明してるんですが、ディックはSF作家ですから、そんなふうには考えない。 人が脳の内部で構成する環境が、外にしみ出す、というふうに話を作っていきます。言葉を換えれば、トリップが「別の座標系」(p.335)を作りだす、と。 むしろ、麻薬によるトリップというより、わたしたちにはタイムトリップみたいなもの、と理解した方がわかりやすいかもしれません。ともかく、アリスは自分が夢中になっているタヴァナーの幻想ごと、トリップしてしまったのです。 現実のタヴァナーも、アリスの作り上げた「別の座標系」の干渉を受けます。ですから、安ホテルで目を覚ましたタヴァナーは、アリスの幻想のタヴァナーなんです。 冒頭でタヴァナーがIDを偽造に行く途中、黒人に行きあうというエピソードが挿入されていて、そこに、黒人はひとりしか子供を持つことが許されず、ゆるやかな断種政策が取られていることが記述されていますが、これは最後の場面でバックマンが機械式ガソリンスタンドで黒人に会うことと対応しています。彼には子供が3人いるという。つまり、現実では、そのような断種政策は取られていなかった(確かにこの本の「現実」は、公民権運動が新南北戦争を引き起こし、学生たちはひどく弾圧され、強大な警察権力の「執行官」による管理社会であることは暗示されていますが)。つまり、タヴァナーの「経験」は現実世界とはちがっている。 薬を飲んだアリスは、タヴァナー初め、いく人かの登場人物を、幻想と現実のふたつの世界にまたがって存在させてしまう。その結果、脳は過剰負担を強いられ、死んでしまうのです。アリスの死によって、タヴァナーも現実の世界に戻って来られます。 さて、問題のフェリックス・バックマンです。 タヴァナーやヘザーらの「スィックス」は、『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』の「アンドロイド」のようなものです。優生思想のもと、遺伝子操作されて作りだされた「スィックス」は、人間の都合で作り上げられ、また廃棄されようとしているアンドロイドとパラレルな関係にあります。これを押さえておくと、バックマンの役割りもはっきりしてきますね。そうです、彼はデッカードなんです。アンドロイド/スィックスを追うことによって、みずからの基底の揺らぎを経験し、そうして人間らしさに目覚めるのです。 ディックが考える人間らしさとは、共感能力にあります。 「スィックス」にはそれがない。とことんナルシシストで自分のことしか考えないエゴイストだからこそ、強さを発揮できる。だから「スィックス」は人を愛さないし泣くこともありません。 「スィックス」に対して「セヴン」を自称し、「スィックス」を手もなく操るバックマンは、その実、ありふれた人間です。ただ、権力の中枢に位置する彼は、その感情に蓋をしている。 けれどもその底では、双子の妹を愛し、その死を悼んでいます。だからこそ、意識しないままに、涙が流れ続ける。その「涙」は「人間らしい感情の証」です。そうして、それがあるから最後の場面で見知らぬ黒人と心を通わせることができる。 だから「流れよ我が涙、と警官は言った」というタイトルなんです。
お礼
素晴らしいご回答をありがとうございました。やっと納得がいき、すっきりしました。 なるほど、そういった細かい描写が重要な複線となっていたんですね。『アンドロイドは』と比較すると、非常にわかりやすいですね。 黒人とのやり取り、「別の座標系」という言葉の意味、自分はなんて薄っぺらく読んでいたのだろう、と反省しました。本当にありがとうございました。 関係ないですが、ディックとカントを比較するとはなかなかセンスがいいですね、下ネタ的な意味で(笑)。